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韓国旅行記(12年1月) [海外旅行記]
今月は釜山旅行をしてきました。
昨年3月31日にJALの10800マイルを使って、往路は午前便、帰路は午後便で、中部から成田経由、釜山行きの航空券を発券しました。サーチャージや空港税など別途6480円が必要でした。ちょうどアラブの春という言葉が飛び交った頃で、その後はしばらく燃油サーチャージが高止まりすると予想したので、値上げ前に駆け込みで発券しました。中東は民度が低く、独裁者がいた方が短期的には国が安定するのに、それを倒してしまったら、しばらくは混乱するだろうと考えました。
最初は釜山から安東に行く予定でしたが、10月頃、フライトスケジュール変更で午前便には乗れなくなったので午後便にしてほしいと、JALから通知がありました。往路は先月とまったく同じ旅程だったので、先月同様に有無を言わさぬ旅程変更を呑まされました。初日の夜に釜山着だと安東まで往復するのはきついので、2日目の旅程を変更することにしました。
ホテルは楽天トラベルで釜山の東新ホテルを予約しました。2泊で5840円です。
27日午後、14:50中部発、成田行きの国内線にチェックインし、カードラウンジで時間をつぶしてから搭乗しました。
成田に到着後、IASSラウンジに入り、時間をつぶしてから18:20の便に搭乗しました。今回はエコノミークラスにも空席が少しありました。釜山到着後、バス(1800W)と地下鉄(1200W)を乗り継いで中央駅に行き、東進ホテルに22時頃チェックインしました。
27日は7時半に起き、ホテル近くにある行きつけの天安コムタンでコムタン(7000W、牛肉のスライスを煮込んだ白湯スープ)を食べてから、地下鉄(1400W)に乗って1号線最北端のNOPO駅に隣接した釜山総合バスターミナルに行きました。そこからバス(4500W)に乗って慶州市外バスターミナルに行き、そのすぐ北にあるバス停から203番バス(1500W)に乗って、良洞民族マウルへと向かいました。マウルとは昔ながらの村落のことであり、ここと安東のマウルが2010年に世界遺産に登録されました。着いてから知ったのですが、良洞民族マウルまで来る203番バスは本数が少なく、慶州バスターミナルから来るバスは8:00、9:35、11:00、13:00、14:30、16:15、17:30、19:20にマウル着、慶州バスターミナルへと向かうバスは7:25、8:35、10:25、11:55、13:45、15:15、17:05、18:15にマウル発で、所要時間は35~40分ほどです。
山間にわら葺きや瓦葺きの昔ながらの家屋が立ち並ぶ、のどかな場所であり、飛騨の合掌造りが世界遺産なら、こちらも世界遺産で不思議はないと思えます。しかし現在も人が住んでいるため、外から一般の民家を眺めるだけの場所です。私は30分ほどで飽きてしまい、11:55のバスで慶州バスターミナルへと帰ってきました。
そこで海鮮鍋(7000W)の昼食を摂り、今度は10番バス(1200W)に乗って新羅ミレニアムパーク(15000W)へと向かいました。バスターミナルから25~30分くらい乗ったところで、右手にヒルトンホテルが見えてきたらそこで降り、左折して700メートルほど歩くと見えてきます。ここは昔ながらの韓国風家屋や映画のセットやが建てられた場所です。一番奥のステージでは武術や馬術の公演が行われていますが、武術の方は日本で一流の剣術や殺陣を見たことがある人には少しぬるく見えるかもしれません。馬術の方は鞍の上でアクロバチックな姿勢を取ったり、韓国式の短弓でやぶさめをしたりするもので、こちらは割と楽しめました。
その後、11番バス(1500W)、釜山行きバス、地下鉄を乗りついでホテル近くに帰ってきて、行きつけのソウルサムゲタンという店でサムゲタンを食べて帰ってきました。
28日は9時前に起床。私にとっては釜山も行き尽くした場所なので、もはやこれと言ってしたいこともなく、朝寝坊していました。
なんで、そこまでして海外旅行するのだろう?
と思われる方がいるかもしれませんが、日本語の通じない適度な緊張感の中、初めての場所に行くのが好きなのです。
それはともあれ、ホテル近くの行きつけの店で味噌味の鍋(3500W)を食べ、それから釜山近代歴史館(無料)へと向かいました。内容は予想通り、韓国文化である「恨」を十分に発揮した、日本への恨みつらみに満ちた内容でした。台北で似たような博物館に行くと、もう少し客観的に日本支配の功罪を紹介しているのですけどね。
その後、地下鉄とlight railway(合計2700W)を乗り継いで空港に向かい、プライオリティパスで大韓航空のラウンジには言って時間をつぶし、成田経由で中部に帰ってきました。
昨年3月31日にJALの10800マイルを使って、往路は午前便、帰路は午後便で、中部から成田経由、釜山行きの航空券を発券しました。サーチャージや空港税など別途6480円が必要でした。ちょうどアラブの春という言葉が飛び交った頃で、その後はしばらく燃油サーチャージが高止まりすると予想したので、値上げ前に駆け込みで発券しました。中東は民度が低く、独裁者がいた方が短期的には国が安定するのに、それを倒してしまったら、しばらくは混乱するだろうと考えました。
最初は釜山から安東に行く予定でしたが、10月頃、フライトスケジュール変更で午前便には乗れなくなったので午後便にしてほしいと、JALから通知がありました。往路は先月とまったく同じ旅程だったので、先月同様に有無を言わさぬ旅程変更を呑まされました。初日の夜に釜山着だと安東まで往復するのはきついので、2日目の旅程を変更することにしました。
ホテルは楽天トラベルで釜山の東新ホテルを予約しました。2泊で5840円です。
27日午後、14:50中部発、成田行きの国内線にチェックインし、カードラウンジで時間をつぶしてから搭乗しました。
成田に到着後、IASSラウンジに入り、時間をつぶしてから18:20の便に搭乗しました。今回はエコノミークラスにも空席が少しありました。釜山到着後、バス(1800W)と地下鉄(1200W)を乗り継いで中央駅に行き、東進ホテルに22時頃チェックインしました。
27日は7時半に起き、ホテル近くにある行きつけの天安コムタンでコムタン(7000W、牛肉のスライスを煮込んだ白湯スープ)を食べてから、地下鉄(1400W)に乗って1号線最北端のNOPO駅に隣接した釜山総合バスターミナルに行きました。そこからバス(4500W)に乗って慶州市外バスターミナルに行き、そのすぐ北にあるバス停から203番バス(1500W)に乗って、良洞民族マウルへと向かいました。マウルとは昔ながらの村落のことであり、ここと安東のマウルが2010年に世界遺産に登録されました。着いてから知ったのですが、良洞民族マウルまで来る203番バスは本数が少なく、慶州バスターミナルから来るバスは8:00、9:35、11:00、13:00、14:30、16:15、17:30、19:20にマウル着、慶州バスターミナルへと向かうバスは7:25、8:35、10:25、11:55、13:45、15:15、17:05、18:15にマウル発で、所要時間は35~40分ほどです。
山間にわら葺きや瓦葺きの昔ながらの家屋が立ち並ぶ、のどかな場所であり、飛騨の合掌造りが世界遺産なら、こちらも世界遺産で不思議はないと思えます。しかし現在も人が住んでいるため、外から一般の民家を眺めるだけの場所です。私は30分ほどで飽きてしまい、11:55のバスで慶州バスターミナルへと帰ってきました。
そこで海鮮鍋(7000W)の昼食を摂り、今度は10番バス(1200W)に乗って新羅ミレニアムパーク(15000W)へと向かいました。バスターミナルから25~30分くらい乗ったところで、右手にヒルトンホテルが見えてきたらそこで降り、左折して700メートルほど歩くと見えてきます。ここは昔ながらの韓国風家屋や映画のセットやが建てられた場所です。一番奥のステージでは武術や馬術の公演が行われていますが、武術の方は日本で一流の剣術や殺陣を見たことがある人には少しぬるく見えるかもしれません。馬術の方は鞍の上でアクロバチックな姿勢を取ったり、韓国式の短弓でやぶさめをしたりするもので、こちらは割と楽しめました。
その後、11番バス(1500W)、釜山行きバス、地下鉄を乗りついでホテル近くに帰ってきて、行きつけのソウルサムゲタンという店でサムゲタンを食べて帰ってきました。
28日は9時前に起床。私にとっては釜山も行き尽くした場所なので、もはやこれと言ってしたいこともなく、朝寝坊していました。
なんで、そこまでして海外旅行するのだろう?
と思われる方がいるかもしれませんが、日本語の通じない適度な緊張感の中、初めての場所に行くのが好きなのです。
それはともあれ、ホテル近くの行きつけの店で味噌味の鍋(3500W)を食べ、それから釜山近代歴史館(無料)へと向かいました。内容は予想通り、韓国文化である「恨」を十分に発揮した、日本への恨みつらみに満ちた内容でした。台北で似たような博物館に行くと、もう少し客観的に日本支配の功罪を紹介しているのですけどね。
その後、地下鉄とlight railway(合計2700W)を乗り継いで空港に向かい、プライオリティパスで大韓航空のラウンジには言って時間をつぶし、成田経由で中部に帰ってきました。
韓国旅行記(11年12月) [海外旅行記]
今月は韓国周遊の弾丸旅行をしてきました。
2月にJALの10800マイルを使って、往路は午前便で中部発、成田経由、釜山行き。帰路は午後便でソウル発、成田経由、中部行きの航空券を発券し、サーチャージや空港税など6890円を別途支払いました。
韓国国内の移動は、大韓航空(KAL)のマイルが余っていたため、1区間当たり6000マイルと空港税&サーチャージ13900Wで、釜山~済州島、済州島~ソウルの2区間を発券しました。こちらはビジネスクラスに相当するプレステージクラスです。初日にJALとKALを乗り継いで済州島に行き、そこで一泊してから翌日のツアーに参加し、2日目の最終便で済州島からソウルへと飛ぶ予定でした。また、春にオクトパストラベルがポイント制度を改定したため、それまで貯めていたポイントが5000円のクーポンになり、それを使って済州島のホテルを予約していました。
しかし10月頃、フライトスケジュール変更で午前便には乗れなくなったので午後便にしてほしいと、JALから通知がありました。それでは同日の釜山~済州島に乗り継げません。初日の朝に名古屋を発ち、KALの釜山~済州島最終便に乗り継げる範囲で別便をアレンジしてほしいと要望しましたが、受け入れてもらえず、泣く泣く済州島のホテルをあきらめることになりました。キャンセルしてもクーポンは帰ってこないため、JALのせいで5000円を無駄にしたようなものです。釜山~済州島は2日目の始発便に変え、釜山とソウルのホテルを予約しました。
16日午後、14:50中部発、成田行きの国内線にチェックインしたところ、スタッフが画面を見ながら電話をかけ始めました。
「はい、はい、そうです。間違いありません」という声が聞こえた後、「お客様、成田・釜山間はお一人ですか?」と確認してきました。「はい」と答えたところ、「エコノミークラスが満席なので、ビジネスクラスにアップグレードします」とのこと。一応JALも気を遣ってくれたのかもしれません。これで、スケジュール変更の件は水に流すしかないでしょう。
成田に到着後、ビジネスクラスラウンジはさすがに用意してもらえなかったので、ダイナースカードでIASSラウンジに入り、時間をつぶしてから18:20の便に搭乗しました。エコノミークラスはもちろんのこと、ビジネスクラスも満席です。シートは旧型で、食事は寿司を含む三段重ねの弁当にお吸い物がついたものでした。しかし寿司は作り置きですし、やはり地上で出来たてを食べたほうが美味いですね。
釜山到着後、軽鉄(1300W)と地下鉄(1400W)を乗り継いで中央駅に行き、東進ホテルにチェックインした時は22時を廻っていました。
17日は5時前に起き、ホテル近くにある24時間営業の食堂で味噌雑炊のようなもの(3500W)を食べてから、5:40中央駅発の地下鉄に乗りました。空港についた時には6:30を廻っており、プレステージクラス専用カウンターでチェックインしてからラウンジで小休止し、7:30のフライトに搭乗しました。プレステージクラスとは言え、シートは旧型でドリンクサービスしかない国内線だったので、何の感慨もありません。
地球の歩き方には、済州空港の国内線ロビーにある総合観光案内所で当日の定期観光バスを申し込めると書いてありましたが、観光案内所のスタッフによると、扱っていないとのことです。急遽自分でその日のスケジュールを組む羽目になり、済州島にある世界自然遺産の中で一番アクセスしやすそうな万丈窟に行くことにしました。空港で手荷物を預けた後(2000W)、100番バス(1000W)で市外バスターミナルに行き、そこで萬丈窟(Manjang Cave)までのチケット(2000W)を買ってから、9:40のバスに乗って出発しました。10:30に萬丈窟のバス停に到着しましたが、そこから2.5Km歩く必要があります。朝食が5時だったので、萬丈窟入り口に着いた時にはかなり空腹になっており、先に入り口近くの食堂で7000Wのビビンバを食べることにしました。
万丈窟は通常なら2000Wの入場料が必要ですが、今月末までの期間限定で入場料が無料になっていました。鍾乳洞内部を1Kmほど歩くことができますが、割と単調な作りであり、少しがっかり感が漂いました。更に最終地点に着いたら元来た道を戻ってこないといけないため、地上と地下をあわせて往復で7km歩いた計算です。
その後、再びバスに乗って市外バスターミナルに向かいましたが、途中で済州国立博物館を見つけ、そこで降りました。ここは済州島の歴史などを紹介した博物館(無料)であり、2000年ほど前に済州島に集落ができ始め、5世紀頃になってからタムナという済州島にできた国が史書に出てくるようになったとのことでした。
個人的に興味を持ったのは、年代別に日中韓の出土品を並べた展示で、紀元前10世紀から紀元後の時代の出土品は、明らかに日中の技術レベルが高く、韓国はそれに及ばないことです。以前からたまに耳にすることですが、刀剣にしても土器にしても、当時韓国の技術水準は日本未満だったのではないでしょうか?
その後、10番バスに乗って市外バスターミナルに向かいましたが、東門ロータリーを見つけたため、やはりそこで急遽降りました。ここで市場や地下商街を散策し、刺身(5000W)を買いました。醤油の代わりに赤い味噌をつけて白身魚を食べるのですが、これと同じ量を釜山で食べたら10000Wくらい取られそうな気がします。全体的に済州島は物価が安いですね。
その後、済州KALホテルのカジノをのぞきましたが、客は中国人ばかりであり、雰囲気だけ見て立ち去りました。
それから三姓穴(2500W)に行きましたが、ここはタムナを作ったとされる三兄弟を祀った場所です。ジオラマ展示によると、今から4300年前、地面の穴から生まれ、原始的な暮らしをしていた三兄弟のところに、チマチョゴリを着た三人の女性が、五穀の種と家畜を持ってやってきて、三組のカップルが生まれてタムナを作ったとのことでした。
しかしこの物語はあまりに虫が良く、時代考証も破綻しているため、史実を含んだ神話というよりは、竹取物語や韓流歴史物ドラマと同様にフィクションと捉えた方が良さそうです。屋内展示にあった三兄弟の服は、靴の紐がどう見ても20世紀以降に工場で作られたものでした。
ちなみに三人が生まれたとされる地面の穴は24本の柱で囲まれていました。意図的に2の三乗×3という数字にしたのであれば、物語にちなんで3という数字を二つ忍ばせたことになり、なかなかの策士だと思いますが、多分私の考えすぎでしょう。
その後、隣にあった済州民族自然史博物館(12月末まで入場無料)に入り、市外バスターミナルに戻る途中にあった食堂でキムチチゲ(6000W)を食べ、バス停から行きと逆方向の100番バスに乗って空港に向かおうとしましたが、乗る際に"airport"と言うと、バスの運転手が"No"と答えるため、諦めてタクシー(2800W)で空港に戻ってきました。
預けてあった荷物を引き取ってからチェックインし、ラウンジで時間をつぶし、20:40のフライトでソウル金浦国際空港に向けて出発しました。到着後、地下鉄(1300W)に乗りかえ、ホテルに着いたのは23時でした。
18日は、前日が朝5時前の起床であったため、十分な睡眠時間を取って朝9時に起床。10時にホテルを出発し、地下鉄(1000W)と空港鉄道(3800W)を乗り継いで、11:30にインチョン国際空港に到着しました。
チェックインと出国審査を済ませ、プライオリティパスでMATINAラウンジへ。ここはシェラトンウォーカーヒル直営のレストランであり、ブッフェ形式の昼食を摂りました。13:40のフライトでインチョンを発ちましたが、帰りはエコノミークラスのままであったため、ビジネスクラスのシートに慣れた身には非常に狭く感じました。16時過ぎに成田着、ダイナースカードでIASSラウンジに入って時間をつぶし、18:25発の国内線で中部に帰ってきました。
2月にJALの10800マイルを使って、往路は午前便で中部発、成田経由、釜山行き。帰路は午後便でソウル発、成田経由、中部行きの航空券を発券し、サーチャージや空港税など6890円を別途支払いました。
韓国国内の移動は、大韓航空(KAL)のマイルが余っていたため、1区間当たり6000マイルと空港税&サーチャージ13900Wで、釜山~済州島、済州島~ソウルの2区間を発券しました。こちらはビジネスクラスに相当するプレステージクラスです。初日にJALとKALを乗り継いで済州島に行き、そこで一泊してから翌日のツアーに参加し、2日目の最終便で済州島からソウルへと飛ぶ予定でした。また、春にオクトパストラベルがポイント制度を改定したため、それまで貯めていたポイントが5000円のクーポンになり、それを使って済州島のホテルを予約していました。
しかし10月頃、フライトスケジュール変更で午前便には乗れなくなったので午後便にしてほしいと、JALから通知がありました。それでは同日の釜山~済州島に乗り継げません。初日の朝に名古屋を発ち、KALの釜山~済州島最終便に乗り継げる範囲で別便をアレンジしてほしいと要望しましたが、受け入れてもらえず、泣く泣く済州島のホテルをあきらめることになりました。キャンセルしてもクーポンは帰ってこないため、JALのせいで5000円を無駄にしたようなものです。釜山~済州島は2日目の始発便に変え、釜山とソウルのホテルを予約しました。
16日午後、14:50中部発、成田行きの国内線にチェックインしたところ、スタッフが画面を見ながら電話をかけ始めました。
「はい、はい、そうです。間違いありません」という声が聞こえた後、「お客様、成田・釜山間はお一人ですか?」と確認してきました。「はい」と答えたところ、「エコノミークラスが満席なので、ビジネスクラスにアップグレードします」とのこと。一応JALも気を遣ってくれたのかもしれません。これで、スケジュール変更の件は水に流すしかないでしょう。
成田に到着後、ビジネスクラスラウンジはさすがに用意してもらえなかったので、ダイナースカードでIASSラウンジに入り、時間をつぶしてから18:20の便に搭乗しました。エコノミークラスはもちろんのこと、ビジネスクラスも満席です。シートは旧型で、食事は寿司を含む三段重ねの弁当にお吸い物がついたものでした。しかし寿司は作り置きですし、やはり地上で出来たてを食べたほうが美味いですね。
釜山到着後、軽鉄(1300W)と地下鉄(1400W)を乗り継いで中央駅に行き、東進ホテルにチェックインした時は22時を廻っていました。
17日は5時前に起き、ホテル近くにある24時間営業の食堂で味噌雑炊のようなもの(3500W)を食べてから、5:40中央駅発の地下鉄に乗りました。空港についた時には6:30を廻っており、プレステージクラス専用カウンターでチェックインしてからラウンジで小休止し、7:30のフライトに搭乗しました。プレステージクラスとは言え、シートは旧型でドリンクサービスしかない国内線だったので、何の感慨もありません。
地球の歩き方には、済州空港の国内線ロビーにある総合観光案内所で当日の定期観光バスを申し込めると書いてありましたが、観光案内所のスタッフによると、扱っていないとのことです。急遽自分でその日のスケジュールを組む羽目になり、済州島にある世界自然遺産の中で一番アクセスしやすそうな万丈窟に行くことにしました。空港で手荷物を預けた後(2000W)、100番バス(1000W)で市外バスターミナルに行き、そこで萬丈窟(Manjang Cave)までのチケット(2000W)を買ってから、9:40のバスに乗って出発しました。10:30に萬丈窟のバス停に到着しましたが、そこから2.5Km歩く必要があります。朝食が5時だったので、萬丈窟入り口に着いた時にはかなり空腹になっており、先に入り口近くの食堂で7000Wのビビンバを食べることにしました。
万丈窟は通常なら2000Wの入場料が必要ですが、今月末までの期間限定で入場料が無料になっていました。鍾乳洞内部を1Kmほど歩くことができますが、割と単調な作りであり、少しがっかり感が漂いました。更に最終地点に着いたら元来た道を戻ってこないといけないため、地上と地下をあわせて往復で7km歩いた計算です。
その後、再びバスに乗って市外バスターミナルに向かいましたが、途中で済州国立博物館を見つけ、そこで降りました。ここは済州島の歴史などを紹介した博物館(無料)であり、2000年ほど前に済州島に集落ができ始め、5世紀頃になってからタムナという済州島にできた国が史書に出てくるようになったとのことでした。
個人的に興味を持ったのは、年代別に日中韓の出土品を並べた展示で、紀元前10世紀から紀元後の時代の出土品は、明らかに日中の技術レベルが高く、韓国はそれに及ばないことです。以前からたまに耳にすることですが、刀剣にしても土器にしても、当時韓国の技術水準は日本未満だったのではないでしょうか?
その後、10番バスに乗って市外バスターミナルに向かいましたが、東門ロータリーを見つけたため、やはりそこで急遽降りました。ここで市場や地下商街を散策し、刺身(5000W)を買いました。醤油の代わりに赤い味噌をつけて白身魚を食べるのですが、これと同じ量を釜山で食べたら10000Wくらい取られそうな気がします。全体的に済州島は物価が安いですね。
その後、済州KALホテルのカジノをのぞきましたが、客は中国人ばかりであり、雰囲気だけ見て立ち去りました。
それから三姓穴(2500W)に行きましたが、ここはタムナを作ったとされる三兄弟を祀った場所です。ジオラマ展示によると、今から4300年前、地面の穴から生まれ、原始的な暮らしをしていた三兄弟のところに、チマチョゴリを着た三人の女性が、五穀の種と家畜を持ってやってきて、三組のカップルが生まれてタムナを作ったとのことでした。
しかしこの物語はあまりに虫が良く、時代考証も破綻しているため、史実を含んだ神話というよりは、竹取物語や韓流歴史物ドラマと同様にフィクションと捉えた方が良さそうです。屋内展示にあった三兄弟の服は、靴の紐がどう見ても20世紀以降に工場で作られたものでした。
ちなみに三人が生まれたとされる地面の穴は24本の柱で囲まれていました。意図的に2の三乗×3という数字にしたのであれば、物語にちなんで3という数字を二つ忍ばせたことになり、なかなかの策士だと思いますが、多分私の考えすぎでしょう。
その後、隣にあった済州民族自然史博物館(12月末まで入場無料)に入り、市外バスターミナルに戻る途中にあった食堂でキムチチゲ(6000W)を食べ、バス停から行きと逆方向の100番バスに乗って空港に向かおうとしましたが、乗る際に"airport"と言うと、バスの運転手が"No"と答えるため、諦めてタクシー(2800W)で空港に戻ってきました。
預けてあった荷物を引き取ってからチェックインし、ラウンジで時間をつぶし、20:40のフライトでソウル金浦国際空港に向けて出発しました。到着後、地下鉄(1300W)に乗りかえ、ホテルに着いたのは23時でした。
18日は、前日が朝5時前の起床であったため、十分な睡眠時間を取って朝9時に起床。10時にホテルを出発し、地下鉄(1000W)と空港鉄道(3800W)を乗り継いで、11:30にインチョン国際空港に到着しました。
チェックインと出国審査を済ませ、プライオリティパスでMATINAラウンジへ。ここはシェラトンウォーカーヒル直営のレストランであり、ブッフェ形式の昼食を摂りました。13:40のフライトでインチョンを発ちましたが、帰りはエコノミークラスのままであったため、ビジネスクラスのシートに慣れた身には非常に狭く感じました。16時過ぎに成田着、ダイナースカードでIASSラウンジに入って時間をつぶし、18:25発の国内線で中部に帰ってきました。
ネパール旅行記(11年11月) [海外旅行記]
今回は46カ国目、101回目の海外旅行です。
1月にANAの43000マイルを使って、スターアライアンス特典航空券を発券しました。その際に空港税やサーチャージなど総額19900円を別途請求されました。往路は関空発、バンコク経由、カトマンズ行き。岐路はカトマンズ発、バンコク経由、ソウル経由、中部行きです。ホテルは、5月にオクトパストラベルが一予約あたり500円の割引券を乱発していたので、それを使ってタメル地区のヘリテージホーム(2つ星、朝食付きで一泊2500円)を一泊2000円で2泊予約しました
出発当日の25日、19時名古屋発の近鉄特急デラックスシート(チケットショップで3600円)でなんばへ向かい、南海電鉄のラピートβ(1390円)に乗りかえて、22時過ぎに関空着。そこでカトマンズまでのチェックインを済ませました。
26日00:30発のタイ航空(以下TG)でバンコクに向かい、現地時間05:00到着。バンコクで一度出入国をすると700バーツの空港税を徴収されるため、その節約を兼ねてプライオリティパスでCIPラウンジに入り浸っていました。
再びTGに乗って、10:30バンコク発、12:45カトマンズ着。あらかじめ用意した写真と機内で配られたビザ申請用紙を提出し、25ドル支払って、入国時にビザを取得しました。
ところで今回はうっかりVISAカードを忘れてしまいました。VISAがあれば、少なめに両替しておいて、カードを併用しながら最後まで現地通貨の残高を調整できるのですが、その手が使えないと現地通貨が足りなくなった時点で支払い不可能になる恐れがあります。やむを得ず、少し多めに12000円両替したところ、12170ルピー(以下R)になりました。1円=1Rと思ってください。なお結果から言うと、一番の繁華街であるタメル地区には日曜夜までオープンしている両替所がたくさんあり、あとから不足分をこまめに両替しても何とかなると思いました。
空港のタクシーカウンターで100R払い、まずはパシュパティナート(入場料500R)へ。ここはガンジスの支流バグマティ川のほとりに建てられたネパール最大のヒンズー寺院です。川にはたくさんのゴミが流れ、腐臭が漂っていました。ここは火葬場をかねており、遺体を川のほとりの台に乗せ、材木や藁と共に火葬していました。火をつける直前まで遺体の顔が観光客に丸見えであり、その後上にわらを敷き詰めて火をつけるのですが、風下の高台で確認したら、材木や藁の燃える臭い以外に、電気メスを使ったときと同じ臭いが混じっていました。ちなみに火葬後の灰は川に流され、ガンジスまで流れていくそうです。
その後、タクシーに乗って旅行者の集まるタメルチョークへ(200R)。そこからホテルまで歩き、チェックインをしました。部屋に入ってから気付いたのですが、どうも先程の火葬の臭いが体に染み付いてしまった気がします。少し休んでから再び散策に出かけましたが、そのときには15時を廻っていました。タメルチョークからアザンチョークまで、最もネパールらしいと言われる通りを歩きましたが、確かに異世界へ迷い込んでしまったかのような独特の味わいがあります。ただしスズキの小型車や1970年代の古いカローラなどがたくさん走っており、排ガスによる大気汚染がひどいため、途中で喉が痛くなってしまいました。たまにきれいで立派な車を見つけたと思ったら、1989年型のカローラでしたw
今回は少し多めに両替してしまい、現地の物価を見て48時間ではとても使いきれないと悟ったこともあり、地球の歩き方に載っていた民族舞踊のディナーショーに二日続けていくことにしました。当日はバンチャ・ガール、翌日はボジャン・グリハという店に行くつもりですが、予約と場所の確認をかねて店まで歩いていきました。その後、カトマンズモールというショッピングモールに行きましたが、衣類や雑貨の店しかありません。カトマンズは停電がひどく、まともに電化製品を使えないからかもしれませんが、電気製品の店はあまり見かけません。
18:30に予約してあったバンチャ・ガールに行き、1100Rのセットメニューと350Rのエベレストビールを頼んだところ、税金やサービス料が上乗せされて1800Rでした。食前酒の後、前菜としてモモ(香辛料の入った小籠包のようなもの)やコリアンダーで味付けした植物の種などが出され、その後丸い金属のプレートの上に長粒米、チキンカレー、ほうれん草、豚肉の煮物、ピクルス、ミックスベジタブルを載せてもらいました。その後も私が食べる状況を見ながら、足りなくなったご飯やおかずを足してくれるため、ついつい食べ過ぎてしまいました。最後にヨーグルトのデザートで締めくくり、19:20から民族舞踊のショーが始まりました。全体的に見て、アクティブに動き回るスリランカのシギリアンダンスのテイストが2/3、指先の表現を大事にするタイのテイストが1/3混ざったような踊りでした。
帰りは食後の運動をかねて、20分ほど歩いてホテルまで戻ってきました。
前日が夜行フライトで疲れがたまっていたため、翌27日は8時前まで寝ていました。ホテル屋上でオーダー式の朝食を摂り、9時前にホテルを出発。徒歩で世界遺産のダルバール広場(300R)へと向かいました。ここには様々な建築様式の寺院が立ち並び、人々でごった返しています。
また、ここには生き神とされるクマリの家もありますが、このクマリはネワール仏教徒の僧侶の家系から初潮前の少女が選ばれ、親と別れて神としての振舞い方を教え込まれるそうです。このクマリは王室への預言を行う役目を担い、2008年に王室が廃止されるまで、王ですらクマリの前に跪いたそうです。でも現在の仕事は、誰かがお布施をしたら窓から顔を出し、肖像権関係なしに絵葉書にされるだけのようです。絵葉書で見る限り、小学校低学年くらいの年齢であり、選ばれた娘はなんとなく不憫です。初潮が始まれば次のクマリに地位を譲るのでしょうが、それで元の生活に戻れるのか疑問です。
広場の建物を一通り見て廻った後、徒歩で25分ほどかけて国立博物館(150R)へと行きました。ここには仏教美術のコレクションがありますが、モチーフは鼻の高い白色人種です。金属製の像は良いのですが、木製の像はそのほとんどが鼻の部分を削り取られていました。カンボジアのアンコール遺跡でも、時の王が仏教徒だったりヒンズー教徒だったりして、その都度それまでの芸術品が破壊されてきたそうですが、それと似た理由でしょうか? 地球の歩き方に載っている歴史を見る限り、偶像崇拝を否定するイスラムに支配されたことはなさそうです。
その後、再び徒歩でダルバール広場に戻り、ハヌマン・ドカ(旧王宮、250R)へと入りました。ここは三種類くらいの建築様式が組み合わさった長い歴史を感じさせる建物で、一番高い場所からはカトマンズの街並みを一望できました。王室に関する展示もあり、国王と昭和天皇が握手をする写真ではお互いに頭を下げていないのですが、皇太子(今上天皇)はかなり深く頭を下げて国王と握手していました。
王と天皇はイコールで、王>皇太子という位置づけでしょうか? そういえば最近来日したブータンのワンチュク国王は、取材陣の前で合掌しながらおじぎをするなど、国王らしからぬ腰の低さが印象的でした。
昼食は地球の歩き方2011に載っていたネワール料理のボエチャンに行くつもりでしたが、なぜか閉まっていたため、同じくネワール料理のベッレ・モモに行きました。マトンのモモにフライドチキン、スープ、ソフトドリンクがついたセットが250R、チキンケバブが230R、それに税金とサービス料がついて597Rでした。
食後、ナラヤンヒティ王宮博物館(500R)へと行きました。ここは2008年の王室廃止まで実際に使われていた王宮で、燦々と日の差し込む天井の高い国王謁見の間が見事でした。裏には2001年に当時の皇太子が王や王妃ら王族を皆殺しにした後、右利きなのに左から銃弾を打ち込んで自殺した事件の現場がありました。この時、王の弟とその息子だけは無事で、王の弟が次の王に即位しましたが、いわくつきの即位であり、議会を廃止したりするなど傍若無人な行為が目立ち、2008年王室が廃止された次第です。
15時過ぎに一度ホテルに戻って休憩し、16時半に再びダルバール広場まで散歩に出かけました。次第に日が沈み、ライトアップが始まる17:40までダルバール広場を見学し、それから前日予約したボジャン・グリハへと徒歩で向かいました。
食前酒、ポテトのカレーソース煮、モモ、豆のスープ2種類、ごぼうのピクルス、コリアンダー入りチキンカレー、キャベツのカレー煮、白身魚のフリッター、ほうれん草ソテー、長粒米、ヨーグルト、チャイのセットメニューにエベレストビールをつけて総額1600Rでした。18時半から民族舞踊のショーが始まり、20:15まで見たところで店を出ました。民族舞踊の中身そのものは前日と大きな違いはありません。その後、ホテルまで40分ほど歩いて帰ってきました。
翌28日はホテルで朝食を済ませてから、部屋に荷物を置いて8時にスワヤンブナート(200R)に向けて徒歩で出発しました。ここは小高い山の上に建つヒマラヤ最古の仏教寺院であり、麓まではホテルから20分ちょっとで到着しました。しかし標高差100メートルはある階段を登ると途中で息切れがしてきて、ここが標高1500メートル近いことを思い知らされます。
頂上には半球状のドームの上に人の顔が描かれた尖塔が建つストゥーパを中心に、土産物屋や博物館、寺院などがあり、サル、犬、鳩がたくさんいました。ストゥーパの周りには、マニ車と呼ばれるお経の書かれた金色の円柱があり、これを一回転させるとお経を一回読むのと同じ効果が得られるそうです。ネパールの他、ブータンやチベットにも同じものがありますが、私は「いつかチベットに行かないと死んじゃう病」の部分症状として、マニ車を見つけると回転させる習性があるので、ストゥーパ周囲のマニ車をすべて回しました。パブロフの犬は鈴の音を聞くとよだれを出し、私はマニ車を見ると回してしまうのです。
そこで70分ほどゆっくりしてから、10時のオープンにあわせて麓の自然史博物館(100R)へと向かいました。ここは大学の付帯施設であり、暗い倉庫のような場所に様々な剥製、ホルマリン漬けの標本、動物の骨などが所狭しと並べられており、夜中に一人では居たくない場所です。10分ほどでお腹いっぱいになり、そこから徒歩で35分ほどかけてホテルに帰ってきました。
ホテルでトイレを済ませてから(町中の汚いトイレを使うのにはかなりの抵抗があります)、チェックアウトして、近くでタクシーを拾いました。地球の歩き方には300~350Rが相場と書かれていましたが、300Rと500Rのせめぎ合いから値段交渉が始まり、結局450Rとかなり妥協してしまいました。それでも最終的に3700R使いきれずに財布に残ったので、個人的には構わなかったのですが、現地の運転手に日本人は言い値を払うという思い込みをさせないために、少しでも値切っておこうと思いました。
空港まではタクシーで約30分でした。チェックインと出国審査を済ませた後、プライオリティパスでエグゼクティブラウンジに入りましたが、ここにはチキンやマトンなどのネワール料理、サンドウィッチ、フルーツの他、たくさんのアルコール類がありました。
ここから先は、飛行機に乗っては着いた先でプライオリティパスを使う、ラウンジモードに突入です。私はバンコク、ソウルともこれまでに何度も訪れており、6時間強の乗り継ぎ時間で行きたい場所も特になかったので、無料のラウンジで食べ物や酒をつまんで寛ごうと思ったのです。
まずはTG便で13:50カトマンズ発、18:25バンコク着。バンコクのCIPラウンジは一回に2時間までしか滞在できないため、3箇所をハシゴして時間をつぶしました。
翌29日、アシアナ(以下OZ)便で00:50バンコク発、08:00ソウル着。ソウルではMATANAラウンジで朝食を摂り、シャワーを利用してから、Hubラウンジへ移動。そこでフライト間際まで時間をつぶしましたが、これらのラウンジはプルゴギや白キムチ、サラダ、スープ、チャーハンなどをビュッフェ形式で自由に食べられるようになっており、アルコール類もあるため、私は半日いてもまったく苦になりません。というか、そもそも苦にならない時間をすごすためにラウンジがあるわけで、ラウンジに入り浸る目的でこのスケジュールを組んだわけですが・・・。
OZ便で15:00ソウル発、16:45中部に到着しました。
こうして無事に帰って来たところで一言。
「僕は死にましぇーん!」
いや、101回目の海外旅行だったのでただ何となくです。古いネタですみません。
1月にANAの43000マイルを使って、スターアライアンス特典航空券を発券しました。その際に空港税やサーチャージなど総額19900円を別途請求されました。往路は関空発、バンコク経由、カトマンズ行き。岐路はカトマンズ発、バンコク経由、ソウル経由、中部行きです。ホテルは、5月にオクトパストラベルが一予約あたり500円の割引券を乱発していたので、それを使ってタメル地区のヘリテージホーム(2つ星、朝食付きで一泊2500円)を一泊2000円で2泊予約しました
出発当日の25日、19時名古屋発の近鉄特急デラックスシート(チケットショップで3600円)でなんばへ向かい、南海電鉄のラピートβ(1390円)に乗りかえて、22時過ぎに関空着。そこでカトマンズまでのチェックインを済ませました。
26日00:30発のタイ航空(以下TG)でバンコクに向かい、現地時間05:00到着。バンコクで一度出入国をすると700バーツの空港税を徴収されるため、その節約を兼ねてプライオリティパスでCIPラウンジに入り浸っていました。
再びTGに乗って、10:30バンコク発、12:45カトマンズ着。あらかじめ用意した写真と機内で配られたビザ申請用紙を提出し、25ドル支払って、入国時にビザを取得しました。
ところで今回はうっかりVISAカードを忘れてしまいました。VISAがあれば、少なめに両替しておいて、カードを併用しながら最後まで現地通貨の残高を調整できるのですが、その手が使えないと現地通貨が足りなくなった時点で支払い不可能になる恐れがあります。やむを得ず、少し多めに12000円両替したところ、12170ルピー(以下R)になりました。1円=1Rと思ってください。なお結果から言うと、一番の繁華街であるタメル地区には日曜夜までオープンしている両替所がたくさんあり、あとから不足分をこまめに両替しても何とかなると思いました。
空港のタクシーカウンターで100R払い、まずはパシュパティナート(入場料500R)へ。ここはガンジスの支流バグマティ川のほとりに建てられたネパール最大のヒンズー寺院です。川にはたくさんのゴミが流れ、腐臭が漂っていました。ここは火葬場をかねており、遺体を川のほとりの台に乗せ、材木や藁と共に火葬していました。火をつける直前まで遺体の顔が観光客に丸見えであり、その後上にわらを敷き詰めて火をつけるのですが、風下の高台で確認したら、材木や藁の燃える臭い以外に、電気メスを使ったときと同じ臭いが混じっていました。ちなみに火葬後の灰は川に流され、ガンジスまで流れていくそうです。
その後、タクシーに乗って旅行者の集まるタメルチョークへ(200R)。そこからホテルまで歩き、チェックインをしました。部屋に入ってから気付いたのですが、どうも先程の火葬の臭いが体に染み付いてしまった気がします。少し休んでから再び散策に出かけましたが、そのときには15時を廻っていました。タメルチョークからアザンチョークまで、最もネパールらしいと言われる通りを歩きましたが、確かに異世界へ迷い込んでしまったかのような独特の味わいがあります。ただしスズキの小型車や1970年代の古いカローラなどがたくさん走っており、排ガスによる大気汚染がひどいため、途中で喉が痛くなってしまいました。たまにきれいで立派な車を見つけたと思ったら、1989年型のカローラでしたw
今回は少し多めに両替してしまい、現地の物価を見て48時間ではとても使いきれないと悟ったこともあり、地球の歩き方に載っていた民族舞踊のディナーショーに二日続けていくことにしました。当日はバンチャ・ガール、翌日はボジャン・グリハという店に行くつもりですが、予約と場所の確認をかねて店まで歩いていきました。その後、カトマンズモールというショッピングモールに行きましたが、衣類や雑貨の店しかありません。カトマンズは停電がひどく、まともに電化製品を使えないからかもしれませんが、電気製品の店はあまり見かけません。
18:30に予約してあったバンチャ・ガールに行き、1100Rのセットメニューと350Rのエベレストビールを頼んだところ、税金やサービス料が上乗せされて1800Rでした。食前酒の後、前菜としてモモ(香辛料の入った小籠包のようなもの)やコリアンダーで味付けした植物の種などが出され、その後丸い金属のプレートの上に長粒米、チキンカレー、ほうれん草、豚肉の煮物、ピクルス、ミックスベジタブルを載せてもらいました。その後も私が食べる状況を見ながら、足りなくなったご飯やおかずを足してくれるため、ついつい食べ過ぎてしまいました。最後にヨーグルトのデザートで締めくくり、19:20から民族舞踊のショーが始まりました。全体的に見て、アクティブに動き回るスリランカのシギリアンダンスのテイストが2/3、指先の表現を大事にするタイのテイストが1/3混ざったような踊りでした。
帰りは食後の運動をかねて、20分ほど歩いてホテルまで戻ってきました。
前日が夜行フライトで疲れがたまっていたため、翌27日は8時前まで寝ていました。ホテル屋上でオーダー式の朝食を摂り、9時前にホテルを出発。徒歩で世界遺産のダルバール広場(300R)へと向かいました。ここには様々な建築様式の寺院が立ち並び、人々でごった返しています。
また、ここには生き神とされるクマリの家もありますが、このクマリはネワール仏教徒の僧侶の家系から初潮前の少女が選ばれ、親と別れて神としての振舞い方を教え込まれるそうです。このクマリは王室への預言を行う役目を担い、2008年に王室が廃止されるまで、王ですらクマリの前に跪いたそうです。でも現在の仕事は、誰かがお布施をしたら窓から顔を出し、肖像権関係なしに絵葉書にされるだけのようです。絵葉書で見る限り、小学校低学年くらいの年齢であり、選ばれた娘はなんとなく不憫です。初潮が始まれば次のクマリに地位を譲るのでしょうが、それで元の生活に戻れるのか疑問です。
広場の建物を一通り見て廻った後、徒歩で25分ほどかけて国立博物館(150R)へと行きました。ここには仏教美術のコレクションがありますが、モチーフは鼻の高い白色人種です。金属製の像は良いのですが、木製の像はそのほとんどが鼻の部分を削り取られていました。カンボジアのアンコール遺跡でも、時の王が仏教徒だったりヒンズー教徒だったりして、その都度それまでの芸術品が破壊されてきたそうですが、それと似た理由でしょうか? 地球の歩き方に載っている歴史を見る限り、偶像崇拝を否定するイスラムに支配されたことはなさそうです。
その後、再び徒歩でダルバール広場に戻り、ハヌマン・ドカ(旧王宮、250R)へと入りました。ここは三種類くらいの建築様式が組み合わさった長い歴史を感じさせる建物で、一番高い場所からはカトマンズの街並みを一望できました。王室に関する展示もあり、国王と昭和天皇が握手をする写真ではお互いに頭を下げていないのですが、皇太子(今上天皇)はかなり深く頭を下げて国王と握手していました。
王と天皇はイコールで、王>皇太子という位置づけでしょうか? そういえば最近来日したブータンのワンチュク国王は、取材陣の前で合掌しながらおじぎをするなど、国王らしからぬ腰の低さが印象的でした。
昼食は地球の歩き方2011に載っていたネワール料理のボエチャンに行くつもりでしたが、なぜか閉まっていたため、同じくネワール料理のベッレ・モモに行きました。マトンのモモにフライドチキン、スープ、ソフトドリンクがついたセットが250R、チキンケバブが230R、それに税金とサービス料がついて597Rでした。
食後、ナラヤンヒティ王宮博物館(500R)へと行きました。ここは2008年の王室廃止まで実際に使われていた王宮で、燦々と日の差し込む天井の高い国王謁見の間が見事でした。裏には2001年に当時の皇太子が王や王妃ら王族を皆殺しにした後、右利きなのに左から銃弾を打ち込んで自殺した事件の現場がありました。この時、王の弟とその息子だけは無事で、王の弟が次の王に即位しましたが、いわくつきの即位であり、議会を廃止したりするなど傍若無人な行為が目立ち、2008年王室が廃止された次第です。
15時過ぎに一度ホテルに戻って休憩し、16時半に再びダルバール広場まで散歩に出かけました。次第に日が沈み、ライトアップが始まる17:40までダルバール広場を見学し、それから前日予約したボジャン・グリハへと徒歩で向かいました。
食前酒、ポテトのカレーソース煮、モモ、豆のスープ2種類、ごぼうのピクルス、コリアンダー入りチキンカレー、キャベツのカレー煮、白身魚のフリッター、ほうれん草ソテー、長粒米、ヨーグルト、チャイのセットメニューにエベレストビールをつけて総額1600Rでした。18時半から民族舞踊のショーが始まり、20:15まで見たところで店を出ました。民族舞踊の中身そのものは前日と大きな違いはありません。その後、ホテルまで40分ほど歩いて帰ってきました。
翌28日はホテルで朝食を済ませてから、部屋に荷物を置いて8時にスワヤンブナート(200R)に向けて徒歩で出発しました。ここは小高い山の上に建つヒマラヤ最古の仏教寺院であり、麓まではホテルから20分ちょっとで到着しました。しかし標高差100メートルはある階段を登ると途中で息切れがしてきて、ここが標高1500メートル近いことを思い知らされます。
頂上には半球状のドームの上に人の顔が描かれた尖塔が建つストゥーパを中心に、土産物屋や博物館、寺院などがあり、サル、犬、鳩がたくさんいました。ストゥーパの周りには、マニ車と呼ばれるお経の書かれた金色の円柱があり、これを一回転させるとお経を一回読むのと同じ効果が得られるそうです。ネパールの他、ブータンやチベットにも同じものがありますが、私は「いつかチベットに行かないと死んじゃう病」の部分症状として、マニ車を見つけると回転させる習性があるので、ストゥーパ周囲のマニ車をすべて回しました。パブロフの犬は鈴の音を聞くとよだれを出し、私はマニ車を見ると回してしまうのです。
そこで70分ほどゆっくりしてから、10時のオープンにあわせて麓の自然史博物館(100R)へと向かいました。ここは大学の付帯施設であり、暗い倉庫のような場所に様々な剥製、ホルマリン漬けの標本、動物の骨などが所狭しと並べられており、夜中に一人では居たくない場所です。10分ほどでお腹いっぱいになり、そこから徒歩で35分ほどかけてホテルに帰ってきました。
ホテルでトイレを済ませてから(町中の汚いトイレを使うのにはかなりの抵抗があります)、チェックアウトして、近くでタクシーを拾いました。地球の歩き方には300~350Rが相場と書かれていましたが、300Rと500Rのせめぎ合いから値段交渉が始まり、結局450Rとかなり妥協してしまいました。それでも最終的に3700R使いきれずに財布に残ったので、個人的には構わなかったのですが、現地の運転手に日本人は言い値を払うという思い込みをさせないために、少しでも値切っておこうと思いました。
空港まではタクシーで約30分でした。チェックインと出国審査を済ませた後、プライオリティパスでエグゼクティブラウンジに入りましたが、ここにはチキンやマトンなどのネワール料理、サンドウィッチ、フルーツの他、たくさんのアルコール類がありました。
ここから先は、飛行機に乗っては着いた先でプライオリティパスを使う、ラウンジモードに突入です。私はバンコク、ソウルともこれまでに何度も訪れており、6時間強の乗り継ぎ時間で行きたい場所も特になかったので、無料のラウンジで食べ物や酒をつまんで寛ごうと思ったのです。
まずはTG便で13:50カトマンズ発、18:25バンコク着。バンコクのCIPラウンジは一回に2時間までしか滞在できないため、3箇所をハシゴして時間をつぶしました。
翌29日、アシアナ(以下OZ)便で00:50バンコク発、08:00ソウル着。ソウルではMATANAラウンジで朝食を摂り、シャワーを利用してから、Hubラウンジへ移動。そこでフライト間際まで時間をつぶしましたが、これらのラウンジはプルゴギや白キムチ、サラダ、スープ、チャーハンなどをビュッフェ形式で自由に食べられるようになっており、アルコール類もあるため、私は半日いてもまったく苦になりません。というか、そもそも苦にならない時間をすごすためにラウンジがあるわけで、ラウンジに入り浸る目的でこのスケジュールを組んだわけですが・・・。
OZ便で15:00ソウル発、16:45中部に到着しました。
こうして無事に帰って来たところで一言。
「僕は死にましぇーん!」
いや、101回目の海外旅行だったのでただ何となくです。古いネタですみません。
マニラ旅行記(11年10月) [海外旅行記]
今月は4回目のマニラ旅行です。
前回の旅行記(http://ryokodo.blog.so-net.ne.jp/2010-10-12)を読んでいただいた前提で話をしますが、今回は前回とよく似たリピート旅行です。
2月にデルタ航空の2万マイルを使って発券し、セントレアの空港税2500円を別に払いました。アメリカ系航空会社の特典航空券なので燃油サーチャージは必要ありません。
ホテルは前回と同じく、四つ星のパールホテルです。5月頃、オクトパストラベルが割引券を乱発していたため、それを使って3泊朝食付きを9000円で予約できました。往復も前回と同じく、エイビスの送迎(37.92ドル)を利用します。
21日、18時半過ぎにセントレアに到着し、楽天プレミアムカードでラウンジへ。この時間帯、プライオリティパスやダイナースカードではビジネスクラスラウンジに入れません。
出発は定刻の20時より10分早まり、マニラのアキノ国際空港には現地時間の22:40に到着しました。入国審査の行列に並び、23:10に入国。1万円を5200ペソ(以下P)に両替し、レンタカー会社の窓口から送迎車に乗り、23:50 ホテルに着きました。
22日は朝8時に置き、ホテルで朝食。マニラ近郊にはあまり魅力的なエクスカーション先がないため、市内をぶらぶらと散策して過ごす予定です。
まずはフィリピン各地の建物を移築したナヨン・ピリピーノに行こうと思い、高架鉄道でU.N.アベニュー駅からエドサ駅まで移動(15P)。そこからタクシーに乗りましたが、最初200Pと吹っかけてメーターを入れようとしません。それなら止まるように抗議したところ、やっとメーターを入れてくれました。確か昨年の時点では初乗り35Pで、メーターの他に10Pのサーチャージが追加請求されるはずでしたが、今回メーターは40Pから始まりました。これに10Pのサーチャージを追加で払う必要があるのかよく分かりません。メーターで110Pだったので、150Pを出しておつりでさりげなく確認しようとしたところ、つり銭がないと言い出したので、あきらめて120Pを渡して降りました。
10年近く前に来たときは、フィリピン各地の美しい景色がミニチュアで再現され、見ごたえのあるテーマパークだったのですが、すぐ隣に空港の滑走路を作るため、その8割以上が削り取られ、今ではほとんど何も残っていません。
帰りは黄色いタクシーの運転手が声をかけてきました。初乗り70Pでメーターの上がり方も早い気がします。それを指摘したところ、空港のイエローキャブで普通のタクシーとは違うと言います。たしかに空港から市内への移動は、割高でも普通のタクシーより安心できるイエローキャブを使ったほうがよいという書き込みをどこかで見た記憶があり、車体の色は普通のタクシーと違って黄色です。いわゆる値段の高い高級タクシーに乗ってしまったのでしょう。帰りは行きと同じ区間で230ペソ(一の位は切り上げ)でした。
そこから高架鉄道でアヤラ駅へ(10P)。ここはマニラ髄一のショッピングセンターが集う町です。散策していたところ、突然50代の男性が笑顔で近づいてきました。"Hello, I am your hotel's staff"と言いながら、握手を求めてきます。"What hotel?" と聞き返したところ、適当な方向を指差してごまかそうとしました。もう一度問い詰めたところ、"Dusit Thani"と答えたので、"No, good-bye" と言って立ち去りました。あっけに取られてこの男の言いなりになると、「後で返すから金を貸して欲しい」と言われるか、睡眠薬入りの食事をご馳走になってしまうかのどちらかだったでしょう。
私のブログの顔にもなっているジョリビーに敬意を表して、昼食はそこで摂りました。ビーフン風のヌードルにドリンクがついて78Pでした。その後アヤラ博物館(425P)に行きましたが、ここではフィリピンの歴史が順を追ってジオラマで展示されていました。原住民が暮らしていると、中国人が来て、スペイン人が着て、アメリカ人が着て、それから旧日本軍が来て、という歴史が分かりやすく展示されており、上の階ではモダンアートの展示もありましたが、これで425Pというのはやや高い気もします。
その後、スーパーで大好物のドリアンを見つけ、屋外に出て人気の少ない場所で食べました。昼は軽めのはずだったのに、これで一気に腹が膨れてしまいました。帰りは行きと同様に高架鉄道を乗り継いで、25PでU.N.アベニューまで帰ってきました。
その後ホテルで休み、18:40に夕食に出かけました。行き先は前回と同じザンボアンガです。途中の屋台でゆで卵の山を見つけたため、「バロット?」と聞くと店の人がうなずきます。これはアヒルの有精卵のゆで卵で、日数がたつほど中身がピヨピヨしてきます。一個13Pで買って食べましたが、まだかなり初心者向けの状態であったため、私としては拍子抜けでした。もっとこう、殻を割ると同時に肉汁があふれ出すような上級者コースを期待していたのですが・・・。
19時に店に着き、カレカレとザンボアンガライス、ビールで781Pでした。前回まで何となく苦手だったカレカレですが、今回は慣れたのか、あまり抵抗なく食べることができました。20時半からの民族舞踊のショーを見た後、明るい大通りを歩いて帰ってきました。
23日も朝8時からホテルで朝食を摂り、9時出発。イントラムロス内を散策し、途中、地球の歩き方に乗っているイラストラードというスペイン統治時代の面影が残るカフェでマンゴのフローズン・スムージー(197P)を飲んでクールダウンしました。
その後、カーサ・マニラ博物館(75P)でスペイン人の金持ちの家を見た後、マニラホテルに向かいました。私の中では、ここのメインダイニングでのランチが今回の旅行のハイライトでした。しかしいつの間にか日曜休業になっており、その日は入り口が閉まっていました。日曜日以外なら1000P++でランチコースを食べられるようです。
仕方なく、地球の歩き方に乗っていた近くの海上レストラン(パンタラン・マニラ)へと向かいました。ここは海にせり出した桟橋の上にテーブル席があり、海風に吹かれながらシーフードを食べることができます。私は deep grilled oyster(貝殻つきの牡蠣にチーズを乗せて焼いたもの8個)と本日のスープ(カニの身が入ったクラムチャウダー)、ガーリックライス、ビールを頼んで466Pでした。偶然にも牡蠣とガーリックライスの組み合わせが絶妙で、マニラホテルの無念を晴らすことができました。
その後ホテルで休み、17時に再び夕食のために出かけました。近くにあるロビンソン・コマーシャル・コンプレックスに出かけ、そこを散策した後、1階にあるCABALENというフィリピン料理のバイキングの店(368P)に入りました。レチョン(豚の丸焼き)を切り取って皿の上に並べたものやカレカレなど、定番のフィリピン料理があり、十分満足できました。
翌24日は朝4時にエイビスの送迎車に迎えに来てもらい、6:45発のフライトで名古屋に帰って来ました。
さて、私の海外旅行暦も今回でようやく100回となりました。11月はカトマンズ、12月は釜山~ソウル、1月は釜山、2月は北朝鮮に近い中国の延吉、3月はハバロフスク、4月は中国内陸の銀川、5月はクアラ・ルンプール、6月はマニラ。一応ここまでは発券済みです。
ところで話はまったく変わりますが、最近ニュートリノが光速を超えたニュースが話題になっています。しかし相対性理論によると、光速を超えた物質の質量や長さは虚数になってしまいます。私は必ずしも超光速の物質を否定する立場ではありませんが、それ(虚数の存在)を我々が観測できるのかという点で否定的な立場です。
ローレンツ変換によると時間と空間は速度によって変化し、それを表現するのが高校数学で出てくる行列です。もし仮に質量も長さもなく周りの状態を認識できる存在があったとして、それが光速になると時間は止まり、時間と空間の概念が曖昧になります。そして光速を超えると時間と空間が入れ替わるため、時間は空間と同じ三次元である、というのが高校時代からの私の仮説?です、もちろん時間はエントロピーが増大する方向にしか流れないため、我々の認識する時間が逆行することはないのですが、過去に戻って自分の先祖を殺すと自分も消えてなくなると言うSFのタイムパラドックスは、時間を一次元としか認識できない故の誤りだとずっと思っていました。相対性理論における四次元空間の二点の距離を求める公式を見たら、時間は空間に対して虚数の存在であり、虚数は実数という一次元では表現できない複数次元の存在であると気づくと思います。
前回の旅行記(http://ryokodo.blog.so-net.ne.jp/2010-10-12)を読んでいただいた前提で話をしますが、今回は前回とよく似たリピート旅行です。
2月にデルタ航空の2万マイルを使って発券し、セントレアの空港税2500円を別に払いました。アメリカ系航空会社の特典航空券なので燃油サーチャージは必要ありません。
ホテルは前回と同じく、四つ星のパールホテルです。5月頃、オクトパストラベルが割引券を乱発していたため、それを使って3泊朝食付きを9000円で予約できました。往復も前回と同じく、エイビスの送迎(37.92ドル)を利用します。
21日、18時半過ぎにセントレアに到着し、楽天プレミアムカードでラウンジへ。この時間帯、プライオリティパスやダイナースカードではビジネスクラスラウンジに入れません。
出発は定刻の20時より10分早まり、マニラのアキノ国際空港には現地時間の22:40に到着しました。入国審査の行列に並び、23:10に入国。1万円を5200ペソ(以下P)に両替し、レンタカー会社の窓口から送迎車に乗り、23:50 ホテルに着きました。
22日は朝8時に置き、ホテルで朝食。マニラ近郊にはあまり魅力的なエクスカーション先がないため、市内をぶらぶらと散策して過ごす予定です。
まずはフィリピン各地の建物を移築したナヨン・ピリピーノに行こうと思い、高架鉄道でU.N.アベニュー駅からエドサ駅まで移動(15P)。そこからタクシーに乗りましたが、最初200Pと吹っかけてメーターを入れようとしません。それなら止まるように抗議したところ、やっとメーターを入れてくれました。確か昨年の時点では初乗り35Pで、メーターの他に10Pのサーチャージが追加請求されるはずでしたが、今回メーターは40Pから始まりました。これに10Pのサーチャージを追加で払う必要があるのかよく分かりません。メーターで110Pだったので、150Pを出しておつりでさりげなく確認しようとしたところ、つり銭がないと言い出したので、あきらめて120Pを渡して降りました。
10年近く前に来たときは、フィリピン各地の美しい景色がミニチュアで再現され、見ごたえのあるテーマパークだったのですが、すぐ隣に空港の滑走路を作るため、その8割以上が削り取られ、今ではほとんど何も残っていません。
帰りは黄色いタクシーの運転手が声をかけてきました。初乗り70Pでメーターの上がり方も早い気がします。それを指摘したところ、空港のイエローキャブで普通のタクシーとは違うと言います。たしかに空港から市内への移動は、割高でも普通のタクシーより安心できるイエローキャブを使ったほうがよいという書き込みをどこかで見た記憶があり、車体の色は普通のタクシーと違って黄色です。いわゆる値段の高い高級タクシーに乗ってしまったのでしょう。帰りは行きと同じ区間で230ペソ(一の位は切り上げ)でした。
そこから高架鉄道でアヤラ駅へ(10P)。ここはマニラ髄一のショッピングセンターが集う町です。散策していたところ、突然50代の男性が笑顔で近づいてきました。"Hello, I am your hotel's staff"と言いながら、握手を求めてきます。"What hotel?" と聞き返したところ、適当な方向を指差してごまかそうとしました。もう一度問い詰めたところ、"Dusit Thani"と答えたので、"No, good-bye" と言って立ち去りました。あっけに取られてこの男の言いなりになると、「後で返すから金を貸して欲しい」と言われるか、睡眠薬入りの食事をご馳走になってしまうかのどちらかだったでしょう。
私のブログの顔にもなっているジョリビーに敬意を表して、昼食はそこで摂りました。ビーフン風のヌードルにドリンクがついて78Pでした。その後アヤラ博物館(425P)に行きましたが、ここではフィリピンの歴史が順を追ってジオラマで展示されていました。原住民が暮らしていると、中国人が来て、スペイン人が着て、アメリカ人が着て、それから旧日本軍が来て、という歴史が分かりやすく展示されており、上の階ではモダンアートの展示もありましたが、これで425Pというのはやや高い気もします。
その後、スーパーで大好物のドリアンを見つけ、屋外に出て人気の少ない場所で食べました。昼は軽めのはずだったのに、これで一気に腹が膨れてしまいました。帰りは行きと同様に高架鉄道を乗り継いで、25PでU.N.アベニューまで帰ってきました。
その後ホテルで休み、18:40に夕食に出かけました。行き先は前回と同じザンボアンガです。途中の屋台でゆで卵の山を見つけたため、「バロット?」と聞くと店の人がうなずきます。これはアヒルの有精卵のゆで卵で、日数がたつほど中身がピヨピヨしてきます。一個13Pで買って食べましたが、まだかなり初心者向けの状態であったため、私としては拍子抜けでした。もっとこう、殻を割ると同時に肉汁があふれ出すような上級者コースを期待していたのですが・・・。
19時に店に着き、カレカレとザンボアンガライス、ビールで781Pでした。前回まで何となく苦手だったカレカレですが、今回は慣れたのか、あまり抵抗なく食べることができました。20時半からの民族舞踊のショーを見た後、明るい大通りを歩いて帰ってきました。
23日も朝8時からホテルで朝食を摂り、9時出発。イントラムロス内を散策し、途中、地球の歩き方に乗っているイラストラードというスペイン統治時代の面影が残るカフェでマンゴのフローズン・スムージー(197P)を飲んでクールダウンしました。
その後、カーサ・マニラ博物館(75P)でスペイン人の金持ちの家を見た後、マニラホテルに向かいました。私の中では、ここのメインダイニングでのランチが今回の旅行のハイライトでした。しかしいつの間にか日曜休業になっており、その日は入り口が閉まっていました。日曜日以外なら1000P++でランチコースを食べられるようです。
仕方なく、地球の歩き方に乗っていた近くの海上レストラン(パンタラン・マニラ)へと向かいました。ここは海にせり出した桟橋の上にテーブル席があり、海風に吹かれながらシーフードを食べることができます。私は deep grilled oyster(貝殻つきの牡蠣にチーズを乗せて焼いたもの8個)と本日のスープ(カニの身が入ったクラムチャウダー)、ガーリックライス、ビールを頼んで466Pでした。偶然にも牡蠣とガーリックライスの組み合わせが絶妙で、マニラホテルの無念を晴らすことができました。
その後ホテルで休み、17時に再び夕食のために出かけました。近くにあるロビンソン・コマーシャル・コンプレックスに出かけ、そこを散策した後、1階にあるCABALENというフィリピン料理のバイキングの店(368P)に入りました。レチョン(豚の丸焼き)を切り取って皿の上に並べたものやカレカレなど、定番のフィリピン料理があり、十分満足できました。
翌24日は朝4時にエイビスの送迎車に迎えに来てもらい、6:45発のフライトで名古屋に帰って来ました。
さて、私の海外旅行暦も今回でようやく100回となりました。11月はカトマンズ、12月は釜山~ソウル、1月は釜山、2月は北朝鮮に近い中国の延吉、3月はハバロフスク、4月は中国内陸の銀川、5月はクアラ・ルンプール、6月はマニラ。一応ここまでは発券済みです。
ところで話はまったく変わりますが、最近ニュートリノが光速を超えたニュースが話題になっています。しかし相対性理論によると、光速を超えた物質の質量や長さは虚数になってしまいます。私は必ずしも超光速の物質を否定する立場ではありませんが、それ(虚数の存在)を我々が観測できるのかという点で否定的な立場です。
ローレンツ変換によると時間と空間は速度によって変化し、それを表現するのが高校数学で出てくる行列です。もし仮に質量も長さもなく周りの状態を認識できる存在があったとして、それが光速になると時間は止まり、時間と空間の概念が曖昧になります。そして光速を超えると時間と空間が入れ替わるため、時間は空間と同じ三次元である、というのが高校時代からの私の仮説?です、もちろん時間はエントロピーが増大する方向にしか流れないため、我々の認識する時間が逆行することはないのですが、過去に戻って自分の先祖を殺すと自分も消えてなくなると言うSFのタイムパラドックスは、時間を一次元としか認識できない故の誤りだとずっと思っていました。相対性理論における四次元空間の二点の距離を求める公式を見たら、時間は空間に対して虚数の存在であり、虚数は実数という一次元では表現できない複数次元の存在であると気づくと思います。
成都旅行記(11年9月) [海外旅行記]
今月は成都に行ってきました。私はこれまで中国では北京、天津、瀋陽、大連、青島、ハルビン、長春、上海、蘇州、杭州、西安、ウルムチ、アモイ、広州、深せん、昆明に行ったことがあり、今回は今まで行ったことがない場所ということで成都を選びました。
成都は中国内陸にある四川省の省都で、人口は1000万人以上です。中国の凄いところは、日本人に馴染みの薄い地方都市でも普通に人口が500万人以上いることですが、その中でも1000万と言えばかなりの大都市です。チベットのラサ、九賽溝、黄龍、楽山など、様々な世界遺産へのアクセスの起点にもなり、パンダの有名な町でもあります。
まだ燃油サーチャージの安かった1月、ANAのホームページでセントレアから上海経由で成都までの航空券と引き換えました。必要マイルは22000マイルで、空港税やサーチャージなどを別途12390円払いました。本当は北京経由の方が便利な時間帯だったのですが、それだと遠回りになり、必要マイル数が一気に跳ね上がるため諦めました。
成都の四川賓館西楼(3つ星、朝食付きで1泊258元)をチャイナクラブで、上海の上海東航観光景悅度假村(3つ星、朝食付きで1泊150元)をChinaHotels.NETで予約しました。なお、前日にセントレア、上海間のANA便だけWEBチェックインし、搭乗券をプリントアウトしておきました。
16日朝、早めに空港に着いて出国審査を済ませ、プライオリティパスでスターアライアンスのビジネスクラスラウンジに入り、朝食を摂りました。連休前と言うこともありますが、復興後の需要もあり景気が上向いてきたのかもしれません。ラウンジはかつてないほどの賑わいを見せていました。プライオリティパスが多くの人に知れ渡っただけかもしれませんが・・・
10:40発のANA便で上海に飛び、そちらで入国審査、成都までの中国国際航空(以下CA)便のチェックイン、保安検査を済ませ、プライオリティパスで国内線のファーストクラスラウンジに入ったときは13時を廻っていました。16:30発のフライトは機材到着遅れのあおりを受けて45分遅れ、19時過ぎに成都空港に到着しました。
今回持って行った2006年版の地球の歩き方には、4元の303番バスと10元のリムジンバスがあると書かれていたのですが、10元の303番バスしか見当たらず、そちらに乗りました。
現在は南北に走る地下鉄1号線も開通しているのですが、古いガイドブックにはそれも載っていません。25分ほどで地下鉄の体育館前駅に着いたので、とりあえずそこで降りました。帰りの300番バス乗り場(交差点の斜め向かい側)を確認してから天府広場まで3駅(2元)、真新しい地下鉄に乗って移動しました。
中国ではデジカメの大画面液晶が役に立ちます。発音が分からなかったので、「天府広場」という文字をデジカメで撮り、それを駅員に見せて切符を買いました。
天府広場の中央では丸いオブジェがライトアップされ、遠くでは噴水が踊り乱れ、多くの人で賑わっていました。そこからはタクシーに乗り(12元)、ホテルに着いたのは夜9時ごろでした。バス、地下鉄とあわせて24元です。空港からホテルまでタクシーに乗っても50元ほどと書かれていましたが、初めての町で公共交通機関を乗りこなすと、個人的に満足感が得られるので、これで良しとします。
17日は世界遺産の楽山大仏(崖に彫られた座位で71メートルの大仏)を見に行く予定です。
http://4travel.jp/overseas/area/asia/china-sichuan_province/leshan/tips/10151972/ を参考にさせてもらいました。
ホテルで朝食を摂り、7時半出発。成都旅遊集散中心まではタクシーで10分、10元でした。
楽山の文字を見せてバスの切符(46元)を買ったところ、16時までに乗るように注意書きがありました。、8時出発のバスに乗って出発。10時に楽山のバスセンターに着き、そこから13番のバス(1元)に乗り、30分ほどで楽山大仏に着きました。
楽山大仏だけのチケット50元と、麻浩崖墓や鳥尤寺にも入れる90元のチケットで迷いましたが、後者を買って入場。ちょうどツアーの団体とかち合い、大混雑でした。
大仏の顔が見える頂上の広場で50分ほど行列に並び、それから30分ほどかけて崖に作られた階段を下り、大仏の足元へと降りてきました。もうここまででヘトヘトです。数百メートル向こうの船着場から遊覧船に乗れば、大仏を足元から見上げる広場より20メートルほど後方から船で見ることができますが、そちらはやめました。大仏そのものは見ごたえがあるのですが、中国人の行列に1時間以上揉まれると、感動する元気もなくなってしまいます。
その後、近くの食堂で昼食(牛肉麺10元、トマトと卵のスープ10元)を摂ってから、麻浩崖墓へと向かいました。ここは崖の中にトンネルを掘ってその奥を墓地にした場所です。その更に向こうには鳥尤寺がありましたが、中国寺院が8割、チベット仏教寺院が2割、混ざりあったようなお寺でした。その2箇所を廻った上での感想ですが、もしこれから楽山大仏を見に行きたい人がいたら、私は楽山大仏オンリーの50元のチケットを勧めます。
再び13番のバスに乗って楽山のバスセンターに戻り、15:25に成都行きのバスチケットを買ったところ、乗車時間が16時(行きは16時まで、帰りは16時指定です)となっていました。それまでに15:30と15:40のバスもあったのですが、16時のバスを待つように言われ、乗せてもらえませんでした。
18時前に成都旅遊集散中心に着き、そこからタクシーに乗って(16元)、陳麻婆豆腐という店に行きました。ここは麻婆豆腐の発祥の店ですが、中華の鉄人・陳健一にゆかりのあるあばた(麻)だらけのおばあちゃん(婆)がこの料理を生み出したため、麻婆豆腐という名前になったそうです。山椒とラー油の赤黒いマグマが煮えたぎる中に豆腐が浮かんでいました。麻婆豆腐(大)、ご飯2杯、チンタオビール1本で合計34元でした。食後、タクシーに乗って(14元)ホテルへと帰ってきました。
18日は成都市内観光です。効率よく廻るため、この日はタクシーを使いまくることにしました。
以前、北京で薄汚れたパンダが10匹くらいゴロゴロしているのを見たことがあり、あまり憧れはなかったのですが、四川の定番パンダを外すわけにもいかず(?)、まずは成都動物園に行くことにしました。
ホテルに荷物を預けてから、8:40 タクシーで出発。動物園までは30分、31元でした。入場料は14元です。パンダは朝によく動くそうで、まだ9時過ぎだったので二匹のパンダがひっきりなしに動いていました。他にもレッサーパンダ、ライオン、トラ、マンドリル、象、エミュー、ダチョウ、鶴、鳥類など種類は豊富で、子連れなら半日くらい楽しめるかもしれません。
その後、タクシー(27元)で永陵博物館(入場料20元)へ。10世紀に作られた直径80メートルの円墳で、中の玄室には、24人の歌や踊りに興じる女性の姿が側面に描かれた巨大なプラットホーム(英語の説明文そのまま)がありました。
次はタクシー(14元)で杜甫草堂へ(60元)へ。ここは杜甫という詩人の住まいがあったところで、美しく広大な中国庭園があります。もっとも創建時の建物は残っていないそうですが・・・。
そこから徒歩10分で、四川博物院(入場無料)へ。チベット、四川の少数民族、書物、石造など様々なジャンルの展示品があり、かなり見ごたえがありました。私は「いつかチベットに行かないと死んじゃう病」なので、チベットの曼荼羅や仏像、祭壇などが印象に残りました。
そこから中国でも有数の道教寺院である青羊宮(入場料10元)までは、タクシーで8元でした。様々なおじさんたちの坐像が至るところに祀られているのですが、どうも道教寺院は私のハートには響いてきません。
青羊宮を見終わったときは午後3時であり、近くの食堂で遅い昼食を摂りました。牛肉刀削麺と肉入り点心8個で合計12元です。
再びタクシーに乗って(15元)、武侯祠博物館(60元)へ。ここは諸葛孔明とその主君である劉備を祀った祠です。三国志に登場する様々な武将の像があり、三国志マニアなら垂涎の場所でしょう。しかし残念ながら、私は三国志については全くの素人です。ドラゴンボールなら「タッカラプトポッポルンガプピリットパロ」とポルンガを呼び出す呪文を言えたり、ギニュー特戦隊のメンバーもリクーム、バータ、ジース、グルド・・・あと一人は忘れましたが、4人の名前を言えるくらい詳しいのですが、三国志はよく分かりません。将来、三国志マニアになっても後悔しないように、写真だけ取ってきました。
その後、タクシーでホテルに戻り(25元)、荷物をピックアップしてから、途中のデパートを散策しながら徒歩で天府広場へと向かいました。天府広場の南で空港(机場)に向かう300番バス(8元)に乗りましたが、行きの303番とは別のバスだったようで、下道を走りながら空港まで向かうため、1時間以上かかりました。
空港でチェックインを済ませ、プライオリティパスでラウンジへ。ここには6種類の料理があり、そちらもつまみました。
21時発のフライトでしたが、2時間以上遅延し、上海に着いたのは翌日の午前2時前でした。空港からタクシーに乗り、ホテルの住所、地図を見せましたが、場所が分からないらしく、散々文句を言われながら40分以上引き回され、結局別のホテルで降りることにしました。タクシー代が140元、宿泊代が朝食と空港への送迎付きで168元です。ホテルの部屋に着いたときには午前3時でした。
冷静に考えれば、空港往復と宿泊、朝食がついて4000円弱なので決して高くはないのですが、肉体的にも精神的にも疲れました。なお、元々予約していたホテルから今後違約金の請求が来る可能性はあります。
翌朝は8時前に起き、朝食を摂って一休みしてから、10時発のシャトルバスで空港へと向かいました。早めにチェックインを済ませ、プライオリティパスで中国国際航空のファーストクラスラウンジに2時間ほど入り浸り、 13:30発のANA便でセントレアに帰って来ました。
なお来月は、記念すべき100回目の海外旅行となるマニラに行く予定です。
成都は中国内陸にある四川省の省都で、人口は1000万人以上です。中国の凄いところは、日本人に馴染みの薄い地方都市でも普通に人口が500万人以上いることですが、その中でも1000万と言えばかなりの大都市です。チベットのラサ、九賽溝、黄龍、楽山など、様々な世界遺産へのアクセスの起点にもなり、パンダの有名な町でもあります。
まだ燃油サーチャージの安かった1月、ANAのホームページでセントレアから上海経由で成都までの航空券と引き換えました。必要マイルは22000マイルで、空港税やサーチャージなどを別途12390円払いました。本当は北京経由の方が便利な時間帯だったのですが、それだと遠回りになり、必要マイル数が一気に跳ね上がるため諦めました。
成都の四川賓館西楼(3つ星、朝食付きで1泊258元)をチャイナクラブで、上海の上海東航観光景悅度假村(3つ星、朝食付きで1泊150元)をChinaHotels.NETで予約しました。なお、前日にセントレア、上海間のANA便だけWEBチェックインし、搭乗券をプリントアウトしておきました。
16日朝、早めに空港に着いて出国審査を済ませ、プライオリティパスでスターアライアンスのビジネスクラスラウンジに入り、朝食を摂りました。連休前と言うこともありますが、復興後の需要もあり景気が上向いてきたのかもしれません。ラウンジはかつてないほどの賑わいを見せていました。プライオリティパスが多くの人に知れ渡っただけかもしれませんが・・・
10:40発のANA便で上海に飛び、そちらで入国審査、成都までの中国国際航空(以下CA)便のチェックイン、保安検査を済ませ、プライオリティパスで国内線のファーストクラスラウンジに入ったときは13時を廻っていました。16:30発のフライトは機材到着遅れのあおりを受けて45分遅れ、19時過ぎに成都空港に到着しました。
今回持って行った2006年版の地球の歩き方には、4元の303番バスと10元のリムジンバスがあると書かれていたのですが、10元の303番バスしか見当たらず、そちらに乗りました。
現在は南北に走る地下鉄1号線も開通しているのですが、古いガイドブックにはそれも載っていません。25分ほどで地下鉄の体育館前駅に着いたので、とりあえずそこで降りました。帰りの300番バス乗り場(交差点の斜め向かい側)を確認してから天府広場まで3駅(2元)、真新しい地下鉄に乗って移動しました。
中国ではデジカメの大画面液晶が役に立ちます。発音が分からなかったので、「天府広場」という文字をデジカメで撮り、それを駅員に見せて切符を買いました。
天府広場の中央では丸いオブジェがライトアップされ、遠くでは噴水が踊り乱れ、多くの人で賑わっていました。そこからはタクシーに乗り(12元)、ホテルに着いたのは夜9時ごろでした。バス、地下鉄とあわせて24元です。空港からホテルまでタクシーに乗っても50元ほどと書かれていましたが、初めての町で公共交通機関を乗りこなすと、個人的に満足感が得られるので、これで良しとします。
17日は世界遺産の楽山大仏(崖に彫られた座位で71メートルの大仏)を見に行く予定です。
http://4travel.jp/overseas/area/asia/china-sichuan_province/leshan/tips/10151972/ を参考にさせてもらいました。
ホテルで朝食を摂り、7時半出発。成都旅遊集散中心まではタクシーで10分、10元でした。
楽山の文字を見せてバスの切符(46元)を買ったところ、16時までに乗るように注意書きがありました。、8時出発のバスに乗って出発。10時に楽山のバスセンターに着き、そこから13番のバス(1元)に乗り、30分ほどで楽山大仏に着きました。
楽山大仏だけのチケット50元と、麻浩崖墓や鳥尤寺にも入れる90元のチケットで迷いましたが、後者を買って入場。ちょうどツアーの団体とかち合い、大混雑でした。
大仏の顔が見える頂上の広場で50分ほど行列に並び、それから30分ほどかけて崖に作られた階段を下り、大仏の足元へと降りてきました。もうここまででヘトヘトです。数百メートル向こうの船着場から遊覧船に乗れば、大仏を足元から見上げる広場より20メートルほど後方から船で見ることができますが、そちらはやめました。大仏そのものは見ごたえがあるのですが、中国人の行列に1時間以上揉まれると、感動する元気もなくなってしまいます。
その後、近くの食堂で昼食(牛肉麺10元、トマトと卵のスープ10元)を摂ってから、麻浩崖墓へと向かいました。ここは崖の中にトンネルを掘ってその奥を墓地にした場所です。その更に向こうには鳥尤寺がありましたが、中国寺院が8割、チベット仏教寺院が2割、混ざりあったようなお寺でした。その2箇所を廻った上での感想ですが、もしこれから楽山大仏を見に行きたい人がいたら、私は楽山大仏オンリーの50元のチケットを勧めます。
再び13番のバスに乗って楽山のバスセンターに戻り、15:25に成都行きのバスチケットを買ったところ、乗車時間が16時(行きは16時まで、帰りは16時指定です)となっていました。それまでに15:30と15:40のバスもあったのですが、16時のバスを待つように言われ、乗せてもらえませんでした。
18時前に成都旅遊集散中心に着き、そこからタクシーに乗って(16元)、陳麻婆豆腐という店に行きました。ここは麻婆豆腐の発祥の店ですが、中華の鉄人・陳健一にゆかりのあるあばた(麻)だらけのおばあちゃん(婆)がこの料理を生み出したため、麻婆豆腐という名前になったそうです。山椒とラー油の赤黒いマグマが煮えたぎる中に豆腐が浮かんでいました。麻婆豆腐(大)、ご飯2杯、チンタオビール1本で合計34元でした。食後、タクシーに乗って(14元)ホテルへと帰ってきました。
18日は成都市内観光です。効率よく廻るため、この日はタクシーを使いまくることにしました。
以前、北京で薄汚れたパンダが10匹くらいゴロゴロしているのを見たことがあり、あまり憧れはなかったのですが、四川の定番パンダを外すわけにもいかず(?)、まずは成都動物園に行くことにしました。
ホテルに荷物を預けてから、8:40 タクシーで出発。動物園までは30分、31元でした。入場料は14元です。パンダは朝によく動くそうで、まだ9時過ぎだったので二匹のパンダがひっきりなしに動いていました。他にもレッサーパンダ、ライオン、トラ、マンドリル、象、エミュー、ダチョウ、鶴、鳥類など種類は豊富で、子連れなら半日くらい楽しめるかもしれません。
その後、タクシー(27元)で永陵博物館(入場料20元)へ。10世紀に作られた直径80メートルの円墳で、中の玄室には、24人の歌や踊りに興じる女性の姿が側面に描かれた巨大なプラットホーム(英語の説明文そのまま)がありました。
次はタクシー(14元)で杜甫草堂へ(60元)へ。ここは杜甫という詩人の住まいがあったところで、美しく広大な中国庭園があります。もっとも創建時の建物は残っていないそうですが・・・。
そこから徒歩10分で、四川博物院(入場無料)へ。チベット、四川の少数民族、書物、石造など様々なジャンルの展示品があり、かなり見ごたえがありました。私は「いつかチベットに行かないと死んじゃう病」なので、チベットの曼荼羅や仏像、祭壇などが印象に残りました。
そこから中国でも有数の道教寺院である青羊宮(入場料10元)までは、タクシーで8元でした。様々なおじさんたちの坐像が至るところに祀られているのですが、どうも道教寺院は私のハートには響いてきません。
青羊宮を見終わったときは午後3時であり、近くの食堂で遅い昼食を摂りました。牛肉刀削麺と肉入り点心8個で合計12元です。
再びタクシーに乗って(15元)、武侯祠博物館(60元)へ。ここは諸葛孔明とその主君である劉備を祀った祠です。三国志に登場する様々な武将の像があり、三国志マニアなら垂涎の場所でしょう。しかし残念ながら、私は三国志については全くの素人です。ドラゴンボールなら「タッカラプトポッポルンガプピリットパロ」とポルンガを呼び出す呪文を言えたり、ギニュー特戦隊のメンバーもリクーム、バータ、ジース、グルド・・・あと一人は忘れましたが、4人の名前を言えるくらい詳しいのですが、三国志はよく分かりません。将来、三国志マニアになっても後悔しないように、写真だけ取ってきました。
その後、タクシーでホテルに戻り(25元)、荷物をピックアップしてから、途中のデパートを散策しながら徒歩で天府広場へと向かいました。天府広場の南で空港(机場)に向かう300番バス(8元)に乗りましたが、行きの303番とは別のバスだったようで、下道を走りながら空港まで向かうため、1時間以上かかりました。
空港でチェックインを済ませ、プライオリティパスでラウンジへ。ここには6種類の料理があり、そちらもつまみました。
21時発のフライトでしたが、2時間以上遅延し、上海に着いたのは翌日の午前2時前でした。空港からタクシーに乗り、ホテルの住所、地図を見せましたが、場所が分からないらしく、散々文句を言われながら40分以上引き回され、結局別のホテルで降りることにしました。タクシー代が140元、宿泊代が朝食と空港への送迎付きで168元です。ホテルの部屋に着いたときには午前3時でした。
冷静に考えれば、空港往復と宿泊、朝食がついて4000円弱なので決して高くはないのですが、肉体的にも精神的にも疲れました。なお、元々予約していたホテルから今後違約金の請求が来る可能性はあります。
翌朝は8時前に起き、朝食を摂って一休みしてから、10時発のシャトルバスで空港へと向かいました。早めにチェックインを済ませ、プライオリティパスで中国国際航空のファーストクラスラウンジに2時間ほど入り浸り、 13:30発のANA便でセントレアに帰って来ました。
なお来月は、記念すべき100回目の海外旅行となるマニラに行く予定です。
花蓮旅行記(11年8月) [海外旅行記]
今月は台湾旅行です。
しかしこれまで台北に5回、高雄に1回行ったことがあり、両都市の主な観光地については、ほぼ行き尽くした感がありました。そこで今回は東部の景勝地、花蓮に行くことにしました。
まだ燃油サーチャージが安かった2月、JALのホームページで34000円の台北行きチケットを購入しました。これに燃油サーチャージ、空港税などが上乗せされて、総額42960円です。
今回、台北と花蓮の往復には、タロコ号という日本製の振り子式特急列車や、自強号という旧来の特急列車を利用します。これらの列車は週末にはほぼ満席になるそうで、台湾国鉄のホームページで、発売開始となる2週間前に予約、購入をしておきました。
せっかくなのでその手順を書いておきます。
・ http://twtraffic.tra.gov.tw/twrail/English/ で時刻表を調べ、乗車する列車の番号を控える(花蓮はHualien)。
・ http://railway.hinet.net/net_eng.htm で列車番号と出発地、到着地などを入力し、予約番号を控える。
・ https://ticket.chinatrust.com.tw/railway/index.php で決済し、チケット引換券をプリントアウトする。
・ 列車が出発する30分前までに窓口で切符と引き換える。
往復で購入すると少し安くなり、台北・花蓮の往復で792台湾ドル(以下、T$)でした。
余談ですが、台湾新幹線は国鉄ではなく私鉄(別会社)であり、こちらの予約と切符購入はhttp://www.thsrc.com.tw/jp/ から行えます。
1泊目はagodaで花蓮の Cullinan Hotel(4つ星、朝食付き、4287円)を、2泊目は楽天トラベルで台北駅近くのリオホテル(3つ星、朝食付き、1224T$)を予約しました。2日目は日通ペリカントラベルで花蓮発59ドルのタロコ峡谷ツアー(http://www.pelican-travel.net/tourDetails_Opt.php?frCd=taiwan&tourCd=TONAN_HUN)を申し込みました。ちなみに台北発だと、同じツアーが195ドルになります。
なお、前日にJALのホームページからWEBチェックインし、搭乗券をプリントアウトしておきました。
26日朝、セントレアについてすぐ保安検査場に直行し、出国審査まで済ませてからプライオリティパスでスターアライアンス・ビジネスクラスラウンジに入り、朝食を摂りました。今回はチェックインの列にまったく並ぶ必要がないので大変楽です。
9:45発のフライトに乗り、11:35ごろ到着。入国審査後に両替をしたところ、手数料30T$を引かれて1万円が3642T$になりました。正午発の国光客運のバス(125T$)に乗り、12:55 台北駅着。台北駅の国鉄切符売り場に20分ほど並び、花蓮までの往復切符と引き換えました。16:40台北発の列車なので、3時間ほど時間ができてしまいました。帰りのバスターミナルや翌日泊まるホテル周辺を散策がてら位地確認し、駅前の新光三越や隣の電気館などを見て、時間をつぶしました。駅地下で花蓮料理の食堂を見つけたため、水餃子と白菜のスープ、ひき肉ぶっ掛けご飯(計70T$)を食べました。最初の頃は台湾料理の独特な風味が苦手で、屋台はNGだったのですが、世界各国を廻り、台湾も7回目の今では、すっかり慣れてしまいました。
駅の中にあるセブンイレブンで小ぶりの駅弁(65T$)と水を買い、16:40台北発、花蓮行きのタロコ号(特急)に乗りました。列車は当然ながら満席です。大学生くらいと思われる仲良し男女10人組チームが私の前の席に座っていました。こういうのを見ると、大学時代の部活の遠征を思い出して懐かしくなります。
定刻の18:44より4分ほど遅れて花蓮駅に到着し、駅前からタクシー(15分、245T$)に乗って阿美文化村へと向かいました。タクシーの運転手に阿美文化村という文字を見せたところ、「アミの踊り?」と日本語で聞かれました。ここでは毎日、17:30と19:20からアミ族の民族舞踊が行われており、民族舞踊好きの私は19:20 からのショーを見るつもりだったのです。
入り口でチケット(200T$)を買い、一番前の席を取ってショーを見ました。ダンサーは20名以上いるのですが、そのうち6人くらいは60歳前後と年配です。両手を交差して左右の人と手をつなぎ、片足ずつ足を前に振り出す動作が基本パターンであり、中国や東南アジアで見かけるありふれた感じの踊りでした。芸術性を追求するというよりは、お客さんも交えてみんなで楽しく踊りましょうという趣旨のショーです。
阿美文化村は郊外にあり、近くにはタクシーも待っていません。帰りのことを心配していたのですが、入り口のチケットブースに「タクシーを呼んでください」と日本語でお願いしたところ、5分ほどで来てくれました。そこからホテルまでは10分、170T$でした。
27日、06:30からホテルで朝食を摂り、07:10 にピックアップのバスに迎えに来てもらいました。その後、別のホテルや空港で他のツアー客をピックアップし、タロコ峡谷へと向かいました。ガイドは日本語もある程度話せる中国語と英語のガイドであり、日本人は私一人でした。
タロコは台湾でも有数の景勝地であり、大理石の産地でもあります。百メートル以上はあろうかという大理石でできた垂直の岩壁にはさまれた谷底に川が流れており、岩壁をくりぬいて作られた通路をハイキングしたりできます。前日の夜に激しい雨が降ったため、川の流れも激しく、何箇所か土砂くぐれがあり、道路の上に岩が落ちていました。
少し霧のかかったタロコの景色は大変美しく、世界自然遺産に登録されていても不思議ではない場所ですが、どこの国の世界遺産として登録するかが難しいところで、大人の事情もあって登録できないのでしょう。
いくつかのビューポイントで散策をし、昼食は山奥にあるアミ族料理のレストランに行きました。うなぎの蒸し焼き、トマトの醤油(?)和え、ゴーヤと鶏肉のスープ、竹の筒に入ったもち米、きのこ、サラダなど盛りだくさんです。日本の観光地だと、同じくらいのボリュームで2000円以上しそうな気がしました。
昼食後は、山間にある川がカーブした中州付近を散策し、お菓子と大理石製品の土産物屋に連れて行かれた後、太平洋の見える海岸に行きました。コバルトブルーの海がきれいでしたが、波が高く、海上警察が警備していたため、海に近づくことはできませんでした。
ツアー終了後は16:20に花蓮駅まで送ってもらい、駅のセブンイレブンで駅弁(55T$)を買った後、16:40発の自強号(特急)に乗り、台北まで帰ってきました。台北発の他のツアー客もこの列車で帰るので、間違いないくこの列車には間に合うようにツアーを終了してくれます。19:14到着の予定でしたが、帰りも5分ほど遅れました。朝も早かったのでこれ以上出歩く元気もなく、駅近くのホテルに直行しました。
28日、朝7時半から朝食を摂り、8時過ぎにホテルをチェックアウトしました。この日は台北郊外にある烏来に行く予定です。烏来へはこれまでにも2回訪れたことがありましたが、千と千尋の神隠しに出てきそうなノスタルジックな町並みが気に入っています。
MRTで台北から新村へと行き(30T$)、そこからバスに乗る予定でしたが、雨が降ってきたこともあり、他の観光客と同乗してタクシーで向かうことにしました。新村から烏来まで私一人分の料金が100T$でした。
烏来の町並みを散策しながら、その一番奥にある、タイヤル族の民族舞踊(500T$)を見せてくれるシアターへと向かいました。私は10時オープンと勘違いしていたのですが、10:40、14:00、15:00の開演でした。ショーは約1時間とのことであり、そこから空港まで乗り継ぎ時間も含めると3時間くらい見ておく必要があります。10:40のショーを見てから飛行機に乗るのはスケジュールがきつかったので、諦めて烏来瀑布と呼ばれる高さ80メートルほどの滝を眺め、街中を散策してから空港へと向かいました。
帰りは新村までバスで30分、15T$。新村から台北駅までMRTで30分。台北駅からは台湾新幹線に乗って向かうことにしました。以前にも高雄に旅行した際に乗ったことがありますが、東海道新幹線のN700系に似た滑らかな乗り心地です。加速するときにモーターの振動を感じるのが玉にキズという特性もそっくりです。桃園まで19分、160T$で着き、そこから桃園国際空港行きのバス(30T$)に乗り、空港に着いたのは12:50でした。
すぐに保安検査場に向かい、出国審査を済ませてからプライオリティパスでラウンジに入りました。ここのラウンジは、おでん、お粥、中国式パン、肉まんなど食べ物が盛りだくさんであり、もちろん各種アルコールを含むドリンクも充実しています。遅めの昼食を取りながらゆっくりと時間を過ごし、最後に空港内の書店で台湾版(繁字版)ワンピースのコミック(95T$)を買ってから搭乗しました。
セントレアには予定より少し早い19時半ごろ到着しました。
しかしこれまで台北に5回、高雄に1回行ったことがあり、両都市の主な観光地については、ほぼ行き尽くした感がありました。そこで今回は東部の景勝地、花蓮に行くことにしました。
まだ燃油サーチャージが安かった2月、JALのホームページで34000円の台北行きチケットを購入しました。これに燃油サーチャージ、空港税などが上乗せされて、総額42960円です。
今回、台北と花蓮の往復には、タロコ号という日本製の振り子式特急列車や、自強号という旧来の特急列車を利用します。これらの列車は週末にはほぼ満席になるそうで、台湾国鉄のホームページで、発売開始となる2週間前に予約、購入をしておきました。
せっかくなのでその手順を書いておきます。
・ http://twtraffic.tra.gov.tw/twrail/English/ で時刻表を調べ、乗車する列車の番号を控える(花蓮はHualien)。
・ http://railway.hinet.net/net_eng.htm で列車番号と出発地、到着地などを入力し、予約番号を控える。
・ https://ticket.chinatrust.com.tw/railway/index.php で決済し、チケット引換券をプリントアウトする。
・ 列車が出発する30分前までに窓口で切符と引き換える。
往復で購入すると少し安くなり、台北・花蓮の往復で792台湾ドル(以下、T$)でした。
余談ですが、台湾新幹線は国鉄ではなく私鉄(別会社)であり、こちらの予約と切符購入はhttp://www.thsrc.com.tw/jp/ から行えます。
1泊目はagodaで花蓮の Cullinan Hotel(4つ星、朝食付き、4287円)を、2泊目は楽天トラベルで台北駅近くのリオホテル(3つ星、朝食付き、1224T$)を予約しました。2日目は日通ペリカントラベルで花蓮発59ドルのタロコ峡谷ツアー(http://www.pelican-travel.net/tourDetails_Opt.php?frCd=taiwan&tourCd=TONAN_HUN)を申し込みました。ちなみに台北発だと、同じツアーが195ドルになります。
なお、前日にJALのホームページからWEBチェックインし、搭乗券をプリントアウトしておきました。
26日朝、セントレアについてすぐ保安検査場に直行し、出国審査まで済ませてからプライオリティパスでスターアライアンス・ビジネスクラスラウンジに入り、朝食を摂りました。今回はチェックインの列にまったく並ぶ必要がないので大変楽です。
9:45発のフライトに乗り、11:35ごろ到着。入国審査後に両替をしたところ、手数料30T$を引かれて1万円が3642T$になりました。正午発の国光客運のバス(125T$)に乗り、12:55 台北駅着。台北駅の国鉄切符売り場に20分ほど並び、花蓮までの往復切符と引き換えました。16:40台北発の列車なので、3時間ほど時間ができてしまいました。帰りのバスターミナルや翌日泊まるホテル周辺を散策がてら位地確認し、駅前の新光三越や隣の電気館などを見て、時間をつぶしました。駅地下で花蓮料理の食堂を見つけたため、水餃子と白菜のスープ、ひき肉ぶっ掛けご飯(計70T$)を食べました。最初の頃は台湾料理の独特な風味が苦手で、屋台はNGだったのですが、世界各国を廻り、台湾も7回目の今では、すっかり慣れてしまいました。
駅の中にあるセブンイレブンで小ぶりの駅弁(65T$)と水を買い、16:40台北発、花蓮行きのタロコ号(特急)に乗りました。列車は当然ながら満席です。大学生くらいと思われる仲良し男女10人組チームが私の前の席に座っていました。こういうのを見ると、大学時代の部活の遠征を思い出して懐かしくなります。
定刻の18:44より4分ほど遅れて花蓮駅に到着し、駅前からタクシー(15分、245T$)に乗って阿美文化村へと向かいました。タクシーの運転手に阿美文化村という文字を見せたところ、「アミの踊り?」と日本語で聞かれました。ここでは毎日、17:30と19:20からアミ族の民族舞踊が行われており、民族舞踊好きの私は19:20 からのショーを見るつもりだったのです。
入り口でチケット(200T$)を買い、一番前の席を取ってショーを見ました。ダンサーは20名以上いるのですが、そのうち6人くらいは60歳前後と年配です。両手を交差して左右の人と手をつなぎ、片足ずつ足を前に振り出す動作が基本パターンであり、中国や東南アジアで見かけるありふれた感じの踊りでした。芸術性を追求するというよりは、お客さんも交えてみんなで楽しく踊りましょうという趣旨のショーです。
阿美文化村は郊外にあり、近くにはタクシーも待っていません。帰りのことを心配していたのですが、入り口のチケットブースに「タクシーを呼んでください」と日本語でお願いしたところ、5分ほどで来てくれました。そこからホテルまでは10分、170T$でした。
27日、06:30からホテルで朝食を摂り、07:10 にピックアップのバスに迎えに来てもらいました。その後、別のホテルや空港で他のツアー客をピックアップし、タロコ峡谷へと向かいました。ガイドは日本語もある程度話せる中国語と英語のガイドであり、日本人は私一人でした。
タロコは台湾でも有数の景勝地であり、大理石の産地でもあります。百メートル以上はあろうかという大理石でできた垂直の岩壁にはさまれた谷底に川が流れており、岩壁をくりぬいて作られた通路をハイキングしたりできます。前日の夜に激しい雨が降ったため、川の流れも激しく、何箇所か土砂くぐれがあり、道路の上に岩が落ちていました。
少し霧のかかったタロコの景色は大変美しく、世界自然遺産に登録されていても不思議ではない場所ですが、どこの国の世界遺産として登録するかが難しいところで、大人の事情もあって登録できないのでしょう。
いくつかのビューポイントで散策をし、昼食は山奥にあるアミ族料理のレストランに行きました。うなぎの蒸し焼き、トマトの醤油(?)和え、ゴーヤと鶏肉のスープ、竹の筒に入ったもち米、きのこ、サラダなど盛りだくさんです。日本の観光地だと、同じくらいのボリュームで2000円以上しそうな気がしました。
昼食後は、山間にある川がカーブした中州付近を散策し、お菓子と大理石製品の土産物屋に連れて行かれた後、太平洋の見える海岸に行きました。コバルトブルーの海がきれいでしたが、波が高く、海上警察が警備していたため、海に近づくことはできませんでした。
ツアー終了後は16:20に花蓮駅まで送ってもらい、駅のセブンイレブンで駅弁(55T$)を買った後、16:40発の自強号(特急)に乗り、台北まで帰ってきました。台北発の他のツアー客もこの列車で帰るので、間違いないくこの列車には間に合うようにツアーを終了してくれます。19:14到着の予定でしたが、帰りも5分ほど遅れました。朝も早かったのでこれ以上出歩く元気もなく、駅近くのホテルに直行しました。
28日、朝7時半から朝食を摂り、8時過ぎにホテルをチェックアウトしました。この日は台北郊外にある烏来に行く予定です。烏来へはこれまでにも2回訪れたことがありましたが、千と千尋の神隠しに出てきそうなノスタルジックな町並みが気に入っています。
MRTで台北から新村へと行き(30T$)、そこからバスに乗る予定でしたが、雨が降ってきたこともあり、他の観光客と同乗してタクシーで向かうことにしました。新村から烏来まで私一人分の料金が100T$でした。
烏来の町並みを散策しながら、その一番奥にある、タイヤル族の民族舞踊(500T$)を見せてくれるシアターへと向かいました。私は10時オープンと勘違いしていたのですが、10:40、14:00、15:00の開演でした。ショーは約1時間とのことであり、そこから空港まで乗り継ぎ時間も含めると3時間くらい見ておく必要があります。10:40のショーを見てから飛行機に乗るのはスケジュールがきつかったので、諦めて烏来瀑布と呼ばれる高さ80メートルほどの滝を眺め、街中を散策してから空港へと向かいました。
帰りは新村までバスで30分、15T$。新村から台北駅までMRTで30分。台北駅からは台湾新幹線に乗って向かうことにしました。以前にも高雄に旅行した際に乗ったことがありますが、東海道新幹線のN700系に似た滑らかな乗り心地です。加速するときにモーターの振動を感じるのが玉にキズという特性もそっくりです。桃園まで19分、160T$で着き、そこから桃園国際空港行きのバス(30T$)に乗り、空港に着いたのは12:50でした。
すぐに保安検査場に向かい、出国審査を済ませてからプライオリティパスでラウンジに入りました。ここのラウンジは、おでん、お粥、中国式パン、肉まんなど食べ物が盛りだくさんであり、もちろん各種アルコールを含むドリンクも充実しています。遅めの昼食を取りながらゆっくりと時間を過ごし、最後に空港内の書店で台湾版(繁字版)ワンピースのコミック(95T$)を買ってから搭乗しました。
セントレアには予定より少し早い19時半ごろ到着しました。
ワンピースの語られぬ歴史について [雑談]
今回は、最近私がはまったワンピースに関する話題です。
62巻まで読んだ状態で、それまでの情報を基に書いています。ワンピースを知らない方、ネタバレを避けたい方はスルーしてください。
44巻から連載された扉絵シリーズで、エネルのスペース大作戦がありました。
・からくり島のツキミ博士が作ったロボット(スペーシー中尉)が、月で宇宙海賊にやられた
・その宇宙海賊が月で古代の地下都市ビルカを掘り当てた
・ビルカの住人たちは背中に翼を持ち、古代文字を操った
・資源不足で青色の星に飛んだ彼らは、スペーシー中尉そっくりのロボットを作る技術を持っていた。
これらをまとめると、古代に月から地球へやってきた、背中に翼を持つ者たちは、高度な文明を持っていたことになります。決して壊れないポーネグリフの石を製造する技術や古代兵器も、彼らが生み出したのでしょう。少なくとも、現在の地球政府とは違う勢力が生み出したことは間違いありません。世界政府の諜報機関であるCP9が必死に古代兵器の設計図を探していたわけですから。
からくり島は、現代まで密かに月の文明を受け継いでいたのでしょう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ONE_PIECE%E3%81%AE%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E5%B9%B4%E8%A1%A8
年表によると、彼ら月の人が地球にやってきたのは、今から4000年以上昔のことでしょうか?
(4000年前に作られたアラバスタの王宮は、建造時から古代兵器のありかを記したポーネグリフを隠せる構造になっていたと考えられます)
しかしその末裔である(背中に羽を持つ)シャンティアの人たちは、樹熱の知識もなく、生贄の祭壇を作るなど、非科学的で文明水準が劣化した印象を受けます。
ところで、彼らのモチーフはアメリカ大陸のインディオですよね?
衣類やテントなどはインディオに似ており、生贄の祭壇と言えば、かつてメキシコに栄えたアステカ文明を連想させます。
http://ryokodo.blog.so-net.ne.jp/2009-12-28
上記は、かつて私が書いたブログ記事です。アステカではなくインカの話ですが、ワンピースの世界でもこれと同じようなことが起こったと仮定します。
http://www.kodai-bunmei.net/bbs/bbs.php?i=200&c=400&m=72444
http://moyamoya2.blog99.fc2.com/blog-entry-332.html
以下は私の完全な妄想ですが、上記を参考にさせてもらいました。
4000年以上前、背中に羽を持ち、高度な文明をもつ人々(月の人)が地上に降り立った。
彼らはラフテル(またはビルカ)という古代王国を作った。国は栄え、人々は自由で平等だった。
(41巻で、オハラのクローバー博士はこの古代王国の名を言う直前に撃たれました)
その繁栄とバランスを崩す者が現れたときの抑止力として、古代兵器が作られた。
地球の人々は、空から来た人たちに感謝したが、時と共にその文明水準は劣化し、シャンティアのように非科学的な生贄の儀式に走る者たちが現れた。
900年前、別の宇宙人(天竜人)たちが地球に侵略してきた。
(原作者が敬愛する鳥山明氏のドラゴンボールでも、宇宙人が地球に攻めてきます)
彼らは地球の大気中で長時間呼吸することができず、宇宙服を着用していた。
地球の人たちは、彼らを月の人の再来と考え、歓迎した。
しかしその虚をついて、天竜人は古代王国の国王を殺害し、地球を征服してしまう。
彼らに逆らったものは奴隷にされ、恐怖政治による徹底した身分制度が完成した。
それを後の人たちに悟られないよう、天竜人の手先である世界政府は「空白の100年」を作った。
それは天竜人が現れてから、世界政府ができるまでの100年でもあった。
天竜人による支配を憂いた古代王国の神官たちは、Dというミドルネームを名乗ると共に、いつの日か世界政府をひっくり返し、(自由と平等という)失われた古代王国の思想を取り戻そうと誓った。
(Dは古代王国の王族とする説もありますが、ルフィーと巨人族のハグワール・D・サウロが共通の祖先を持つとは考えにくく、別家系と考えるべきでしょう。神官たちが、地球人と月の人の中間の立ち居地だとすれば、その紋章はD、つまり半月の形になるでしょう)
それは「Dの意思」として受け継がれ、世界政府はそれを恐れた。
そして長い年月が流れた。
悪魔の実の能力(または見聞色の覇気)で、万物と対話する能力を手に入れた若者、ゴール・D・ロジャーは、天竜人による支配を、地上の多くの物が悲しんでいることを知った。
(52巻でレイリーが、ロジャーは万物の声を聞けた、と言っていますが、空島のポーネグリフに自分の言葉を残していることから考えると、万物に自分の意思を伝えることもできたと考えられます。つまり万物と対話する能力です)
その夢は「世界をひっくり返し、自由で平等な世の中を作る」こと。
彼は副船長で戦闘員のレイリー、医者のクロッカスらを仲間にし、グランドライン制覇を達成する。
(彼の仲間には、他にも航海士、狙撃手、コック、音楽家がいたかもしれません。船大工でトムズ・ワーカーズのトムも、船にこそ乗らなかったものの、ロジャーの仲間と言って良いでしょう。でも、考古学者はいなかったようです。ルフィーの仲間が、その役割を果たして真の仲間となったとき、「○人目」と言うタイトルがつきますが、まだ考古学者のニコ・ロビンは真の仲間にはなっていないようです)
彼らは歴史のすべてを知ったが、グランドライン最後の島・ラフテルについては、何らかの理由で、その存在を確認しただけで、たどりつくことはできなかった。
彼がその夢を達成するには、最後のひとかけら(ワンピース)が足りなかった。
(ひとつなぎの大秘宝を英語に訳すと、 hidden treasure of one suite の方が、hidden treasure of one piece よりも相応しい気がします。つまり、ワンピース=ひとつなぎの大秘宝ではなく、ひとつなぎの大秘宝を完成させるために、あとワンピース足りないと考えるほうが自然です。私はひとつなぎの大秘宝を、ひとつなぎの秘められた歴史と解釈しました)
それを後世の者たちに託すため、ロジャーは自首し、斬首刑になった。
ゴール・D・ロジャーの名も、世界政府による情報操作によって、ゴールド・ロジャーに改められた。
その数年後、ロジャーの船の見習いだったシャンクスは、イーストブルーの小さな村で、ロジャーと同じことを言う少年と出会った。
(52巻でシャンクスが、レイリーさん、おれぁ本当に驚いたよ。イーストブルーにロジャー船長と同じことを言うガキがいたんだ・・・船長のあの言葉を、と言っています)
「俺は世界をひっくり返し、自由で平等な世の中を作る」
(60巻で、幼いルフィーがエースとサポに自らの夢を語りますが、その部分は故意に割愛されています)
少年の名はモンキー・D・ルフィー。
シャンクスはルフィーの未来に期待し、そのためには腕の一本くらい安いものだと考えた。
ポートガス・D・エースも、死の瞬間までルフィーの「夢の果て」を見ることを望んでいた。
そして、ここからワンピースの物語は始まった。
「海賊王に、俺はなる」
「支配なんかしねぇよ。この海で一番自由な奴が海賊王だ」
62巻まで読んだ状態で、それまでの情報を基に書いています。ワンピースを知らない方、ネタバレを避けたい方はスルーしてください。
44巻から連載された扉絵シリーズで、エネルのスペース大作戦がありました。
・からくり島のツキミ博士が作ったロボット(スペーシー中尉)が、月で宇宙海賊にやられた
・その宇宙海賊が月で古代の地下都市ビルカを掘り当てた
・ビルカの住人たちは背中に翼を持ち、古代文字を操った
・資源不足で青色の星に飛んだ彼らは、スペーシー中尉そっくりのロボットを作る技術を持っていた。
これらをまとめると、古代に月から地球へやってきた、背中に翼を持つ者たちは、高度な文明を持っていたことになります。決して壊れないポーネグリフの石を製造する技術や古代兵器も、彼らが生み出したのでしょう。少なくとも、現在の地球政府とは違う勢力が生み出したことは間違いありません。世界政府の諜報機関であるCP9が必死に古代兵器の設計図を探していたわけですから。
からくり島は、現代まで密かに月の文明を受け継いでいたのでしょう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ONE_PIECE%E3%81%AE%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E5%B9%B4%E8%A1%A8
年表によると、彼ら月の人が地球にやってきたのは、今から4000年以上昔のことでしょうか?
(4000年前に作られたアラバスタの王宮は、建造時から古代兵器のありかを記したポーネグリフを隠せる構造になっていたと考えられます)
しかしその末裔である(背中に羽を持つ)シャンティアの人たちは、樹熱の知識もなく、生贄の祭壇を作るなど、非科学的で文明水準が劣化した印象を受けます。
ところで、彼らのモチーフはアメリカ大陸のインディオですよね?
衣類やテントなどはインディオに似ており、生贄の祭壇と言えば、かつてメキシコに栄えたアステカ文明を連想させます。
http://ryokodo.blog.so-net.ne.jp/2009-12-28
上記は、かつて私が書いたブログ記事です。アステカではなくインカの話ですが、ワンピースの世界でもこれと同じようなことが起こったと仮定します。
http://www.kodai-bunmei.net/bbs/bbs.php?i=200&c=400&m=72444
http://moyamoya2.blog99.fc2.com/blog-entry-332.html
以下は私の完全な妄想ですが、上記を参考にさせてもらいました。
4000年以上前、背中に羽を持ち、高度な文明をもつ人々(月の人)が地上に降り立った。
彼らはラフテル(またはビルカ)という古代王国を作った。国は栄え、人々は自由で平等だった。
(41巻で、オハラのクローバー博士はこの古代王国の名を言う直前に撃たれました)
その繁栄とバランスを崩す者が現れたときの抑止力として、古代兵器が作られた。
地球の人々は、空から来た人たちに感謝したが、時と共にその文明水準は劣化し、シャンティアのように非科学的な生贄の儀式に走る者たちが現れた。
900年前、別の宇宙人(天竜人)たちが地球に侵略してきた。
(原作者が敬愛する鳥山明氏のドラゴンボールでも、宇宙人が地球に攻めてきます)
彼らは地球の大気中で長時間呼吸することができず、宇宙服を着用していた。
地球の人たちは、彼らを月の人の再来と考え、歓迎した。
しかしその虚をついて、天竜人は古代王国の国王を殺害し、地球を征服してしまう。
彼らに逆らったものは奴隷にされ、恐怖政治による徹底した身分制度が完成した。
それを後の人たちに悟られないよう、天竜人の手先である世界政府は「空白の100年」を作った。
それは天竜人が現れてから、世界政府ができるまでの100年でもあった。
天竜人による支配を憂いた古代王国の神官たちは、Dというミドルネームを名乗ると共に、いつの日か世界政府をひっくり返し、(自由と平等という)失われた古代王国の思想を取り戻そうと誓った。
(Dは古代王国の王族とする説もありますが、ルフィーと巨人族のハグワール・D・サウロが共通の祖先を持つとは考えにくく、別家系と考えるべきでしょう。神官たちが、地球人と月の人の中間の立ち居地だとすれば、その紋章はD、つまり半月の形になるでしょう)
それは「Dの意思」として受け継がれ、世界政府はそれを恐れた。
そして長い年月が流れた。
悪魔の実の能力(または見聞色の覇気)で、万物と対話する能力を手に入れた若者、ゴール・D・ロジャーは、天竜人による支配を、地上の多くの物が悲しんでいることを知った。
(52巻でレイリーが、ロジャーは万物の声を聞けた、と言っていますが、空島のポーネグリフに自分の言葉を残していることから考えると、万物に自分の意思を伝えることもできたと考えられます。つまり万物と対話する能力です)
その夢は「世界をひっくり返し、自由で平等な世の中を作る」こと。
彼は副船長で戦闘員のレイリー、医者のクロッカスらを仲間にし、グランドライン制覇を達成する。
(彼の仲間には、他にも航海士、狙撃手、コック、音楽家がいたかもしれません。船大工でトムズ・ワーカーズのトムも、船にこそ乗らなかったものの、ロジャーの仲間と言って良いでしょう。でも、考古学者はいなかったようです。ルフィーの仲間が、その役割を果たして真の仲間となったとき、「○人目」と言うタイトルがつきますが、まだ考古学者のニコ・ロビンは真の仲間にはなっていないようです)
彼らは歴史のすべてを知ったが、グランドライン最後の島・ラフテルについては、何らかの理由で、その存在を確認しただけで、たどりつくことはできなかった。
彼がその夢を達成するには、最後のひとかけら(ワンピース)が足りなかった。
(ひとつなぎの大秘宝を英語に訳すと、 hidden treasure of one suite の方が、hidden treasure of one piece よりも相応しい気がします。つまり、ワンピース=ひとつなぎの大秘宝ではなく、ひとつなぎの大秘宝を完成させるために、あとワンピース足りないと考えるほうが自然です。私はひとつなぎの大秘宝を、ひとつなぎの秘められた歴史と解釈しました)
それを後世の者たちに託すため、ロジャーは自首し、斬首刑になった。
ゴール・D・ロジャーの名も、世界政府による情報操作によって、ゴールド・ロジャーに改められた。
その数年後、ロジャーの船の見習いだったシャンクスは、イーストブルーの小さな村で、ロジャーと同じことを言う少年と出会った。
(52巻でシャンクスが、レイリーさん、おれぁ本当に驚いたよ。イーストブルーにロジャー船長と同じことを言うガキがいたんだ・・・船長のあの言葉を、と言っています)
「俺は世界をひっくり返し、自由で平等な世の中を作る」
(60巻で、幼いルフィーがエースとサポに自らの夢を語りますが、その部分は故意に割愛されています)
少年の名はモンキー・D・ルフィー。
シャンクスはルフィーの未来に期待し、そのためには腕の一本くらい安いものだと考えた。
ポートガス・D・エースも、死の瞬間までルフィーの「夢の果て」を見ることを望んでいた。
そして、ここからワンピースの物語は始まった。
「海賊王に、俺はなる」
「支配なんかしねぇよ。この海で一番自由な奴が海賊王だ」
スイス旅行記(11年7月) [海外旅行記]
我が家(私、妻、長男)では、毎年夏に8日間の家族旅行をしています。長男が2歳のときはスリランカ周遊とバンコク、3歳のときはアムステルダム~ブリュッセル~パリ、4歳のときはマルタとドバイ、5歳のときはギリシア周遊とカタール、6歳のときは北欧3カ国、そして7歳になった今年はスイス周遊とリヒテンシュタインです。
今回の目的地は、妻が「アルプスの少女ハイジの景色を見たい」と言い出したことで決定しました。当初はイタリアとの2カ国周遊プランも考えましたが、スイス国内で立ち寄りたいところが多く、ほぼスイスオンリーのプランにしました。
1月中旬、タイ航空のホームページで夏の航空券が発売開始になった当日に、サブクラスWの航空券を購入しました。大人は74300円、7歳児はその75%。それに燃油サーチャージや空港税が上乗せされ、大人は101050円、3人総額で283400円です。ただしサブクラスQの航空券にすれば、3人で82500円アップする代わりにユナイテッド航空のマイレージプラスに49770マイル貯まったため、お金とマイルを天秤にかけ、そちらでも良かったかもしれません。私はマイレージプラスのマイルがかなり余っていたのと、昨年家を新築したばかりという事情があり、ついつい安くてマイルの貯まらない航空券を買ってしまいました。ただしその後、中東の政情不安により原油価格が高騰したのはご存知のとおりで、燃油サーチャージが安いうちに航空券を購入できたのは良しとします。
1日目 夕方、名古屋発。バンコク経由でチューリッヒへ。
2日目 朝、チューリッヒ着。鉄道でジュネーブへ。ジュネーブ観光後、ベルンへ。
3日目 ベルンとルツェルン観光後、インターラーケンへ。
4日目 インターラーケンからユングフラウヨッホへ日帰り。
5日目 グレーシャーエクスプレス乗車。その後、マイエンフェルトでハイジゆかりの名所散策。
6日目 リヒテンシュタインとザンクトガレン観光後、チューリッヒへ。
7日目 朝、チューリッヒ市内観光。午後、チューリッヒ発。
8日目 朝、バンコク乗り継ぎ。午後、名古屋着。
大まかなスケジュールは上記のとおりで、4日間有効のスイスフレキシーパスを2、3、5、6日目に使用することにしました。4月にRail Europe(http://www.raileurope-japan.com/)で、一等車のセーバーパスが33500円×2人、長男はスイスファミリーカードで無料。それに送料、手数料が上乗せさせて7万円でした。ちなみにスイス国鉄(http://www.sbb.ch/en/home.html)でも購入でき、こちらでは786スイスフラン(以下CHF)でした。夏の観光シーズンに大きなスーツケースをもって子連れで長時間電車に乗るため、座席が広くて空いている(満席になる可能性が極めて低い)一等車にしました。なおスイス国鉄のサイトでは、事前にプラットホームの番号や乗り継ぎ時間、混み具合も検索できるので、乗る予定の電車を一通り調べていくと便利です。
ホテル予約サイトのオクトパストラベルで、ベルン1泊、インターラーケン2泊、マイエンフェルト1泊、チューリッヒ1泊を予約し、3人5泊(すべて3つ星ホテル、朝食付き)で総額73300円でした。
全席指定のグレーシャーエクスプレス(http://www.glacierexpress.ch/de/Pages/default.aspx)も乗車2週間前にネットで予約し、3人で99CHF(1CHF=98.3円)でした。ただしこちらは一度予約すると変更も返金もできません。
ユングフラウ鉄道(http://www.jungfraubahn.ch/)はスイスフレキシーパスの有効期間内であれば25~50% offになりますが、これはスイスパスホルダー、ファミリーカードという条件でのネット購入ができず、現地購入することにしました。
21日、午前中半日の勤務を終えてから帰宅し、家族揃ってセントレアに向かいました。セントレアの両替所でのレートは1CHF=100.95円で、これはスイス国内での両替よりも良いレートでした。
17:15 にセントレアを発ち、21:15バンコク着。バンコクでは一度入国すると出国税(1人700バーツ)を取られるため、空港内で時間をつぶしました。しかし出発の1時間前になって、それまでいた場所と搭乗ゲートが1Kmほど離れていることが判明。眠たくてぐずる長男の両脇を私と妻で支え、宇宙人グレイを連行する感じで移動しました。もう少し早く搭乗ゲートの近くに行っておくべきだったと少し反省しました。
22日、00:30 バンコク発。チューリッヒには定刻よりも1時間早い06:30 に到着しました。入国審査を済ませ、預け入れ荷物を受け取り、空港駅のチケットカウンターでスイスフレキシーパスのヴァリデート(使用開始印を押してもらうこと)を済ませ、07:39発のICN(特急)に余裕を持って乗ることができました。一等車は空席が目立つため、3人で6席キープしてゆっくりと車内で過ごせました。車窓に広がるのは丘陵、平野、湖、そして茶色い屋根に白や黄土色の壁の家々。イギリス、フランス、イタリア、ギリシアの建物は総じて重厚なイメージですが、スイス、ドイツ、ベルギー、北欧ではメルヘンチックなイメージです。
10:46にジュネーブに着き、スーツケースを預けるため駅のコインロッカーへ行きましたが、9CHFをコインで投入する必要があります。10CHF札しか持っていなかったため、1CHFで買える物を探したところ、バナナ1本が1CHFで売られているのをやっと見つけました。スイスは物価高で有名ですが、駅で売られていた惣菜パンの値段を見て、心が折れそうになりました。昼食はマクドナルドでハンバーガー、チーズバーガー、フライドポテトSサイズ各2個ずつ(計17CHF)を3人でシェアしました。ちなみにビッグマックのセットは11.5CHFでした。
その後、徒歩でレマン湖に出て、高さ140メートルの大噴水を見た後、自然史博物館(無料)へと向かいました。ここにはさまざまな生き物の剥製や模型がありましたが、長男は恐竜の骨格模型に興味を示し、夏休みの宿題の絵日記に使うと言っていました。他にも火山の噴火シーンに合わせて床が揺れるなどユニークな展示があり、大人も子供も楽しめる見所満載の博物館でした。ここには2つの頭を持つ、生きた亀がいましたが、私はシャム双生児を思い出して後ずさりしてしまいました。
その後、美術・歴史博物館へと行きました。こちらも入場無料にも関わらず、中世の兵器や鎧や絵画、モネやルノワール、ゴッホ、ピカソら近代画家の絵画、ローマ、エジプト、キプロスの古代美術など見所満載です。それからややさっぱりとした内装のサン・ピエール大聖堂(無料)、国際宗教改革博物館(スイスパスで無料)、ルソーの生家(スイスパスで無料)へと行きましたが、これらはどちらかと言うと期待はずれでした。
以上の見学を終え、駅近くのスーパーで、1500ccのミネラルウォーターと500ccのハイネケンを2本ずつ、ボトルワイン、コーラ缶、ファンタ、サンドウィッチ、パン2つ、300gの惣菜を3種類(アフリカ料理のクスクス、オリーブとチーズのビネガー和え、生ハムのビネガー和え)を買いました。合計で37CHFでしたが、スーパーでの買い物はそれほど割高感を感じません。総じて駅構内のキオスクと外食が高いだけで、スーパーでの値段はそれほどでもなさそうです。
これらを16;45発のIC(特急列車)に持ち込み、車内で酒盛りと夕食を済ませました。18:26に首都ベルンに着き、駅近くにあるメトロポールホテルにチェックインしました。
うちの家族はどこでも酒盛りします(長男はジュースです)。かつて平日に有給休暇を取り、小樽のワインショップで買ったワインを、店のすぐそばで飲んでいたことがあります。ちなみに道向かいにはハローワークがあり、道行く人々は、平日昼間から道端に座って酒盛りをしている家族をどのような目で見ていたのでしょうか? そんな想像も良い酒の肴になりました。
翌23日はルツェルンとベルンの市内観光です。
ホテルでの朝食後、チェックアウトしてホテルにスーツケースを預け、ベルン8時発の列車の乗って9時にルツェルンに着きました。駅を出てすぐ左手に見えるカペル橋(ヨーロッパ最古の屋根つき木橋、1333年完成)を渡りましたが、橋の内部だけ見るとバリ島のリゾートを思い出すような景色です。その後、旧市街を散策し、シュプロイヤー橋(1408年完成の木橋)を渡って元の岸に戻ってきました。華やかで可愛らしい内装のイエズス教会、スイス髄一のゴシック建築とされるフランシスコ教会(イエズス教会と比べると質実剛健)を見学した後、自然博物館と歴史博物館(どちらもスイスパスで無料)をハシゴしました。自然博物館は動物の剥製や化石などを展示しており、歴史博物館では古いスイス庶民のアイテムを展示していました。どうやらスイスで「自然」とつく博物館は、子供にも楽しめる内容になっているようです。
その後、駅近くのスーパーで惣菜やパン、ビールを買い込み、12時ルツェルン発の列車内で昼食を摂りました。13時にベルン駅に着き、世界遺産になっているベルン市街を散策しながら、自然史博物館(スイスパスで無料)へと向かいました。途中、スイスアルプス博物館(スイスパスで無料)とスイス射撃博物館(無料)にも立ち寄りましたが、これらはあまり印象に残りませんでした。
一方、自然史博物館は見所満載です。さまざまな動物の剥製をジオラマで展示していますが、その傍に身長30センチほどのリアルな人形がファンキーなポーズをとっています。長男の笑いのつぼにはまったらしく、笑い転げていました。その他にもヤギの剥製と骨格標本がダンスをしていたり、動物の頭蓋骨を無数に並べたり、美しい女性の裸画に矢印を引き、その部位に寄生する寄生虫を紹介するなど、良くも悪くも印象に残る展示であふれています。
それからベルン歴史博物館(スイスパスで無料)に行きましたが、ここにはアインシュタイン博物館も併設されています。私は高校1年のときに相対性理論に夢中になったことがあり、アインシュタインの生涯を興味深く見学しました。その他にも、エジプト、ローマ、古代キリスト教、アンデス、日本文化など、さまざまな分野に関する広く浅い展示がありました。
その後、大聖堂とメインストリートであるクラム通りを見学し、若き日のアインシュタインが住んだ家も外観だけ見学しました。途中、ホテルでスーツケースを受け取ってベルン駅に向かい、駅地下の書店でワンピース・ドイツ語版の1巻(9.5CHFから3.9CHFに値下げ)を買いました。私は最近ワンピースにはまり、これまでのドラゴンボールに代わって今後はワンピースの各国版を集めたくなったのです。それからスーパーでフライドチキンやパスタ、パン、ビールなどを買い、18:04ベルン発でインターラーケン行きのICに乗りました。一等車の車内で猛烈な勢いで食べ始める日本人家族を見て、検札に来た車掌が苦笑しているようでした。18:52にインターラーケン西駅に着き、駅前のメルキュールホテルにチェックインしました。
24日はトップ・オブ・ヨーロッパ、ユングフラウヨッホへと行く予定です。
ホテルで朝食を摂り、6:40~19:00までオープンしている駅の有人チケット売り場でスイスパスを見せ、ユングフラウヨッホまでのチケットを買いました。この日はフレキシーパスの利用日ではないため、インターラーケン西駅からグリンデルワルト又はヴェンゲルまでのチケットも半額で買う必要があります。この区間の二等車が16.4CHF、そこからユングフラウ頂上駅までが126CHFでした。大人2名で合計284.8CHF、スイスファミリーカードを持っている長男は無料でした。
07:52 インターラーケン西駅発、07:57 インターラーケン東駅(標高567m)着。
08:05 インターラーケン東駅発、08:25 ラウターブルンネン(標高796m)着。
ここまではあまり高低差もありませんが、ここから一気に山の上へと駆け上がり始め、高い氷山の頂上が見えてきます。
08:30 ラウターブルンネン発、09:14 クライネシャイデック(標高2061m)着。
09030 クライネシャイデック発、10:22 ユングフラウヨッホ(標高3454m)着。
クライネシャイデックはせせり発つ氷山を仰ぎ見るところに位置する駅であり、そこから先はほとんどがトンネルになってきます。途中、トンネル内で2回止まり、5分間の停車時間中に近くの展望台から写真をとることができます。だんだん酸素が薄くなるのを体で感じ、長男にも走る・踊る・歌う・笑う・怒る・泣くことはしないように言い聞かせました。これらの行為をして酸素消費量が増えれば、それだけ高山病にかかるリスクも高まります。日本旅行医学会では高山病予防として、ダイアモックスを高所に行く前日から4日間、朝夕に半錠ずつ内服することを推奨しています。しかしダイアモックスは色々と使用上の注意点もあり、長男に飲ませるのは躊躇われました。それなら親の私も一緒に高山病を肌で感じた方が、いち早く長男の危険を察知できると考え、あえてダイアモックスを内服しないことにしました。私と妻は新婚旅行でペルーのクスコに行ったことがあり、同じような標高であるユングフラウヨッホなら大事には至らないと思っていましたが、新陳代謝の激しい7歳の長男は未知数でした。
標高3454メートルのユングフラウヨッホ駅に着き、3571メートルの展望台(スフィンクステラス)まで、高速エレベーターで昇りました。氷点下1℃の屋外に出ると、猛烈な勢いで吹雪が顔に突き刺さってきます。それでもほんの一瞬、周りの山の頂をカメラに収めるチャンスがありました。
長男が空腹を訴えるため、セルフサービスのレストランに入り、パスタ、インド風ベジタブルカレー、パンケーキ、パン2個(合計41CHF)を3人でシェアしました。それから階段を上って氷の宮殿へと向かいましたが、長男がそこで疲れてしまいました。そのため私一人で駆け足で廻りましたが、氷でできた回廊の中に氷の彫像が展示されていました。もう、これ以上の長居は無理そうです。
12:00 ユングフラウヨッホ発、12:50 クライネシャイデック着。
13:33 クライネシャイデック発、14:12 グリンデルワルト(標高1034m)着。
14:49 グリンデルワルト発、15:24 インターラーケン東駅着。
標高2061メートルのクライネシャイデックまで下がれば、高山病の心配もなくなります。帰りは行きと別ルートにして、クライネシャイデックとグリンデルワルトで駅周辺を少しだけ散策しました。グリンデルワルトはのどかな山間の集落で、これぞスイスという景色です。ここのスーパーで、私と妻はビール、長男はアイスクリームを買ってから、列車に乗りました。
帰りはインターラーケン東駅から西駅まで徒歩20分強の道のりを3人で歩き、夕食は近くのスーパーでサンドウィッチなどを買って部屋食で済ませました。
25日はグレーシャーエクスプレス(氷河特急、以下GE)乗車と、ハイジの村、マイエンフェルトの散策です。
ホテルで朝食を済ませ、朝8時にオープンする西駅近くの大きなスーパーでその日の昼食を買い込みました。09:05 発のICでスピーズに向かい、そこで列車を乗りかえ、10:11 ブリーク着。ここから10:38発のGEに乗るのですが、乗車ホームは駅舎を出た外にありました。駅構内のスーパーでビールとアイスを買ってから乗車し、指定席に座ってから乾杯しました。
GEの車内は、天井の一部と骨格を除く上半分がガラス張りになっています。一等車は横に3シートとゆったりしており、乗車率は3~4割でした。車内にはドイツ語、英語、フランス語、イタリア語、中国語、日本語のアナウンスがあり、備え付けのイヤホンで聞くことができます。
10:38、標高671mのブリークから2033mの山を越え、595mのクールまで約4時間、距離にして156Kmの列車の旅が始まりました。険しく高い山と、その一部を削ぎ落としたかのように岩肌がむき出しになった崖。そのふもとには平野が広がり、メルヘンチックで美しい家屋が点在し、ところどころでスイスアルプスの雪解け水を集めた川と併走します。GEの車内で販売されている、傾いたワイングラス(22CHF)は、みやげ物として人気だそうで、私も記念に1脚だけ購入しました。
14:47、クール着。そこで14:55発のローカル線に乗り換えて、15:10 マイエンフェルトに着きました。駅近くにあるスイスハイジホテルにチェックインし、スーツケースを部屋においてから、ハイジの村を散策に出かけました。Heidiweg(ハイジの道)と書かれた赤い看板に従って歩いていくと、途中で右手にspar(スーパー)が見えてきます。ここが19時まで営業しているのを確認し、帰りにここで夕食を買って帰ることにしました。そのままHeidiweg の看板に従って歩いていましたが、途中で曲がり道を見落としてしまい、広大なブドウ畑の間を抜けて山の方へと歩いていきました。正面に Heidihof というホテルが見えてきたところで間違いに気づき、そこから右折してハイジハウス(入場料大人7CHF、子供3CHF)に着きました。ここはオリジナルのハイジの家との触れこみであり、古いスイス風家屋の中には、食堂、ゼペットおじいさんやハイジの部屋、居間、クララの車椅子(?)などが展示されていました。
ここから見える山の景色はとても雄大であり、夕焼けに染まった山を見たハイジが、「山が燃えているわ」と言った心情を理解できる気がします。本当は更に上にあるハイジヒュッテにも興味があったのですが、標高差500mを7歳の長男に歩かせるのは無理と考えて諦めました。同様に、ハイジの泉も遠回りなので諦めました。
帰りは Heidiweg を逆走するルートで山を折り、途中、先程のスーパーで夕食を買って帰りました。パン、ハム、チーズ、新鮮なプチトマト、野菜サラダ、ブルーベリー、そしてビール、1.5Lのミネラルウォーター、スイスワインのボトル2本を買って、39.35CHFでした。このうちワイン1本は土産用です。スーパーで食べ物を買って列車内やホテルで食べる場合、我が家の3人で、一食あたり20~35CHFが目安でした。
26日はリヒテンシュタイン公国の首都ファドゥーツと、世界遺産の教会があるザンクトガレンの観光です。
ホテルで朝食を済ませ、08:08 マイエンフェルト発、08:15 サルガンス着。ここのコインロッカー(6CHF)にスーツケースを預け、08:36 発のバスに乗り、09:08 ファドゥーツ着。このバスもスイスパスで乗車できます。
まずはファドゥーツのインフォメーションで、パスポートにリヒテンシュタイン公国入国のスタンプ(3CHF or 2ユーロ/人)を押してもらいました。私にとっては45カ国目、妻にとっては26カ国目、長男にとっては20カ国目の渡航国です。
近くのカトリック教会に立ち寄った後、子連れの足で25分ほどかけて、丘の上にそびえるファドゥーツ城へと登りました。今でも侯爵が住んでいるため、中には入れませんが、城砦という表現がぴったりな中世の城を間近で眺め、近くの展望台から山間に開けたファドゥーツの町並みを眺めてきました。その後、余った時間で切手博物館(無料)へと行き、古今東西の切手やペーパーナイフなどの展示を見てきました。
10:50 ファドーツ発のバスに乗り、11:21 サルガンス着。駅構内のスーパーでサンドウィッチやビールなどを買い、コインロッカーから荷物を出しました。11:48 サルガンス発の列車内で昼食を摂り、12:36 ザンクトガレン着。ここで再びコインロッカー(8CHF)にスーツケースを預け、市内散策へと出かけました。
まずはテキスタイル博物館(スイスパスで無料)へ。ここは年代順にザンクトガレンで作られたレースや衣類が展示されていましたが、3人ともあまり興味を示しませんでした。
その後、聖ロレンツォ教会に立ち寄ってから、世界遺産の大聖堂へと行きました。金をちりばめた美しい装飾品と壮大な天井画に圧倒され、さすがは世界遺産といったところです。私はこれまで数多くの教会に行っていますが、やはり世界遺産クラスの教会は、素人目にも格が違うのが分かります。
横にある修道院図書館(スイスパスで無料)にも行きましたが、こちらの2階にある図書館は、大聖堂と似た壮麗な内装に無数の古書を収めた空間で、ハリーポッターの通うホグワーツ魔法学院のような景色です。長男は、その一角に安置されたエジプトのミイラが本物の人間の死体だと知り、神妙な顔をしていました。私と妻はエジプトにも行ったことがあるので、慣れてしまっていましたが…。
それから歴史博物館と自然博物館(スイスパスで無料)へと行きました。前者には古い医学に関する展示が多く、古今東西の美術品も広く浅く展示してありました。後者には恐竜の化石や動物の剥製の他、現代アートの展示もありました。
その後、スーパーに立ち寄り、サンドウィッチやパン、ハム、サラダなどを買い、コインロッカーのスーツケースを引き払い、16:48 ザンクトガレン発のICNに乗りました。いつものように車内で夕食を済ませ、17:53 チューリッヒ着。ホテルまでの道に迷ってだいぶ遠回りをしましたが、リマト川の両脇に広がるチューリッヒの美しい町並みを眺めながら、旧市庁舎近くにあるゴールデンズシュベルトホテルまで歩き、チェックインしました。
27日はチューリッヒ市内観光です。
ホテルで朝食を済ませ、市内を流れるリマト側の両岸に立ち並ぶ、旧市庁舎、聖ペーター教会、聖母教会、大聖堂を見て回りました。このうち大聖堂は、地球の歩き方では夏季は9時オープンとなっていますが、実際には10時オープンなので注意する必要があります。いずれも、前日見たザンクトガレンの大聖堂ほどの感動はありませんでした。
スーツケースを取りに、一度ホテルに戻り、10時半にチェックアウト。前日でスイスパスを使い終わっていたため、チューリッヒ中央駅から空港駅までの切符(大人6.4CHF、子供3.2CHF)を自販機で購入しました。空港でチェックイン手続きを済ませ、13:30 発のタイ航空機でスイスを発ちました。
翌28日、05:30 バンコク着。8:15 バンコク発のフライトに乗り、16:10 セントレアに無事到着しました。
ここで今回の旅行で使った費用(3人分)をまとめてみます。
航空券(サーチャージ、空港税込み) 283400円
ホテル 74300円
スイスフレキシーパス 7万円
グレーシャーエクスプレス 99CHF
ユングフラウヨッホまでの切符 284.8CHF
現地で使った食費、みやげ物代などその他の出費 500HFほど。
1CHFを100円で計算すると、51万6080円です。
今だと3人分の燃油サーチャージと空港税だけで15万円はしますから、それを考えると割安感があります。なお、私はすでに来年2月まで毎月分の航空券を発券済なので良いのですが、燃油サーチャージの指標となるシンガポール・ケロシンのチャートを見ると、当面はサーチャージが高止まりしそうで、新たな旅行計画は躊躇われるところです。
最後になりますが、今回私が見たスイスという国は、雄大な山や湖に囲まれた平原、メルヘンチックで均整のとれた美しい街並み、交通マナーもよく親切な人たちが印象に残る、素敵な国でした。
今回の目的地は、妻が「アルプスの少女ハイジの景色を見たい」と言い出したことで決定しました。当初はイタリアとの2カ国周遊プランも考えましたが、スイス国内で立ち寄りたいところが多く、ほぼスイスオンリーのプランにしました。
1月中旬、タイ航空のホームページで夏の航空券が発売開始になった当日に、サブクラスWの航空券を購入しました。大人は74300円、7歳児はその75%。それに燃油サーチャージや空港税が上乗せされ、大人は101050円、3人総額で283400円です。ただしサブクラスQの航空券にすれば、3人で82500円アップする代わりにユナイテッド航空のマイレージプラスに49770マイル貯まったため、お金とマイルを天秤にかけ、そちらでも良かったかもしれません。私はマイレージプラスのマイルがかなり余っていたのと、昨年家を新築したばかりという事情があり、ついつい安くてマイルの貯まらない航空券を買ってしまいました。ただしその後、中東の政情不安により原油価格が高騰したのはご存知のとおりで、燃油サーチャージが安いうちに航空券を購入できたのは良しとします。
1日目 夕方、名古屋発。バンコク経由でチューリッヒへ。
2日目 朝、チューリッヒ着。鉄道でジュネーブへ。ジュネーブ観光後、ベルンへ。
3日目 ベルンとルツェルン観光後、インターラーケンへ。
4日目 インターラーケンからユングフラウヨッホへ日帰り。
5日目 グレーシャーエクスプレス乗車。その後、マイエンフェルトでハイジゆかりの名所散策。
6日目 リヒテンシュタインとザンクトガレン観光後、チューリッヒへ。
7日目 朝、チューリッヒ市内観光。午後、チューリッヒ発。
8日目 朝、バンコク乗り継ぎ。午後、名古屋着。
大まかなスケジュールは上記のとおりで、4日間有効のスイスフレキシーパスを2、3、5、6日目に使用することにしました。4月にRail Europe(http://www.raileurope-japan.com/)で、一等車のセーバーパスが33500円×2人、長男はスイスファミリーカードで無料。それに送料、手数料が上乗せさせて7万円でした。ちなみにスイス国鉄(http://www.sbb.ch/en/home.html)でも購入でき、こちらでは786スイスフラン(以下CHF)でした。夏の観光シーズンに大きなスーツケースをもって子連れで長時間電車に乗るため、座席が広くて空いている(満席になる可能性が極めて低い)一等車にしました。なおスイス国鉄のサイトでは、事前にプラットホームの番号や乗り継ぎ時間、混み具合も検索できるので、乗る予定の電車を一通り調べていくと便利です。
ホテル予約サイトのオクトパストラベルで、ベルン1泊、インターラーケン2泊、マイエンフェルト1泊、チューリッヒ1泊を予約し、3人5泊(すべて3つ星ホテル、朝食付き)で総額73300円でした。
全席指定のグレーシャーエクスプレス(http://www.glacierexpress.ch/de/Pages/default.aspx)も乗車2週間前にネットで予約し、3人で99CHF(1CHF=98.3円)でした。ただしこちらは一度予約すると変更も返金もできません。
ユングフラウ鉄道(http://www.jungfraubahn.ch/)はスイスフレキシーパスの有効期間内であれば25~50% offになりますが、これはスイスパスホルダー、ファミリーカードという条件でのネット購入ができず、現地購入することにしました。
21日、午前中半日の勤務を終えてから帰宅し、家族揃ってセントレアに向かいました。セントレアの両替所でのレートは1CHF=100.95円で、これはスイス国内での両替よりも良いレートでした。
17:15 にセントレアを発ち、21:15バンコク着。バンコクでは一度入国すると出国税(1人700バーツ)を取られるため、空港内で時間をつぶしました。しかし出発の1時間前になって、それまでいた場所と搭乗ゲートが1Kmほど離れていることが判明。眠たくてぐずる長男の両脇を私と妻で支え、宇宙人グレイを連行する感じで移動しました。もう少し早く搭乗ゲートの近くに行っておくべきだったと少し反省しました。
22日、00:30 バンコク発。チューリッヒには定刻よりも1時間早い06:30 に到着しました。入国審査を済ませ、預け入れ荷物を受け取り、空港駅のチケットカウンターでスイスフレキシーパスのヴァリデート(使用開始印を押してもらうこと)を済ませ、07:39発のICN(特急)に余裕を持って乗ることができました。一等車は空席が目立つため、3人で6席キープしてゆっくりと車内で過ごせました。車窓に広がるのは丘陵、平野、湖、そして茶色い屋根に白や黄土色の壁の家々。イギリス、フランス、イタリア、ギリシアの建物は総じて重厚なイメージですが、スイス、ドイツ、ベルギー、北欧ではメルヘンチックなイメージです。
10:46にジュネーブに着き、スーツケースを預けるため駅のコインロッカーへ行きましたが、9CHFをコインで投入する必要があります。10CHF札しか持っていなかったため、1CHFで買える物を探したところ、バナナ1本が1CHFで売られているのをやっと見つけました。スイスは物価高で有名ですが、駅で売られていた惣菜パンの値段を見て、心が折れそうになりました。昼食はマクドナルドでハンバーガー、チーズバーガー、フライドポテトSサイズ各2個ずつ(計17CHF)を3人でシェアしました。ちなみにビッグマックのセットは11.5CHFでした。
その後、徒歩でレマン湖に出て、高さ140メートルの大噴水を見た後、自然史博物館(無料)へと向かいました。ここにはさまざまな生き物の剥製や模型がありましたが、長男は恐竜の骨格模型に興味を示し、夏休みの宿題の絵日記に使うと言っていました。他にも火山の噴火シーンに合わせて床が揺れるなどユニークな展示があり、大人も子供も楽しめる見所満載の博物館でした。ここには2つの頭を持つ、生きた亀がいましたが、私はシャム双生児を思い出して後ずさりしてしまいました。
その後、美術・歴史博物館へと行きました。こちらも入場無料にも関わらず、中世の兵器や鎧や絵画、モネやルノワール、ゴッホ、ピカソら近代画家の絵画、ローマ、エジプト、キプロスの古代美術など見所満載です。それからややさっぱりとした内装のサン・ピエール大聖堂(無料)、国際宗教改革博物館(スイスパスで無料)、ルソーの生家(スイスパスで無料)へと行きましたが、これらはどちらかと言うと期待はずれでした。
以上の見学を終え、駅近くのスーパーで、1500ccのミネラルウォーターと500ccのハイネケンを2本ずつ、ボトルワイン、コーラ缶、ファンタ、サンドウィッチ、パン2つ、300gの惣菜を3種類(アフリカ料理のクスクス、オリーブとチーズのビネガー和え、生ハムのビネガー和え)を買いました。合計で37CHFでしたが、スーパーでの買い物はそれほど割高感を感じません。総じて駅構内のキオスクと外食が高いだけで、スーパーでの値段はそれほどでもなさそうです。
これらを16;45発のIC(特急列車)に持ち込み、車内で酒盛りと夕食を済ませました。18:26に首都ベルンに着き、駅近くにあるメトロポールホテルにチェックインしました。
うちの家族はどこでも酒盛りします(長男はジュースです)。かつて平日に有給休暇を取り、小樽のワインショップで買ったワインを、店のすぐそばで飲んでいたことがあります。ちなみに道向かいにはハローワークがあり、道行く人々は、平日昼間から道端に座って酒盛りをしている家族をどのような目で見ていたのでしょうか? そんな想像も良い酒の肴になりました。
翌23日はルツェルンとベルンの市内観光です。
ホテルでの朝食後、チェックアウトしてホテルにスーツケースを預け、ベルン8時発の列車の乗って9時にルツェルンに着きました。駅を出てすぐ左手に見えるカペル橋(ヨーロッパ最古の屋根つき木橋、1333年完成)を渡りましたが、橋の内部だけ見るとバリ島のリゾートを思い出すような景色です。その後、旧市街を散策し、シュプロイヤー橋(1408年完成の木橋)を渡って元の岸に戻ってきました。華やかで可愛らしい内装のイエズス教会、スイス髄一のゴシック建築とされるフランシスコ教会(イエズス教会と比べると質実剛健)を見学した後、自然博物館と歴史博物館(どちらもスイスパスで無料)をハシゴしました。自然博物館は動物の剥製や化石などを展示しており、歴史博物館では古いスイス庶民のアイテムを展示していました。どうやらスイスで「自然」とつく博物館は、子供にも楽しめる内容になっているようです。
その後、駅近くのスーパーで惣菜やパン、ビールを買い込み、12時ルツェルン発の列車内で昼食を摂りました。13時にベルン駅に着き、世界遺産になっているベルン市街を散策しながら、自然史博物館(スイスパスで無料)へと向かいました。途中、スイスアルプス博物館(スイスパスで無料)とスイス射撃博物館(無料)にも立ち寄りましたが、これらはあまり印象に残りませんでした。
一方、自然史博物館は見所満載です。さまざまな動物の剥製をジオラマで展示していますが、その傍に身長30センチほどのリアルな人形がファンキーなポーズをとっています。長男の笑いのつぼにはまったらしく、笑い転げていました。その他にもヤギの剥製と骨格標本がダンスをしていたり、動物の頭蓋骨を無数に並べたり、美しい女性の裸画に矢印を引き、その部位に寄生する寄生虫を紹介するなど、良くも悪くも印象に残る展示であふれています。
それからベルン歴史博物館(スイスパスで無料)に行きましたが、ここにはアインシュタイン博物館も併設されています。私は高校1年のときに相対性理論に夢中になったことがあり、アインシュタインの生涯を興味深く見学しました。その他にも、エジプト、ローマ、古代キリスト教、アンデス、日本文化など、さまざまな分野に関する広く浅い展示がありました。
その後、大聖堂とメインストリートであるクラム通りを見学し、若き日のアインシュタインが住んだ家も外観だけ見学しました。途中、ホテルでスーツケースを受け取ってベルン駅に向かい、駅地下の書店でワンピース・ドイツ語版の1巻(9.5CHFから3.9CHFに値下げ)を買いました。私は最近ワンピースにはまり、これまでのドラゴンボールに代わって今後はワンピースの各国版を集めたくなったのです。それからスーパーでフライドチキンやパスタ、パン、ビールなどを買い、18:04ベルン発でインターラーケン行きのICに乗りました。一等車の車内で猛烈な勢いで食べ始める日本人家族を見て、検札に来た車掌が苦笑しているようでした。18:52にインターラーケン西駅に着き、駅前のメルキュールホテルにチェックインしました。
24日はトップ・オブ・ヨーロッパ、ユングフラウヨッホへと行く予定です。
ホテルで朝食を摂り、6:40~19:00までオープンしている駅の有人チケット売り場でスイスパスを見せ、ユングフラウヨッホまでのチケットを買いました。この日はフレキシーパスの利用日ではないため、インターラーケン西駅からグリンデルワルト又はヴェンゲルまでのチケットも半額で買う必要があります。この区間の二等車が16.4CHF、そこからユングフラウ頂上駅までが126CHFでした。大人2名で合計284.8CHF、スイスファミリーカードを持っている長男は無料でした。
07:52 インターラーケン西駅発、07:57 インターラーケン東駅(標高567m)着。
08:05 インターラーケン東駅発、08:25 ラウターブルンネン(標高796m)着。
ここまではあまり高低差もありませんが、ここから一気に山の上へと駆け上がり始め、高い氷山の頂上が見えてきます。
08:30 ラウターブルンネン発、09:14 クライネシャイデック(標高2061m)着。
09030 クライネシャイデック発、10:22 ユングフラウヨッホ(標高3454m)着。
クライネシャイデックはせせり発つ氷山を仰ぎ見るところに位置する駅であり、そこから先はほとんどがトンネルになってきます。途中、トンネル内で2回止まり、5分間の停車時間中に近くの展望台から写真をとることができます。だんだん酸素が薄くなるのを体で感じ、長男にも走る・踊る・歌う・笑う・怒る・泣くことはしないように言い聞かせました。これらの行為をして酸素消費量が増えれば、それだけ高山病にかかるリスクも高まります。日本旅行医学会では高山病予防として、ダイアモックスを高所に行く前日から4日間、朝夕に半錠ずつ内服することを推奨しています。しかしダイアモックスは色々と使用上の注意点もあり、長男に飲ませるのは躊躇われました。それなら親の私も一緒に高山病を肌で感じた方が、いち早く長男の危険を察知できると考え、あえてダイアモックスを内服しないことにしました。私と妻は新婚旅行でペルーのクスコに行ったことがあり、同じような標高であるユングフラウヨッホなら大事には至らないと思っていましたが、新陳代謝の激しい7歳の長男は未知数でした。
標高3454メートルのユングフラウヨッホ駅に着き、3571メートルの展望台(スフィンクステラス)まで、高速エレベーターで昇りました。氷点下1℃の屋外に出ると、猛烈な勢いで吹雪が顔に突き刺さってきます。それでもほんの一瞬、周りの山の頂をカメラに収めるチャンスがありました。
長男が空腹を訴えるため、セルフサービスのレストランに入り、パスタ、インド風ベジタブルカレー、パンケーキ、パン2個(合計41CHF)を3人でシェアしました。それから階段を上って氷の宮殿へと向かいましたが、長男がそこで疲れてしまいました。そのため私一人で駆け足で廻りましたが、氷でできた回廊の中に氷の彫像が展示されていました。もう、これ以上の長居は無理そうです。
12:00 ユングフラウヨッホ発、12:50 クライネシャイデック着。
13:33 クライネシャイデック発、14:12 グリンデルワルト(標高1034m)着。
14:49 グリンデルワルト発、15:24 インターラーケン東駅着。
標高2061メートルのクライネシャイデックまで下がれば、高山病の心配もなくなります。帰りは行きと別ルートにして、クライネシャイデックとグリンデルワルトで駅周辺を少しだけ散策しました。グリンデルワルトはのどかな山間の集落で、これぞスイスという景色です。ここのスーパーで、私と妻はビール、長男はアイスクリームを買ってから、列車に乗りました。
帰りはインターラーケン東駅から西駅まで徒歩20分強の道のりを3人で歩き、夕食は近くのスーパーでサンドウィッチなどを買って部屋食で済ませました。
25日はグレーシャーエクスプレス(氷河特急、以下GE)乗車と、ハイジの村、マイエンフェルトの散策です。
ホテルで朝食を済ませ、朝8時にオープンする西駅近くの大きなスーパーでその日の昼食を買い込みました。09:05 発のICでスピーズに向かい、そこで列車を乗りかえ、10:11 ブリーク着。ここから10:38発のGEに乗るのですが、乗車ホームは駅舎を出た外にありました。駅構内のスーパーでビールとアイスを買ってから乗車し、指定席に座ってから乾杯しました。
GEの車内は、天井の一部と骨格を除く上半分がガラス張りになっています。一等車は横に3シートとゆったりしており、乗車率は3~4割でした。車内にはドイツ語、英語、フランス語、イタリア語、中国語、日本語のアナウンスがあり、備え付けのイヤホンで聞くことができます。
10:38、標高671mのブリークから2033mの山を越え、595mのクールまで約4時間、距離にして156Kmの列車の旅が始まりました。険しく高い山と、その一部を削ぎ落としたかのように岩肌がむき出しになった崖。そのふもとには平野が広がり、メルヘンチックで美しい家屋が点在し、ところどころでスイスアルプスの雪解け水を集めた川と併走します。GEの車内で販売されている、傾いたワイングラス(22CHF)は、みやげ物として人気だそうで、私も記念に1脚だけ購入しました。
14:47、クール着。そこで14:55発のローカル線に乗り換えて、15:10 マイエンフェルトに着きました。駅近くにあるスイスハイジホテルにチェックインし、スーツケースを部屋においてから、ハイジの村を散策に出かけました。Heidiweg(ハイジの道)と書かれた赤い看板に従って歩いていくと、途中で右手にspar(スーパー)が見えてきます。ここが19時まで営業しているのを確認し、帰りにここで夕食を買って帰ることにしました。そのままHeidiweg の看板に従って歩いていましたが、途中で曲がり道を見落としてしまい、広大なブドウ畑の間を抜けて山の方へと歩いていきました。正面に Heidihof というホテルが見えてきたところで間違いに気づき、そこから右折してハイジハウス(入場料大人7CHF、子供3CHF)に着きました。ここはオリジナルのハイジの家との触れこみであり、古いスイス風家屋の中には、食堂、ゼペットおじいさんやハイジの部屋、居間、クララの車椅子(?)などが展示されていました。
ここから見える山の景色はとても雄大であり、夕焼けに染まった山を見たハイジが、「山が燃えているわ」と言った心情を理解できる気がします。本当は更に上にあるハイジヒュッテにも興味があったのですが、標高差500mを7歳の長男に歩かせるのは無理と考えて諦めました。同様に、ハイジの泉も遠回りなので諦めました。
帰りは Heidiweg を逆走するルートで山を折り、途中、先程のスーパーで夕食を買って帰りました。パン、ハム、チーズ、新鮮なプチトマト、野菜サラダ、ブルーベリー、そしてビール、1.5Lのミネラルウォーター、スイスワインのボトル2本を買って、39.35CHFでした。このうちワイン1本は土産用です。スーパーで食べ物を買って列車内やホテルで食べる場合、我が家の3人で、一食あたり20~35CHFが目安でした。
26日はリヒテンシュタイン公国の首都ファドゥーツと、世界遺産の教会があるザンクトガレンの観光です。
ホテルで朝食を済ませ、08:08 マイエンフェルト発、08:15 サルガンス着。ここのコインロッカー(6CHF)にスーツケースを預け、08:36 発のバスに乗り、09:08 ファドゥーツ着。このバスもスイスパスで乗車できます。
まずはファドゥーツのインフォメーションで、パスポートにリヒテンシュタイン公国入国のスタンプ(3CHF or 2ユーロ/人)を押してもらいました。私にとっては45カ国目、妻にとっては26カ国目、長男にとっては20カ国目の渡航国です。
近くのカトリック教会に立ち寄った後、子連れの足で25分ほどかけて、丘の上にそびえるファドゥーツ城へと登りました。今でも侯爵が住んでいるため、中には入れませんが、城砦という表現がぴったりな中世の城を間近で眺め、近くの展望台から山間に開けたファドゥーツの町並みを眺めてきました。その後、余った時間で切手博物館(無料)へと行き、古今東西の切手やペーパーナイフなどの展示を見てきました。
10:50 ファドーツ発のバスに乗り、11:21 サルガンス着。駅構内のスーパーでサンドウィッチやビールなどを買い、コインロッカーから荷物を出しました。11:48 サルガンス発の列車内で昼食を摂り、12:36 ザンクトガレン着。ここで再びコインロッカー(8CHF)にスーツケースを預け、市内散策へと出かけました。
まずはテキスタイル博物館(スイスパスで無料)へ。ここは年代順にザンクトガレンで作られたレースや衣類が展示されていましたが、3人ともあまり興味を示しませんでした。
その後、聖ロレンツォ教会に立ち寄ってから、世界遺産の大聖堂へと行きました。金をちりばめた美しい装飾品と壮大な天井画に圧倒され、さすがは世界遺産といったところです。私はこれまで数多くの教会に行っていますが、やはり世界遺産クラスの教会は、素人目にも格が違うのが分かります。
横にある修道院図書館(スイスパスで無料)にも行きましたが、こちらの2階にある図書館は、大聖堂と似た壮麗な内装に無数の古書を収めた空間で、ハリーポッターの通うホグワーツ魔法学院のような景色です。長男は、その一角に安置されたエジプトのミイラが本物の人間の死体だと知り、神妙な顔をしていました。私と妻はエジプトにも行ったことがあるので、慣れてしまっていましたが…。
それから歴史博物館と自然博物館(スイスパスで無料)へと行きました。前者には古い医学に関する展示が多く、古今東西の美術品も広く浅く展示してありました。後者には恐竜の化石や動物の剥製の他、現代アートの展示もありました。
その後、スーパーに立ち寄り、サンドウィッチやパン、ハム、サラダなどを買い、コインロッカーのスーツケースを引き払い、16:48 ザンクトガレン発のICNに乗りました。いつものように車内で夕食を済ませ、17:53 チューリッヒ着。ホテルまでの道に迷ってだいぶ遠回りをしましたが、リマト川の両脇に広がるチューリッヒの美しい町並みを眺めながら、旧市庁舎近くにあるゴールデンズシュベルトホテルまで歩き、チェックインしました。
27日はチューリッヒ市内観光です。
ホテルで朝食を済ませ、市内を流れるリマト側の両岸に立ち並ぶ、旧市庁舎、聖ペーター教会、聖母教会、大聖堂を見て回りました。このうち大聖堂は、地球の歩き方では夏季は9時オープンとなっていますが、実際には10時オープンなので注意する必要があります。いずれも、前日見たザンクトガレンの大聖堂ほどの感動はありませんでした。
スーツケースを取りに、一度ホテルに戻り、10時半にチェックアウト。前日でスイスパスを使い終わっていたため、チューリッヒ中央駅から空港駅までの切符(大人6.4CHF、子供3.2CHF)を自販機で購入しました。空港でチェックイン手続きを済ませ、13:30 発のタイ航空機でスイスを発ちました。
翌28日、05:30 バンコク着。8:15 バンコク発のフライトに乗り、16:10 セントレアに無事到着しました。
ここで今回の旅行で使った費用(3人分)をまとめてみます。
航空券(サーチャージ、空港税込み) 283400円
ホテル 74300円
スイスフレキシーパス 7万円
グレーシャーエクスプレス 99CHF
ユングフラウヨッホまでの切符 284.8CHF
現地で使った食費、みやげ物代などその他の出費 500HFほど。
1CHFを100円で計算すると、51万6080円です。
今だと3人分の燃油サーチャージと空港税だけで15万円はしますから、それを考えると割安感があります。なお、私はすでに来年2月まで毎月分の航空券を発券済なので良いのですが、燃油サーチャージの指標となるシンガポール・ケロシンのチャートを見ると、当面はサーチャージが高止まりしそうで、新たな旅行計画は躊躇われるところです。
最後になりますが、今回私が見たスイスという国は、雄大な山や湖に囲まれた平原、メルヘンチックで均整のとれた美しい街並み、交通マナーもよく親切な人たちが印象に残る、素敵な国でした。
一番じゃなきゃダメです [雑談]
これは以前書いた、一番じゃなきゃダメですか?(http://ryokodo.blog.so-net.ne.jp/2011-02-10)の続編です。
先月発表されたTOP 500(http://ja.wikipedia.org/wiki/TOP500)で、日本のスパコンである京が世界一の座を獲得しました。予算をたくさん使い、アメリカ人労働者(サンマイクロシステムズ製コア)を548352人(個)かき集めて世界一の箱物(マザーコンピューター)を作りました。日本の技術力は世界一で大変誇らしいです、という文部科学省と理化学研究所主導のプロジェクトです。
ちなみに性能あたりのコストパフォーマンスは悪く、京でなければ動かせないソフトがあったわけではなく、文字通り世界一になること自体が目的のプロジェクトです。一応、天候や創薬のシミュレートに使うという建前はありますが・・・。創薬は「鍵と鍵穴」に例えられ、鍵穴(レセプター)に最も合致する鍵(薬)を開発するためには、立体異性体の三次元シミュレートなど膨大な計算が必要になります。それは分かるのですが、世界一のスパコンを様々な用途に使うのであれば、その半分の性能を持つスパコンを2台作ったほうがコストも安く、使い勝手も良いはずです。一番じゃなきゃダメな理由は何でしょう?
そう考えた時、ふとその用途を思いついたので、今回それを紹介したいと思います。それは自分で考えるスパコンです。
最初に、「考える」ことの定義づけをしたいと思いますが、それは「情報の結合と加工」です。
「学びて思わざれば即ち暗し、思いて学ばざれば即ち危うし」とは論語の言葉ですが、思う(考える)ためにはまず学ぶこと(元となる情報の取得)が必要になります。「一を聞いて十を知る」という言葉がありますが、これを行うためには「考える」能力が必須となります。では「一を聞いて十を知る」とはどういうことでしょう? これこそが正に「情報の結合と加工」なのです。
かつて某携帯電話の開発者が「100の機能を持つ携帯電話に101番目の機能をつけるには、従来の100の機能との整合性をすべて検証する必要がある」と言っていました。何だか大変そうな作業ですね。そしてそれを瞬時に行える頭脳の持ち主が、「一を聞いて十を知る」人なのです。厳密に言えば「101を聞いて110を知る」ということであり、101を聞いたときにそれまで持っていた100の知識とのすりあわせを行い、そこから規則性や類似性を見抜き、法則を見出し、それに当てはめることで110という数が存在すると閃く能力なのです。私はかつて2ちゃんねるでその能力を、10年前に新聞で読んだ「あ」という文字と今テレビで見た「ア」という文字から、「A」というアルファベットを思いつく能力、と表現したことがあります。あまり良い例えではありませんが、所詮人間のアイデアなどこれまでの経験で得た複数のデータを加工して得られたものに過ぎず、無から有を生み出したわけではありません。そしてそのような情報の結合と加工こそが「101を聞いて110を知る」ことです。しかしそれは、そのプロセスを知らない周りの人には「一を聞いて十を知る」という能力に見えてしまいます。
私はかつて、日本ルールのナポレオンというトランプゲームソフトを作ったことがあります。プレーヤーはナポレオン軍(ナポレオンと副官)と連合軍(その他)に分かれ、両軍で絵札を取り合うゲームですが、最初にナポレオン立候補者は自軍が何枚以上絵札を取るか宣誓し、その競りに勝った人がナポレオンになります。ナポレオンは副官カードを指定し、そのカードを持っている人が副官になりますが、最初は副官本人以外、誰が副官なのか分かりません。ちょっとした戦略性を持つゲームですが、私が作ったのはそれを5人でプレイし、プレーヤー以外の4人分の思考を人工知能(AI)に任せるというソフトです。
文章を書くことと人工知能プログラムを組むことは、自分の思考を明文化するという作業において同等であり、自分が普段どのような思考回路でナポレオンをプレイしているか気づけば、それをプログラム言語で文章化するだけなので、5日ほどで完成しました。具体的には各人がどのマークを切り札にすれば自分の手持ちカードの価値が最大限になるか計算し、その上で副官カードも含めて自軍の強さを評価し、何枚までならカードを取れるという期待値を求めます。その中で期待値の最も高かった人がナポレオンになるわけです。後は毎回、自軍と分かっている人がカードを取れるように協力するのですが、副官が誰か分かるまでは疑心暗鬼になりますし、副官は自らの立場を欺いて連合軍が優位になるように振舞うこともあります。これもそれらのパラメーターを数値化して、どう振舞うのが最終的な期待値が高いかで決めるだけです。学習機能をつけてそれらのパラメーターを変動させるようにすれば、ちょっとした学習機能付き人工知能のできあがりです(もっとも5日間のプログラムで学習機能まではつけられませんでしたが、あと10日あればある程度の幅でその機能をつけられると思います。面倒なのでやりませんが…)。ただし、これらはあくまでノイマン型コンピューターでの話であり、今回の話はこれよりも複雑になります。
以前にも書いたように、私は1989年、意識という高性能なメインCPUを無意識という無数の低機能なサブCPUが取り囲むことで最高のスパコンができると考えましたが、神経内科専門医としての知見を元にそれを訂正したいと思います。意識と無意識はその思考に費やすエネルギー量の差でしかなく、そこに明確な境界線はありません。人間の脳には意識というメインCPUは存在しないのです。
では現在の私が考えた、思考するスパコン(人工知能)とはどんなものなのかを説明しましょう。と言っても厳密には私が考えたものではなく、万物の創造主である神が考えたものです。私はその偉大な英知のごく一部を拝借しているにすぎません。
最初の前提として、デジタルとアナログの違いについて説明します。デジタルとは1,2,3,4という飛び値によって表現されたデータ情報であり、それが無数に集まることによってシームレスのアナログデータになります。パソコンはデジタルデータ、人間の脳はアナログデータを扱うのですが、もちろん後者のほうが遥かに高度な性能を要します。そしてパソコンと人間の間には埋めがたい溝があり、パソコンと人間がデータをやり取りするには、どちらかがもう片方に歩み寄る必要があります。かつてパソコンが低機能だったCP/MやMS-DOSの時代には、人間がコマンドを覚えてコンピューターの側に歩み寄る必要がありました。しかしウィンドウズの時代になり、パソコンの側がこれまでより遥かに膨大な処理をすることによって人間の感性に歩み寄り、誰でも気軽に使えるパソコンが生まれたのです。
脳梗塞という疾患があります。病態としては、脳の血管が詰まることによってそこから血流を受けていた脳細胞が死滅し、その機能が失われるというものです。しかし死滅する脳細胞の部位によって右片麻痺、左片麻痺、失語、半盲、半側空間無視、記憶障害、失調など様々な症状が現れ、医学を知らない人にはまったく別の疾患に見えることでしょう。万物の創造主である神が、なぜ人間の脳にこのような非汎用的な機能特異性を与えたのか、愚かな私には理解できませんが、それでもこれが一番良い方法なのだろうということは何となく理解できます。
そして人間の腱反射は、そのレベルの脊髄が傷害されれば低下しますが、それより上位の脊髄や脳が傷害されれば亢進します。
これらを元に、京を用いた人工知能について考えて行きたいと思います。
まず京が持つ548352個のCPUのうち約1割、5万個のCPUに単一概念にのみ反応する特異性を与えます。比較的頭の良い小学6年生の知っている語彙は1万個と聞いたことがあるので、 5万個あればさほど不足はないでしょう。
ここではそれらのうち、起動戦士ガンダムに出てくるシャア少佐に関する事項にのみ反応するCPUを、シャア専用CPUと名づけます。このシャア専用CPUは、「赤」「ザク」「3倍」「坊やだからさ」「アムロ」などシャアに関連した情報にのみ反応し、新しく入力される外部情報に対して自分が反応する機会を虎視眈々とうかがっています。この時、関連した情報(時にはアナログデータ)にCPUが反応するために、個々のCPUにはそれなりのパワーが要求されます。
シャアに関係する情報が入力されたときにシャア専用CPUは反応しますが、その際にシャアとの関連の濃さ(関連係数)を求め、それを上位CPU(人間の脳神経系に例えると上位中枢に当たり、下位中枢の興奮を抑制する系として作用)に送ります。上位CPUは、入力情報に対して同時に反応した他の概念専用CPUにもシャア専用CPUが反応したことを知らせますが、関連係数が高い場合は関連係数が低い他の専用CPUにも幅広く情報を送る反面、関連係数が低い場合は関連係数が高いごく少数の専用CPUにのみ情報を送ります。そしてそれらのCPU同士が行うやり取りの中で新しい知見が生まれなかった場合、シャア専用CPU全体の関連係数が低くなっていきます。これが人間の脳で言う「忘れる」という機能であり、これによってCPU間の情報のやり取りが無尽蔵に増えるのを抑制します。この機能がないと、てんかん発作(脳細胞の過剰な電気放電)というか、コンピューターの暴走に陥るリスクが高まります。そしてこの「関連係数が高く、他の多くの専用CPUに自分が反応したことを知らせる状態」が意識にのぼるという状態であり、「関連係数が低く、ごく少数のCPUにのみ情報を送る状態」が無意識なのです。
さて、ここで「新しいクレジットカードを考案する」という課題をこの人工知能スパコンに与えてみましょう。これに対して、シャア専用CPUは当然シャアをモチーフにしたカードを考案するわけですが、その際にシャアの絵柄、3倍、赤というキーワードを発します。これらのキーワードが他のCPUに送られることによって、クレジットカードのポイント専用CPUや3という数字専用CPUから高い反応があり、3倍の速度でポイントが貯まるというアイデアが生まれます。この時、このアイデアは関連係数の高い情報として数多くのCPUに流され、人工知能の「意識にのぼる」状態になります。こうして、シャア専用カードという新しいアイデアが生まれ、場合によってはシャア専用カードに対して専用のCPUが新たに割り振られます(ちなみにこのカードは実在しました)。
なお成人した人間の場合、五感に占める視覚情報処理の割合が8割を超えるそうです。ですから人工知能スパコンでも、視覚情報の解析(視覚中枢)に最も多くのCPUパワーが割かれることが予測されます。それらの五感専用CPUや情報伝達を抑制する上位CPU、アウトプット用の情報を加工するCPU(言語中枢)のことも考えた場合、単一概念にのみ反応する特異的CPUの数は全体の1割程度ではないかと予測しました。
以上が、京が世界一のスパコンの座を獲得したというニュースを聞いて、私が考えたことです。自分でも細部を煮詰められていない感はあるのですが、私にはこれが限界でした。
さて、ムーアの法則というものがあります。コンピューターの性能は1年半で倍増するというものであり、これに従えば15年でコンピューターの性能は1024倍に、そして20年で約1万倍になります。そうなると今から20年後の2031年には京の1万倍の性能を持つスパコンが生まれるでしょうし、その時には「2001年宇宙の旅」に出てきたHAL 9000のような、人間が言葉で説明すればチェスのルールを理解し、対戦するうちに人間よりも強くなるというスパコンが誕生しているかもしれませんね。
一番じゃなきゃダメですか?
実はこの地上で最も高性能なスパコンは人間の頭脳ですが、神が創ったその最高傑作の片鱗を真似るなら、人間が作った中で一番のスパコンじゃなきゃダメです。しかし逆にそれ以外の用途なら、世界一じゃなくても良い気がします。
先月発表されたTOP 500(http://ja.wikipedia.org/wiki/TOP500)で、日本のスパコンである京が世界一の座を獲得しました。予算をたくさん使い、アメリカ人労働者(サンマイクロシステムズ製コア)を548352人(個)かき集めて世界一の箱物(マザーコンピューター)を作りました。日本の技術力は世界一で大変誇らしいです、という文部科学省と理化学研究所主導のプロジェクトです。
ちなみに性能あたりのコストパフォーマンスは悪く、京でなければ動かせないソフトがあったわけではなく、文字通り世界一になること自体が目的のプロジェクトです。一応、天候や創薬のシミュレートに使うという建前はありますが・・・。創薬は「鍵と鍵穴」に例えられ、鍵穴(レセプター)に最も合致する鍵(薬)を開発するためには、立体異性体の三次元シミュレートなど膨大な計算が必要になります。それは分かるのですが、世界一のスパコンを様々な用途に使うのであれば、その半分の性能を持つスパコンを2台作ったほうがコストも安く、使い勝手も良いはずです。一番じゃなきゃダメな理由は何でしょう?
そう考えた時、ふとその用途を思いついたので、今回それを紹介したいと思います。それは自分で考えるスパコンです。
最初に、「考える」ことの定義づけをしたいと思いますが、それは「情報の結合と加工」です。
「学びて思わざれば即ち暗し、思いて学ばざれば即ち危うし」とは論語の言葉ですが、思う(考える)ためにはまず学ぶこと(元となる情報の取得)が必要になります。「一を聞いて十を知る」という言葉がありますが、これを行うためには「考える」能力が必須となります。では「一を聞いて十を知る」とはどういうことでしょう? これこそが正に「情報の結合と加工」なのです。
かつて某携帯電話の開発者が「100の機能を持つ携帯電話に101番目の機能をつけるには、従来の100の機能との整合性をすべて検証する必要がある」と言っていました。何だか大変そうな作業ですね。そしてそれを瞬時に行える頭脳の持ち主が、「一を聞いて十を知る」人なのです。厳密に言えば「101を聞いて110を知る」ということであり、101を聞いたときにそれまで持っていた100の知識とのすりあわせを行い、そこから規則性や類似性を見抜き、法則を見出し、それに当てはめることで110という数が存在すると閃く能力なのです。私はかつて2ちゃんねるでその能力を、10年前に新聞で読んだ「あ」という文字と今テレビで見た「ア」という文字から、「A」というアルファベットを思いつく能力、と表現したことがあります。あまり良い例えではありませんが、所詮人間のアイデアなどこれまでの経験で得た複数のデータを加工して得られたものに過ぎず、無から有を生み出したわけではありません。そしてそのような情報の結合と加工こそが「101を聞いて110を知る」ことです。しかしそれは、そのプロセスを知らない周りの人には「一を聞いて十を知る」という能力に見えてしまいます。
私はかつて、日本ルールのナポレオンというトランプゲームソフトを作ったことがあります。プレーヤーはナポレオン軍(ナポレオンと副官)と連合軍(その他)に分かれ、両軍で絵札を取り合うゲームですが、最初にナポレオン立候補者は自軍が何枚以上絵札を取るか宣誓し、その競りに勝った人がナポレオンになります。ナポレオンは副官カードを指定し、そのカードを持っている人が副官になりますが、最初は副官本人以外、誰が副官なのか分かりません。ちょっとした戦略性を持つゲームですが、私が作ったのはそれを5人でプレイし、プレーヤー以外の4人分の思考を人工知能(AI)に任せるというソフトです。
文章を書くことと人工知能プログラムを組むことは、自分の思考を明文化するという作業において同等であり、自分が普段どのような思考回路でナポレオンをプレイしているか気づけば、それをプログラム言語で文章化するだけなので、5日ほどで完成しました。具体的には各人がどのマークを切り札にすれば自分の手持ちカードの価値が最大限になるか計算し、その上で副官カードも含めて自軍の強さを評価し、何枚までならカードを取れるという期待値を求めます。その中で期待値の最も高かった人がナポレオンになるわけです。後は毎回、自軍と分かっている人がカードを取れるように協力するのですが、副官が誰か分かるまでは疑心暗鬼になりますし、副官は自らの立場を欺いて連合軍が優位になるように振舞うこともあります。これもそれらのパラメーターを数値化して、どう振舞うのが最終的な期待値が高いかで決めるだけです。学習機能をつけてそれらのパラメーターを変動させるようにすれば、ちょっとした学習機能付き人工知能のできあがりです(もっとも5日間のプログラムで学習機能まではつけられませんでしたが、あと10日あればある程度の幅でその機能をつけられると思います。面倒なのでやりませんが…)。ただし、これらはあくまでノイマン型コンピューターでの話であり、今回の話はこれよりも複雑になります。
以前にも書いたように、私は1989年、意識という高性能なメインCPUを無意識という無数の低機能なサブCPUが取り囲むことで最高のスパコンができると考えましたが、神経内科専門医としての知見を元にそれを訂正したいと思います。意識と無意識はその思考に費やすエネルギー量の差でしかなく、そこに明確な境界線はありません。人間の脳には意識というメインCPUは存在しないのです。
では現在の私が考えた、思考するスパコン(人工知能)とはどんなものなのかを説明しましょう。と言っても厳密には私が考えたものではなく、万物の創造主である神が考えたものです。私はその偉大な英知のごく一部を拝借しているにすぎません。
最初の前提として、デジタルとアナログの違いについて説明します。デジタルとは1,2,3,4という飛び値によって表現されたデータ情報であり、それが無数に集まることによってシームレスのアナログデータになります。パソコンはデジタルデータ、人間の脳はアナログデータを扱うのですが、もちろん後者のほうが遥かに高度な性能を要します。そしてパソコンと人間の間には埋めがたい溝があり、パソコンと人間がデータをやり取りするには、どちらかがもう片方に歩み寄る必要があります。かつてパソコンが低機能だったCP/MやMS-DOSの時代には、人間がコマンドを覚えてコンピューターの側に歩み寄る必要がありました。しかしウィンドウズの時代になり、パソコンの側がこれまでより遥かに膨大な処理をすることによって人間の感性に歩み寄り、誰でも気軽に使えるパソコンが生まれたのです。
脳梗塞という疾患があります。病態としては、脳の血管が詰まることによってそこから血流を受けていた脳細胞が死滅し、その機能が失われるというものです。しかし死滅する脳細胞の部位によって右片麻痺、左片麻痺、失語、半盲、半側空間無視、記憶障害、失調など様々な症状が現れ、医学を知らない人にはまったく別の疾患に見えることでしょう。万物の創造主である神が、なぜ人間の脳にこのような非汎用的な機能特異性を与えたのか、愚かな私には理解できませんが、それでもこれが一番良い方法なのだろうということは何となく理解できます。
そして人間の腱反射は、そのレベルの脊髄が傷害されれば低下しますが、それより上位の脊髄や脳が傷害されれば亢進します。
これらを元に、京を用いた人工知能について考えて行きたいと思います。
まず京が持つ548352個のCPUのうち約1割、5万個のCPUに単一概念にのみ反応する特異性を与えます。比較的頭の良い小学6年生の知っている語彙は1万個と聞いたことがあるので、 5万個あればさほど不足はないでしょう。
ここではそれらのうち、起動戦士ガンダムに出てくるシャア少佐に関する事項にのみ反応するCPUを、シャア専用CPUと名づけます。このシャア専用CPUは、「赤」「ザク」「3倍」「坊やだからさ」「アムロ」などシャアに関連した情報にのみ反応し、新しく入力される外部情報に対して自分が反応する機会を虎視眈々とうかがっています。この時、関連した情報(時にはアナログデータ)にCPUが反応するために、個々のCPUにはそれなりのパワーが要求されます。
シャアに関係する情報が入力されたときにシャア専用CPUは反応しますが、その際にシャアとの関連の濃さ(関連係数)を求め、それを上位CPU(人間の脳神経系に例えると上位中枢に当たり、下位中枢の興奮を抑制する系として作用)に送ります。上位CPUは、入力情報に対して同時に反応した他の概念専用CPUにもシャア専用CPUが反応したことを知らせますが、関連係数が高い場合は関連係数が低い他の専用CPUにも幅広く情報を送る反面、関連係数が低い場合は関連係数が高いごく少数の専用CPUにのみ情報を送ります。そしてそれらのCPU同士が行うやり取りの中で新しい知見が生まれなかった場合、シャア専用CPU全体の関連係数が低くなっていきます。これが人間の脳で言う「忘れる」という機能であり、これによってCPU間の情報のやり取りが無尽蔵に増えるのを抑制します。この機能がないと、てんかん発作(脳細胞の過剰な電気放電)というか、コンピューターの暴走に陥るリスクが高まります。そしてこの「関連係数が高く、他の多くの専用CPUに自分が反応したことを知らせる状態」が意識にのぼるという状態であり、「関連係数が低く、ごく少数のCPUにのみ情報を送る状態」が無意識なのです。
さて、ここで「新しいクレジットカードを考案する」という課題をこの人工知能スパコンに与えてみましょう。これに対して、シャア専用CPUは当然シャアをモチーフにしたカードを考案するわけですが、その際にシャアの絵柄、3倍、赤というキーワードを発します。これらのキーワードが他のCPUに送られることによって、クレジットカードのポイント専用CPUや3という数字専用CPUから高い反応があり、3倍の速度でポイントが貯まるというアイデアが生まれます。この時、このアイデアは関連係数の高い情報として数多くのCPUに流され、人工知能の「意識にのぼる」状態になります。こうして、シャア専用カードという新しいアイデアが生まれ、場合によってはシャア専用カードに対して専用のCPUが新たに割り振られます(ちなみにこのカードは実在しました)。
なお成人した人間の場合、五感に占める視覚情報処理の割合が8割を超えるそうです。ですから人工知能スパコンでも、視覚情報の解析(視覚中枢)に最も多くのCPUパワーが割かれることが予測されます。それらの五感専用CPUや情報伝達を抑制する上位CPU、アウトプット用の情報を加工するCPU(言語中枢)のことも考えた場合、単一概念にのみ反応する特異的CPUの数は全体の1割程度ではないかと予測しました。
以上が、京が世界一のスパコンの座を獲得したというニュースを聞いて、私が考えたことです。自分でも細部を煮詰められていない感はあるのですが、私にはこれが限界でした。
さて、ムーアの法則というものがあります。コンピューターの性能は1年半で倍増するというものであり、これに従えば15年でコンピューターの性能は1024倍に、そして20年で約1万倍になります。そうなると今から20年後の2031年には京の1万倍の性能を持つスパコンが生まれるでしょうし、その時には「2001年宇宙の旅」に出てきたHAL 9000のような、人間が言葉で説明すればチェスのルールを理解し、対戦するうちに人間よりも強くなるというスパコンが誕生しているかもしれませんね。
一番じゃなきゃダメですか?
実はこの地上で最も高性能なスパコンは人間の頭脳ですが、神が創ったその最高傑作の片鱗を真似るなら、人間が作った中で一番のスパコンじゃなきゃダメです。しかし逆にそれ以外の用途なら、世界一じゃなくても良い気がします。
パラオ旅行記(11年6月) [海外旅行記]
昨年の春先、ワンパスJCBグアムゴールドカードが、一定の条件をクリアすると1万マイルプレゼントという入会キャンペーンをしていました。これにあと15000マイル上乗せすればコンチネンタル航空でパラオに行けるため、私にとって43カ国目の渡航先となる今回のパラオ旅行を視野に入れ、入会しました。必要マイルは昨年の秋に貯まり、ユナイテッド航空とコンチネンタル航空合併後のマイレージルール変更が未知数であったため、すぐに航空券を発券しました。マイルを貯める第一歩は、出口戦略を定め、特典航空券への最短距離を見つけ出す情報戦、知能戦から始まると思っています。
今回、パラオダイバーズネット(http://www.palaudivers.net/mt/)で、VIPゲストホテル(市街地の格安ホテル、素泊まり55ドル)を3泊、往復の送迎(合計30ドル)、ジェリーフィッシュレイクツアー(84.6ドル)を申し込みました。
なお今回の旅行のためにエグゼモードのアウトレット防水デジカメ(4000円)を購入し、持って行きました。最近の安い工業製品は中国で作られ、品質チェックも不十分なものが多々あります。その中で初期不良品を修理したものや展示品がアウトレットとして売られているため、初期不良チェックが済んでいる分、新品よりもアウトレットの方が信頼性が高いと密かに思っています。
17日朝、セントレアでグアム経由パラオ行きのチェックインを行い、プライオリティパス(楽天プレミアムカードのおまけ)でスターアライアンスビジネスクラスラウンジに入りました。今回はコンチネンタル航空のエコノミークラスを利用しますが、機内でのアルコール類が有料になっています。そのためラウンジでのアルコールサービスが、普段よりも有難く思えました。
11時40分にセントレアを発ち、16時10分にグアム着。グアムでは乗り換えの場合でも一度入国審査をしないといけないため、その行列で40分ほど時間を取られました。再びプライオリティパスでコンチネンタル航空のビジネスクラスラウンジに入り、ワインとフルーツ、おにぎりで小腹を満たしました。
18時50分にグアムを発ち、19時50分にパラオ着。グラムとパラオの間には時差があるため、約2時間のフライトです。ホテルへの送迎は同じフライトの人と混乗で、いつも真っ先に入国審査を通り抜ける私は20分ほど待たされました。
6月はパラオの雨季にあたります。スコールのような激しい雨が降る暗い夜道を走りましたが、南国の発展途上国風の景色は、何となく東南アジアの国々を思い出させます。21時前にホテルに着き、部屋に荷物を置いてから、近くのスーパーまでミネラルウォーターの調達に出かけました。熱中症予防のため、南国では水の調達は最優先事項です。ほんの短い距離でしたが、風雨にさらされてリュックとズボンが水浸しになってしまいました。これに懲りて、翌日からは短パンで過ごしました。
18日朝、地球の歩き方リゾートに載っていた、ホテル近くの「ふるさとレストラン」に向かいましたが、地図の場所にはありません。廃業したのでしょうか? やむを得ず、近くのスーパーで惣菜パンとりんごジュースを買って帰り、朝食にしました。
この日はジェリーフィッシュレイクツアーに申し込んでいます。8時45分に迎えのバスが来て、桟橋へと送ってくれました。総勢20人ほどのツアー船に乗り、まずはミルキーウェイへ。ここの海底にある白泥は美白効果に優れているそうで、ガイドが素潜りで取ってきてくれた白泥をみんなで体中に塗って真っ白になります。その後、船から海に飛び込んで泥を洗い流し、しばらく泳いでから次のスポットへ。
そこではカヤックという小型船で1時間半のクルージングを楽しみます。私が申し込んだツアーには含まれていなかったのですが、10ドルの追加料金で参加できると言われ、せっかくなので申し込みました。オールは一本しかありませんが、ボートを漕いだ経験があれば違和感なく乗ることができます。海底にはさんご礁、周りには木々に覆われた島があり、美しい景色の中でいい運動になりました。ただし日焼け止めは必須です。
その後、別の島に立ち寄り、日本風の弁当の昼食を摂りました。ちなみにパラオはかつて日本が統治していたため、今でも多くの日本語がそのままパラオ語になっています。弁当はパラオ語でもベントー、大統領はダイトウリョー、電柱はデンシンバシラ、ブラジャーはチチバンド、男性の下着はサルマタといった具合です。ただしいよいよ敗戦の濃い最終決戦の時に、地元民を安全な島に逃がし、日本兵だけで米軍と戦ったというエピソードもあり、パラオは親日国です。というか、中国や朝鮮半島のように歴史捏造さえしなければ、大日本帝国に統治された国が日本を毛嫌いするケースを私は寡聞にして知りません。大日本帝国の統治は、基本的に武士の統治です。威張っていても、情けがあり、民度も高く、約束はきちんと守りました。(ただし現在でも、東南アジアに出向した日本人社員が現地社員に尊大な態度をとり、顰蹙を買うことは多いそうです)
昼食後、同じ場所でシュノーケルを楽しんでから、ツアー名にもなっているジェリーフィッシュレイクへと向かいました。日本語に訳すと「クラゲの湖」ですが、ここにいるタコクラゲは外敵がいないためか弱毒性に進化し、触っても大丈夫です。ここに行くには、ツアー代金のほかに政府発行の入場許可証(35ドル)を購入しなければなりませんが、クラゲと戯れるという他ではできない経験ができます。船を下り、5分ほどの険しい山道を通った先にある湖に、シュノーケルセットをつけて入り、沖合いに進んでいくと、無数のタコクラゲと遭遇します。水の透明度が高くないのが難点ですが、柔らかく弾力のあるクラゲに触り放題でした。
その後、場所を移動して小魚の沢山いるポイントでシュノーケルをして、元の桟橋に戻ってきたのは16時過ぎでした。そこでカヤックの追加料金を払い、帰りはパラオで最高級リゾートとされるパラオパシフィックリゾート(PPR)まで送ってもらいました。PPRのプールとビーチは、宿泊客以外でも25ドル払えば利用できるそうで、こちらを利用し、パラワンダンスのディナーショーにも立ち寄ろうと思ったのです。しかし何の変哲もないプールが一つだけで、空は曇り、風が強くてビーチには高い波が押し寄せていたため、こちらで泳ぐのは止めました。19時からのパラワンダンスショーにあわせて18時前にビーチ沿いのココナッツテラスレストランに入りました。ここには38ドルのビュッフェもありますが、そこまで空腹ではなかったので、アラカルトでパラオ風チキン(19ドル)、本日の刺身、タロイモのスープ、コーヒー(合計15ドル)を頼みました。本日の刺身は、ずばりマグロ。ワサビ醤油で食べる純和風料理です。タロイモのスープとパラオ風チキンは、東南アジアでも出てきそうな料理でした。タロイモのスープは美味でしたが、パラオ風チキンはパサパサしていて今ひとつでした。
19時からパラワンダンスのショーが始まりましたが、南国風の音楽に合わせて、白い腰みのを着けた6人の女性ダンサーがあまり統一感もなく雑に踊っており、世界各地で民族舞踊を見てきた私には少し残念に思えました。ショーの時間も30分との触れ込みでしたが、15分弱で終わりました。ショーの後は19:43のBBIバス(1週間乗り放題で7ドル)に乗り、20:43にホテル前に着きました。ちなみに、BBIバスの時刻表は先月から変更(減便)になっています。
19日、朝8時に起きて、近くのコンビニでフライドチキンとパンを買って朝食にしました。前日はパラオの海と自然、リゾートを満喫しましたが、この日は町歩きをしてゆっくりと過ごすつもりです。
朝9時に出発して、まずはパラオ国際さんご礁センター(7ドル)へ。さんご礁で彩られた水槽を南国の小魚が泳いでいましたが、日本の水族館でもよく見かける展示なので、私にとっては見慣れた風景でした。
その後、ペラウナショナルミュージアムという博物館へと向かいましたが、地球の歩き方リゾートの情報と異なり、土日は休館でした。仕方なく、かつてパラオで酋長の集会所や学校として用いられたバイと呼ばれる三角屋根の家屋の写真だけ撮って、次の目的地パラオプランテーションリゾートへ。
ここは山間にある、ジャングルを切り開いて作ったようなテイストのホテルです。ジャングルに囲まれたプールは、ビーチサイドのプールとはまた違った趣がありました。レストランも覗きましたが、要予約のコースメニューばかりであったため、昼食を摂りに市街地へと戻りました。
しかし市街地にもレストランは少なく、地球の歩き方リゾートに載っていた居酒屋さくらはなくなっていました。私は伝統的なパラオ料理を食べたかったのですが、インド料理、韓国料理、ハンバーガーの店しかありません。結局、WCTCショッピングセンター内のスーパーでベントー(3ドル)とパラオの地ビール(1.5ドル)を買って帰りました。このベントーは、ご飯の上に豚肉、芋、オクラ、ナス、ゴーヤの炒め物をぶっかけたものですが、このようにご飯の上におかずをぶっ掛ける食習慣は、沖縄や東南アジアで見られるものです。日本本土やアメリカから持ち込まれたものではない、パラオのローカル料理なのでしょう。
午前中で市街散策が終わってしまったこともあり、午後はホテルの部屋で休んでいました。夕方、再びWCTCショッピングセンターに行き、2階のデパートを覗きました。パラオの伝統工芸品から衣類、家電まで幅広い品揃えであり、ここで売られていた液晶テレビは26~32インチのものが主流でした。お店で売られている液晶テレビのサイズを見れば、その国の経済水準がおよそ分かります。
1階のスーパーで昼とは違う種類の地ビールを買い、午前中に見つけていたアサヒフィールド西隣のモグモグというレストランに向かいました。ここでパラオ料理の盛り合わせを食べる予定でしたが、残念ながら閉店でした。ディナーは17時半からオープンとのことで、休業日の記載はなかったのですが・・・
やむを得ず、ホテル近くのコンビニでチキンバーガー(4.5ドル)と惣菜パン(1.2ドル)を買って帰り、部屋食で済ませました。
その後もホテルでゆっくりと休み、20日午前0時半に来た空港への送迎バスに乗り込みました。チェックインを済ませ、定刻より早い2時20分にパラオ発。グアム到着後は真っ先に入国審査と保安検査を済ませ、プライオリティパスでコンチネンタル航空ビジネスクラスラウンジに入りました。7:50発のフライトだったので、居眠りしても大丈夫なように腕時計と携帯のアラームをグアム時間の7:10にあわせてから、ワインや軽食を摂って休みました。グアムを定刻に発ち、10:20にセントレアに着きました。
来月は家族3人でスイス周遊旅行に出かける予定です。
今回、パラオダイバーズネット(http://www.palaudivers.net/mt/)で、VIPゲストホテル(市街地の格安ホテル、素泊まり55ドル)を3泊、往復の送迎(合計30ドル)、ジェリーフィッシュレイクツアー(84.6ドル)を申し込みました。
なお今回の旅行のためにエグゼモードのアウトレット防水デジカメ(4000円)を購入し、持って行きました。最近の安い工業製品は中国で作られ、品質チェックも不十分なものが多々あります。その中で初期不良品を修理したものや展示品がアウトレットとして売られているため、初期不良チェックが済んでいる分、新品よりもアウトレットの方が信頼性が高いと密かに思っています。
17日朝、セントレアでグアム経由パラオ行きのチェックインを行い、プライオリティパス(楽天プレミアムカードのおまけ)でスターアライアンスビジネスクラスラウンジに入りました。今回はコンチネンタル航空のエコノミークラスを利用しますが、機内でのアルコール類が有料になっています。そのためラウンジでのアルコールサービスが、普段よりも有難く思えました。
11時40分にセントレアを発ち、16時10分にグアム着。グアムでは乗り換えの場合でも一度入国審査をしないといけないため、その行列で40分ほど時間を取られました。再びプライオリティパスでコンチネンタル航空のビジネスクラスラウンジに入り、ワインとフルーツ、おにぎりで小腹を満たしました。
18時50分にグアムを発ち、19時50分にパラオ着。グラムとパラオの間には時差があるため、約2時間のフライトです。ホテルへの送迎は同じフライトの人と混乗で、いつも真っ先に入国審査を通り抜ける私は20分ほど待たされました。
6月はパラオの雨季にあたります。スコールのような激しい雨が降る暗い夜道を走りましたが、南国の発展途上国風の景色は、何となく東南アジアの国々を思い出させます。21時前にホテルに着き、部屋に荷物を置いてから、近くのスーパーまでミネラルウォーターの調達に出かけました。熱中症予防のため、南国では水の調達は最優先事項です。ほんの短い距離でしたが、風雨にさらされてリュックとズボンが水浸しになってしまいました。これに懲りて、翌日からは短パンで過ごしました。
18日朝、地球の歩き方リゾートに載っていた、ホテル近くの「ふるさとレストラン」に向かいましたが、地図の場所にはありません。廃業したのでしょうか? やむを得ず、近くのスーパーで惣菜パンとりんごジュースを買って帰り、朝食にしました。
この日はジェリーフィッシュレイクツアーに申し込んでいます。8時45分に迎えのバスが来て、桟橋へと送ってくれました。総勢20人ほどのツアー船に乗り、まずはミルキーウェイへ。ここの海底にある白泥は美白効果に優れているそうで、ガイドが素潜りで取ってきてくれた白泥をみんなで体中に塗って真っ白になります。その後、船から海に飛び込んで泥を洗い流し、しばらく泳いでから次のスポットへ。
そこではカヤックという小型船で1時間半のクルージングを楽しみます。私が申し込んだツアーには含まれていなかったのですが、10ドルの追加料金で参加できると言われ、せっかくなので申し込みました。オールは一本しかありませんが、ボートを漕いだ経験があれば違和感なく乗ることができます。海底にはさんご礁、周りには木々に覆われた島があり、美しい景色の中でいい運動になりました。ただし日焼け止めは必須です。
その後、別の島に立ち寄り、日本風の弁当の昼食を摂りました。ちなみにパラオはかつて日本が統治していたため、今でも多くの日本語がそのままパラオ語になっています。弁当はパラオ語でもベントー、大統領はダイトウリョー、電柱はデンシンバシラ、ブラジャーはチチバンド、男性の下着はサルマタといった具合です。ただしいよいよ敗戦の濃い最終決戦の時に、地元民を安全な島に逃がし、日本兵だけで米軍と戦ったというエピソードもあり、パラオは親日国です。というか、中国や朝鮮半島のように歴史捏造さえしなければ、大日本帝国に統治された国が日本を毛嫌いするケースを私は寡聞にして知りません。大日本帝国の統治は、基本的に武士の統治です。威張っていても、情けがあり、民度も高く、約束はきちんと守りました。(ただし現在でも、東南アジアに出向した日本人社員が現地社員に尊大な態度をとり、顰蹙を買うことは多いそうです)
昼食後、同じ場所でシュノーケルを楽しんでから、ツアー名にもなっているジェリーフィッシュレイクへと向かいました。日本語に訳すと「クラゲの湖」ですが、ここにいるタコクラゲは外敵がいないためか弱毒性に進化し、触っても大丈夫です。ここに行くには、ツアー代金のほかに政府発行の入場許可証(35ドル)を購入しなければなりませんが、クラゲと戯れるという他ではできない経験ができます。船を下り、5分ほどの険しい山道を通った先にある湖に、シュノーケルセットをつけて入り、沖合いに進んでいくと、無数のタコクラゲと遭遇します。水の透明度が高くないのが難点ですが、柔らかく弾力のあるクラゲに触り放題でした。
その後、場所を移動して小魚の沢山いるポイントでシュノーケルをして、元の桟橋に戻ってきたのは16時過ぎでした。そこでカヤックの追加料金を払い、帰りはパラオで最高級リゾートとされるパラオパシフィックリゾート(PPR)まで送ってもらいました。PPRのプールとビーチは、宿泊客以外でも25ドル払えば利用できるそうで、こちらを利用し、パラワンダンスのディナーショーにも立ち寄ろうと思ったのです。しかし何の変哲もないプールが一つだけで、空は曇り、風が強くてビーチには高い波が押し寄せていたため、こちらで泳ぐのは止めました。19時からのパラワンダンスショーにあわせて18時前にビーチ沿いのココナッツテラスレストランに入りました。ここには38ドルのビュッフェもありますが、そこまで空腹ではなかったので、アラカルトでパラオ風チキン(19ドル)、本日の刺身、タロイモのスープ、コーヒー(合計15ドル)を頼みました。本日の刺身は、ずばりマグロ。ワサビ醤油で食べる純和風料理です。タロイモのスープとパラオ風チキンは、東南アジアでも出てきそうな料理でした。タロイモのスープは美味でしたが、パラオ風チキンはパサパサしていて今ひとつでした。
19時からパラワンダンスのショーが始まりましたが、南国風の音楽に合わせて、白い腰みのを着けた6人の女性ダンサーがあまり統一感もなく雑に踊っており、世界各地で民族舞踊を見てきた私には少し残念に思えました。ショーの時間も30分との触れ込みでしたが、15分弱で終わりました。ショーの後は19:43のBBIバス(1週間乗り放題で7ドル)に乗り、20:43にホテル前に着きました。ちなみに、BBIバスの時刻表は先月から変更(減便)になっています。
19日、朝8時に起きて、近くのコンビニでフライドチキンとパンを買って朝食にしました。前日はパラオの海と自然、リゾートを満喫しましたが、この日は町歩きをしてゆっくりと過ごすつもりです。
朝9時に出発して、まずはパラオ国際さんご礁センター(7ドル)へ。さんご礁で彩られた水槽を南国の小魚が泳いでいましたが、日本の水族館でもよく見かける展示なので、私にとっては見慣れた風景でした。
その後、ペラウナショナルミュージアムという博物館へと向かいましたが、地球の歩き方リゾートの情報と異なり、土日は休館でした。仕方なく、かつてパラオで酋長の集会所や学校として用いられたバイと呼ばれる三角屋根の家屋の写真だけ撮って、次の目的地パラオプランテーションリゾートへ。
ここは山間にある、ジャングルを切り開いて作ったようなテイストのホテルです。ジャングルに囲まれたプールは、ビーチサイドのプールとはまた違った趣がありました。レストランも覗きましたが、要予約のコースメニューばかりであったため、昼食を摂りに市街地へと戻りました。
しかし市街地にもレストランは少なく、地球の歩き方リゾートに載っていた居酒屋さくらはなくなっていました。私は伝統的なパラオ料理を食べたかったのですが、インド料理、韓国料理、ハンバーガーの店しかありません。結局、WCTCショッピングセンター内のスーパーでベントー(3ドル)とパラオの地ビール(1.5ドル)を買って帰りました。このベントーは、ご飯の上に豚肉、芋、オクラ、ナス、ゴーヤの炒め物をぶっかけたものですが、このようにご飯の上におかずをぶっ掛ける食習慣は、沖縄や東南アジアで見られるものです。日本本土やアメリカから持ち込まれたものではない、パラオのローカル料理なのでしょう。
午前中で市街散策が終わってしまったこともあり、午後はホテルの部屋で休んでいました。夕方、再びWCTCショッピングセンターに行き、2階のデパートを覗きました。パラオの伝統工芸品から衣類、家電まで幅広い品揃えであり、ここで売られていた液晶テレビは26~32インチのものが主流でした。お店で売られている液晶テレビのサイズを見れば、その国の経済水準がおよそ分かります。
1階のスーパーで昼とは違う種類の地ビールを買い、午前中に見つけていたアサヒフィールド西隣のモグモグというレストランに向かいました。ここでパラオ料理の盛り合わせを食べる予定でしたが、残念ながら閉店でした。ディナーは17時半からオープンとのことで、休業日の記載はなかったのですが・・・
やむを得ず、ホテル近くのコンビニでチキンバーガー(4.5ドル)と惣菜パン(1.2ドル)を買って帰り、部屋食で済ませました。
その後もホテルでゆっくりと休み、20日午前0時半に来た空港への送迎バスに乗り込みました。チェックインを済ませ、定刻より早い2時20分にパラオ発。グアム到着後は真っ先に入国審査と保安検査を済ませ、プライオリティパスでコンチネンタル航空ビジネスクラスラウンジに入りました。7:50発のフライトだったので、居眠りしても大丈夫なように腕時計と携帯のアラームをグアム時間の7:10にあわせてから、ワインや軽食を摂って休みました。グアムを定刻に発ち、10:20にセントレアに着きました。
来月は家族3人でスイス周遊旅行に出かける予定です。
浜田国松(濱田国松) [雑談]
今日は皆さんに私の曽祖父を紹介します。
まずはあちこちから曽祖父に関する資料を引用させていただいたこと、お詫びします。もし問題があれば、hmdknsk@hotmail.com までご連絡ください。リンクを解除します。
なお、私が親から伝え聞いたエピソードも所々交えています。
浜田国松は1868年山村家の第2子として生まれ、浜田家の養子となりました。東京法学院(中央大)を卒業し、弁護士、町会議員、県会議員を経て国会議員に12回の当選を果たし、現在の国会議事堂ができた当時に衆議院議長を務めていました。浜田国松が住んでいた伊勢市岡本の参宮館は、今では駐車場と小学校になっているそうで、私の本籍地もここになっています。
http://blog.goo.ne.jp/odanohashi/e/b0231f8e3f5677a17f4ceb4daee4df37
上記のブログには岡村さんのことが書かれていますが、確かに私の親戚には岡村姓の人がいます。
若いときは苦学生だったようで、真珠王・御木本幸吉の実家であるうどん屋で「出世払い」と称して、食べさせてもらっていたと親から聞きました。
最後まで自由主義・反ファッショの姿勢を貫き、晩年は不遇であったという噂も聞きました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%9C%E7%94%B0%E5%9B%BD%E6%9D%BE
そして時は1937年。二・二六事件以降、軍部の政治干渉が次第に顕著となる中、広田内閣の寺内陸軍大臣と浜田国松との間で、腹切り問答と呼ばれるやりとりが行われました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%85%B9%E5%88%87%E3%82%8A%E5%95%8F%E7%AD%94
http://royallibrary.sakura.ne.jp/ww2/text/harakiri.html
ここには実際の演説内容を掲載しますが、面倒な方は後述の要約だけ読んでください。
浜田「軍部は近年自ら誇称して我が国政治の推進力は我らにあり、乃公出でずんば蒼生を如何せんの慨がある。五・一五事件然り、二・二六事件然り、軍部の一角より時々放送される独裁政治意見然り(中略)要するに独裁強化の政治的イデオロギーは滔々として軍の底を流れ、時に文武恪循の堤防を破壊せんとする危険あることは国民の等しく顰蹙する所である」
寺内「先刻来の濱田君の御説中、軍人に対して聊か侮辱するかのような言辞のあったのは遺憾である」
浜田「陸相寺内君は私に対する答弁の中で、濱田の演説中軍部を侮辱するの言辞があるということを仰せられた。どこが侮辱して居る。私共は此議場に立っても国家の為に、軍の名誉の為に、最も善意を以って出来得る限り慎重の注意を以って御質疑を申上げた積りである。其私に軍部を侮辱するような意思などがありようはずはない。(中略)いやしくも国民代表者の私が、国家の名誉ある軍隊を侮辱したという喧嘩を吹掛けられて後へは退けませぬ。私の何等の言辞が軍を侮辱致しましたか、事実を挙げなさい。此問題が此席上に於いて、同僚の立会証明を以て証明せられない以上は、私は議長が散会を宣告せられぬことを希望致します」
寺内「侮辱するが如く聞える所の言辞は、却て濱田君の言われる国民一致の精神を害するから御忠告を申したのであります。どうぞ速記録を御覧下さいまして御願致します」
濱田「質疑に関する登壇は、三回の制限を受けて居ります。何回でもという訳には行きませぬ。もう是で如何に不満不平があっても登れないのであります。(中略)私は年下のあなたに忠告を受けるようなことはしない積りである。あなたは堂々たる陛下の陸軍大臣であられる。併せながらあなたも国家の公職者であるが、不徳未熟、衆議院議員濱田国松も陛下の下に於ける公職者である。封建思想や官僚独善主義から言えば、あなたは役人で私は町人かも知れぬけれども、そうじゃありませぬ。私は公職者、殊に九千万人の国民を背後にして居る公職者である。あなたから忠告を受けなければならぬことを、此年を取って居る私がしたならば、私は覚悟して考えなければならぬ。天下に謝しなければならぬ。あなたはそんな無責任な、侮辱したことを言うたと最初に言うて置いて、今度は侮辱に当たるような疑のあることをいう所までぼけて来た。何処が其処に当るのだと御尋申しても、是が当たるということを言われないのは―日本の武士というものは古来名誉を尊重します。士道を重んずるものである。民間市井のならず者のように、論拠もなく、事実もなくして人の不名誉を断ずることができるか。是れ以上は登壇することができない。速記録を調べて僕が軍隊を侮辱した言葉があったら割腹して君に謝する、なかったら君割腹せよ。」
これに寺内は激怒し、浜田を壇上から睨みつけたため、議場は怒号が飛び交う大混乱となりました。
政府は収拾策を見出すために天皇に裁可を仰いで議会は翌日より停会となりました。寺内は「政党が時局に対して認識不足」として、政党に対し反省を求める意味で議会解散を強く広田総理に要求、解散しないなら単独辞職すると言い放ち、この結果、広田内閣は閣内不統一を理由に総辞職となりました。
要約すると、軍部を侮辱したという陸軍大臣に対し、「自分は町人だが、日本国すべての国民を背後にした公職者でもあり、士道を重んじる。自分が軍隊を侮辱した言葉があったら割腹して君に謝する、なかったら君割腹せよ」と詰め寄ったのです。政治家としての言葉の重みを知る、よく言えば反骨精神にあふれた、悪く言えばKYな人だったのでしょう。
そのためか浜田国松に関する資料は戦前、意図的に廃棄された部分もありますが、その腹切り問答の生レコードが戦後に見つかり、NHKが放送したところ、反響が大きく再放送されたようです。
以前、「炎の人・浜田国松伝」と言うタイトルで映画化の話もありました。以下は、http://melma.com/backnumber_10265_1141008/ からの引用です。
浜田国松(1868-1939)は三重県選出の政友会代議士ですが、彼を主役とする映画「炎の人」(小川益生監督)が10年程前に企画され、浜田役にはフランキー堺、緒形拳、さらには田村高広と変更し、娘役に牧瀬理穂なども決まり、シナリオも完成し(市販書として販売)、クランクイン(桜満開の伊勢市宮川堤のシーン)まで進みました。しかし、折からのバブル経済崩壊によりこの映画はお蔵入りになってしまいました。
当時、私もこの映画の資料を見せてもらいましたが、
・浜田国松が100人いたら、日本の太平洋戦争は起きなかった
・地元への利益誘致を優先しなかった清貧の政治家であり、三重の人々もそんな彼を12回も国会の場に送り出した
というキャッチコピーが載っていたように記憶しています。
私は曽祖父ということを抜きにして、この浜田国松という人が好きです。
それでは、浜田国松から私に至る系譜を簡単に紹介します。
浜田国松には5男2女(女性の数は自信がありません)がいました。5人の男兄弟はみな東大・京大卒であり、商社に就職した一人を除いて医師か弁護士になりました。ただしその商社に就職した人が、5人の中で一番優秀だったそうです。
私の祖父は浜田国松の5男に当たり、東大卒の裁判官で、3箇所の地方裁所長を歴任しました。その子供は2男2女。長男は若くして病死し、私の父が次男です。2人の姉は、それぞれ良縁に恵まれ、一人は東証一部上場企業の社長、もう一人は旧帝大の医学部長になった人のところへと嫁ぎました。
私はマリオットアソシアで結婚披露宴を行ったのですが、前泊した新郎新婦(私と妻)の部屋には何もなかったものの、東証一部上場企業の社長だった伯父夫婦の部屋にはホテルから贈られた立派な花が飾ってありました。理性では分かっていても、心情としてはちょっと複雑でしたw
私の父は東証一部上場企業の総務部長でしたが、社長婦人(父の姉)が二人を比べて、「弟(私の父)は良い人だけど、夫は悪人だ」と冗談っぽく言ったそうです。悪知恵といっては失礼ですが、ある程度の計算高さがないと出世できないという意味なのでしょう。確かに私の父は海外旅行先でほいほい騙されてしまいそうな、良い人というか脇の甘い人です。
『菜根譚』にある言葉で、「知械機巧は、知らざる者を高しとなし、これを知れども用いざる者を最も高しとなす」(悪巧みや悪知恵は、これを知らない人が気高く、これを知っていても用いない人が最も気高い)とは、私の座右の銘です。たくさんの悪知恵を持ちながら、清く、正しく、したたかに生きていくのが目標です。
一方、医学部長の義伯父は「私が出世できたのは、周りの人からの頼みごとを断らなかったからだ」と言っていました。プライドの高い旧帝大医学部教授の中から選挙で医学部長に選ばれるには、敵を作らず、味方を増やすことが大事なのでしょう。
最後になりますが、私はこの文章を書きながらこんなことを考えました。
もし浜田国松が現代にいたら、どんな政治家になっていたのだろう?
田中角栄氏や小沢一郎氏のように地元への利益誘致に精を出したりはせず、現実には存在しない人参を目の前につるして国民を欺く民主党衆院選マニフェストで票を集めることもなかったでしょう。
(もっとも私に言わせれば、小沢一郎氏の意向が大きく働いたあのマニフェストを見て、理論的に不可能な空想上の人参だと見抜けない時点で良い人過ぎます)
http://ryokodo.blog.so-net.ne.jp/2010-06-03
また「自衛隊は暴力装置」などと言い出すこともなかったはずです。「私がこれまで軍部を侮辱したことはない」という政治家としての言葉に、文字通り命をかけた人なのですから。
曾孫の私としては、浜田国松が日本国すべての国民を背後にした公職者として、東日本大震災で人々のために尽くした自衛隊に賛辞を贈ったと信じたいところです。ただし自由主義者で自分の信念に愚直な人なので、中国あたりに歯に衣着せぬ批判をして、やはり鼻つまみ者として孤立していたかもしれません。
まずはあちこちから曽祖父に関する資料を引用させていただいたこと、お詫びします。もし問題があれば、hmdknsk@hotmail.com までご連絡ください。リンクを解除します。
なお、私が親から伝え聞いたエピソードも所々交えています。
浜田国松は1868年山村家の第2子として生まれ、浜田家の養子となりました。東京法学院(中央大)を卒業し、弁護士、町会議員、県会議員を経て国会議員に12回の当選を果たし、現在の国会議事堂ができた当時に衆議院議長を務めていました。浜田国松が住んでいた伊勢市岡本の参宮館は、今では駐車場と小学校になっているそうで、私の本籍地もここになっています。
http://blog.goo.ne.jp/odanohashi/e/b0231f8e3f5677a17f4ceb4daee4df37
上記のブログには岡村さんのことが書かれていますが、確かに私の親戚には岡村姓の人がいます。
若いときは苦学生だったようで、真珠王・御木本幸吉の実家であるうどん屋で「出世払い」と称して、食べさせてもらっていたと親から聞きました。
最後まで自由主義・反ファッショの姿勢を貫き、晩年は不遇であったという噂も聞きました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%9C%E7%94%B0%E5%9B%BD%E6%9D%BE
そして時は1937年。二・二六事件以降、軍部の政治干渉が次第に顕著となる中、広田内閣の寺内陸軍大臣と浜田国松との間で、腹切り問答と呼ばれるやりとりが行われました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%85%B9%E5%88%87%E3%82%8A%E5%95%8F%E7%AD%94
http://royallibrary.sakura.ne.jp/ww2/text/harakiri.html
ここには実際の演説内容を掲載しますが、面倒な方は後述の要約だけ読んでください。
浜田「軍部は近年自ら誇称して我が国政治の推進力は我らにあり、乃公出でずんば蒼生を如何せんの慨がある。五・一五事件然り、二・二六事件然り、軍部の一角より時々放送される独裁政治意見然り(中略)要するに独裁強化の政治的イデオロギーは滔々として軍の底を流れ、時に文武恪循の堤防を破壊せんとする危険あることは国民の等しく顰蹙する所である」
寺内「先刻来の濱田君の御説中、軍人に対して聊か侮辱するかのような言辞のあったのは遺憾である」
浜田「陸相寺内君は私に対する答弁の中で、濱田の演説中軍部を侮辱するの言辞があるということを仰せられた。どこが侮辱して居る。私共は此議場に立っても国家の為に、軍の名誉の為に、最も善意を以って出来得る限り慎重の注意を以って御質疑を申上げた積りである。其私に軍部を侮辱するような意思などがありようはずはない。(中略)いやしくも国民代表者の私が、国家の名誉ある軍隊を侮辱したという喧嘩を吹掛けられて後へは退けませぬ。私の何等の言辞が軍を侮辱致しましたか、事実を挙げなさい。此問題が此席上に於いて、同僚の立会証明を以て証明せられない以上は、私は議長が散会を宣告せられぬことを希望致します」
寺内「侮辱するが如く聞える所の言辞は、却て濱田君の言われる国民一致の精神を害するから御忠告を申したのであります。どうぞ速記録を御覧下さいまして御願致します」
濱田「質疑に関する登壇は、三回の制限を受けて居ります。何回でもという訳には行きませぬ。もう是で如何に不満不平があっても登れないのであります。(中略)私は年下のあなたに忠告を受けるようなことはしない積りである。あなたは堂々たる陛下の陸軍大臣であられる。併せながらあなたも国家の公職者であるが、不徳未熟、衆議院議員濱田国松も陛下の下に於ける公職者である。封建思想や官僚独善主義から言えば、あなたは役人で私は町人かも知れぬけれども、そうじゃありませぬ。私は公職者、殊に九千万人の国民を背後にして居る公職者である。あなたから忠告を受けなければならぬことを、此年を取って居る私がしたならば、私は覚悟して考えなければならぬ。天下に謝しなければならぬ。あなたはそんな無責任な、侮辱したことを言うたと最初に言うて置いて、今度は侮辱に当たるような疑のあることをいう所までぼけて来た。何処が其処に当るのだと御尋申しても、是が当たるということを言われないのは―日本の武士というものは古来名誉を尊重します。士道を重んずるものである。民間市井のならず者のように、論拠もなく、事実もなくして人の不名誉を断ずることができるか。是れ以上は登壇することができない。速記録を調べて僕が軍隊を侮辱した言葉があったら割腹して君に謝する、なかったら君割腹せよ。」
これに寺内は激怒し、浜田を壇上から睨みつけたため、議場は怒号が飛び交う大混乱となりました。
政府は収拾策を見出すために天皇に裁可を仰いで議会は翌日より停会となりました。寺内は「政党が時局に対して認識不足」として、政党に対し反省を求める意味で議会解散を強く広田総理に要求、解散しないなら単独辞職すると言い放ち、この結果、広田内閣は閣内不統一を理由に総辞職となりました。
要約すると、軍部を侮辱したという陸軍大臣に対し、「自分は町人だが、日本国すべての国民を背後にした公職者でもあり、士道を重んじる。自分が軍隊を侮辱した言葉があったら割腹して君に謝する、なかったら君割腹せよ」と詰め寄ったのです。政治家としての言葉の重みを知る、よく言えば反骨精神にあふれた、悪く言えばKYな人だったのでしょう。
そのためか浜田国松に関する資料は戦前、意図的に廃棄された部分もありますが、その腹切り問答の生レコードが戦後に見つかり、NHKが放送したところ、反響が大きく再放送されたようです。
以前、「炎の人・浜田国松伝」と言うタイトルで映画化の話もありました。以下は、http://melma.com/backnumber_10265_1141008/ からの引用です。
浜田国松(1868-1939)は三重県選出の政友会代議士ですが、彼を主役とする映画「炎の人」(小川益生監督)が10年程前に企画され、浜田役にはフランキー堺、緒形拳、さらには田村高広と変更し、娘役に牧瀬理穂なども決まり、シナリオも完成し(市販書として販売)、クランクイン(桜満開の伊勢市宮川堤のシーン)まで進みました。しかし、折からのバブル経済崩壊によりこの映画はお蔵入りになってしまいました。
当時、私もこの映画の資料を見せてもらいましたが、
・浜田国松が100人いたら、日本の太平洋戦争は起きなかった
・地元への利益誘致を優先しなかった清貧の政治家であり、三重の人々もそんな彼を12回も国会の場に送り出した
というキャッチコピーが載っていたように記憶しています。
私は曽祖父ということを抜きにして、この浜田国松という人が好きです。
それでは、浜田国松から私に至る系譜を簡単に紹介します。
浜田国松には5男2女(女性の数は自信がありません)がいました。5人の男兄弟はみな東大・京大卒であり、商社に就職した一人を除いて医師か弁護士になりました。ただしその商社に就職した人が、5人の中で一番優秀だったそうです。
私の祖父は浜田国松の5男に当たり、東大卒の裁判官で、3箇所の地方裁所長を歴任しました。その子供は2男2女。長男は若くして病死し、私の父が次男です。2人の姉は、それぞれ良縁に恵まれ、一人は東証一部上場企業の社長、もう一人は旧帝大の医学部長になった人のところへと嫁ぎました。
私はマリオットアソシアで結婚披露宴を行ったのですが、前泊した新郎新婦(私と妻)の部屋には何もなかったものの、東証一部上場企業の社長だった伯父夫婦の部屋にはホテルから贈られた立派な花が飾ってありました。理性では分かっていても、心情としてはちょっと複雑でしたw
私の父は東証一部上場企業の総務部長でしたが、社長婦人(父の姉)が二人を比べて、「弟(私の父)は良い人だけど、夫は悪人だ」と冗談っぽく言ったそうです。悪知恵といっては失礼ですが、ある程度の計算高さがないと出世できないという意味なのでしょう。確かに私の父は海外旅行先でほいほい騙されてしまいそうな、良い人というか脇の甘い人です。
『菜根譚』にある言葉で、「知械機巧は、知らざる者を高しとなし、これを知れども用いざる者を最も高しとなす」(悪巧みや悪知恵は、これを知らない人が気高く、これを知っていても用いない人が最も気高い)とは、私の座右の銘です。たくさんの悪知恵を持ちながら、清く、正しく、したたかに生きていくのが目標です。
一方、医学部長の義伯父は「私が出世できたのは、周りの人からの頼みごとを断らなかったからだ」と言っていました。プライドの高い旧帝大医学部教授の中から選挙で医学部長に選ばれるには、敵を作らず、味方を増やすことが大事なのでしょう。
最後になりますが、私はこの文章を書きながらこんなことを考えました。
もし浜田国松が現代にいたら、どんな政治家になっていたのだろう?
田中角栄氏や小沢一郎氏のように地元への利益誘致に精を出したりはせず、現実には存在しない人参を目の前につるして国民を欺く民主党衆院選マニフェストで票を集めることもなかったでしょう。
(もっとも私に言わせれば、小沢一郎氏の意向が大きく働いたあのマニフェストを見て、理論的に不可能な空想上の人参だと見抜けない時点で良い人過ぎます)
http://ryokodo.blog.so-net.ne.jp/2010-06-03
また「自衛隊は暴力装置」などと言い出すこともなかったはずです。「私がこれまで軍部を侮辱したことはない」という政治家としての言葉に、文字通り命をかけた人なのですから。
曾孫の私としては、浜田国松が日本国すべての国民を背後にした公職者として、東日本大震災で人々のために尽くした自衛隊に賛辞を贈ったと信じたいところです。ただし自由主義者で自分の信念に愚直な人なので、中国あたりに歯に衣着せぬ批判をして、やはり鼻つまみ者として孤立していたかもしれません。
ソウル旅行記(11年5月) [海外旅行記]
先月に続き今月も、有効期限の迫った小額マイルを消費するため、ソウルに行ってきました。
キャセイパシフィックの15000マイルを使って、JALで関空とソウルの金浦空港を往復する航空券と引き換えましたが、行きは朝便で帰りは昼便です。前回は旅行自粛ムードの中、直前になって帰りの昼便が運休になってしまいましたが、今回は大丈夫でした。宿泊は前回と同じ、楽天トラベルで予約した1泊2000円ちょっとの格安宿です。またソウル到着日の夜、ソウルナビでキム・ドクスの伝統演戯常設公演「PAN(パン)」(http://www.seoulnavi.com/play/1125/)を申し込んでおきました。
26日夜、近鉄アーバンライナーのデラックスシート(金券ショップで3600円)でなんばへ。そこから南海電鉄で新今宮に行き、そちらで宿泊。
27日朝、南海電鉄で関空に行き、チェックインした後、プライオリティパスで大韓航空のビジネスクラスラウンジに入り、そちらで朝食を摂りました。
金浦空港到着後、A'REXと呼ばれる空港急行でソウル駅に移動し(1500W)、そこから地下鉄に乗りかえましたが、巨大なソウル駅を横切る必要があるため、その際に地下鉄一駅分くらい歩く必要があります。地下鉄でソウル駅から鐘閣駅に移動し(1000W)、行きつけの里門ソルロンタンという店に行こうとしましたが、都市開発の影響で店を移転したとのことでした。結局、新店舗の場所が分からず、通りすがりの店でカルビタン(8000W)の昼食を摂りました。これはカルビ用の肉を取った後の骨付き肉を煮込んだスープです。
その後、宿に荷物を置いてから、世界遺産・昌徳宮へと向かいました。これは15世紀に立てられた国王の離宮ですが、正宮である景福宮よりも居心地が良かったのか、歴代の国王が滞在した期間はこちらのほうが長かったそうです。そして世界遺産に登録されたのも、この離宮の方だけです。
昔はガイド付きツアーでなければ入場できなかったのですが、今では入場料3000Wを払えば、宮殿部分だけ自由見学できるようになっています。しかし、その奥にある秘苑(国王と王妃専用の裏庭、というか裏山です)は現在でも、5000Wのガイド付きツアーでなければ入れません。私が秘苑の入り口に着いたのは14:25でしたが、たまたま14:30から英語ガイドのツアーがあったため、そちらに参加しました。
チマチョゴリを着た女性ガイドが、1時間半かけて、かつては国王と王妃しか入場できなかった秘苑を案内してくれました。途中、山あり谷ありの険しいコースが続き、ガイドが「大変だったら元来た道を戻っても良い」と呼びかけていましたが、誰一人脱落することなく、ツアーコースを歩ききりました。鬱蒼とした森に鳥の鳴き声が響き、所々に昔ながらの韓国風家屋が建っているのですが、言われなければこれがソウルの街中だとは思わないことでしょう。
その後、ソウルの古くからの繁華街である明洞に地下鉄で移動し、粥専門店であわびのお粥(10000W)を食べましたが、客は私一人でした。以前、済州島の済州KALホテルに併設されたカジノであわびのお粥を食べたときは、その美味さに感動したのですが、今回は特別な感慨は沸きませんでした。私の舌が変わったのか、そもそも味そのものが違うのか、済州KALホテルまで検証に行く必要がありますw
夕食がお粥だけでは少し物足りなかったので、明洞のCOCO壱番屋の斜め前にある店(http://jawsfood.com/)でトッポッキ(細長い餅を赤くて辛いソースで煮込んだもの、2500W)を頼みました。ここは安いし、「もう一品間違って頼んだのかな?」と勘違いするほど大きなスープがついてくるのでお勧めです。その他、スンデ(腸詰)、おでん、天ぷらなど、韓国屋台の定番料理が2000~3000Wで揃っており、日本語のお品書きもあるため、それを読み上げればオーダーできます。なお手持ちのWが少なくなってきたため、明洞にある小さな両替商で両替しましたが、空港では1円=12.7Wのところ、そちらでは1円=13.25Wでした。
その後、夜8時から予約してあった伝統演戯常設公演「パン」を見に行きました。アクセスがやや不自由なところにあり、そのためか客は20人ちょっとしかいません。そのためか、私は一番安い席を申し込んでいたのですが、中央部分のよく見える席に案内してもらえました。一方、出演者は13名。なんか申し訳ない感じです。
先月見た美笑(ミソ)と違い、ストーリーはないのですが、その分、韓国の伝統芸能をそのままぶつけてくる感じでした。打楽器だけで奏でるリズムは、東南アジアやオセアニアにも通じるものがある原始的な旋律です。人々の暮らしの中で自然発生し、民族によって受け継がれたその音は、他の地域と同様に躍動感にあふれており、私の中ではそれなりに高評価でした。ソウルの有名な公演であるNANTAも、これがベースだったのですね。
1時間半の公演が終わり、ホテルにたどり着いた時には夜10時を廻っていました。
28日は朝8時に起床し、前日に里門ソルロンタンを食べ損ねたリベンジをすべく、やはり行きつけで明洞にあるシンソンソルロンタンへと行きました。が、店の外まで行列が続く大繁盛。ここに並ぶ程ソルロンタンを食べたかったわけでもないので、他を探すことにしましたが、前日夜は客が私一人だった粥専門店にも、行列ができていました。結局、前日トッポッキを食べた店の隣で、トッポッキラーメン(3000W)とマグロの海苔巻き(2500W)を食べ、地下鉄(1000W)に乗って新村駅へと向かいました。
その日は江華島(カンファド)にある世界遺産の巨石遺跡を見に行く予定で、地球の歩き方2011~2012に乗っているバスターミナルへと向かいましたが、そこにはそれらしきものはありません。道端のおじさんに「カンファド、バス」と尋ねたところ、ガイドブックとはまったく違う場所を教えてくれました。地球の歩き方2011~2012で言うと、P140A3の6002空港リムジンと書いてある場所か、もうすこし左の方でしょうか?
ここで江華バスターミナルに行く3000番のバス(1800W)に乗り、1時間50分で到着しました。ハングルしかない、いかにも田舎の鄙びた感じのする商店街が併設されており、インフォメーションには日本語の観光案内がおいてあるのですが、肝心の行き方が書いてありません。まずはここで戦意喪失。しかし気を取り直して、観光案内のパンフレットから世界遺産・江華支石墓の写真を探し出し、それをバスの運転手に見せて、ようやく1番のバスにたどり着きました。
その後分かった情報を元に、ここを訪れる人のために書いておくと、島内の観光地を反時計回りに廻る1番のバスは江華バスターミナルを9:00、10:00、11:00、12:10、13:20、14:20、15:20、16:30、17:30、18:30、19:40に出発します。そしてその10分後に江華支石墓、25分後に北朝鮮を望む江華平和展望台に到着します。帰りは逆方向(時計回り)の2番バスが10:10、11:10、12:10、13:10、14:30、15:30、16:30、17:40、18:40、19:35、20:45に江華平和展望台を通り、その15分後に江華支石墓、25分後にバスターミナルに着きます。但し帰りは±30分程度の誤差があるみたいなので、時刻表はあってないようなものです。なお、帰りは併走する27番バスでもバスターミナルへ帰ってこられるようでした。
まずは12:10発の1番バス(一律1000W)に乗って江華支石墓へ。ここには歴史博物館(1500W)も併設されており、そこに「世界中に巨石文明は沢山あるが、一つの地域に複数の遺跡が存在するのは韓国だけである」と誇らしげに書いてありました。しかしストーンヘンジやエジプトのピラミッド、マチュピチュ、モアイ像など、他の巨石遺跡は江華支石墓を100個集めたよりも見ごたえがあり、製作する難易度も高いのですから、単純に数だけで競うべきではありません。それにそもそも、ピラミッドやモアイ像も一つの地域に複数の巨石遺跡が存在していたと思いますし。
ここのカフェでインスタントラーメン(2500W)を食べ、観光を済ませ、観光案内所で帰り道を尋ねた際、先程の時刻表や江華平和展望台のことを教えてもらえました。ここは誰でも行くことができ、川向こうに広がる北朝鮮の領土をもっとも間近に眺めることができる展望台とのことであり、14:30に江華支石墓を通り過ぎる1番バス(1000W)に乗って江華平和展望台へと向かいました。バスの運転手に、観光案内所でもらったハングルの文字を見せ、"Please tell me here" と頼んだところ、山のふもとの停留所で降ろしてくれました。そこから勾配のきつい山道を5分ほど登っていくと、江華平和展望台(2500W)に到着します。この山の上にある展望台の目の前には有刺鉄線の張られた川があり、対岸には北朝鮮の領土が広がっています。ところどころ薪にされて禿山になっていましたが、緑も多く残り、素朴な建物の集落がいくつか見えました。
私はここの食堂でビビンバ(5000W)を食べ、北朝鮮の焼酎(4500W)を買いました。それは韓国のジンロよりも、やや薬草っぽい味がしました。初夏の陽気の中、日陰のベンチに座って、目の前に広がる北朝鮮の領土を眺めながら、北朝鮮の焼酎を飲む。景色と酒のマリアージュもあって、ちょっとした至福のひと時でした。
その後、16:30の2番バスに乗ろうと思い、16:20からバス停で待っていましたが、いつまで経っても2番バスは通らず、結局1時間以上経った17:35にやってきた27番バスの運転手に "Bus terminal?" と尋ねると頷いてくれたので、それに乗って江華バスターミナルに戻ってきました。そこから3000番のバスに乗ってソウルに戻り、地下鉄に乗り継いで明洞に着いたときには夜8時を廻っていました。
前日トッポッキを食べた店で、スンデ(腸詰)を食べ、そこからは徒歩で宿に戻ってきました。
29日も朝8時に起床し、前日北朝鮮の焼酎を沢山飲みすぎたので、地下鉄光化門駅の近くにある精進屋でヘジャングク(二日酔いに効く、牛の血液や腸を煮こんだスープ、7000W)の朝食を摂り、地下鉄に乗って金浦空港へと向かいました。チェックインを済ませた後、適当に時間をつぶし、昼前に空港内のフードコートで冷麺(4000W)を食べてから搭乗しました。
大阪には台風2号が迫っていましたが、20分ほどの遅れで無事到着し、南海電鉄と近鉄特急を乗り継いで名古屋に帰ってきました。
ところで最近は燃油サーチャージの制度が変わり、2ヶ月ごとに見直しされることになりました。6月からは、また一段と値上げする航空会社が多いようです。航空券を発券するなら今月中が得なので、予定のある方はお早めに。私はJALの10800マイルを使って来年1月の釜山行き航空券と引き換え、2月には大韓航空の28000円のチケット(大韓航空のホームページで購入可)で中国の延吉に行く予定です。ここは北朝鮮との国境近くにあり、中国側から北朝鮮を眺めることができる図門という町まで日帰りでアクセス可能です。韓国側からは何度も見た北朝鮮ですが、一度中国側からも見てみたくなりました。
なお、特典航空券発券時に燃油サーチャージを請求されないユナイテッド航空で、来月中旬から特典航空券に必要なマイル数が変わります。日本から北アジア、南アジアへの必要マイル数は減額となるため、最大で17万マイル用意可能なユナイテッド航空のマイルをどう使おうか、考え中です。
キャセイパシフィックの15000マイルを使って、JALで関空とソウルの金浦空港を往復する航空券と引き換えましたが、行きは朝便で帰りは昼便です。前回は旅行自粛ムードの中、直前になって帰りの昼便が運休になってしまいましたが、今回は大丈夫でした。宿泊は前回と同じ、楽天トラベルで予約した1泊2000円ちょっとの格安宿です。またソウル到着日の夜、ソウルナビでキム・ドクスの伝統演戯常設公演「PAN(パン)」(http://www.seoulnavi.com/play/1125/)を申し込んでおきました。
26日夜、近鉄アーバンライナーのデラックスシート(金券ショップで3600円)でなんばへ。そこから南海電鉄で新今宮に行き、そちらで宿泊。
27日朝、南海電鉄で関空に行き、チェックインした後、プライオリティパスで大韓航空のビジネスクラスラウンジに入り、そちらで朝食を摂りました。
金浦空港到着後、A'REXと呼ばれる空港急行でソウル駅に移動し(1500W)、そこから地下鉄に乗りかえましたが、巨大なソウル駅を横切る必要があるため、その際に地下鉄一駅分くらい歩く必要があります。地下鉄でソウル駅から鐘閣駅に移動し(1000W)、行きつけの里門ソルロンタンという店に行こうとしましたが、都市開発の影響で店を移転したとのことでした。結局、新店舗の場所が分からず、通りすがりの店でカルビタン(8000W)の昼食を摂りました。これはカルビ用の肉を取った後の骨付き肉を煮込んだスープです。
その後、宿に荷物を置いてから、世界遺産・昌徳宮へと向かいました。これは15世紀に立てられた国王の離宮ですが、正宮である景福宮よりも居心地が良かったのか、歴代の国王が滞在した期間はこちらのほうが長かったそうです。そして世界遺産に登録されたのも、この離宮の方だけです。
昔はガイド付きツアーでなければ入場できなかったのですが、今では入場料3000Wを払えば、宮殿部分だけ自由見学できるようになっています。しかし、その奥にある秘苑(国王と王妃専用の裏庭、というか裏山です)は現在でも、5000Wのガイド付きツアーでなければ入れません。私が秘苑の入り口に着いたのは14:25でしたが、たまたま14:30から英語ガイドのツアーがあったため、そちらに参加しました。
チマチョゴリを着た女性ガイドが、1時間半かけて、かつては国王と王妃しか入場できなかった秘苑を案内してくれました。途中、山あり谷ありの険しいコースが続き、ガイドが「大変だったら元来た道を戻っても良い」と呼びかけていましたが、誰一人脱落することなく、ツアーコースを歩ききりました。鬱蒼とした森に鳥の鳴き声が響き、所々に昔ながらの韓国風家屋が建っているのですが、言われなければこれがソウルの街中だとは思わないことでしょう。
その後、ソウルの古くからの繁華街である明洞に地下鉄で移動し、粥専門店であわびのお粥(10000W)を食べましたが、客は私一人でした。以前、済州島の済州KALホテルに併設されたカジノであわびのお粥を食べたときは、その美味さに感動したのですが、今回は特別な感慨は沸きませんでした。私の舌が変わったのか、そもそも味そのものが違うのか、済州KALホテルまで検証に行く必要がありますw
夕食がお粥だけでは少し物足りなかったので、明洞のCOCO壱番屋の斜め前にある店(http://jawsfood.com/)でトッポッキ(細長い餅を赤くて辛いソースで煮込んだもの、2500W)を頼みました。ここは安いし、「もう一品間違って頼んだのかな?」と勘違いするほど大きなスープがついてくるのでお勧めです。その他、スンデ(腸詰)、おでん、天ぷらなど、韓国屋台の定番料理が2000~3000Wで揃っており、日本語のお品書きもあるため、それを読み上げればオーダーできます。なお手持ちのWが少なくなってきたため、明洞にある小さな両替商で両替しましたが、空港では1円=12.7Wのところ、そちらでは1円=13.25Wでした。
その後、夜8時から予約してあった伝統演戯常設公演「パン」を見に行きました。アクセスがやや不自由なところにあり、そのためか客は20人ちょっとしかいません。そのためか、私は一番安い席を申し込んでいたのですが、中央部分のよく見える席に案内してもらえました。一方、出演者は13名。なんか申し訳ない感じです。
先月見た美笑(ミソ)と違い、ストーリーはないのですが、その分、韓国の伝統芸能をそのままぶつけてくる感じでした。打楽器だけで奏でるリズムは、東南アジアやオセアニアにも通じるものがある原始的な旋律です。人々の暮らしの中で自然発生し、民族によって受け継がれたその音は、他の地域と同様に躍動感にあふれており、私の中ではそれなりに高評価でした。ソウルの有名な公演であるNANTAも、これがベースだったのですね。
1時間半の公演が終わり、ホテルにたどり着いた時には夜10時を廻っていました。
28日は朝8時に起床し、前日に里門ソルロンタンを食べ損ねたリベンジをすべく、やはり行きつけで明洞にあるシンソンソルロンタンへと行きました。が、店の外まで行列が続く大繁盛。ここに並ぶ程ソルロンタンを食べたかったわけでもないので、他を探すことにしましたが、前日夜は客が私一人だった粥専門店にも、行列ができていました。結局、前日トッポッキを食べた店の隣で、トッポッキラーメン(3000W)とマグロの海苔巻き(2500W)を食べ、地下鉄(1000W)に乗って新村駅へと向かいました。
その日は江華島(カンファド)にある世界遺産の巨石遺跡を見に行く予定で、地球の歩き方2011~2012に乗っているバスターミナルへと向かいましたが、そこにはそれらしきものはありません。道端のおじさんに「カンファド、バス」と尋ねたところ、ガイドブックとはまったく違う場所を教えてくれました。地球の歩き方2011~2012で言うと、P140A3の6002空港リムジンと書いてある場所か、もうすこし左の方でしょうか?
ここで江華バスターミナルに行く3000番のバス(1800W)に乗り、1時間50分で到着しました。ハングルしかない、いかにも田舎の鄙びた感じのする商店街が併設されており、インフォメーションには日本語の観光案内がおいてあるのですが、肝心の行き方が書いてありません。まずはここで戦意喪失。しかし気を取り直して、観光案内のパンフレットから世界遺産・江華支石墓の写真を探し出し、それをバスの運転手に見せて、ようやく1番のバスにたどり着きました。
その後分かった情報を元に、ここを訪れる人のために書いておくと、島内の観光地を反時計回りに廻る1番のバスは江華バスターミナルを9:00、10:00、11:00、12:10、13:20、14:20、15:20、16:30、17:30、18:30、19:40に出発します。そしてその10分後に江華支石墓、25分後に北朝鮮を望む江華平和展望台に到着します。帰りは逆方向(時計回り)の2番バスが10:10、11:10、12:10、13:10、14:30、15:30、16:30、17:40、18:40、19:35、20:45に江華平和展望台を通り、その15分後に江華支石墓、25分後にバスターミナルに着きます。但し帰りは±30分程度の誤差があるみたいなので、時刻表はあってないようなものです。なお、帰りは併走する27番バスでもバスターミナルへ帰ってこられるようでした。
まずは12:10発の1番バス(一律1000W)に乗って江華支石墓へ。ここには歴史博物館(1500W)も併設されており、そこに「世界中に巨石文明は沢山あるが、一つの地域に複数の遺跡が存在するのは韓国だけである」と誇らしげに書いてありました。しかしストーンヘンジやエジプトのピラミッド、マチュピチュ、モアイ像など、他の巨石遺跡は江華支石墓を100個集めたよりも見ごたえがあり、製作する難易度も高いのですから、単純に数だけで競うべきではありません。それにそもそも、ピラミッドやモアイ像も一つの地域に複数の巨石遺跡が存在していたと思いますし。
ここのカフェでインスタントラーメン(2500W)を食べ、観光を済ませ、観光案内所で帰り道を尋ねた際、先程の時刻表や江華平和展望台のことを教えてもらえました。ここは誰でも行くことができ、川向こうに広がる北朝鮮の領土をもっとも間近に眺めることができる展望台とのことであり、14:30に江華支石墓を通り過ぎる1番バス(1000W)に乗って江華平和展望台へと向かいました。バスの運転手に、観光案内所でもらったハングルの文字を見せ、"Please tell me here" と頼んだところ、山のふもとの停留所で降ろしてくれました。そこから勾配のきつい山道を5分ほど登っていくと、江華平和展望台(2500W)に到着します。この山の上にある展望台の目の前には有刺鉄線の張られた川があり、対岸には北朝鮮の領土が広がっています。ところどころ薪にされて禿山になっていましたが、緑も多く残り、素朴な建物の集落がいくつか見えました。
私はここの食堂でビビンバ(5000W)を食べ、北朝鮮の焼酎(4500W)を買いました。それは韓国のジンロよりも、やや薬草っぽい味がしました。初夏の陽気の中、日陰のベンチに座って、目の前に広がる北朝鮮の領土を眺めながら、北朝鮮の焼酎を飲む。景色と酒のマリアージュもあって、ちょっとした至福のひと時でした。
その後、16:30の2番バスに乗ろうと思い、16:20からバス停で待っていましたが、いつまで経っても2番バスは通らず、結局1時間以上経った17:35にやってきた27番バスの運転手に "Bus terminal?" と尋ねると頷いてくれたので、それに乗って江華バスターミナルに戻ってきました。そこから3000番のバスに乗ってソウルに戻り、地下鉄に乗り継いで明洞に着いたときには夜8時を廻っていました。
前日トッポッキを食べた店で、スンデ(腸詰)を食べ、そこからは徒歩で宿に戻ってきました。
29日も朝8時に起床し、前日北朝鮮の焼酎を沢山飲みすぎたので、地下鉄光化門駅の近くにある精進屋でヘジャングク(二日酔いに効く、牛の血液や腸を煮こんだスープ、7000W)の朝食を摂り、地下鉄に乗って金浦空港へと向かいました。チェックインを済ませた後、適当に時間をつぶし、昼前に空港内のフードコートで冷麺(4000W)を食べてから搭乗しました。
大阪には台風2号が迫っていましたが、20分ほどの遅れで無事到着し、南海電鉄と近鉄特急を乗り継いで名古屋に帰ってきました。
ところで最近は燃油サーチャージの制度が変わり、2ヶ月ごとに見直しされることになりました。6月からは、また一段と値上げする航空会社が多いようです。航空券を発券するなら今月中が得なので、予定のある方はお早めに。私はJALの10800マイルを使って来年1月の釜山行き航空券と引き換え、2月には大韓航空の28000円のチケット(大韓航空のホームページで購入可)で中国の延吉に行く予定です。ここは北朝鮮との国境近くにあり、中国側から北朝鮮を眺めることができる図門という町まで日帰りでアクセス可能です。韓国側からは何度も見た北朝鮮ですが、一度中国側からも見てみたくなりました。
なお、特典航空券発券時に燃油サーチャージを請求されないユナイテッド航空で、来月中旬から特典航空券に必要なマイル数が変わります。日本から北アジア、南アジアへの必要マイル数は減額となるため、最大で17万マイル用意可能なユナイテッド航空のマイルをどう使おうか、考え中です。
ソウル旅行記(11年4月) [海外旅行記]
今回はキャセイパシフィック(CX)の15000マイルを使って、ソウルに行ってきました。CXのマイレージプログラム、アジアマイルの特典航空券は距離制になっています。片道600マイル以下の距離をJALで往復する航空券と引き替えられますが、国際線では関空・ソウル間しかありません。行きは朝便で関空からソウルへ、帰りは昼便でソウルから関空へ飛ぶフライトを1年近く前に予約しました。
が、出発2日前になって帰りを夜便に変更するという英語メールが届きました。それでは同日名古屋着が危ういため、受け入れられないとメールを送ったのですが、それなら帰路便の日付を変えるとこれまた一方的なメールで通知され、泣く泣く受け入れました。この理由については後述します。
ホテルは大阪で前泊1泊、ソウルで2泊。いずれも楽天で予約した格安ホテルです。また、ソウル到着日夜のミソ(http://www.seoulnavi.com/tour/88/)と翌日の板門店ツアー(http://www.seoulnavi.com/tour/30/)をソウルナビで申し込みました。
7日夜、近鉄特急で名古屋から上本町へと移動し、そちらで宿泊しました。
8日朝、上本町駅を6:10に出るエアポートバス(所要50分、1500円)で関空に移動し、早めにチェックインした後、JALとCXの空港カウンターで帰路の昼便への変更を要望しましたが、断られました。
9:40発のフライトでソウルの金浦空港に飛び、そこから地下鉄(1300W)で光化門へ。駅近くの精進屋でヘジャングク(二日酔いに良いとされる、牛の血液と腸管を煮込んだ土色のスープ、7000W)の昼食をとり、そこから徒歩でその日宿泊するセファホステルへと向かいました。が、まだチェックインできないとのことで荷物を預けて市内散策へ。
地下鉄(1000W)で市庁まで移動し、そこからロッテデパート、免税店へと移動し、中を覗きましたが、ロッテデパート上層階のレストラン街がいつのまにか、お洒落になっていました。5年前までは昭和のデパートにあったような安っぽい飾り付けだったのですが、ダークブラウンを基調としたアジアンテイストの落ち着いた空間に生まれ変わっていました。一応、私も昨年同じテイストを狙って(材料費はケチりながら)自宅を建てた身なので、非常に居心地が良く感じました。一方でロッテ免税店は売り場面積が縮小したように感じました。
その後、ホテル道向かいの繁華街・明洞を散策しました。明洞とその近くにある地下街には、私が見かけただけで3カ所、日本への応援メッセージがありました。「日本の皆様あきらめないでください。頑張ってください。私たちはあなたたちの友達です。」とは、明洞のメインストリートに掲げられていたメッセージです。震災後、旅行の自粛などで日本人観光客が減ったこともあり、彼らも日本の復興を切に望んでいるのでしょう。が、ここは素直に韓国の皆さんの暖かい言葉に感謝しておくことにします。
夕方、明洞のメインストリートにあるノルブプデチゲという店で、プデチゲ(軍隊鍋、7000W)を食べ、夜8時開演のミソ(美笑)を見に行きました。これは夢龍と春香、2人の恋物語に沿って組み立てられた韓国伝統芸能の公演です。
愛し合う二人を快く思わない地方の小役人が、偽の王の書状を作って、夢龍をソウルに行かせます。一人残された春香に求愛するものの袖にふられ、激怒した子役人が春香を処刑しようとしたとき、ソウルで小役人以上に出世した夢龍が帰郷し、春香を助け出すという物語です。
光や音楽を使った演出効果は素晴らしいのですが、ヨン様好きのおばさんや水戸黄門好きのおじさん好みのストーリーで、一人一人の身体能力はさほどでもなく、登場人物の数を増やして人海戦術で望む点は、中国の公演と同じ手法です。その点で垢抜けたナンタやジャンプに比べ、知名度は今ひとつのようです。物語に沿った1時間の公演の後、とってつけたような20分間の韓国伝統芸能の公演が単体であるのですが、あれを光と音楽を駆使して物語の本体内に取り込むだけで、当社比30%アップの素晴らしい舞台になる気がします。皆さんも水戸黄門が印籠を出したクライマックスの後、20分間踊っている場面など見たくはないでしょう?
公演後、地下鉄に乗ってホテルに帰り、チェックインしました。セファホステルは1泊2000円ちょっとの安宿ですが、オーナーが親切で、インターネット、国際電話、ランドリー、コーヒー、簡易朝食などの無料サービスがついています。ハード面も値段からしたら上等でした。
翌9日、朝7時にホテルを出て、明洞にある神仙ソルロンタンという行きつけの店でソルロンタン(7000W)の朝食を摂りました。ホテルでもトーストの朝食がついているのですが、海外旅行に来て食パンで腹をふくらませるのも残念な気がしたので、そちらは辞退しました。
ロッテホテル6階にある旅行会社で板門店ツアーの受付を済ませ、8:50にバスで出発。道中、北朝鮮を望めるスポットがありました。韓国側の山は木で覆われているものの、北朝鮮側はすべて薪にするために伐採され、はげ山になっているので、すぐ見分けがつきます。韓国と北朝鮮の経済格差はおよそ38倍。現在では韓国人の多くが、本音では北朝鮮との併合を望んでいないとのことでした。
なお、この板門店ツアーには韓国人は参加することができません。私が乗ったバスは日本人専用車でしたが、震災後は日本人のツアー客が3分の1程度に減ったとのことでした。まずは非武装地帯入り口でパスポートチェックを受け、それからベースキャンプに向かいます。そして到着するとすぐ、板門店で何かあっても米軍と韓国軍は責任を取らないという書類にサインさせられます。その後、板門店の歴史について、短い映画を見ながらガイドから説明を受け、国連のゲストであるというバッチをもらって胸につけます。
そこからバスを乗り換え、徴兵制度で兵隊となった20歳くらいの若い韓国兵が同行したまま、板門店へと向かいます。このバスの車内では基本的に写真撮影が禁止されており、バスを降りた後は2列で歩き、北朝鮮側に手を振ったり笑ったりすることも禁じられました。武器になりそうな手荷物を持つことも許されず、兵士から「走って逃げろ」と言われても走れない、足腰の弱い人はバスから降りられないとのことでした。
板門店の近辺は本来、共同警備区域(JSA)でしたが、北朝鮮側が植えた木の枝を韓国側が切ろうとして、死者を出す争いになり、それ以来一本の境界線が引かれることになりました。その境界線をまたぐ形で建物が建っており、韓国側と北朝鮮側の観光客はそれぞれ時間差でその建物の中に入ることができます。14年前に訪れたときには、窓のすぐ外に北朝鮮兵が立っていたのですが、この時は遠巻きにこちらを監視しているだけでした。
その後、再びバスに乗り、板門店の傍を通ってベースキャンプに帰ってきました。写真撮影は境界線をまたぐ建物の内部と、板門店の傍をバスが通り過ぎるほんの一瞬、そして韓国と北朝鮮を結び、かつて朝鮮戦争の捕虜たちがそこでどちらの国に行くかを決めたという「帰らざる橋」の3カ所でのみ許されました。
ベースキャンプで国連ゲストのバッチを返却し、土産物屋に立ち寄った後、再びバスを乗り換えて帰路につきました。途中、北朝鮮を見られる臨津閣という展望台に立ち寄り、プルコギの昼食を摂り、ソウルのロッテホテル前に着いたのは14:50頃でした。
ツアーの最後にガイドがこう言っていました。「私はこのツアーのガイドだけど、本当は私が教えて欲しい。なぜ、同じ民族同士で戦うことになったのか。本当に北朝鮮だけが悪くて韓国は悪くないのか?」
一定の情報統制がなされ、すべて北朝鮮が悪いと教育される韓国において、これは非常に真っ当な感性の持ち主だと思いましたし、その言葉が重くのしかかりました。このツアーに参加される方は、有名な韓国映画であるシュリとJSAの二つを見てから行くと、より理解が深まる気がします。
ツアー終了後、前2日が遅寝早起きで寝不足だったこともあり、かなり疲れが貯まっていました。軽く食べてからホテルに帰ろうと思い、近くの屋台でトッポッキを頼みましたが、値段を聞く前に注文したところ、5000W請求されました。近隣の店では3000W位の値付けがされていたので、少しぼったくられたのでしょう。韓国人に隙を見せるとは、私もまだまだです。
その日はホテルの部屋でジンロを飲み、それ以上出歩くこともなく休みました。
翌10日、夕方まで1日フリータイムだったのですが、まだ疲れが残っていて、あまり歩き回る気にはなれませんでした。そこで初日と同じ精進屋でヘジャングクの朝食を摂り、空港に直行しました。もし帰りの昼便に空席があれば、そちらに振り替えてもらおうと思ったのです。しかし窓口で、4月27日まで昼便は欠航だと言われました。出発直前にネットで確認したときには昼便もあったのですが、昨今の自粛ムードを受けて搭乗客が減り、急遽決まったのでしょうね。欠航ならもう素直に諦めるしかありません。空港内にはショップやレストランもたくさんあったので、そこで時間をつぶし、夜便に乗って関空へと帰ってきました。
幸い、予定よりも15分ほど早く到着し、そこから南海特急、近鉄特急を乗り継いで、何とかその日のうちに名古屋に帰ってくることができました。
今年、韓国の経済成長率は5%くらいと予測されているそうですが、おそらく日本はマイナス成長になるでしょう。震災の影響、原発の影響は、我々一般人にはどうしようもないことですが、無意味な自粛がそのマイナス成長を更に加速させることだけは避けたいものです。
今まで通りの生活を送り、きちんと消費する。酒を飲んで、美味い物を食べて、旅行する。被災地に対する後方支援として、この当たり前のことを私は今後も守っていくつもりです。ここで安易な考えで後ろめたさを感じたら、日本の経済復興に背を向けることになるのです。
なお、今回自宅に帰ると、業者に依頼してあった自宅庭の造園の見積もり書が届いていました。しめて56万円なり。よーし、パパ、頑張って国内消費しちゃうぞ。あしたは当直だ。orz
が、出発2日前になって帰りを夜便に変更するという英語メールが届きました。それでは同日名古屋着が危ういため、受け入れられないとメールを送ったのですが、それなら帰路便の日付を変えるとこれまた一方的なメールで通知され、泣く泣く受け入れました。この理由については後述します。
ホテルは大阪で前泊1泊、ソウルで2泊。いずれも楽天で予約した格安ホテルです。また、ソウル到着日夜のミソ(http://www.seoulnavi.com/tour/88/)と翌日の板門店ツアー(http://www.seoulnavi.com/tour/30/)をソウルナビで申し込みました。
7日夜、近鉄特急で名古屋から上本町へと移動し、そちらで宿泊しました。
8日朝、上本町駅を6:10に出るエアポートバス(所要50分、1500円)で関空に移動し、早めにチェックインした後、JALとCXの空港カウンターで帰路の昼便への変更を要望しましたが、断られました。
9:40発のフライトでソウルの金浦空港に飛び、そこから地下鉄(1300W)で光化門へ。駅近くの精進屋でヘジャングク(二日酔いに良いとされる、牛の血液と腸管を煮込んだ土色のスープ、7000W)の昼食をとり、そこから徒歩でその日宿泊するセファホステルへと向かいました。が、まだチェックインできないとのことで荷物を預けて市内散策へ。
地下鉄(1000W)で市庁まで移動し、そこからロッテデパート、免税店へと移動し、中を覗きましたが、ロッテデパート上層階のレストラン街がいつのまにか、お洒落になっていました。5年前までは昭和のデパートにあったような安っぽい飾り付けだったのですが、ダークブラウンを基調としたアジアンテイストの落ち着いた空間に生まれ変わっていました。一応、私も昨年同じテイストを狙って(材料費はケチりながら)自宅を建てた身なので、非常に居心地が良く感じました。一方でロッテ免税店は売り場面積が縮小したように感じました。
その後、ホテル道向かいの繁華街・明洞を散策しました。明洞とその近くにある地下街には、私が見かけただけで3カ所、日本への応援メッセージがありました。「日本の皆様あきらめないでください。頑張ってください。私たちはあなたたちの友達です。」とは、明洞のメインストリートに掲げられていたメッセージです。震災後、旅行の自粛などで日本人観光客が減ったこともあり、彼らも日本の復興を切に望んでいるのでしょう。が、ここは素直に韓国の皆さんの暖かい言葉に感謝しておくことにします。
夕方、明洞のメインストリートにあるノルブプデチゲという店で、プデチゲ(軍隊鍋、7000W)を食べ、夜8時開演のミソ(美笑)を見に行きました。これは夢龍と春香、2人の恋物語に沿って組み立てられた韓国伝統芸能の公演です。
愛し合う二人を快く思わない地方の小役人が、偽の王の書状を作って、夢龍をソウルに行かせます。一人残された春香に求愛するものの袖にふられ、激怒した子役人が春香を処刑しようとしたとき、ソウルで小役人以上に出世した夢龍が帰郷し、春香を助け出すという物語です。
光や音楽を使った演出効果は素晴らしいのですが、ヨン様好きのおばさんや水戸黄門好きのおじさん好みのストーリーで、一人一人の身体能力はさほどでもなく、登場人物の数を増やして人海戦術で望む点は、中国の公演と同じ手法です。その点で垢抜けたナンタやジャンプに比べ、知名度は今ひとつのようです。物語に沿った1時間の公演の後、とってつけたような20分間の韓国伝統芸能の公演が単体であるのですが、あれを光と音楽を駆使して物語の本体内に取り込むだけで、当社比30%アップの素晴らしい舞台になる気がします。皆さんも水戸黄門が印籠を出したクライマックスの後、20分間踊っている場面など見たくはないでしょう?
公演後、地下鉄に乗ってホテルに帰り、チェックインしました。セファホステルは1泊2000円ちょっとの安宿ですが、オーナーが親切で、インターネット、国際電話、ランドリー、コーヒー、簡易朝食などの無料サービスがついています。ハード面も値段からしたら上等でした。
翌9日、朝7時にホテルを出て、明洞にある神仙ソルロンタンという行きつけの店でソルロンタン(7000W)の朝食を摂りました。ホテルでもトーストの朝食がついているのですが、海外旅行に来て食パンで腹をふくらませるのも残念な気がしたので、そちらは辞退しました。
ロッテホテル6階にある旅行会社で板門店ツアーの受付を済ませ、8:50にバスで出発。道中、北朝鮮を望めるスポットがありました。韓国側の山は木で覆われているものの、北朝鮮側はすべて薪にするために伐採され、はげ山になっているので、すぐ見分けがつきます。韓国と北朝鮮の経済格差はおよそ38倍。現在では韓国人の多くが、本音では北朝鮮との併合を望んでいないとのことでした。
なお、この板門店ツアーには韓国人は参加することができません。私が乗ったバスは日本人専用車でしたが、震災後は日本人のツアー客が3分の1程度に減ったとのことでした。まずは非武装地帯入り口でパスポートチェックを受け、それからベースキャンプに向かいます。そして到着するとすぐ、板門店で何かあっても米軍と韓国軍は責任を取らないという書類にサインさせられます。その後、板門店の歴史について、短い映画を見ながらガイドから説明を受け、国連のゲストであるというバッチをもらって胸につけます。
そこからバスを乗り換え、徴兵制度で兵隊となった20歳くらいの若い韓国兵が同行したまま、板門店へと向かいます。このバスの車内では基本的に写真撮影が禁止されており、バスを降りた後は2列で歩き、北朝鮮側に手を振ったり笑ったりすることも禁じられました。武器になりそうな手荷物を持つことも許されず、兵士から「走って逃げろ」と言われても走れない、足腰の弱い人はバスから降りられないとのことでした。
板門店の近辺は本来、共同警備区域(JSA)でしたが、北朝鮮側が植えた木の枝を韓国側が切ろうとして、死者を出す争いになり、それ以来一本の境界線が引かれることになりました。その境界線をまたぐ形で建物が建っており、韓国側と北朝鮮側の観光客はそれぞれ時間差でその建物の中に入ることができます。14年前に訪れたときには、窓のすぐ外に北朝鮮兵が立っていたのですが、この時は遠巻きにこちらを監視しているだけでした。
その後、再びバスに乗り、板門店の傍を通ってベースキャンプに帰ってきました。写真撮影は境界線をまたぐ建物の内部と、板門店の傍をバスが通り過ぎるほんの一瞬、そして韓国と北朝鮮を結び、かつて朝鮮戦争の捕虜たちがそこでどちらの国に行くかを決めたという「帰らざる橋」の3カ所でのみ許されました。
ベースキャンプで国連ゲストのバッチを返却し、土産物屋に立ち寄った後、再びバスを乗り換えて帰路につきました。途中、北朝鮮を見られる臨津閣という展望台に立ち寄り、プルコギの昼食を摂り、ソウルのロッテホテル前に着いたのは14:50頃でした。
ツアーの最後にガイドがこう言っていました。「私はこのツアーのガイドだけど、本当は私が教えて欲しい。なぜ、同じ民族同士で戦うことになったのか。本当に北朝鮮だけが悪くて韓国は悪くないのか?」
一定の情報統制がなされ、すべて北朝鮮が悪いと教育される韓国において、これは非常に真っ当な感性の持ち主だと思いましたし、その言葉が重くのしかかりました。このツアーに参加される方は、有名な韓国映画であるシュリとJSAの二つを見てから行くと、より理解が深まる気がします。
ツアー終了後、前2日が遅寝早起きで寝不足だったこともあり、かなり疲れが貯まっていました。軽く食べてからホテルに帰ろうと思い、近くの屋台でトッポッキを頼みましたが、値段を聞く前に注文したところ、5000W請求されました。近隣の店では3000W位の値付けがされていたので、少しぼったくられたのでしょう。韓国人に隙を見せるとは、私もまだまだです。
その日はホテルの部屋でジンロを飲み、それ以上出歩くこともなく休みました。
翌10日、夕方まで1日フリータイムだったのですが、まだ疲れが残っていて、あまり歩き回る気にはなれませんでした。そこで初日と同じ精進屋でヘジャングクの朝食を摂り、空港に直行しました。もし帰りの昼便に空席があれば、そちらに振り替えてもらおうと思ったのです。しかし窓口で、4月27日まで昼便は欠航だと言われました。出発直前にネットで確認したときには昼便もあったのですが、昨今の自粛ムードを受けて搭乗客が減り、急遽決まったのでしょうね。欠航ならもう素直に諦めるしかありません。空港内にはショップやレストランもたくさんあったので、そこで時間をつぶし、夜便に乗って関空へと帰ってきました。
幸い、予定よりも15分ほど早く到着し、そこから南海特急、近鉄特急を乗り継いで、何とかその日のうちに名古屋に帰ってくることができました。
今年、韓国の経済成長率は5%くらいと予測されているそうですが、おそらく日本はマイナス成長になるでしょう。震災の影響、原発の影響は、我々一般人にはどうしようもないことですが、無意味な自粛がそのマイナス成長を更に加速させることだけは避けたいものです。
今まで通りの生活を送り、きちんと消費する。酒を飲んで、美味い物を食べて、旅行する。被災地に対する後方支援として、この当たり前のことを私は今後も守っていくつもりです。ここで安易な考えで後ろめたさを感じたら、日本の経済復興に背を向けることになるのです。
なお、今回自宅に帰ると、業者に依頼してあった自宅庭の造園の見積もり書が届いていました。しめて56万円なり。よーし、パパ、頑張って国内消費しちゃうぞ。あしたは当直だ。orz
ハルビン・長春旅行記(11年3月) [海外旅行記]
まず最初に、被災地の方々にお見舞い申し上げます。私と妻も心ばかりの募金をしました。と共に、被災地から遠く離れた私たちにできることは明るく元気に自分のするべきことをして、日本経済を下支えすることだと思っています。ここで私が旅行を自粛しても、私のモチベーションが低下するだけで、被災者の方たちにとって何の益にもなりません。今回の旅行には予定通り行くことにしました。
「欲しがりません、勝つまでは」の精神は日本人の美徳でもありますが、それで消費が冷え込み、日本経済が衰退したのでは、勝者なき痩せ我慢大会でしかありません。被災者支援には継続が必要なので、息切れしないように少し楽に構えても良いのではないでしょうか? そのかわり、今後も継続して募金には協力したいと思います。
さて、今回はANAの22000マイルを使って、中国国際航空(CA)で、行きは中部発、北京経由、ハルビン行き。帰りは長春発、北京経由、中部行きのチケットを取りました。
ホテルはハルビンでJOIN US PLAZA(4つ星、楽天トラベルで朝食付き1泊318元)、長春で長春名門飯店(5つ星、Jchereで朝食付き1泊298元)を予約しました。今回、ハルビンから長春へはCRHと呼ばれる中国の高速鉄道を利用しますが、中国では鉄道の切符手配が難しい(http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1228540832)ため、地球の歩き方に乗っていたハルビン新世紀国際旅行社に手配を依頼しました。日本語メールでやりとりし、一等車(JRのグリーン車に相当)乗車券91元+手配料50元を現地で切符と引き替えに支払うことになりました。ちなみに二等車だと乗車券76元+手配料50元になります。
出発当日となる18日、セントレアでハルビンまでのチェックインを済ませ、プライオリティパスでスターアライアンスラウンジに入り、朝食を摂りました。北京へと向かう機内はほぼ満席で、中国語が多く飛び交い、普段なら見かけるパッケージツアーの団体はいないようでした。Daily Chinaという中国の英文紙をもらいましたが、こちらでも一面記事で日本の地震や原発関連のニュースが大きく取り上げられていました。
北京で入国審査を済ませ、国内線のセキュリティーゲートを通り、CAのファーストクラスラウンジへ。こちらもプライオリティパスで入れ、午後2時までは牛肉麺、スープ、お粥、点心、サラダなどの昼食サービスを行っています。ここでゆっくりと時間をつぶした後、飛行機に搭乗し、ハルビンの空港に着いたのは18時半頃でした。
空港を出てすぐ左手にあるエアポートバス(机場巴士)のチケット売り場で20元払い、正面に泊まっているバスに乗り込みました。バスは毎時0分と30分に空港を出発しているようです。私が乗ったバスは19時ちょうどに出発し、19時45分にハルビン駅前に到着しました。なお車内では英語のアナウンスもあり、正面に巨大な駅舎が見える停留所を降りたすぐ隣にホテルがあったため、迷わずに済みました。
チェックイン後、近くのカルフールに買い出しに行き、その日は就寝しました。ハルビンビールが2元、カップヌードルが2~5元。1.5Lのミネラルウォーターが1.8元でした。
19日は朝6時20分に起床し、ホテル内でビュッフェの朝食を摂りました。その後、ハルビン駅で翌日に乗車するCRHの入り口を確かめ、タクシーに乗って(12元)文廟へ。地球の歩き方には8時半オープンとなっていましたが、本当は9時オープンでした。ここには少数民族の文化を紹介した民族博物館が併設されていると書かれていたので、それが目的で行ったのですが、見つかりませんでした。そのかわり15元と書かれていた入場料は無料でした。いつものことながら、地球の歩き方には振り回され放題です。
そこから徒歩で東北四大寺院の一つである極楽寺(10元)へ。ここでは多くの人たちが大きな線香を持ってお参りしており、奥の方には500体の賢者の像が安置されていました。そういえば、広州でもお釈迦様1000人の像が安置された寺院を見たことがあります。どちらの寺院でも一体一体姿形が違うのですが、いかつくて、かつファンキーな像が多いのが特徴です。この寺院には仏指舎利(釈迦の指の骨)も安置されていましたが、写真を見る限り人間の指の骨とは形が違う気がします。
その後、タクシーに乗って(13元)黒竜江省新世紀旅行社へ。あらかじめ旅行社の人からメールで地図を受け取っていたのですが、地球の歩き方に載っているのとは違う場所で、朝鮮系のビルが建っている4階にありました。ここで代金と引き替えにCRHの切符を受け取り、徒歩で北東の方角800メートルほどの場所にあるシナゴーク(ユダヤ教寺院)へ。地球の歩き方には無休となっていましたが、休日のみオープンとのことで、その日は閉まっていました。以前、ハンガリーでもシナゴークに行ったものの閉まっていたことがあり、いまだ中に入れたことがありません。あきらめて外観の写真だけ撮り、更に徒歩で中央大街へと行きました。ここには20世紀前半のロシア系の建造物が数多く残されています。ちょうど昼時だったので、東方餃子王という店に入り、餃子を含む3品とビール(総額33元)を頼みました。そこから徒歩でソフィスカヤ教会(15元)へ。ここはてっぺんにタマネギ型の屋根がついたロシア正教の教会であり、まわりにもロシアを彷彿とさせる建物が建っていますが、中は昔の写真を展示した写真館になっていました。その後、再び中央大街へと戻り、ロシアと中国を足して2で割ったような町並みを眺めながら北上し、スターリン公園へ。ここは松花江ほとりに広がる公園ですが、寒さのために川の表面は凍っていました。
少し離れたところにロープウェイ乗り場が見えたため、そちらへと向かいました。川の対岸まで片道50元であり、川向かいにあるロシア風情小鎮(ロシア人の別荘地を改装したテーマパーク)では、地球の歩き方によるとロシア人によるダンスショーが行われているとのことです。50元は割高でしたが、帰りはタクシーに乗って橋を渡って帰ろうと考え、片道だけ乗ることにしました。ロープウェイを渡り切ったすぐのところにあるロシア風情小鎮(20元)に入り、道沿いに建つ家屋を一軒一軒見て回りましたが、土産物屋や食料品の売店が大半でした。ロシアのキリル文字が書かれたジュース(4元)があり、周りの中国人が物珍しそうに買っていたので、私も買ってみましたが、ラスク(乾パンのお菓子)をジュースにしたような不思議な味でした。
建物の一つに、ロシア人女性のヌード写真が部屋中に飾られた展示スペースがありましたが、客は私一人で、従業員の若い女性が冷ややかな目でこちらを見てきました。こういうシチュエーションを楽しみたいマニアの方にお勧めです。
一番奥にダンスショーをする一角がありますが、鍵がかかっており、横にあるチケットブースも最近使われた形跡がありません。周りの客も少なく、採算がとれないのでしょうが、少なくともこの日ショーが行われるようには思えません。あきらめて帰ることにしました。しかし都心部から川を渡ったこちら側には流しのタクシーもなく、やむをえず行きと同じロープウェイで帰ってきました。その頃にはだいぶ寒さで体が参っていたため、タクシーに乗って(11元)ホテルに帰ってきました。部屋で仮眠を取って、夕方6時に目が覚めたものの、朝と昼にたくさん食べたため、あまりお腹がすいていません。この日は夕食を摂るのをやめ、部屋でゆっくり過ごしました。
20日も6:20に起床し、ホテルで朝食を摂りました。食後は部屋で荷物整理をしながら時間をつぶし、8:15にチェックアウト。駅までは徒歩数分でしたが、時間に余裕を見て出発し、待合室で時間をつぶしました。ハルビン発、天津行きのD178号は定刻の9:05に出発しました。私は一等車の車内で濃厚なハルビンビールを飲みながら、車窓から中国東北部の大平原の景色を楽しみました。車内はガラガラで、これなら直前に窓口で切符を買うこともできたはずですが、今回はCRH乗車も旅の目的の一つだったので、手配料50元は確実に切符を手に入れるための必要経費と割り切ることにしました。車内に表示される時速は150km台であり、高速鉄道を名乗るわりにはゆっくりと走っていました。
10:50に長春に到着し、駅前でタクシーを捕まえて偽満皇宮博物院に行こうとしましたが、タクシーの運転手が20元とふっかけてきます。もう一台、別のタクシーに聞いても、20元と言ってくるため、あきらめて乗車しましたが、本来なら駅から少し離れたところまで歩き、流しのタクシーを拾うべきでした。
偽満皇宮博物院(入場料80元)は、ラストエンペラー溥儀が満州国皇帝に即位した後の居城です。中国人は満州国を偽満州国と呼んで目の敵にしているので、満州国に関するものにはすべて偽という字が付きます。ここには中国語と英語の他に日本語の説明も多く、その点は良かったのですが、ちょっとした説明のたびに日本への敵意をむき出しにしてくるので、読んでいて精神的に疲れました。
これは以前、大連から203高地に行ったときにも感じたことです。日本の軍人(乃木将軍)が戦死者の慰霊碑を建てたという事実を紹介し、これは日本の悪行を証明するものである、という趣旨の強引な結論づけがされていました。日本を仮想敵国とした愛国教育を徹底した20世紀後半には、歴史捏造や誇張も行われていたようで、今でもその頃に教育を受けた現在30~40代の世代でもっとも反日感情が強いようです。
とは言え、この建物には何の罪もないわけで、中国風と洋風のミックスされた宮殿には、溥儀の遺品や生活空間、満州国に関する展示など見所満載です。隣には反日感情をかき立てる博物館があり、こちらにも入りましたが、やはり精神的に疲れました。
偽満皇宮博物院の見学を終えたときには午後2時近くになっていました。実はすべての荷物を持ったまま、昼食も摂らずに歩き回っていたので、疲労と空腹を感じていました。そこでタクシーに乗り、ホテルへと向かいました(13元)。ホテルにチェックインし、荷物を置いてから食べに出ようと思っていたのですが、近くに良い飲食店がありません。夕方5時からホテル内のレストランで、ブラジリアンBBQのビュッフェ(88元)があることを知り、それまで水だけで凌ぐことにしました。部屋で少し休んだ後、タクシーに乗って偽満州国務院へ(7元)。ここは日本の国会議事堂のデザインをベースに建てられた満州国の最高行政機関でしたが、現在は吉林大学医学部の校舎になっています。その隣にある偽満州国軍事部は吉林大学医学部の附属病院になっており、見舞客と思われる多くの人が出入りしていました。
長春にある観光地はそのほとんどが満州国時代のものです。その内メジャーな3箇所を見学したので、それで満足して、タクシーでホテルへと戻りました(5元)。
しかしまだ夕食までは時間があります。私が泊まった名門飯店には屋内プールもあるため、そちらに泳ぎに行くことにしました。もちろん最初からそのつもりで、あらかじめ水着を持参していました。寒空とガラス一枚隔てただけの狭いプールでは、多くの人が泳いでいました。しかし作りが古いこともあり、どうもチープ感が否めません。その上、周りの中国人は頻繁にプールサイドに痰を吐くので、気が滅入ってすぐに出てしまいました。
今回の旅行中も、バス車内で大声を出して携帯電話で話す人、割り込み、ティッシュを窓の外に捨てるタクシー運転手など、マナーの悪い中国人をたくさん見かけました。まあ、いつものことですけどね。
夕食のブラジリアンBBQは、通常の食べ放題の他に、シェフが焼いたBBQを各々の席まで持ってきて、切り分けてくれます。これで88元なので、こちらには満足しました。ただし飲み物は別料金です。食後はロビーでピアノの生演奏を聴いたりして、ゆっくりと過ごしました。
21日も6:20に起床し、ホテルでビュッフェの朝食を摂りました。8時半にチェックアウトし、「民航賓館機場大巴」と書いた紙をタクシー運転手に見せて、民航賓館前の空港バス乗り場へ(6元)。9時発の空港バスに乗り(20元)、長春空港に着いたのは9:40頃でした。空港に着いてから、空港バスのチケット売り場を覗いたところ、毎時0分と30分に民航賓館前から空港行きのバスが出ていると書いてありました。かなり早く着いたので、チェックイン後、待合室の椅子で本を読みながら時間をつぶし、12:10発のフライトで北京へと飛びました。
北京首都国際空港で出国審査を済ませ、プライオリティパスでCA国際線のファーストクラスラウンジへ。寿司や点心、肉の炒め物などをつまみ、Great Wall(万里の長城)という銘柄の赤ワインを飲んで時間をつぶしました。いつもながらここはとても寛げます。周りには当然のことながらファーストクラスの乗客がたくさんいますが、パソコンを開いてオフィスソフトを使っている人が目立つのが特徴です。エコノミー客の多い一般の待合室だと、土産物を手に、雑談している人が多いイメージですが。
飛行機は定刻より少し遅れましたが、無事セントレアに帰って来ました。名古屋から北京へと向かう往路に比べ、復路は空席が目立ち、私の知る限り周りは日本人ばかりでした。
ところで今回の旅行中、ハルビンから長春へと向かうCRHの車内でビールを飲みながら幸福感に浸っているときに思いついたのですが、「幸せ募金作戦」というのはどうでしょう?
日常の何気ない一コマで、ふとした幸せを感じた回数分、募金をするのです。幸せ1回あたりの募金額はそれぞれの懐具合で決めれば結構ですが、継続することが大事なのであまり負担に思わない程度の額にとどめておくことが肝心です。今日小さな幸せが3回あったなら、その分だけ募金をしましょう。自分が小さな幸せを見つけた回数だけ、被災地の人にもそれをお裾分けすれば、皆がハッピーです。自粛、やせ我慢で消費が冷え込むよりも、その方が良くないですか?
賛同いただける方は、2ちゃんねるやツイッターでこの作戦を広めてください。
「欲しがりません、勝つまでは」の精神は日本人の美徳でもありますが、それで消費が冷え込み、日本経済が衰退したのでは、勝者なき痩せ我慢大会でしかありません。被災者支援には継続が必要なので、息切れしないように少し楽に構えても良いのではないでしょうか? そのかわり、今後も継続して募金には協力したいと思います。
さて、今回はANAの22000マイルを使って、中国国際航空(CA)で、行きは中部発、北京経由、ハルビン行き。帰りは長春発、北京経由、中部行きのチケットを取りました。
ホテルはハルビンでJOIN US PLAZA(4つ星、楽天トラベルで朝食付き1泊318元)、長春で長春名門飯店(5つ星、Jchereで朝食付き1泊298元)を予約しました。今回、ハルビンから長春へはCRHと呼ばれる中国の高速鉄道を利用しますが、中国では鉄道の切符手配が難しい(http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1228540832)ため、地球の歩き方に乗っていたハルビン新世紀国際旅行社に手配を依頼しました。日本語メールでやりとりし、一等車(JRのグリーン車に相当)乗車券91元+手配料50元を現地で切符と引き替えに支払うことになりました。ちなみに二等車だと乗車券76元+手配料50元になります。
出発当日となる18日、セントレアでハルビンまでのチェックインを済ませ、プライオリティパスでスターアライアンスラウンジに入り、朝食を摂りました。北京へと向かう機内はほぼ満席で、中国語が多く飛び交い、普段なら見かけるパッケージツアーの団体はいないようでした。Daily Chinaという中国の英文紙をもらいましたが、こちらでも一面記事で日本の地震や原発関連のニュースが大きく取り上げられていました。
北京で入国審査を済ませ、国内線のセキュリティーゲートを通り、CAのファーストクラスラウンジへ。こちらもプライオリティパスで入れ、午後2時までは牛肉麺、スープ、お粥、点心、サラダなどの昼食サービスを行っています。ここでゆっくりと時間をつぶした後、飛行機に搭乗し、ハルビンの空港に着いたのは18時半頃でした。
空港を出てすぐ左手にあるエアポートバス(机場巴士)のチケット売り場で20元払い、正面に泊まっているバスに乗り込みました。バスは毎時0分と30分に空港を出発しているようです。私が乗ったバスは19時ちょうどに出発し、19時45分にハルビン駅前に到着しました。なお車内では英語のアナウンスもあり、正面に巨大な駅舎が見える停留所を降りたすぐ隣にホテルがあったため、迷わずに済みました。
チェックイン後、近くのカルフールに買い出しに行き、その日は就寝しました。ハルビンビールが2元、カップヌードルが2~5元。1.5Lのミネラルウォーターが1.8元でした。
19日は朝6時20分に起床し、ホテル内でビュッフェの朝食を摂りました。その後、ハルビン駅で翌日に乗車するCRHの入り口を確かめ、タクシーに乗って(12元)文廟へ。地球の歩き方には8時半オープンとなっていましたが、本当は9時オープンでした。ここには少数民族の文化を紹介した民族博物館が併設されていると書かれていたので、それが目的で行ったのですが、見つかりませんでした。そのかわり15元と書かれていた入場料は無料でした。いつものことながら、地球の歩き方には振り回され放題です。
そこから徒歩で東北四大寺院の一つである極楽寺(10元)へ。ここでは多くの人たちが大きな線香を持ってお参りしており、奥の方には500体の賢者の像が安置されていました。そういえば、広州でもお釈迦様1000人の像が安置された寺院を見たことがあります。どちらの寺院でも一体一体姿形が違うのですが、いかつくて、かつファンキーな像が多いのが特徴です。この寺院には仏指舎利(釈迦の指の骨)も安置されていましたが、写真を見る限り人間の指の骨とは形が違う気がします。
その後、タクシーに乗って(13元)黒竜江省新世紀旅行社へ。あらかじめ旅行社の人からメールで地図を受け取っていたのですが、地球の歩き方に載っているのとは違う場所で、朝鮮系のビルが建っている4階にありました。ここで代金と引き替えにCRHの切符を受け取り、徒歩で北東の方角800メートルほどの場所にあるシナゴーク(ユダヤ教寺院)へ。地球の歩き方には無休となっていましたが、休日のみオープンとのことで、その日は閉まっていました。以前、ハンガリーでもシナゴークに行ったものの閉まっていたことがあり、いまだ中に入れたことがありません。あきらめて外観の写真だけ撮り、更に徒歩で中央大街へと行きました。ここには20世紀前半のロシア系の建造物が数多く残されています。ちょうど昼時だったので、東方餃子王という店に入り、餃子を含む3品とビール(総額33元)を頼みました。そこから徒歩でソフィスカヤ教会(15元)へ。ここはてっぺんにタマネギ型の屋根がついたロシア正教の教会であり、まわりにもロシアを彷彿とさせる建物が建っていますが、中は昔の写真を展示した写真館になっていました。その後、再び中央大街へと戻り、ロシアと中国を足して2で割ったような町並みを眺めながら北上し、スターリン公園へ。ここは松花江ほとりに広がる公園ですが、寒さのために川の表面は凍っていました。
少し離れたところにロープウェイ乗り場が見えたため、そちらへと向かいました。川の対岸まで片道50元であり、川向かいにあるロシア風情小鎮(ロシア人の別荘地を改装したテーマパーク)では、地球の歩き方によるとロシア人によるダンスショーが行われているとのことです。50元は割高でしたが、帰りはタクシーに乗って橋を渡って帰ろうと考え、片道だけ乗ることにしました。ロープウェイを渡り切ったすぐのところにあるロシア風情小鎮(20元)に入り、道沿いに建つ家屋を一軒一軒見て回りましたが、土産物屋や食料品の売店が大半でした。ロシアのキリル文字が書かれたジュース(4元)があり、周りの中国人が物珍しそうに買っていたので、私も買ってみましたが、ラスク(乾パンのお菓子)をジュースにしたような不思議な味でした。
建物の一つに、ロシア人女性のヌード写真が部屋中に飾られた展示スペースがありましたが、客は私一人で、従業員の若い女性が冷ややかな目でこちらを見てきました。こういうシチュエーションを楽しみたいマニアの方にお勧めです。
一番奥にダンスショーをする一角がありますが、鍵がかかっており、横にあるチケットブースも最近使われた形跡がありません。周りの客も少なく、採算がとれないのでしょうが、少なくともこの日ショーが行われるようには思えません。あきらめて帰ることにしました。しかし都心部から川を渡ったこちら側には流しのタクシーもなく、やむをえず行きと同じロープウェイで帰ってきました。その頃にはだいぶ寒さで体が参っていたため、タクシーに乗って(11元)ホテルに帰ってきました。部屋で仮眠を取って、夕方6時に目が覚めたものの、朝と昼にたくさん食べたため、あまりお腹がすいていません。この日は夕食を摂るのをやめ、部屋でゆっくり過ごしました。
20日も6:20に起床し、ホテルで朝食を摂りました。食後は部屋で荷物整理をしながら時間をつぶし、8:15にチェックアウト。駅までは徒歩数分でしたが、時間に余裕を見て出発し、待合室で時間をつぶしました。ハルビン発、天津行きのD178号は定刻の9:05に出発しました。私は一等車の車内で濃厚なハルビンビールを飲みながら、車窓から中国東北部の大平原の景色を楽しみました。車内はガラガラで、これなら直前に窓口で切符を買うこともできたはずですが、今回はCRH乗車も旅の目的の一つだったので、手配料50元は確実に切符を手に入れるための必要経費と割り切ることにしました。車内に表示される時速は150km台であり、高速鉄道を名乗るわりにはゆっくりと走っていました。
10:50に長春に到着し、駅前でタクシーを捕まえて偽満皇宮博物院に行こうとしましたが、タクシーの運転手が20元とふっかけてきます。もう一台、別のタクシーに聞いても、20元と言ってくるため、あきらめて乗車しましたが、本来なら駅から少し離れたところまで歩き、流しのタクシーを拾うべきでした。
偽満皇宮博物院(入場料80元)は、ラストエンペラー溥儀が満州国皇帝に即位した後の居城です。中国人は満州国を偽満州国と呼んで目の敵にしているので、満州国に関するものにはすべて偽という字が付きます。ここには中国語と英語の他に日本語の説明も多く、その点は良かったのですが、ちょっとした説明のたびに日本への敵意をむき出しにしてくるので、読んでいて精神的に疲れました。
これは以前、大連から203高地に行ったときにも感じたことです。日本の軍人(乃木将軍)が戦死者の慰霊碑を建てたという事実を紹介し、これは日本の悪行を証明するものである、という趣旨の強引な結論づけがされていました。日本を仮想敵国とした愛国教育を徹底した20世紀後半には、歴史捏造や誇張も行われていたようで、今でもその頃に教育を受けた現在30~40代の世代でもっとも反日感情が強いようです。
とは言え、この建物には何の罪もないわけで、中国風と洋風のミックスされた宮殿には、溥儀の遺品や生活空間、満州国に関する展示など見所満載です。隣には反日感情をかき立てる博物館があり、こちらにも入りましたが、やはり精神的に疲れました。
偽満皇宮博物院の見学を終えたときには午後2時近くになっていました。実はすべての荷物を持ったまま、昼食も摂らずに歩き回っていたので、疲労と空腹を感じていました。そこでタクシーに乗り、ホテルへと向かいました(13元)。ホテルにチェックインし、荷物を置いてから食べに出ようと思っていたのですが、近くに良い飲食店がありません。夕方5時からホテル内のレストランで、ブラジリアンBBQのビュッフェ(88元)があることを知り、それまで水だけで凌ぐことにしました。部屋で少し休んだ後、タクシーに乗って偽満州国務院へ(7元)。ここは日本の国会議事堂のデザインをベースに建てられた満州国の最高行政機関でしたが、現在は吉林大学医学部の校舎になっています。その隣にある偽満州国軍事部は吉林大学医学部の附属病院になっており、見舞客と思われる多くの人が出入りしていました。
長春にある観光地はそのほとんどが満州国時代のものです。その内メジャーな3箇所を見学したので、それで満足して、タクシーでホテルへと戻りました(5元)。
しかしまだ夕食までは時間があります。私が泊まった名門飯店には屋内プールもあるため、そちらに泳ぎに行くことにしました。もちろん最初からそのつもりで、あらかじめ水着を持参していました。寒空とガラス一枚隔てただけの狭いプールでは、多くの人が泳いでいました。しかし作りが古いこともあり、どうもチープ感が否めません。その上、周りの中国人は頻繁にプールサイドに痰を吐くので、気が滅入ってすぐに出てしまいました。
今回の旅行中も、バス車内で大声を出して携帯電話で話す人、割り込み、ティッシュを窓の外に捨てるタクシー運転手など、マナーの悪い中国人をたくさん見かけました。まあ、いつものことですけどね。
夕食のブラジリアンBBQは、通常の食べ放題の他に、シェフが焼いたBBQを各々の席まで持ってきて、切り分けてくれます。これで88元なので、こちらには満足しました。ただし飲み物は別料金です。食後はロビーでピアノの生演奏を聴いたりして、ゆっくりと過ごしました。
21日も6:20に起床し、ホテルでビュッフェの朝食を摂りました。8時半にチェックアウトし、「民航賓館機場大巴」と書いた紙をタクシー運転手に見せて、民航賓館前の空港バス乗り場へ(6元)。9時発の空港バスに乗り(20元)、長春空港に着いたのは9:40頃でした。空港に着いてから、空港バスのチケット売り場を覗いたところ、毎時0分と30分に民航賓館前から空港行きのバスが出ていると書いてありました。かなり早く着いたので、チェックイン後、待合室の椅子で本を読みながら時間をつぶし、12:10発のフライトで北京へと飛びました。
北京首都国際空港で出国審査を済ませ、プライオリティパスでCA国際線のファーストクラスラウンジへ。寿司や点心、肉の炒め物などをつまみ、Great Wall(万里の長城)という銘柄の赤ワインを飲んで時間をつぶしました。いつもながらここはとても寛げます。周りには当然のことながらファーストクラスの乗客がたくさんいますが、パソコンを開いてオフィスソフトを使っている人が目立つのが特徴です。エコノミー客の多い一般の待合室だと、土産物を手に、雑談している人が多いイメージですが。
飛行機は定刻より少し遅れましたが、無事セントレアに帰って来ました。名古屋から北京へと向かう往路に比べ、復路は空席が目立ち、私の知る限り周りは日本人ばかりでした。
ところで今回の旅行中、ハルビンから長春へと向かうCRHの車内でビールを飲みながら幸福感に浸っているときに思いついたのですが、「幸せ募金作戦」というのはどうでしょう?
日常の何気ない一コマで、ふとした幸せを感じた回数分、募金をするのです。幸せ1回あたりの募金額はそれぞれの懐具合で決めれば結構ですが、継続することが大事なのであまり負担に思わない程度の額にとどめておくことが肝心です。今日小さな幸せが3回あったなら、その分だけ募金をしましょう。自分が小さな幸せを見つけた回数だけ、被災地の人にもそれをお裾分けすれば、皆がハッピーです。自粛、やせ我慢で消費が冷え込むよりも、その方が良くないですか?
賛同いただける方は、2ちゃんねるやツイッターでこの作戦を広めてください。
東日本大震災被災者への支援について [雑談]
まずはじめに、2ちゃんねるで見つけ、非常に感心した書き込みを紹介します。
------------------------
いま、俺たちにできること!!助け合い行動しよう!!
節電:関東・関西で徹底的に節電する。関西電力も電力支援を行う模様。
献血:震災直後は混雑する。ナマモノなのですぐに行かずに時期をずらして何度も行くこと。
電話:あまり被災地宛に電話をしない。災害伝言ダイヤル171等を活用して被災者に回線を空ける。
チェーンメール:回さない。ツイッターもいい加減なことをつぶやかない。
義援金:信頼できるところ(日本財団や新聞社、コンビニの募金箱、TSUTAYAポイントなど)に全力で突っ込む。
支援活動:被災地に爆音ヘリや爆音車両で近づかない。 ヘルプの声がかき消される。 また、無理に近づいて二次災害や交通マヒを引き起こさない。とくにマスコミ関係者と野次馬。(道路には規制がかかっている模様)
支援物資:物流が全く機能していないので無理に個別に送ろうとせず、自治体や企業等に依頼や相乗りすること。 新潟地震の教訓「いらないものは送らない」。仕分けにとんでもない手間がかかったそうです。
経済支援:東北産のものを優先的に購入する。
納税:落ち着いたらふるさと納税で支援。
啓発:企業などにメールをして訴える。飲料メーカーなら飲料を、おむつメーカーならおむつを、送ってくださるようお願いする。
啓発その2:東京以西の会社員は、みんなで上に支援を呼びかける。
外出:極力控える。 計画停電時は交差点に注意しよう。
マスコミ:不安を煽ったり、救助活動の邪魔をしない。公式の情報を信じる。
ボランティア:今は行きたくても控える。過去にもあった通り、パニックになるだけ。もし行くなら、トイレから食料まで自前で用意していくこと。
感謝:個人的感情は捨てて、支援してくれる国や人には素直に感謝をする。
冷静:パニックを起こさないよう、冷静沈着でいること。
------------------------
下手に被災地と連絡を取ったり、個人で支援活動をすることは、必ずしも被災地のためになりません。被災地と離れた私たちにできることは、これまでどおりの生活を営み、被災地を支える日本の経済活動を停滞させないことだと再認識しました。
ところで先のニュージーランドでの地震の際、瓦礫にはさまれながら冷静に現状をメールで送り、救援隊が来たときに足を切断することに同意した19歳の日本人男性がクローズアップされ、現地の消防隊は彼のことを「一番の英雄」だと言っていました。今回の東日本大震災でも、多くの被災者たちが秩序を乱さず、助け合いながらマナーを守る様子を、多くの外国メディアが驚嘆と感嘆の念を持って紹介していました。外国から見た日本は「礼儀正しく、勤勉で、秩序を守り、人々が助け合う国」なのだと思います。そして大変な境遇の中、そのイメージを改めて諸外国に見せつけた被災地の方たちは、自衛隊や諸外国の救援隊以上に「一番の英雄」だと言ってよいでしょう。その意味で、今回の地震が天罰だとか、日本人のアイデンティティーが我欲だとか言っていた某都知事の発言には違和感と憤りを感じました。おそらく発言の時期から考えて、自分の嫌いな減税日本が躍進したことに腹を立て、その怒りを間違って被災地にぶつけてしまったのだろうと思いますが、この人も耄碌したなと思いました。
外国旅行かぶれの私ですが、日本人として日本に生まれてきたことをとても誇りに思っています。
さあ、ここからは私が考えた被災地の人たちを助けるアイデアを2つ紹介します。
今、被災地の人たちは水や食料、毛布や電気、ガスを必要としています。そしてそこから離れたところに、それを届けたいと思う人たちがいます。ただし、支援したい人たちは単純に善意でそう思っていることが多いのですが、できることなら感謝をされた方がより嬉しいのです。想像してみてください。あなたがひょんなことから目のためにいた人の命を救い、その人から手を握られて「ありがとう」と言われたら嬉しくなりませんか? そう、人間は感謝されると幸せになるという本能を大なり小なり持っているのです。
支援したくてもできない人と、支援を待っている人。この両者がいるなら、被災地への支援を自衛隊だけに依存しなくてもビジネスになるじゃないですか。しかも支援した人に被災者からの感謝の言葉が届く仕組みを作れば、支援する意欲も倍増です。
具体的には被災地の各避難所から必要とする物品のリストを集います。そしてそれをネットで公開し、それらの物品を購入してくれる出資者(支援者)を集うのです。支援者たちの善意によってお金が貯まれば、業者はその物品を避難所に届けます。要は注文を受けてそれを配送する通信販売業者と本質的に変わりません。ただしこの場合、業者は支援者たちの具体的な出資リストと、被災地の人たちからの感謝の言葉をネットで公開しなければなりません。それをすることで支援者の側は自分の支援金が業者に中抜きされていないこと(ただし業者は通信販売としての通常の利益を手に入れます)と、被災地の人たちに感謝されたことが分かりますし、被災者たちは更なる支援のために、より一生懸命感謝の気持ちを綴ることでしょう。かつて阪神大震災のときは避難生活が長引くとそれに慣れ、だんだんとそれを当然と考えて過大な要求をする人が増えたそうですが、このシステムなら被災者たちは毎回支援のありがたさと正面から向きあうことになり、それが元の自立した生活を目指すモチベーションにもつながるでしょう。
先ほども書きましたが、被災地を支えるために日本の経済活動を停滞させないことは、我々の重要な責務です。ですから被災者支援をビジネスとすることに胡散臭さを感じる必要はまったくありません。
そしてもう一つのアイデアですが、それはずばりNHKドラマの「おしん」です。東北地方の寒村に生まれ育ち、さまざまな苦難を乗り越えて成長していった「おしん」の物語は、これまで多くの国で放映され、高い視聴率をとってきました。
今こそ "Don't give up Touhoku. Don't give up O-shin." (がんばれ、東北。がんばれ、おしん)と銘打ってあのドラマにもう一度脚光を浴びせ、日本や諸外国でコンテンツを販売した収益(の一部)を被災地に寄付するのはいかがでしょう?
NHKの中の人、検討してみてください。
(3月21日 追記)
ハルビン・長春旅行記にも書きましたが、「幸せ募金作戦」というのはどうでしょう?
日常の何気ない一コマで、ふとした幸せを感じた回数分、募金をするのです。幸せ1回あたりの募金額はそれぞれの懐具合で決めれば結構ですが、継続することが大事なのであまり負担に思わない程度の額にとどめておくことが肝心です。今日小さな幸せが3回あったなら、その分だけ募金をしましょう。自分が小さな幸せを見つけた回数だけ、被災地の人にもそれをお裾分けすれば、皆がハッピーです。自粛、やせ我慢で消費が冷え込むよりも、その方が良くないですか?
賛同いただける方は、2ちゃんねるやツイッターでこの作戦を広めてください。
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いま、俺たちにできること!!助け合い行動しよう!!
節電:関東・関西で徹底的に節電する。関西電力も電力支援を行う模様。
献血:震災直後は混雑する。ナマモノなのですぐに行かずに時期をずらして何度も行くこと。
電話:あまり被災地宛に電話をしない。災害伝言ダイヤル171等を活用して被災者に回線を空ける。
チェーンメール:回さない。ツイッターもいい加減なことをつぶやかない。
義援金:信頼できるところ(日本財団や新聞社、コンビニの募金箱、TSUTAYAポイントなど)に全力で突っ込む。
支援活動:被災地に爆音ヘリや爆音車両で近づかない。 ヘルプの声がかき消される。 また、無理に近づいて二次災害や交通マヒを引き起こさない。とくにマスコミ関係者と野次馬。(道路には規制がかかっている模様)
支援物資:物流が全く機能していないので無理に個別に送ろうとせず、自治体や企業等に依頼や相乗りすること。 新潟地震の教訓「いらないものは送らない」。仕分けにとんでもない手間がかかったそうです。
経済支援:東北産のものを優先的に購入する。
納税:落ち着いたらふるさと納税で支援。
啓発:企業などにメールをして訴える。飲料メーカーなら飲料を、おむつメーカーならおむつを、送ってくださるようお願いする。
啓発その2:東京以西の会社員は、みんなで上に支援を呼びかける。
外出:極力控える。 計画停電時は交差点に注意しよう。
マスコミ:不安を煽ったり、救助活動の邪魔をしない。公式の情報を信じる。
ボランティア:今は行きたくても控える。過去にもあった通り、パニックになるだけ。もし行くなら、トイレから食料まで自前で用意していくこと。
感謝:個人的感情は捨てて、支援してくれる国や人には素直に感謝をする。
冷静:パニックを起こさないよう、冷静沈着でいること。
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下手に被災地と連絡を取ったり、個人で支援活動をすることは、必ずしも被災地のためになりません。被災地と離れた私たちにできることは、これまでどおりの生活を営み、被災地を支える日本の経済活動を停滞させないことだと再認識しました。
ところで先のニュージーランドでの地震の際、瓦礫にはさまれながら冷静に現状をメールで送り、救援隊が来たときに足を切断することに同意した19歳の日本人男性がクローズアップされ、現地の消防隊は彼のことを「一番の英雄」だと言っていました。今回の東日本大震災でも、多くの被災者たちが秩序を乱さず、助け合いながらマナーを守る様子を、多くの外国メディアが驚嘆と感嘆の念を持って紹介していました。外国から見た日本は「礼儀正しく、勤勉で、秩序を守り、人々が助け合う国」なのだと思います。そして大変な境遇の中、そのイメージを改めて諸外国に見せつけた被災地の方たちは、自衛隊や諸外国の救援隊以上に「一番の英雄」だと言ってよいでしょう。その意味で、今回の地震が天罰だとか、日本人のアイデンティティーが我欲だとか言っていた某都知事の発言には違和感と憤りを感じました。おそらく発言の時期から考えて、自分の嫌いな減税日本が躍進したことに腹を立て、その怒りを間違って被災地にぶつけてしまったのだろうと思いますが、この人も耄碌したなと思いました。
外国旅行かぶれの私ですが、日本人として日本に生まれてきたことをとても誇りに思っています。
さあ、ここからは私が考えた被災地の人たちを助けるアイデアを2つ紹介します。
今、被災地の人たちは水や食料、毛布や電気、ガスを必要としています。そしてそこから離れたところに、それを届けたいと思う人たちがいます。ただし、支援したい人たちは単純に善意でそう思っていることが多いのですが、できることなら感謝をされた方がより嬉しいのです。想像してみてください。あなたがひょんなことから目のためにいた人の命を救い、その人から手を握られて「ありがとう」と言われたら嬉しくなりませんか? そう、人間は感謝されると幸せになるという本能を大なり小なり持っているのです。
支援したくてもできない人と、支援を待っている人。この両者がいるなら、被災地への支援を自衛隊だけに依存しなくてもビジネスになるじゃないですか。しかも支援した人に被災者からの感謝の言葉が届く仕組みを作れば、支援する意欲も倍増です。
具体的には被災地の各避難所から必要とする物品のリストを集います。そしてそれをネットで公開し、それらの物品を購入してくれる出資者(支援者)を集うのです。支援者たちの善意によってお金が貯まれば、業者はその物品を避難所に届けます。要は注文を受けてそれを配送する通信販売業者と本質的に変わりません。ただしこの場合、業者は支援者たちの具体的な出資リストと、被災地の人たちからの感謝の言葉をネットで公開しなければなりません。それをすることで支援者の側は自分の支援金が業者に中抜きされていないこと(ただし業者は通信販売としての通常の利益を手に入れます)と、被災地の人たちに感謝されたことが分かりますし、被災者たちは更なる支援のために、より一生懸命感謝の気持ちを綴ることでしょう。かつて阪神大震災のときは避難生活が長引くとそれに慣れ、だんだんとそれを当然と考えて過大な要求をする人が増えたそうですが、このシステムなら被災者たちは毎回支援のありがたさと正面から向きあうことになり、それが元の自立した生活を目指すモチベーションにもつながるでしょう。
先ほども書きましたが、被災地を支えるために日本の経済活動を停滞させないことは、我々の重要な責務です。ですから被災者支援をビジネスとすることに胡散臭さを感じる必要はまったくありません。
そしてもう一つのアイデアですが、それはずばりNHKドラマの「おしん」です。東北地方の寒村に生まれ育ち、さまざまな苦難を乗り越えて成長していった「おしん」の物語は、これまで多くの国で放映され、高い視聴率をとってきました。
今こそ "Don't give up Touhoku. Don't give up O-shin." (がんばれ、東北。がんばれ、おしん)と銘打ってあのドラマにもう一度脚光を浴びせ、日本や諸外国でコンテンツを販売した収益(の一部)を被災地に寄付するのはいかがでしょう?
NHKの中の人、検討してみてください。
(3月21日 追記)
ハルビン・長春旅行記にも書きましたが、「幸せ募金作戦」というのはどうでしょう?
日常の何気ない一コマで、ふとした幸せを感じた回数分、募金をするのです。幸せ1回あたりの募金額はそれぞれの懐具合で決めれば結構ですが、継続することが大事なのであまり負担に思わない程度の額にとどめておくことが肝心です。今日小さな幸せが3回あったなら、その分だけ募金をしましょう。自分が小さな幸せを見つけた回数だけ、被災地の人にもそれをお裾分けすれば、皆がハッピーです。自粛、やせ我慢で消費が冷え込むよりも、その方が良くないですか?
賛同いただける方は、2ちゃんねるやツイッターでこの作戦を広めてください。
釜山旅行記(11年2月) [海外旅行記]
今回は6回目の釜山旅行です。JALの10800マイルを使ってセントレア発成田経由釜山行きのチケットを発券しました。通常、マイルを使った特典航空券ではフライトマイルは貯まりませんが、セントレア-成田間は国内線なので、ニッポン500マイルキャンペーン(http://ja.delta.com/delta/enja/?24;http://www.delta.com/skymiles/ways_to_get_miles/earning_miles_partners/airline_partners/airline_lto/japan500_bonus/index.jsp)を利用すれば、デルタ航空のマイレージ口座に1000マイル貯まります。ホテルは楽天トラベルで、地下鉄1号線中央駅の近くにある東新ホテル(2つ星、軽朝食付きで1泊2625円)を予約しました。連れがいるときは高級ホテルに泊まることも多々ありますが、一人の時は基本的に安宿です。
さて、最初に釜山の基本情報について触れておきましょう。釜山は韓国第2の都市です。福岡からはビートルなどの高速船を使えば3時間で、フェリーを使っても一晩で到着しますが、私はどちらも船酔いで苦しみました。主な観光地はチャガルチ市場と呼ばれる巨大な魚市場(新鮮な刺身を食べらますが、割高です)、国際市場(屋台の寄せ集め)、山の頂上に立つ釜山タワー(アジア最大級の釜山港を一望できます)、釜山アクアリウム(ガラスチューブの歩道から巨大な水槽で泳ぐ魚たちを一望できます)、海雲台海水浴場(少しだけハワイのダイヤモンドヘッドと似ています)などです。西面にある釜山ロッテホテルのロビーにはジャングルのようなカフェがあり、夜にはそこで音楽の演奏もあるので、コーヒーを飲みながら寛ぐのも悪くありません。
慶州高速バスターミナルへは、地下鉄1号線最北端の駅に隣接する釜山総合バスターミナルから直行バスが出ています。ここを午前10時頃に出発する韓国人向けの観光バス(数年前は1500円程度でした)に乗れば、世界遺産の仏国寺、石窟庵、慶州歴史地区などの見所を1日かけて回ってくれます。ガイドとツアー客のうち誰か一人くらいは日本語か英語を話せると思うので、バスの集合時間だけ教えてもらえば細かい説明は分からなくても何とかなります。
もう一つの釜山に近い世界遺産である海印寺へは、KTXで大邱に行き、そこから地下鉄とバスを乗り継ぐことで行けます。日本語や英語の案内が少なく、少し迷った覚えがあります。麓の広場に描かれた迷路のような道を最初から最後まで歩くと御利益があるそうで、私も小走りで踏破しました。
それでは今回の旅行記です。
18日朝、セントレアから成田へと国内線で飛び、そこで出国審査を済ませて釜山行きの国際線に乗りました。釜山の空港内両替所では1万円=127000ウォンでした。空港から307番バス(1800W)に乗り、江西区庁で地下鉄(1300W)3号線に乗り換え、1号線の中央駅に着いたのは午後3時頃でした。しかし本当は、201番バスに乗って西面で地下鉄1号線に乗り継ぐのが一番の早道です。ホテルに荷物を置いてから再び散策に出かけましたが、このあたりのメジャーな観光地はもう行き尽くしています。JALの機内食が軽めだったので、まずは近くの店に入って味噌汁のお粥(3000W)で腹ごしらえをしてから、2009年にできた南浦洞のロッテ百貨店光復店に行きました。
ここは新しい百貨店なので、吹き抜けの空間も上手に取ってあり、歩くだけで楽しい場所ですが、特にお勧めなのが屋上の展望台と地下1階の噴水(どちらも無料)です。影島や釜山港を望む展望台は一見の価値あり。夜にはカップルの定番スポットになっているようでした。毎時0分からおよそ15分間、地下1階から3階までの吹き抜け空間にある噴水でショーが行われています。無数の噴水が高い水しぶきを上げ、天井からはスコールのように大量の水が降り注ぎます。クラシック音楽をバックに、天井から落ちる水の壁に映写機から映像が映し出され、最後には「LOTTE」と言う文字の形をした水の塊が落ちてきました。
電気店ではサムスンとLG製の40~60インチの大型液晶テレビが並んでいましたが、日本と比べて割高です。これらのメーカーは韓国内でぼったくり料金で販売し、海外で安売りを仕掛ける事業スタイルだと聞いたことがあります。
私は一通り散策した後、地下1階の食料品売り場でお土産のお茶を買い、南浦洞の裏通りへと向かいました。ここの本屋でワンピースの韓国語版コミック(4500W)を買い、ソウル参鶏湯という店で参鶏湯(12000W)を食べました。この店も伝統ある有名店なので、味は確かです。朝が早かったため、その日は夕食後、ホテルに帰って休むことにしました。
翌19日、朝7時に起きてホテルの食堂に行きましたが、食パンとお茶だけの軽朝食であったため、外に食べに出ることにしました。ホテル近くにある天安コムタンという店でコムタン(牛肉の薄切りが入った白湯スープ、7000W)を食べた後、地下鉄の1日乗車券(3500W)を買って、1号線最北端の駅に隣接した釜山総合バスターミナルへと向かいました。今回はまだ行っていない郊外の寺院巡りをする予定です。通度寺行きのバスチケット(2100W)を購入し、バスに揺られること25分、通度寺近くのバスターミナルに到着しました。しかし地球の迷い方を読んでも、ここから通度寺までの道がよく分からなかったため、タクシーに乗って向かうことにしました。補足をすると、バスターミナルの南に面した幹線道路を徒歩で西に5分ほど進めば、正面に入り口が見えてきます。途中その入り口でタクシーが止まり、そこで拝観料の3000Wを支払ってから奥に進みました。境内の駐車場までのタクシー料金は3090Wでした。
ここには仏舎利(釈迦の遺骨)が祀られているそうですが、世界には無数の仏舎利を祀った寺院があり、正直なところ人間一人の遺骨をそこまで分散できるとは思いません。以前、ミャンマーの寺院に祀られた仏舎利を科学的に解析したところ、オオカミの骨だったそうです。これを最初に仏舎利だと言った人は、とんだオオカミ少年です。
通度寺は庶民の信仰の場となっており、境内にある複数の建物内で読経が行われていました。聞いていると韓国語ではなく、日本のお経と似た響きをしています。つまりサンスクリット語に中国人が漢字で当て字をしたものなのでしょう。日本や韓国の仏教徒の多くは、意味も分からず呪文のようにその言葉を唱えているのですが、一般の人に原始仏教の良さを伝えるべく、翻訳した言葉でお経を上げる宗派が一つくらいあっても良さそうな気がします。
ともあれ、通度寺は人々の信仰と周りの自然に癒される場所でした。すぐ隣には博物館もあり、絵画などの収蔵品も見応えがありました。拝観後は徒歩で15分ほどかけて先程のバスターミナルに戻り、再びバスで釜山総合バスターミナルへと戻ってきました。そこでビビンバ(5000W)の昼食を摂ってから地下鉄に乗り、隣の梵魚寺駅へ。5番出口と7番出口の間にある細い道を2分ほど山の方に進むと、正面にバスターミナルが見えてきます。そこで90番のバス(1200W)に乗って梵魚寺へと向かいました。ここは釜山で一番有名な、観光客がたくさん訪れる寺院ですが、通度寺を見た直後では新鮮味に欠け、あまり印象に残りませんでした。
その後、再び地下鉄に乗り、午後2時過ぎに海雲台に着きました。海雲台グランドホテルで「ジャンプ」というアクション&お笑い劇が行われており、その土曜日午後4時の公演を見ようと思ったのです。
まだ開演まで時間があったため、近くのショッピングモール(新世紀エヴァンゲリオンの主題歌、残酷な天使のテーゼが流れていました)や古い商店街を散策しながら時間をつぶし、海雲台海水浴場へとやってきました。ここはハワイのダイヤモンドヘッドに韓国風の古いビルを林立させて生活臭を加えたような場所であり、海岸にある特設ステージでは、若いアーティストによる歌と踊りのショーが行われていました。女性ダンサー3人がハイヒールを履いて踊っていましたが、それで足や腰を痛める人も多いそうです。
ショーを見た後は、海岸のインフォメーションセンター隣にある無料の足湯へと行きました。私は以前、九州温泉巡りの旅をした時に、ゆふいん駅で足湯に入ったことがありますが、その時ほど熱くなく、ちょうど良い温度でした。
午後3時半に足湯を出て、海雲台グランドホテルへと向かい、その地下にあるジャンプ専用劇場の窓口でチケット(S席40000W)を買いました。今回は予約なしで行ったのですが、できれば予約した方が確実で安上がりです(http://www.pusannavi.com/tour/214/)。武道家一族の家に婚約者や泥棒がやってくるというコメディーですが、オーバーゼスチャーと簡単な英語だけでストーリーを理解でき、バック転やムーンサルトから演武まで幅広くこなす身体能力に優れた役者たちが道化になりきっているため、アクションあり、笑いありの大変楽しい舞台でした。個人的にはナンタ(http://www.seoulnavi.com/play/321/)以上にお勧めです。ノンストップ80分間の舞台を飽きることなく見ることができました。
その後、地下鉄に乗って南浦洞に行き、前日にも訪れたロッテ百貨店光復店の上層にあるレストラン街でキムチ豆腐定食(9000W)を、地下1階の食品街でトッポッキ(3000W)を食べました。
食後、龍頭山公園と釜山タワー(4000W)に行きました。龍頭山公園のライトアップはきれいでしたが、釜山の夜景を見るなら、古びた有料の釜山タワーよりも、新しい無料のロッテ百貨店光復店屋上の方が雰囲気も良くてお勧めです。
翌20日は朝7時過ぎに起きてチェックアウトし、釜山タワーの西にあるトルゴレという店で豆腐チゲの朝食(3500W)を摂った後、地下鉄1号線で温泉場駅に行き(1300W)、農心ホテルの北隣にある虚心庁という温泉(10000W)に入りました。ここは温泉の湯を使ったスーパー銭湯で、露天風呂、檜風呂、サウナ、水風呂、打たせ湯など様々な施設があります。しかしわざわざ韓国に来てまでスーパー銭湯に入らなくても良いかな?、というのが率直な私の意見です。余談ですが、私はハンガリーで水着を着て入るプールのような混浴温泉に入ったことがあります。ここではそれ以外にも、日本や韓国同様に男女別になっている温泉もありますが、その男性風呂の真ん中に一人でいると、「ウフォ、いい男。やらないか?(AA略)」という趣味だと思われるそうです。
午前10時半に温泉を出て、地下鉄1号線で西面へ(1100W)。9番出口を出て、ロッテホテル向かいのバス乗り場から201番バスに乗り(1800W)、空港に着いたのは正午頃でした。チェックインと出国審査を済ませ、プライオリティパスで大韓航空とアシアナ航空のビジネスクラスラウンジをハシゴしましたが、雰囲気は大差なく、大韓航空の方が飲食物の種類が多めでした。その後、14:20発のフライトに搭乗し、成田経由で名古屋に帰ってきました。
そうそう、今回の旅行中、あちこちのコンビニでスターバックスの缶コーヒー(1500W)を見かけたのですが、カフェオレのようで大変美味でした。歩き疲れたときに飲むと、血糖もあがって少し体力が回復します。
最後になりましたが、今後の旅行記の予告を兼ねて、今年の旅行計画を書き出しておきます。
1月はJALの30000マイルを使ってデリーへ(済)。
2月はJALの10800マイルを使って釜山へ(済)。
3月はANAの22000マイルを使って中国国際航空(CA)でハルビン&長春へ。
4月はキャセイパシフィック(CX)15000マイルを使ってJALでソウルへ。
5月もCX15000マイルを使ってJALでソウルへ。
6月はコンチネンタル航空の25000マイルを使ってパラオへ。(43カ国目)
7月は74300円でタイ航空のチケットを購入してスイスへ。(リヒテンシュタインにも行くので45カ国目)
8月は34000円でJALのチケットを購入して台北へ。
9月はANAの22000マイルを使ってCAで成都へ。
10月はデルタ航空の20000マイルを使ってマニラへ。
11月はANAの43000マイルを使ってタイ航空とアシアナ航空でカトマンズへ。(46カ国目)
12月はJALの10800マイルを使って釜山~ソウルへ。
韓国旅行が4回もありますが、韓国に行くしか使い道のない少額マイルがあちこちの口座に散らばっていたためです。なお、ダイナースカードが一定条件を満たせば初年度年会費無料で5万マイル獲得できるキャンペーン(2月末で終了)を開始したため、さっそく申し込んだところ、入会審査に通ったとの通知が旅行中に届きました。今回もしっかりとマイルを貯めていく予定です。
昨今の中東情勢の不安定化のため、今後燃油サーチャージの上昇が見込まれます。特典航空券に燃油サーチャージを別途請求しないアメリカ系航空会社のマイルを除いて、今のうちに発券しておいたほうがよいかもしれません。
さて、最初に釜山の基本情報について触れておきましょう。釜山は韓国第2の都市です。福岡からはビートルなどの高速船を使えば3時間で、フェリーを使っても一晩で到着しますが、私はどちらも船酔いで苦しみました。主な観光地はチャガルチ市場と呼ばれる巨大な魚市場(新鮮な刺身を食べらますが、割高です)、国際市場(屋台の寄せ集め)、山の頂上に立つ釜山タワー(アジア最大級の釜山港を一望できます)、釜山アクアリウム(ガラスチューブの歩道から巨大な水槽で泳ぐ魚たちを一望できます)、海雲台海水浴場(少しだけハワイのダイヤモンドヘッドと似ています)などです。西面にある釜山ロッテホテルのロビーにはジャングルのようなカフェがあり、夜にはそこで音楽の演奏もあるので、コーヒーを飲みながら寛ぐのも悪くありません。
慶州高速バスターミナルへは、地下鉄1号線最北端の駅に隣接する釜山総合バスターミナルから直行バスが出ています。ここを午前10時頃に出発する韓国人向けの観光バス(数年前は1500円程度でした)に乗れば、世界遺産の仏国寺、石窟庵、慶州歴史地区などの見所を1日かけて回ってくれます。ガイドとツアー客のうち誰か一人くらいは日本語か英語を話せると思うので、バスの集合時間だけ教えてもらえば細かい説明は分からなくても何とかなります。
もう一つの釜山に近い世界遺産である海印寺へは、KTXで大邱に行き、そこから地下鉄とバスを乗り継ぐことで行けます。日本語や英語の案内が少なく、少し迷った覚えがあります。麓の広場に描かれた迷路のような道を最初から最後まで歩くと御利益があるそうで、私も小走りで踏破しました。
それでは今回の旅行記です。
18日朝、セントレアから成田へと国内線で飛び、そこで出国審査を済ませて釜山行きの国際線に乗りました。釜山の空港内両替所では1万円=127000ウォンでした。空港から307番バス(1800W)に乗り、江西区庁で地下鉄(1300W)3号線に乗り換え、1号線の中央駅に着いたのは午後3時頃でした。しかし本当は、201番バスに乗って西面で地下鉄1号線に乗り継ぐのが一番の早道です。ホテルに荷物を置いてから再び散策に出かけましたが、このあたりのメジャーな観光地はもう行き尽くしています。JALの機内食が軽めだったので、まずは近くの店に入って味噌汁のお粥(3000W)で腹ごしらえをしてから、2009年にできた南浦洞のロッテ百貨店光復店に行きました。
ここは新しい百貨店なので、吹き抜けの空間も上手に取ってあり、歩くだけで楽しい場所ですが、特にお勧めなのが屋上の展望台と地下1階の噴水(どちらも無料)です。影島や釜山港を望む展望台は一見の価値あり。夜にはカップルの定番スポットになっているようでした。毎時0分からおよそ15分間、地下1階から3階までの吹き抜け空間にある噴水でショーが行われています。無数の噴水が高い水しぶきを上げ、天井からはスコールのように大量の水が降り注ぎます。クラシック音楽をバックに、天井から落ちる水の壁に映写機から映像が映し出され、最後には「LOTTE」と言う文字の形をした水の塊が落ちてきました。
電気店ではサムスンとLG製の40~60インチの大型液晶テレビが並んでいましたが、日本と比べて割高です。これらのメーカーは韓国内でぼったくり料金で販売し、海外で安売りを仕掛ける事業スタイルだと聞いたことがあります。
私は一通り散策した後、地下1階の食料品売り場でお土産のお茶を買い、南浦洞の裏通りへと向かいました。ここの本屋でワンピースの韓国語版コミック(4500W)を買い、ソウル参鶏湯という店で参鶏湯(12000W)を食べました。この店も伝統ある有名店なので、味は確かです。朝が早かったため、その日は夕食後、ホテルに帰って休むことにしました。
翌19日、朝7時に起きてホテルの食堂に行きましたが、食パンとお茶だけの軽朝食であったため、外に食べに出ることにしました。ホテル近くにある天安コムタンという店でコムタン(牛肉の薄切りが入った白湯スープ、7000W)を食べた後、地下鉄の1日乗車券(3500W)を買って、1号線最北端の駅に隣接した釜山総合バスターミナルへと向かいました。今回はまだ行っていない郊外の寺院巡りをする予定です。通度寺行きのバスチケット(2100W)を購入し、バスに揺られること25分、通度寺近くのバスターミナルに到着しました。しかし地球の迷い方を読んでも、ここから通度寺までの道がよく分からなかったため、タクシーに乗って向かうことにしました。補足をすると、バスターミナルの南に面した幹線道路を徒歩で西に5分ほど進めば、正面に入り口が見えてきます。途中その入り口でタクシーが止まり、そこで拝観料の3000Wを支払ってから奥に進みました。境内の駐車場までのタクシー料金は3090Wでした。
ここには仏舎利(釈迦の遺骨)が祀られているそうですが、世界には無数の仏舎利を祀った寺院があり、正直なところ人間一人の遺骨をそこまで分散できるとは思いません。以前、ミャンマーの寺院に祀られた仏舎利を科学的に解析したところ、オオカミの骨だったそうです。これを最初に仏舎利だと言った人は、とんだオオカミ少年です。
通度寺は庶民の信仰の場となっており、境内にある複数の建物内で読経が行われていました。聞いていると韓国語ではなく、日本のお経と似た響きをしています。つまりサンスクリット語に中国人が漢字で当て字をしたものなのでしょう。日本や韓国の仏教徒の多くは、意味も分からず呪文のようにその言葉を唱えているのですが、一般の人に原始仏教の良さを伝えるべく、翻訳した言葉でお経を上げる宗派が一つくらいあっても良さそうな気がします。
ともあれ、通度寺は人々の信仰と周りの自然に癒される場所でした。すぐ隣には博物館もあり、絵画などの収蔵品も見応えがありました。拝観後は徒歩で15分ほどかけて先程のバスターミナルに戻り、再びバスで釜山総合バスターミナルへと戻ってきました。そこでビビンバ(5000W)の昼食を摂ってから地下鉄に乗り、隣の梵魚寺駅へ。5番出口と7番出口の間にある細い道を2分ほど山の方に進むと、正面にバスターミナルが見えてきます。そこで90番のバス(1200W)に乗って梵魚寺へと向かいました。ここは釜山で一番有名な、観光客がたくさん訪れる寺院ですが、通度寺を見た直後では新鮮味に欠け、あまり印象に残りませんでした。
その後、再び地下鉄に乗り、午後2時過ぎに海雲台に着きました。海雲台グランドホテルで「ジャンプ」というアクション&お笑い劇が行われており、その土曜日午後4時の公演を見ようと思ったのです。
まだ開演まで時間があったため、近くのショッピングモール(新世紀エヴァンゲリオンの主題歌、残酷な天使のテーゼが流れていました)や古い商店街を散策しながら時間をつぶし、海雲台海水浴場へとやってきました。ここはハワイのダイヤモンドヘッドに韓国風の古いビルを林立させて生活臭を加えたような場所であり、海岸にある特設ステージでは、若いアーティストによる歌と踊りのショーが行われていました。女性ダンサー3人がハイヒールを履いて踊っていましたが、それで足や腰を痛める人も多いそうです。
ショーを見た後は、海岸のインフォメーションセンター隣にある無料の足湯へと行きました。私は以前、九州温泉巡りの旅をした時に、ゆふいん駅で足湯に入ったことがありますが、その時ほど熱くなく、ちょうど良い温度でした。
午後3時半に足湯を出て、海雲台グランドホテルへと向かい、その地下にあるジャンプ専用劇場の窓口でチケット(S席40000W)を買いました。今回は予約なしで行ったのですが、できれば予約した方が確実で安上がりです(http://www.pusannavi.com/tour/214/)。武道家一族の家に婚約者や泥棒がやってくるというコメディーですが、オーバーゼスチャーと簡単な英語だけでストーリーを理解でき、バック転やムーンサルトから演武まで幅広くこなす身体能力に優れた役者たちが道化になりきっているため、アクションあり、笑いありの大変楽しい舞台でした。個人的にはナンタ(http://www.seoulnavi.com/play/321/)以上にお勧めです。ノンストップ80分間の舞台を飽きることなく見ることができました。
その後、地下鉄に乗って南浦洞に行き、前日にも訪れたロッテ百貨店光復店の上層にあるレストラン街でキムチ豆腐定食(9000W)を、地下1階の食品街でトッポッキ(3000W)を食べました。
食後、龍頭山公園と釜山タワー(4000W)に行きました。龍頭山公園のライトアップはきれいでしたが、釜山の夜景を見るなら、古びた有料の釜山タワーよりも、新しい無料のロッテ百貨店光復店屋上の方が雰囲気も良くてお勧めです。
翌20日は朝7時過ぎに起きてチェックアウトし、釜山タワーの西にあるトルゴレという店で豆腐チゲの朝食(3500W)を摂った後、地下鉄1号線で温泉場駅に行き(1300W)、農心ホテルの北隣にある虚心庁という温泉(10000W)に入りました。ここは温泉の湯を使ったスーパー銭湯で、露天風呂、檜風呂、サウナ、水風呂、打たせ湯など様々な施設があります。しかしわざわざ韓国に来てまでスーパー銭湯に入らなくても良いかな?、というのが率直な私の意見です。余談ですが、私はハンガリーで水着を着て入るプールのような混浴温泉に入ったことがあります。ここではそれ以外にも、日本や韓国同様に男女別になっている温泉もありますが、その男性風呂の真ん中に一人でいると、「ウフォ、いい男。やらないか?(AA略)」という趣味だと思われるそうです。
午前10時半に温泉を出て、地下鉄1号線で西面へ(1100W)。9番出口を出て、ロッテホテル向かいのバス乗り場から201番バスに乗り(1800W)、空港に着いたのは正午頃でした。チェックインと出国審査を済ませ、プライオリティパスで大韓航空とアシアナ航空のビジネスクラスラウンジをハシゴしましたが、雰囲気は大差なく、大韓航空の方が飲食物の種類が多めでした。その後、14:20発のフライトに搭乗し、成田経由で名古屋に帰ってきました。
そうそう、今回の旅行中、あちこちのコンビニでスターバックスの缶コーヒー(1500W)を見かけたのですが、カフェオレのようで大変美味でした。歩き疲れたときに飲むと、血糖もあがって少し体力が回復します。
最後になりましたが、今後の旅行記の予告を兼ねて、今年の旅行計画を書き出しておきます。
1月はJALの30000マイルを使ってデリーへ(済)。
2月はJALの10800マイルを使って釜山へ(済)。
3月はANAの22000マイルを使って中国国際航空(CA)でハルビン&長春へ。
4月はキャセイパシフィック(CX)15000マイルを使ってJALでソウルへ。
5月もCX15000マイルを使ってJALでソウルへ。
6月はコンチネンタル航空の25000マイルを使ってパラオへ。(43カ国目)
7月は74300円でタイ航空のチケットを購入してスイスへ。(リヒテンシュタインにも行くので45カ国目)
8月は34000円でJALのチケットを購入して台北へ。
9月はANAの22000マイルを使ってCAで成都へ。
10月はデルタ航空の20000マイルを使ってマニラへ。
11月はANAの43000マイルを使ってタイ航空とアシアナ航空でカトマンズへ。(46カ国目)
12月はJALの10800マイルを使って釜山~ソウルへ。
韓国旅行が4回もありますが、韓国に行くしか使い道のない少額マイルがあちこちの口座に散らばっていたためです。なお、ダイナースカードが一定条件を満たせば初年度年会費無料で5万マイル獲得できるキャンペーン(2月末で終了)を開始したため、さっそく申し込んだところ、入会審査に通ったとの通知が旅行中に届きました。今回もしっかりとマイルを貯めていく予定です。
昨今の中東情勢の不安定化のため、今後燃油サーチャージの上昇が見込まれます。特典航空券に燃油サーチャージを別途請求しないアメリカ系航空会社のマイルを除いて、今のうちに発券しておいたほうがよいかもしれません。
一番じゃなきゃダメですか? [雑談]
これは昨年、蓮舫議員が事業仕分けの時に言った有名な台詞です。科学立国の日本としては一番じゃなきゃ意味がない、二番煎じではダメだ、とノーベル賞受賞者までが言い出して、世論からも非難を浴びた言葉ですが、私はあえてこれに異を唱えます。
実は何番でも良いのです。その理由を説明しましょう。
皆さんはマザーコンピューターという言葉を聞いたことがありますか? 昔のSFに出てきた人間社会全体を管理する巨大コンピューターのことです。1946年、世界最初に作られたコンピューターはエニアックという名前で、幅24m、高さ2.5m、奥行き0.9m、総重量30トンと大掛かりな装置でした。と言っても、性能的には現在100円ショップで売っている電卓と同程度かそれ以下であり、シングルタスクしか行えない原始的なものでした。その後、コンピューターは真空管からトランジスタへ、トランジスタからICへ、ICはLSIへと進化を遂げました。それを見た昔の人たちは、いつの日か高性能で人間社会全体を管理し得る巨大コンピューターが完成すると思い、それをマザーコンピューターと呼んだのです。
でもそれは幻影でした。アメリカでは一箇所のマザーコンピューターにすべての制御機能が集中すると、敵国からそこを攻撃されたときに致命的なダメージを受けると考え、数多くの小規模コンピューターを繋ぎ合わせ、その機能を分散する「インターネット」と呼ばれる仕組みを開発しました。時代はひとつのマザーコンピューターから複数のCPUを繋ぎ合わせたネットワークへと移行したのです。
1989年、私はあることを考えていました。皆さんは「あ」という文字を見ながら、「あ」という音を頭の中で思い浮かべずにいることは出来ますか? 私は出来ませんでした。つまり人間の脳には、意識というメインCPUがあって、それに「あ」という文字を見たときに割り込みをかけるサブCPU、「い」という文字を見たときに割り込みをかけるサブCPU、好きな異性を見たときに割り込みをかけるサブCPUなどがあって、無数のCPUの複合体によって成り立っていると考えたのです。そしてこれこそが究極のコンピューターだと考えました。
現在はデュアルコアやクアッドコアのCPUが主流になり、マルチコアの時代へと移行しつつあります。20年前に私が考えたことは概ね間違いではなかったと思っているのですが、ひとつだけ間違いがあったことに気づきました。現在のCPUコアはその処理速度の上で光速がボトムネックになるほど高速化し、一つ一つのコアを高速化するためにプロセスサイズを細かくして情報の移動距離を短くする方向に向かっているのです。つまり一定のプロセスサイズである限り、おのずと限界の速度があるわけです。昔の私が考えた、高性能なメインCPUを数多くの低機能なCPUが取り囲むタイプではなく、同程度の性能のコアを出来るだけたくさん用意し、メインプログラムを実行するCPUはいかに多くの作業を他のCPUに外注するかがスピードアップの鍵になっているのです。
さあ、皆さんにも世界一のコンピューターの姿が分かってきたでしょうか? それは世界一高度な技術を要する高性能なシングルコアのCPUではなく、無数のCPUを繋ぎ合わせたものなのです。要は労働者を100人雇うより1000人雇ったほうが高性能という、予算が潤沢でバブリーな方が勝つという側面が強いのです。
そして現在、世界で一番速いコンピューターは中国にあります。これは技術力の差ではなく、世界一のコンピューターを作りたくて、よりたくさん予算をつぎ込んだという面子の勝負です。本質を軽んじ、面子を重んじることにおいて中国の右に出る国はありません。しかし実際にはその高性能なパソコンが実力の何%で稼動するかも重要な問題であり、この点で世界1位の中国製コンピューターは、世界2位のコンピューターに負けているのです(ただし残念ながら、現在の日本はこちらでも競争に遅れています)。日本はこの面子重視のバブリー競争に名乗りを上げるのではなく、実力の何%で稼動させるかという技術力でこそ世界一を目指すべきだと考えています。この基幹技術を押さえることができたら、より多くの労働者(CPU)をかき集めて全体の性能を上げる勝負で1位を目指すよりもよほど有益です。
一番じゃなきゃダメですか?
私はこの問いにあえて答えます。そこで一番である必要はありません。現在は長野県に住む個人が自作パソコンでπを5兆桁まで計算し、ギネスブックに載るくらい、パソコンの性能は高性能化しているのです。無駄な面子競争には巻き込まれないようにしましょう。
ところで話は変わりますが、私は今のところ、2月に釜山、3月にハルビンと長春、4月と5月にソウル、6月にパラオ、7月にスイス周遊、8月に台北、9月に成都、10月にマニラ、11月にカトマンズ、12月に釜山~ソウル周遊の旅行を予定しています。毎月海外旅行に行く予定ですが、7月と8月以外はマイルを使った特典航空券です。
実は何番でも良いのです。その理由を説明しましょう。
皆さんはマザーコンピューターという言葉を聞いたことがありますか? 昔のSFに出てきた人間社会全体を管理する巨大コンピューターのことです。1946年、世界最初に作られたコンピューターはエニアックという名前で、幅24m、高さ2.5m、奥行き0.9m、総重量30トンと大掛かりな装置でした。と言っても、性能的には現在100円ショップで売っている電卓と同程度かそれ以下であり、シングルタスクしか行えない原始的なものでした。その後、コンピューターは真空管からトランジスタへ、トランジスタからICへ、ICはLSIへと進化を遂げました。それを見た昔の人たちは、いつの日か高性能で人間社会全体を管理し得る巨大コンピューターが完成すると思い、それをマザーコンピューターと呼んだのです。
でもそれは幻影でした。アメリカでは一箇所のマザーコンピューターにすべての制御機能が集中すると、敵国からそこを攻撃されたときに致命的なダメージを受けると考え、数多くの小規模コンピューターを繋ぎ合わせ、その機能を分散する「インターネット」と呼ばれる仕組みを開発しました。時代はひとつのマザーコンピューターから複数のCPUを繋ぎ合わせたネットワークへと移行したのです。
1989年、私はあることを考えていました。皆さんは「あ」という文字を見ながら、「あ」という音を頭の中で思い浮かべずにいることは出来ますか? 私は出来ませんでした。つまり人間の脳には、意識というメインCPUがあって、それに「あ」という文字を見たときに割り込みをかけるサブCPU、「い」という文字を見たときに割り込みをかけるサブCPU、好きな異性を見たときに割り込みをかけるサブCPUなどがあって、無数のCPUの複合体によって成り立っていると考えたのです。そしてこれこそが究極のコンピューターだと考えました。
現在はデュアルコアやクアッドコアのCPUが主流になり、マルチコアの時代へと移行しつつあります。20年前に私が考えたことは概ね間違いではなかったと思っているのですが、ひとつだけ間違いがあったことに気づきました。現在のCPUコアはその処理速度の上で光速がボトムネックになるほど高速化し、一つ一つのコアを高速化するためにプロセスサイズを細かくして情報の移動距離を短くする方向に向かっているのです。つまり一定のプロセスサイズである限り、おのずと限界の速度があるわけです。昔の私が考えた、高性能なメインCPUを数多くの低機能なCPUが取り囲むタイプではなく、同程度の性能のコアを出来るだけたくさん用意し、メインプログラムを実行するCPUはいかに多くの作業を他のCPUに外注するかがスピードアップの鍵になっているのです。
さあ、皆さんにも世界一のコンピューターの姿が分かってきたでしょうか? それは世界一高度な技術を要する高性能なシングルコアのCPUではなく、無数のCPUを繋ぎ合わせたものなのです。要は労働者を100人雇うより1000人雇ったほうが高性能という、予算が潤沢でバブリーな方が勝つという側面が強いのです。
そして現在、世界で一番速いコンピューターは中国にあります。これは技術力の差ではなく、世界一のコンピューターを作りたくて、よりたくさん予算をつぎ込んだという面子の勝負です。本質を軽んじ、面子を重んじることにおいて中国の右に出る国はありません。しかし実際にはその高性能なパソコンが実力の何%で稼動するかも重要な問題であり、この点で世界1位の中国製コンピューターは、世界2位のコンピューターに負けているのです(ただし残念ながら、現在の日本はこちらでも競争に遅れています)。日本はこの面子重視のバブリー競争に名乗りを上げるのではなく、実力の何%で稼動させるかという技術力でこそ世界一を目指すべきだと考えています。この基幹技術を押さえることができたら、より多くの労働者(CPU)をかき集めて全体の性能を上げる勝負で1位を目指すよりもよほど有益です。
一番じゃなきゃダメですか?
私はこの問いにあえて答えます。そこで一番である必要はありません。現在は長野県に住む個人が自作パソコンでπを5兆桁まで計算し、ギネスブックに載るくらい、パソコンの性能は高性能化しているのです。無駄な面子競争には巻き込まれないようにしましょう。
ところで話は変わりますが、私は今のところ、2月に釜山、3月にハルビンと長春、4月と5月にソウル、6月にパラオ、7月にスイス周遊、8月に台北、9月に成都、10月にマニラ、11月にカトマンズ、12月に釜山~ソウル周遊の旅行を予定しています。毎月海外旅行に行く予定ですが、7月と8月以外はマイルを使った特典航空券です。
インド旅行記(11年1月) [海外旅行記]
今回はインドに行ってきました。JALの3万マイルを使って特典航空券と引き替えたのですが、オフシーズンの少ないマイルで行ける時期に3連休を利用しての旅行なので、特典航空券の空席がすぐなくなることを見越して、去年の春先に申し込んでいました。
インドには13年前にも訪れたことがありますが、とにかく曲者です。インドを旅行中に下痢になったという体験談は数知れず、町中をウロウロしている犬は狂犬病かもしれません。タクシーに乗ればぼったくられ、更に違うホテルに連れて行かれ(客を連れて行くとホテルから運転手にキックバックがあるのです)、鉄道に乗ろうと思ったらそれを遮って無理矢理旅行会社に連れて行かれたりします。物売りは最初10ルピーと言っていた商品を、金を受け取った直後に10ドルに値上げし、結局商品も受け取れず10ルピー奪われ損になったというのは私自身の体験談です。インド人に写真撮影など頼もうものなら、カメラを物質にチップをふんだくられること請け合いですし、町中ですれ違いざまに相手がしゃがんで自分の靴に布でさっと触れ、靴磨きのチップを要求されたという話も聞いたことがあります。とにかく個人では市内移動もストレスフルな、旅行難易度の高い国です。
私は、海外旅行経験値の少なかった頃に10ルピーが10ドルに値上げされた一件が未だにトラウマになっているようで、今回はインド人とのバトルを避けて安全策に走りました。地球の歩き方に乗っているシゲタトラベル(http://www.yokosoindia.com/)にメールをして、空港からの送迎とホテル予約、2日目のタージマハールツアー、3日目の市内観光をすべてそちらで申し込みました。最初、私の拙い英語でメールしたところ、シゲタトラベルの代表者ラジェンダさんから非常にきれいな日本語で返信があったので、それ以降は日本語でメールをやりとりしました。空港からの送迎が1500円、ラジェンダさんの経営するコッテージ・イエス・プリーズ・ホテル(バストイレ付き、素泊まり)が1泊1800円×2泊、タージマハールへの英語ガイドのバスツアーが3000円、市内観光はプライベートで最後に空港まで送ってもらい3500円でした。本当はホテルに関してはもう少し良いところに泊まりたかったのですが、シゲタトラベルのツアーデスクもあるこのホテルに泊まり、リスクを避けることにしました。なお、ラジェンダさんからのメールには「空港からの送迎にはチップも含まれています。ダメ元でチップを要求する運転手が多いのですが、断っても大丈夫です」という趣旨のことが書かれていました。
持参薬は抗生剤を2種類、整腸剤、解熱鎮痛剤、胃薬(PPI)など。そのうち整腸剤は毎食後に服用することにしました。盗難も考慮してモンゴルにも持って行った古いノートパソコンを持って行くことにし、貴重品はズボンの内側、鍵をかけたリュック、普段使いの財布の3カ所に分けて入れ、健康面、犯罪面ともに気を使いました。
そして旅行出発日となる7日朝、セントレアから8時25分発の国内線で成田に向かい、ゴールドカードで入れるIASSラウンジで時間をつぶしてから、11時半発のデリー行きに搭乗しました。デリーまでのフライトは偏西風の影響を受け、行きは10時間かかります。機内では2回、機内食が出てきました。デリーのインドラガンジー国際空港には18時20分に到着しましたが、ダラダラとした入国審査で待たされ、18時50分にようやく迎えの人と会うことができました。到着して感じたのですが、どうも13年前とは雰囲気が違います。13年前はワキガと香辛料の混じった臭いが空港に充満していましたが、今回はきれいな空港ビルに変わっており、あの臭いもしません。ただ思ったよりも寒く、屋外では手袋にマフラーをつけた人たちが白い息を吐いていました。到着時のアナウンスでは気温は13度とのことでしたが、これは夕方の気温でしょう。
空港から1時間ほどかけて車で送ってもらい、ホテルに到着すると案の定チップを要求されましたが、ノーと断ってホテルにチェックインしました。フロント傍のブースにいるラジェンダさんに2万円渡し、ツアー代金を払った残額をインドルピー(以下R)に両替してもらいました。2円=1Rでした。部屋の衛生面はかなり辛く、枕やベッドのカバーにはシミがついていますし、トイレの便座をあげると糞便がついていました。エアコンもありません。
荷物を片付けなおした後、ホテル隣の売店でミネラルウォーター(2リットルで25R)を買い、ホテル対面のレストランでシシケバブ(135R)と薄手のパン(5R)を食べました。500R渡したところ、チップを上乗せされたのか、350Rのお釣りが帰ってきました。その後ホテルの部屋に戻ってシャワーを浴び、ジャンパーを含む手持ちの服をすべて着て、2枚のタオルケットにくるまって寝ましたが、途中寒さで何度か目が覚めました。
翌8日はタージマハール日帰りツアーです。5時15分にホテルまで迎えの車が来て、パニッカーズトラベル(http://www.panickerstravel.com/)へと連れて行かれました。そこで大型バスに乗り換えて、さあ出発です。50人乗りの大型バスがほぼ満席であり、私以外は全員インド人でした。
朝8時に朝食のため食堂に立ち寄りましたが、どうやらセルフサービスでツアー客用の専用メニューがあったようです。それを知らずに席に着いた私はウェイターのお薦めメニューを頼んでしまい、チキンオムレツとチキンサンドウィッチ2きれ、チャイにチップを上乗せされ、220R支払う羽目になりました。日本の物価と比べてもあまり安い感じがせず、まずはインド人に一敗です。
朝食後、再びバスに乗ってアグラに向かいましたが、車内ではインド映画の上映がありました。実はインドはハリウッドをも凌ぐ世界一の作成本数を誇る映画大国です。その特徴は、突然何の前触れもなく、主要登場人物がバックダンサーを従えて踊り出すというものです。ただ、英語と現地語が入り交じっているようであり、聞き取れたり、英語以外の言葉を話しているようであったり、今一つ視聴に苦しむところがありました。
午前11時、世界遺産アグラ城に到着しました。ここの入場料300Rはアシスタントガイドに車内で徴収されました。まだ誰がガイドで誰が同じツアー客か分からなかったので、自分がはぐれていないかドキドキしましたが、自分に話しかけてくれる人をガイドと認識してその人について行きました。まあ50人のツアーなので、大勢の集団について行けば何となくはぐれずに済む訳なのですが。ここはタージマハールを建造したシャー・ジャハーン皇帝が、そのあまりの建造費用のため、国の財政を傾けていまい、息子である王子に蜂起され、晩年を幽閉されて過ごした場所です。とても壮麗で美しい城でしたが、霧がかかっていて、本来ここから見えるはずのタージマハールは見られませんでした。
その後、土産物屋に立ち寄りましたが、日本人の私一人だけ別室に案内され、「政府保証の良質な」タージマハールの置物を勧められました。ここを ”No, thank you” でやり過ごし、初めてインド人相手に敗北しなかった満足感を味わえました。昼食はそこから徒歩で行けるホテルで摂りましたが、ツアー客専用の95Rのメニューを頼むことができました。ナンと薄手のパン、数種類のカレー、サラダ、ヨーグルトがついており、インドの物価の安さを感じることができました。
昼食後、午後2時過ぎに世界遺産タージマハールに到着し、そこからマイクロバスに乗り継いだ先にあるウエストゲートで午後3時半に再集合と言われました。チケット売り場に行くと、そこにいた男性が ”Come on ” と笑顔で話しかけてきます。私は長い行列の隣にある窓口で、待ち時間ゼロでチケット(750R)を購入できました。この男性は窓口のスタッフともツーカーの仲みたいで、どうもここの関係者のようです。男性はここの公認ガイドだと名乗り、475Rとガイド料の書かれた身分証を見せてくれました。その後、やはり長い行列ができている金属探知機を、この男性の案内で待ち時間ゼロで通ることができました。しかし私が持っていたパソコンを持ち込むことはできないと言われたため、戻ってロッカーに行く途中、ツアーのガイドと出会い、預かってもらうことにしました。再び男性の案内で待ち時間ゼロで金属探知機を通り、中に入って男性が説明を始めたところで、「申し訳ないが一人で見て回りたい」と申し出て、そこから一歩も動かず、料金交渉の末に200Rを払って別れました。この人がいなければ、フリータイム80分のうち30分は余分に取られていたでしょうから、その値段と割り切って入場するところまで男性の世話になった次第です。私にとっては十分に価値のある200Rでしたが、男性がこの値段であっさり引いたところを見ると、もう少し値切れたかもしれません。
13年ぶりに見るタージマハールは、やはり息をのむ美しさでした。イスラム建築の粋とも言うべきこの白亜の建造物は、シャー・ジャハーン皇帝がその妃の墓として建てた物です。その背後には川が流れ、本来ならその対岸に黒いタージマハールが建造され、そこに皇帝自身が埋葬され、白黒2つのタージマハールが橋で結ばれるはずでした。しかしたった一つのタージマハールを建造するために国家財政が傾いてしまい、前述の結果になった次第です。皇帝と妃の棺は、白いタージマハールの中に並んで安置されていました。タージマハールの四隅には尖塔が建てられていますが、これはそれぞれ本殿から離れるように傾いて建てられています。地震があっても本殿の方に倒れてこないように、そして下から見上げたときに目の錯覚で上の方が窄まって見えないようにするための配慮です。その両サイドには赤石で作られたモスクがありますが、こちらも本殿に劣らぬ美しい装飾が施されていました。予定より少し早い午後3時20分にウエストゲートに戻りましたが、どうやらそこではなくバスの方に集合場所が変わったようで、帰りは馬車に揺られて(10R)バスまで戻ってきました。
その後、シカンドラーと呼ばれるアクバル帝の墓所を車窓から見学し、マトュータに着いたのは夕方6時ごろでした。ここにはクリシュナを奉るヒンズー寺院が建っていますが、同じツアーのインド人たちが祈りをささげているので、何となく手をあわせるふりをして見学しました。時間限定でカーテンが下ろされると、そこにはクリシュナの像があり、僧侶たちが音楽を奏で、踊りながら祈っていました。宗教は違うのですが、建物の内装や音楽の旋律から、隣国スリランカにある仏歯寺を思い出しました。帰りのバスまでの道中、自分の息子とあまり年齢も違わない子供が絵葉書を売りに来ました。
「あなた、どこから来たの?」
「日本」
「いい国だね。絵葉書を買って」
そんな会話を英語で交わしましたが、ここで買ってしまうとインド人の物売りに負けっ放しになると思い、きっぱりと20回くらい断り続けました。
その後、バスはデリーに向けてひた走り、パニッカーズトラベルのオフィス前に着いたのは午後10時40分でした。ここから前日に教えてもらったラジェンダさんの携帯に電話し(国際ローミングできる機種を持っていく必要があります)、ホテルまでの迎えの車を呼びました。この料金もツアー代金3000円に含まれているようでした。ホテルに着いたのは午後11時であり、空腹でフラフラでした。ホテル対面のレストランは閉まっていたので、前日にミネラルウォーターを買った売店でカレーパン(?)2個を買いました。2つで45Rとのことでしたが、電子レンジで暖めてもらったら55Rになりました。
翌9日、朝7時半に起きてホテル対面にあるレストランに入りました。オムレツとトースト2枚、大きなパンケーキ、チャイを頼んで103Rであり、この時はチップを上乗せされることもありませんでした。
朝9時に英語を話せる運転手がタタモーターの小型車で迎えに来てくれ、私の希望する観光地を尋ねてくれました。巨大モスクのジャハー・マスジット(200R)、ムガール帝国の城であるラール・キラー(世界遺産、250R)、インド兵の慰霊碑であるインド門(無料)、国立博物館(300R)、ムガール帝国皇帝の墓所であるフマユーン廟(世界遺産、250R)、シティーウォークというショッピングモール、奴隷王朝のスルタンが建てたクトゥブ・ミナール(世界遺産250R)の順に見学し、最後に空港に送ってもらうことになりました。
最初の観光地であるジャハー・マスジットまでの道中は、オールドデリーと呼ばれる古い町並みがあります。ジャハー・マスジット自体は前日に見たタージマハール両脇のモスクと同じような意匠であったため、あまり印象には残りませんでした。ラール・キラーは巨大な赤い城壁に守られた城であり、城門だけでもかなりの大きさで見ごたえがあります。城内には色々な建物がありましたが、とりわけ貴賓謁見の間の装飾が見事でした。
次の観光地、インド門はパリの凱旋門をまねて建てられたものです。ここは厳重に警備され、内部の見学はできないため、遠景の写真を撮るだけで終わりました。それから国立博物館に行きましたが、1階にあるインドの芸術品のコレクションが圧巻です。鼻がすらりと伸びた仏像が多く、日本や中国の仏像と違い、モチーフが白人であることが分かります。ライオンの置物はメソポタミア文明を想起させますし、大理石の頭像はギリシャ彫刻を思い出させましたが、これらはいずれもガンダーラの作品とのことでした。その次に訪れたフマユーン廟は、単体で見れば世界遺産の名に恥じない偉大な建造物なのですが、タージマハールを前日見てきた者の目には少し寂しく映りました。
ここを見終わった時点で時計の針は午後1時半を指しており、私はかなり空腹になっていました。しかし運転手に任せると、キックバックの支払われるレストランに連れて行かれるだろうと思い、ショッピングモールで昼食を摂りたいと言いました。お土産の紅茶もそこで買う予定ですし、運転手にとっては当てが外れたのかもしれません。やや不機嫌そうな運転手を不憫に思ったこともあり、100Rのチップを渡したところ、少しにこやかになりました。イオンの巨大店舗を少しお洒落にした感じのシティーウォークというショッピングモールに連れて行ってもらい、そこで午後1時50分から午後4時までフリータイムをもらいました。まずはカフェに入ってシシケバブ・セットの昼食(200R)。それからお菓子の店で 1 scoop のアイスクリーム(165R)を食べましたが、高級ショッピングモールらしく、日本と比べてもあまり割安感のない値段でした。その後店内を散策し、お土産のティーパックとインドのカー雑誌を買いました。我が家では諸外国のドラゴンボールのコミックを集めているため、そちらも探したのですが、見つかりませんでした。
その後、72.5mの赤い尖塔が立つクトゥブ・ミナールに行きましたが、ギリシャ遺跡を赤レンガで作り直したような、美しくも儚さを感じさせる場所でした。
空港にはフライトの3時間前である午後5時20分に到着し、チェックインと出国審査を済ませ、お菓子を買って残りのRを使い切り、プライオリティパスで入れるプラザ・プレミアム・ラウンジへと向かいました。ここでシャワーを浴び、チキンカレーやスープ、サラダなどを食べました。プライオリティパスのホームページには、アルコール飲料は有料と書かれていたのですが、周りの人がみな無料で飲んでいるようでしたので、私も赤ワインを頼みました。
その後、機内でも食事が出ましたが、炭水化物系を中心に少し残してしまいました。帰りは6時間ほどのフライトと短く、日本時間の朝7時前に到着する前に軽いサンドウィッチの朝食も出されたため、あまり眠れませんでした。成田から名古屋までは国内線に乗り継いで、セントレアに到着したのは午前10時40分でした。
正直なところ今回のインド旅行前はかなり用心していたのですが、今回の旅行で、今の自分なら気を抜かなければそれなりにインド人と渡り合えるという気持ちになりました。悪い人たちではないと思うのですが、ダメ元で強引にねじ込んでくることが多いので、そこで気後れしたら負けです。ただしこちらが怒ってしまったら喧嘩になるので、クールに断り続ける鉄の心が必要です。1回目の旅行で懲りたインドですが、また行ってみたいと思えるようになりました。
インドには13年前にも訪れたことがありますが、とにかく曲者です。インドを旅行中に下痢になったという体験談は数知れず、町中をウロウロしている犬は狂犬病かもしれません。タクシーに乗ればぼったくられ、更に違うホテルに連れて行かれ(客を連れて行くとホテルから運転手にキックバックがあるのです)、鉄道に乗ろうと思ったらそれを遮って無理矢理旅行会社に連れて行かれたりします。物売りは最初10ルピーと言っていた商品を、金を受け取った直後に10ドルに値上げし、結局商品も受け取れず10ルピー奪われ損になったというのは私自身の体験談です。インド人に写真撮影など頼もうものなら、カメラを物質にチップをふんだくられること請け合いですし、町中ですれ違いざまに相手がしゃがんで自分の靴に布でさっと触れ、靴磨きのチップを要求されたという話も聞いたことがあります。とにかく個人では市内移動もストレスフルな、旅行難易度の高い国です。
私は、海外旅行経験値の少なかった頃に10ルピーが10ドルに値上げされた一件が未だにトラウマになっているようで、今回はインド人とのバトルを避けて安全策に走りました。地球の歩き方に乗っているシゲタトラベル(http://www.yokosoindia.com/)にメールをして、空港からの送迎とホテル予約、2日目のタージマハールツアー、3日目の市内観光をすべてそちらで申し込みました。最初、私の拙い英語でメールしたところ、シゲタトラベルの代表者ラジェンダさんから非常にきれいな日本語で返信があったので、それ以降は日本語でメールをやりとりしました。空港からの送迎が1500円、ラジェンダさんの経営するコッテージ・イエス・プリーズ・ホテル(バストイレ付き、素泊まり)が1泊1800円×2泊、タージマハールへの英語ガイドのバスツアーが3000円、市内観光はプライベートで最後に空港まで送ってもらい3500円でした。本当はホテルに関してはもう少し良いところに泊まりたかったのですが、シゲタトラベルのツアーデスクもあるこのホテルに泊まり、リスクを避けることにしました。なお、ラジェンダさんからのメールには「空港からの送迎にはチップも含まれています。ダメ元でチップを要求する運転手が多いのですが、断っても大丈夫です」という趣旨のことが書かれていました。
持参薬は抗生剤を2種類、整腸剤、解熱鎮痛剤、胃薬(PPI)など。そのうち整腸剤は毎食後に服用することにしました。盗難も考慮してモンゴルにも持って行った古いノートパソコンを持って行くことにし、貴重品はズボンの内側、鍵をかけたリュック、普段使いの財布の3カ所に分けて入れ、健康面、犯罪面ともに気を使いました。
そして旅行出発日となる7日朝、セントレアから8時25分発の国内線で成田に向かい、ゴールドカードで入れるIASSラウンジで時間をつぶしてから、11時半発のデリー行きに搭乗しました。デリーまでのフライトは偏西風の影響を受け、行きは10時間かかります。機内では2回、機内食が出てきました。デリーのインドラガンジー国際空港には18時20分に到着しましたが、ダラダラとした入国審査で待たされ、18時50分にようやく迎えの人と会うことができました。到着して感じたのですが、どうも13年前とは雰囲気が違います。13年前はワキガと香辛料の混じった臭いが空港に充満していましたが、今回はきれいな空港ビルに変わっており、あの臭いもしません。ただ思ったよりも寒く、屋外では手袋にマフラーをつけた人たちが白い息を吐いていました。到着時のアナウンスでは気温は13度とのことでしたが、これは夕方の気温でしょう。
空港から1時間ほどかけて車で送ってもらい、ホテルに到着すると案の定チップを要求されましたが、ノーと断ってホテルにチェックインしました。フロント傍のブースにいるラジェンダさんに2万円渡し、ツアー代金を払った残額をインドルピー(以下R)に両替してもらいました。2円=1Rでした。部屋の衛生面はかなり辛く、枕やベッドのカバーにはシミがついていますし、トイレの便座をあげると糞便がついていました。エアコンもありません。
荷物を片付けなおした後、ホテル隣の売店でミネラルウォーター(2リットルで25R)を買い、ホテル対面のレストランでシシケバブ(135R)と薄手のパン(5R)を食べました。500R渡したところ、チップを上乗せされたのか、350Rのお釣りが帰ってきました。その後ホテルの部屋に戻ってシャワーを浴び、ジャンパーを含む手持ちの服をすべて着て、2枚のタオルケットにくるまって寝ましたが、途中寒さで何度か目が覚めました。
翌8日はタージマハール日帰りツアーです。5時15分にホテルまで迎えの車が来て、パニッカーズトラベル(http://www.panickerstravel.com/)へと連れて行かれました。そこで大型バスに乗り換えて、さあ出発です。50人乗りの大型バスがほぼ満席であり、私以外は全員インド人でした。
朝8時に朝食のため食堂に立ち寄りましたが、どうやらセルフサービスでツアー客用の専用メニューがあったようです。それを知らずに席に着いた私はウェイターのお薦めメニューを頼んでしまい、チキンオムレツとチキンサンドウィッチ2きれ、チャイにチップを上乗せされ、220R支払う羽目になりました。日本の物価と比べてもあまり安い感じがせず、まずはインド人に一敗です。
朝食後、再びバスに乗ってアグラに向かいましたが、車内ではインド映画の上映がありました。実はインドはハリウッドをも凌ぐ世界一の作成本数を誇る映画大国です。その特徴は、突然何の前触れもなく、主要登場人物がバックダンサーを従えて踊り出すというものです。ただ、英語と現地語が入り交じっているようであり、聞き取れたり、英語以外の言葉を話しているようであったり、今一つ視聴に苦しむところがありました。
午前11時、世界遺産アグラ城に到着しました。ここの入場料300Rはアシスタントガイドに車内で徴収されました。まだ誰がガイドで誰が同じツアー客か分からなかったので、自分がはぐれていないかドキドキしましたが、自分に話しかけてくれる人をガイドと認識してその人について行きました。まあ50人のツアーなので、大勢の集団について行けば何となくはぐれずに済む訳なのですが。ここはタージマハールを建造したシャー・ジャハーン皇帝が、そのあまりの建造費用のため、国の財政を傾けていまい、息子である王子に蜂起され、晩年を幽閉されて過ごした場所です。とても壮麗で美しい城でしたが、霧がかかっていて、本来ここから見えるはずのタージマハールは見られませんでした。
その後、土産物屋に立ち寄りましたが、日本人の私一人だけ別室に案内され、「政府保証の良質な」タージマハールの置物を勧められました。ここを ”No, thank you” でやり過ごし、初めてインド人相手に敗北しなかった満足感を味わえました。昼食はそこから徒歩で行けるホテルで摂りましたが、ツアー客専用の95Rのメニューを頼むことができました。ナンと薄手のパン、数種類のカレー、サラダ、ヨーグルトがついており、インドの物価の安さを感じることができました。
昼食後、午後2時過ぎに世界遺産タージマハールに到着し、そこからマイクロバスに乗り継いだ先にあるウエストゲートで午後3時半に再集合と言われました。チケット売り場に行くと、そこにいた男性が ”Come on ” と笑顔で話しかけてきます。私は長い行列の隣にある窓口で、待ち時間ゼロでチケット(750R)を購入できました。この男性は窓口のスタッフともツーカーの仲みたいで、どうもここの関係者のようです。男性はここの公認ガイドだと名乗り、475Rとガイド料の書かれた身分証を見せてくれました。その後、やはり長い行列ができている金属探知機を、この男性の案内で待ち時間ゼロで通ることができました。しかし私が持っていたパソコンを持ち込むことはできないと言われたため、戻ってロッカーに行く途中、ツアーのガイドと出会い、預かってもらうことにしました。再び男性の案内で待ち時間ゼロで金属探知機を通り、中に入って男性が説明を始めたところで、「申し訳ないが一人で見て回りたい」と申し出て、そこから一歩も動かず、料金交渉の末に200Rを払って別れました。この人がいなければ、フリータイム80分のうち30分は余分に取られていたでしょうから、その値段と割り切って入場するところまで男性の世話になった次第です。私にとっては十分に価値のある200Rでしたが、男性がこの値段であっさり引いたところを見ると、もう少し値切れたかもしれません。
13年ぶりに見るタージマハールは、やはり息をのむ美しさでした。イスラム建築の粋とも言うべきこの白亜の建造物は、シャー・ジャハーン皇帝がその妃の墓として建てた物です。その背後には川が流れ、本来ならその対岸に黒いタージマハールが建造され、そこに皇帝自身が埋葬され、白黒2つのタージマハールが橋で結ばれるはずでした。しかしたった一つのタージマハールを建造するために国家財政が傾いてしまい、前述の結果になった次第です。皇帝と妃の棺は、白いタージマハールの中に並んで安置されていました。タージマハールの四隅には尖塔が建てられていますが、これはそれぞれ本殿から離れるように傾いて建てられています。地震があっても本殿の方に倒れてこないように、そして下から見上げたときに目の錯覚で上の方が窄まって見えないようにするための配慮です。その両サイドには赤石で作られたモスクがありますが、こちらも本殿に劣らぬ美しい装飾が施されていました。予定より少し早い午後3時20分にウエストゲートに戻りましたが、どうやらそこではなくバスの方に集合場所が変わったようで、帰りは馬車に揺られて(10R)バスまで戻ってきました。
その後、シカンドラーと呼ばれるアクバル帝の墓所を車窓から見学し、マトュータに着いたのは夕方6時ごろでした。ここにはクリシュナを奉るヒンズー寺院が建っていますが、同じツアーのインド人たちが祈りをささげているので、何となく手をあわせるふりをして見学しました。時間限定でカーテンが下ろされると、そこにはクリシュナの像があり、僧侶たちが音楽を奏で、踊りながら祈っていました。宗教は違うのですが、建物の内装や音楽の旋律から、隣国スリランカにある仏歯寺を思い出しました。帰りのバスまでの道中、自分の息子とあまり年齢も違わない子供が絵葉書を売りに来ました。
「あなた、どこから来たの?」
「日本」
「いい国だね。絵葉書を買って」
そんな会話を英語で交わしましたが、ここで買ってしまうとインド人の物売りに負けっ放しになると思い、きっぱりと20回くらい断り続けました。
その後、バスはデリーに向けてひた走り、パニッカーズトラベルのオフィス前に着いたのは午後10時40分でした。ここから前日に教えてもらったラジェンダさんの携帯に電話し(国際ローミングできる機種を持っていく必要があります)、ホテルまでの迎えの車を呼びました。この料金もツアー代金3000円に含まれているようでした。ホテルに着いたのは午後11時であり、空腹でフラフラでした。ホテル対面のレストランは閉まっていたので、前日にミネラルウォーターを買った売店でカレーパン(?)2個を買いました。2つで45Rとのことでしたが、電子レンジで暖めてもらったら55Rになりました。
翌9日、朝7時半に起きてホテル対面にあるレストランに入りました。オムレツとトースト2枚、大きなパンケーキ、チャイを頼んで103Rであり、この時はチップを上乗せされることもありませんでした。
朝9時に英語を話せる運転手がタタモーターの小型車で迎えに来てくれ、私の希望する観光地を尋ねてくれました。巨大モスクのジャハー・マスジット(200R)、ムガール帝国の城であるラール・キラー(世界遺産、250R)、インド兵の慰霊碑であるインド門(無料)、国立博物館(300R)、ムガール帝国皇帝の墓所であるフマユーン廟(世界遺産、250R)、シティーウォークというショッピングモール、奴隷王朝のスルタンが建てたクトゥブ・ミナール(世界遺産250R)の順に見学し、最後に空港に送ってもらうことになりました。
最初の観光地であるジャハー・マスジットまでの道中は、オールドデリーと呼ばれる古い町並みがあります。ジャハー・マスジット自体は前日に見たタージマハール両脇のモスクと同じような意匠であったため、あまり印象には残りませんでした。ラール・キラーは巨大な赤い城壁に守られた城であり、城門だけでもかなりの大きさで見ごたえがあります。城内には色々な建物がありましたが、とりわけ貴賓謁見の間の装飾が見事でした。
次の観光地、インド門はパリの凱旋門をまねて建てられたものです。ここは厳重に警備され、内部の見学はできないため、遠景の写真を撮るだけで終わりました。それから国立博物館に行きましたが、1階にあるインドの芸術品のコレクションが圧巻です。鼻がすらりと伸びた仏像が多く、日本や中国の仏像と違い、モチーフが白人であることが分かります。ライオンの置物はメソポタミア文明を想起させますし、大理石の頭像はギリシャ彫刻を思い出させましたが、これらはいずれもガンダーラの作品とのことでした。その次に訪れたフマユーン廟は、単体で見れば世界遺産の名に恥じない偉大な建造物なのですが、タージマハールを前日見てきた者の目には少し寂しく映りました。
ここを見終わった時点で時計の針は午後1時半を指しており、私はかなり空腹になっていました。しかし運転手に任せると、キックバックの支払われるレストランに連れて行かれるだろうと思い、ショッピングモールで昼食を摂りたいと言いました。お土産の紅茶もそこで買う予定ですし、運転手にとっては当てが外れたのかもしれません。やや不機嫌そうな運転手を不憫に思ったこともあり、100Rのチップを渡したところ、少しにこやかになりました。イオンの巨大店舗を少しお洒落にした感じのシティーウォークというショッピングモールに連れて行ってもらい、そこで午後1時50分から午後4時までフリータイムをもらいました。まずはカフェに入ってシシケバブ・セットの昼食(200R)。それからお菓子の店で 1 scoop のアイスクリーム(165R)を食べましたが、高級ショッピングモールらしく、日本と比べてもあまり割安感のない値段でした。その後店内を散策し、お土産のティーパックとインドのカー雑誌を買いました。我が家では諸外国のドラゴンボールのコミックを集めているため、そちらも探したのですが、見つかりませんでした。
その後、72.5mの赤い尖塔が立つクトゥブ・ミナールに行きましたが、ギリシャ遺跡を赤レンガで作り直したような、美しくも儚さを感じさせる場所でした。
空港にはフライトの3時間前である午後5時20分に到着し、チェックインと出国審査を済ませ、お菓子を買って残りのRを使い切り、プライオリティパスで入れるプラザ・プレミアム・ラウンジへと向かいました。ここでシャワーを浴び、チキンカレーやスープ、サラダなどを食べました。プライオリティパスのホームページには、アルコール飲料は有料と書かれていたのですが、周りの人がみな無料で飲んでいるようでしたので、私も赤ワインを頼みました。
その後、機内でも食事が出ましたが、炭水化物系を中心に少し残してしまいました。帰りは6時間ほどのフライトと短く、日本時間の朝7時前に到着する前に軽いサンドウィッチの朝食も出されたため、あまり眠れませんでした。成田から名古屋までは国内線に乗り継いで、セントレアに到着したのは午前10時40分でした。
正直なところ今回のインド旅行前はかなり用心していたのですが、今回の旅行で、今の自分なら気を抜かなければそれなりにインド人と渡り合えるという気持ちになりました。悪い人たちではないと思うのですが、ダメ元で強引にねじ込んでくることが多いので、そこで気後れしたら負けです。ただしこちらが怒ってしまったら喧嘩になるので、クールに断り続ける鉄の心が必要です。1回目の旅行で懲りたインドですが、また行ってみたいと思えるようになりました。
日本鬼子 [雑談]
中国人が反日デモをする際、日本人への蔑称である日本鬼子(りーべんぐいず)という語をよく使います。最近、日本のオタクの間ではそれを逆手にとり、日本鬼子(ひのもとおにこ)という萌えキャラを作ろうという動きがあるようです。日本鬼子とシュプレヒコールを上げる中国人を見た人たちがその言葉をググると、萌えキャラがたくさん出てくるという仕掛けです。ただその多くはイラストであり、ストーリーの提案はほとんどないようですので、僭越ながら私が作ってみました。
昔々、おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行きました。おばあさんが洗濯をしていると、川上からどんぶらこ、どんぶらこ、と桃が流れてきました。おばあさんがその桃を家に持って帰って割ると、中から元気な男の子が出てきました。
桃太郎と名づけられた男の子はやがて逞しく心優しい青年へと成長しました。剣の腕は日本一。そして動物たちと会話できる不思議な能力を持っていました。ある時、人々を苦しめる鬼の話を聞いた桃太郎は、その征伐に出かけます。動物たちにも助けを求め、サル、犬、キジの3匹を連れて鬼たちを退治しました。
その後、桃太郎は鬼たちの頭領の長女である美しい娘と恋に落ちて結婚し、村の少年たちに剣道を教える道場を開きました。そして自らを日本(ひのもと)桃太郎と名乗り、末永く幸せにすごしました。
そして時は流れ、数百年。
日本鬼子(ひのもとおにこ)は女子高に通う高校2年生である。父親は日本(ひのもと)流剣道の師範である日本栗太郎(ひのもとくりたろう)。厳しい父と優しい母、そして妹思いで大学生の兄・柿太郎(かきたろう)と4人で暮らす鬼子には、とある秘密があった。それは動物たちと会話できる不思議な能力を持っていること。そのためか高校の生物部で部長を務め、普段は眼鏡をかけて図書室で調べ物をするような少女だった。小学6年生までは父親から剣道を教わったものの、興味が持てず、いつしか道場から足が遠のいていた。
鬼子には幼少時の原体験があった。日本流剣道の筆頭弟子(と言っても鬼子の父より年上)でよく鬼子の遊び相手となってくれた千鶴外夫(せんかくそとお)と海へ遊びに行ったとき、沖合いでボートが沈み溺れている中国人の少年を千鶴が助けたことである。日本語を話せない少年は中国語で感謝の手紙を書き、千鶴に贈った。「多謝」と書かれた手紙を受け取った千鶴が少し照れながら「お嬢さん、心優しい女性になって下さい」と言ったのを、鬼子は今でも覚えている。
そんなある日、父・栗太郎が闇討ちにあい、右手を負傷する。それを見計らったかのように中国拳法の使い手で棍の達人である少年が道場破りに現れ、異種格闘技戦を申し込んだ。鬼子とさほど年齢も違わないその少年に、鬼子は見覚えがあった。昔、千鶴が救った少年だったのである。少年は自分が勝ったら一族が営む地上げ屋に道場を売り渡すことを要求した。試合は1ヵ月後。日本流剣道を罵倒する少年の挑発に乗ってしまった兄・柿太郎がその申し出を受けるが、翌日、兄も何者かによって闇討ちされ負傷してしまった。だが取り決めでは、日本(ひのもと)家の誰かが試合をしなければいけないことになっていた。
日本流剣道の看板に思い入れがあったわけではないが、このままでは思い出の詰まった家と道場を手放さないといけない。そう思った鬼子は自分が試合に出る決意をし、5年ぶりに道場に立った。練習相手は筆頭弟子の千鶴である。本気を出した鬼子はその天賦の才を発揮し、5年間の遅れを取り戻すかのようにみるみる上達していった。かつて鬼子の父と兄にも剣の指南をしたという千鶴は、その成長を心から喜んでいた。
試合前日、いつものように庭先で小鳥たちと話していた鬼子は、あの少年が父と兄を闇討ちする現場を近所の猫が目撃したことを知った。鬼子は思わず怒りで我を忘れ、険しい表情で道場に駆け戻って素振りを始めた。いつもとは違う鬼子の形相に道場生たちは言葉を失ったが、やがてそこに千鶴が現れて静かに語った。
「何か辛いことがありましたか? お嬢さんには心優しい日本一の剣道家と、その男性を愛した鬼の血が流れています。でも怒りに我を忘れて鬼の血を呼び覚ましてはいけません。日本流剣道の代表として恥ずかしくない試合をしてください。その結果試合に負けたとしても、私はお嬢さんを誇りに思いますよ」
そして試合当日。少年は鬼子の足元に痰を吐いて挑発してきたが、鬼子はそれに動じず冷静に試合を運んだ。だが少年の腕も然るものであり、なかなか勝機が見えない。その時、突然道場の入り口から一羽のキジが舞い込んで鬼子に話しかけた。
「鬼子、私の創った日本流剣道のためによく頑張ってくれた。ありがとう。お前に少しの間だけ私と妻の力を貸そう」
次の瞬間、急に少年の動きがスローに見えるようになった。これなら勝てる、そう思ったとき、鬼子の竹刀は少年の棍を振り払っていた。試合を見守っていた道場生たちが一斉に歓喜の声を上げた。少年はばつが悪そうに鬼子をにらみ、引き上げていった。
そしてその日以来、鬼子は動物たちと話すことができなくなった。きっとあの一瞬で能力を使い切ってしまったのだろう。でもその結果、自分が守りたいものを守れたのだから後悔はない。通学途中、そんなことを考えながら空を見上げた鬼子の顔に幸せそうな笑みがこぼれた。
日本人なら誰でも知るあの桃太郎の子孫で、メガネの似合う心優しいJK。でも鬼の血も流れる激情家で剣の達人。日本鬼子のキャラ設定と萌えの定石は守ったつもりです。かつて尖閣諸島の住人が難破した中国の漁船を助け、中華民国から感謝状を贈られたエピソードも何となく交えてみました。こんな設定の日本鬼子作品ができ、白人のオタクたちが日本鬼子のコスプレをするようになったら、中国人たちはどんな目でそれを見るのでしょう?
ちょっとそんなことを考えてしまいましたが、私としてはこれ以上深入りして目立つつもりはないので、このストーリーに対する著作権は放棄します。どなたか有志の方、hmdknsk@hotmail.comまでご一報いただき、作品化していただけければ幸いです。
昔々、おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行きました。おばあさんが洗濯をしていると、川上からどんぶらこ、どんぶらこ、と桃が流れてきました。おばあさんがその桃を家に持って帰って割ると、中から元気な男の子が出てきました。
桃太郎と名づけられた男の子はやがて逞しく心優しい青年へと成長しました。剣の腕は日本一。そして動物たちと会話できる不思議な能力を持っていました。ある時、人々を苦しめる鬼の話を聞いた桃太郎は、その征伐に出かけます。動物たちにも助けを求め、サル、犬、キジの3匹を連れて鬼たちを退治しました。
その後、桃太郎は鬼たちの頭領の長女である美しい娘と恋に落ちて結婚し、村の少年たちに剣道を教える道場を開きました。そして自らを日本(ひのもと)桃太郎と名乗り、末永く幸せにすごしました。
そして時は流れ、数百年。
日本鬼子(ひのもとおにこ)は女子高に通う高校2年生である。父親は日本(ひのもと)流剣道の師範である日本栗太郎(ひのもとくりたろう)。厳しい父と優しい母、そして妹思いで大学生の兄・柿太郎(かきたろう)と4人で暮らす鬼子には、とある秘密があった。それは動物たちと会話できる不思議な能力を持っていること。そのためか高校の生物部で部長を務め、普段は眼鏡をかけて図書室で調べ物をするような少女だった。小学6年生までは父親から剣道を教わったものの、興味が持てず、いつしか道場から足が遠のいていた。
鬼子には幼少時の原体験があった。日本流剣道の筆頭弟子(と言っても鬼子の父より年上)でよく鬼子の遊び相手となってくれた千鶴外夫(せんかくそとお)と海へ遊びに行ったとき、沖合いでボートが沈み溺れている中国人の少年を千鶴が助けたことである。日本語を話せない少年は中国語で感謝の手紙を書き、千鶴に贈った。「多謝」と書かれた手紙を受け取った千鶴が少し照れながら「お嬢さん、心優しい女性になって下さい」と言ったのを、鬼子は今でも覚えている。
そんなある日、父・栗太郎が闇討ちにあい、右手を負傷する。それを見計らったかのように中国拳法の使い手で棍の達人である少年が道場破りに現れ、異種格闘技戦を申し込んだ。鬼子とさほど年齢も違わないその少年に、鬼子は見覚えがあった。昔、千鶴が救った少年だったのである。少年は自分が勝ったら一族が営む地上げ屋に道場を売り渡すことを要求した。試合は1ヵ月後。日本流剣道を罵倒する少年の挑発に乗ってしまった兄・柿太郎がその申し出を受けるが、翌日、兄も何者かによって闇討ちされ負傷してしまった。だが取り決めでは、日本(ひのもと)家の誰かが試合をしなければいけないことになっていた。
日本流剣道の看板に思い入れがあったわけではないが、このままでは思い出の詰まった家と道場を手放さないといけない。そう思った鬼子は自分が試合に出る決意をし、5年ぶりに道場に立った。練習相手は筆頭弟子の千鶴である。本気を出した鬼子はその天賦の才を発揮し、5年間の遅れを取り戻すかのようにみるみる上達していった。かつて鬼子の父と兄にも剣の指南をしたという千鶴は、その成長を心から喜んでいた。
試合前日、いつものように庭先で小鳥たちと話していた鬼子は、あの少年が父と兄を闇討ちする現場を近所の猫が目撃したことを知った。鬼子は思わず怒りで我を忘れ、険しい表情で道場に駆け戻って素振りを始めた。いつもとは違う鬼子の形相に道場生たちは言葉を失ったが、やがてそこに千鶴が現れて静かに語った。
「何か辛いことがありましたか? お嬢さんには心優しい日本一の剣道家と、その男性を愛した鬼の血が流れています。でも怒りに我を忘れて鬼の血を呼び覚ましてはいけません。日本流剣道の代表として恥ずかしくない試合をしてください。その結果試合に負けたとしても、私はお嬢さんを誇りに思いますよ」
そして試合当日。少年は鬼子の足元に痰を吐いて挑発してきたが、鬼子はそれに動じず冷静に試合を運んだ。だが少年の腕も然るものであり、なかなか勝機が見えない。その時、突然道場の入り口から一羽のキジが舞い込んで鬼子に話しかけた。
「鬼子、私の創った日本流剣道のためによく頑張ってくれた。ありがとう。お前に少しの間だけ私と妻の力を貸そう」
次の瞬間、急に少年の動きがスローに見えるようになった。これなら勝てる、そう思ったとき、鬼子の竹刀は少年の棍を振り払っていた。試合を見守っていた道場生たちが一斉に歓喜の声を上げた。少年はばつが悪そうに鬼子をにらみ、引き上げていった。
そしてその日以来、鬼子は動物たちと話すことができなくなった。きっとあの一瞬で能力を使い切ってしまったのだろう。でもその結果、自分が守りたいものを守れたのだから後悔はない。通学途中、そんなことを考えながら空を見上げた鬼子の顔に幸せそうな笑みがこぼれた。
日本人なら誰でも知るあの桃太郎の子孫で、メガネの似合う心優しいJK。でも鬼の血も流れる激情家で剣の達人。日本鬼子のキャラ設定と萌えの定石は守ったつもりです。かつて尖閣諸島の住人が難破した中国の漁船を助け、中華民国から感謝状を贈られたエピソードも何となく交えてみました。こんな設定の日本鬼子作品ができ、白人のオタクたちが日本鬼子のコスプレをするようになったら、中国人たちはどんな目でそれを見るのでしょう?
ちょっとそんなことを考えてしまいましたが、私としてはこれ以上深入りして目立つつもりはないので、このストーリーに対する著作権は放棄します。どなたか有志の方、hmdknsk@hotmail.comまでご一報いただき、作品化していただけければ幸いです。
ソウル旅行記(10年12月) [海外旅行記]
今回、16回目のソウル旅行に行ってきました。
このブログには14回目のソウル旅行記(http://ryokodo.blog.so-net.ne.jp/2010-08-15)しか掲載していませんが、実は09年6月に15回目のソウル旅行に行きました。ただこの時は完全なネタで、ANAのマイルを使って日帰り海外旅行に出かけるというものでした。当日の朝、パスポートとノートパソコンだけと言う軽装でセントレアに向かい、往復のチェックインをしました。往復と言うより、セントレア発、ソウル経由、セントレア行きの同日乗り継ぎの扱いなのだと思います。プライオリティパスでビジネスクラスラウンジに入って朝食を摂り、その後ソウルのインチョン国際空港へ向けて出発。ソウルでは入国後直ちに出国審査に向かい、それからはプライオリティパスを使ってインチョン国際空港にある5つのラウンジで食べ歩いて夜に帰ってきました。入国審査と税関では係員から奇異の目で見られましたが、「ネタです」と説明したら納得してくれましたw。
まあ、あえて書くほどの旅行ではないと思って割愛していた次第です。
ところで今回はキャセイパシフィック(CX)の15000マイルを使っての旅行ですが、これで片道600マイル以内の目的地までのJAL往復特典航空券がもらえます。私がこのマイルを貯めた時には、名古屋-釜山や名古屋から各地への国内線などそれなりに路線があったのですが、最近はJAL便がめっきり少なくなってしまい、大阪-ソウルか中部-北海道くらいしか使い道がなくなってしまいました。国内線は搭乗の2ヶ月前からしか申し込めず席の確保が難しいため、消去法で大阪-ソウルしか残りません。このマイルが私と妻、子供の口座にそれぞれ残っていたため、今月と来年4月、5月は大阪-ソウル旅行に決まってしまいました。
大阪までは近鉄特急デラックスシート車(チケットショップで片道3600円)を利用し、ソウルでのホテルは1泊目が東大門近くのヨンビンホテル(星なし、素泊まり25000ウォン、以下W)、2泊目がCOEX近くのラマダソウルホテル(4つ星、エグゼクティブフロア、90750W)を、それぞれ楽天から申し込みました。どちらも9月ごろ予約したものですが、今ではとてもこの値段では泊まれません。
ところでつい先月、北朝鮮との間でキナ臭い事件があったばかりですが、その後アメリカと韓国が軍事的圧力をかけるようになり、北朝鮮としてもこの情勢でソウルにミサイルを撃って全面戦争に突入する気はないだろうと踏んでいたので、安心して旅行に出かけられました。北朝鮮や中国相手に、太陽政策だの平和憲法だのときれいごとを言っても無抵抗でやられるだけですからね。あと、韓国も竹島問題などで日本を仮想敵国としていますが、こちらには無防備な日本人が多いですね。深層心理では韓国人は日本人を嫌っていますし、韓国では日本人だとばれたら料理に唾を入れられるなんて都市伝説も聞きます。私は韓国で食事をする際にはできるだけ英語しか話さないようにして、それなりに用心しています。
旅行当日となる17日、朝9時出発の近鉄特急で大阪難波に向かい、南海特急(1390円)に乗り継いで正午過ぎに関空に到着しました。チェックイン後、プライオリティパスを使ってランドサイド(出国審査前)にある大韓航空のビジネスクラスラウンジに入り、そこでパンとトマトジュース、牛乳の昼食。お酒も日本酒、ワインを飲みました。出発の1時間前にエアサイド(出国審査後)に移動し、そちらではゴールドカードのラウンジに入って時間をつぶしました。15:15に関空を発ち、ソウルの金浦国際空港には17時過ぎに到着。1万円を131000Wに両替し、地下鉄に乗りました。なおロッテホテル横にある屋台の両替商では1万円=136000Wでした。ホテル最寄りの東大門歴史文化公園駅までは46分1300Wであり、着いたのは18:20頃でした。駅の近くに平壌冷麺の有名店があったのでそちらで冷麺(9000W)を食べ、ホテルにチェックインしました。今の季節のソウルはヒートテック込み6枚重ね、手袋、ニット帽、ネックウォーマーのフル装備でちょうど良いくらいの寒さですが、冷麺の店はそれなりに混んでいました。2年前の12月、山形まで元祖冷やしラーメンを食べに行ったのを思い出しました。
ヨンビンホテルにはサウナが併設されており、宿泊者は無料利用券がもらえます。館内には薬草の匂いが立ち込めていました。部屋はかなり年季の入った厳しいものでしたが、1泊2000円なので文句は言えません。ただトイレットペーパーをトイレに流すと詰まってしまうため、横のカゴに捨てないといけないのは日本人にはつらいですね。夜8時にサウナが閉館するため、17:20から30分だけ入りました。それから防寒フル装備を着込んで夜の東大門市場へ散策に出かけました。衣類の店がメインですが、私は韓国系ファッションに興味があるわけではないので、雰囲気を見て楽しむだけです。途中の屋台で好物のトッポッキ(餅をウインナーの形に切って赤いソースで煮込んだもの)を見つけましたが、胃袋がいっぱいだったので諦めました。寒空の下、ピリ辛のトッポッキを食べ、魚出汁のおでんスープを飲むのが好きなのです。1時間ほどの散策でしたが、帰ってきたときにはむき出しだった頬がかなり冷たくなっていました。
翌18日、8時半に起床して9時チェックアウト。ホテルで荷物を預かってもらい、地下鉄に乗って光化門へ。駅の近くにある清進屋という店でへジャンクッ(7000W)の朝食を摂りました。これは牛の内臓と血の塊を煮込んだ土色のスープです。苦手な人も多いでしょうが、二日酔いに効く、意外とさっぱりした味です。私はこれで3回目ですが、いつも完食しています。その後、景福宮、国立民族博物館(3000W)に行き、そちらを観光しました。ソウル旅行も16回目ともなると主な観光地は行き尽した感があり、ここも2回目でしたので特に感想はありません。それから近くにある土俗村という店に向かい、サムゲタン(14000W)の昼食を摂りました。これは鳥の腹にもち米、朝鮮人参、栗、ナツメヤシなどを詰めて丸ごと煮込んだスープですが、有名店だけあって満足できる味でした。食後、徒歩で市庁を経由しロッテデパートに行き、その傍にある屋台でトッポッキ(4000W)を食べました。昨晩のリベンジです。白い息を吐きながら一緒に飲んだ魚出汁の熱いおでんスープが胃に染み渡りました。その後、明洞の賑わいを眺めながら明洞駅へと抜け、東大門歴史文化公園駅で荷物をピックアップしてから再度地下鉄に乗り、宣陵駅に向かいました。ここから北に10分ほど歩けばこの日宿泊するラマダソウルホテルです。途中、宣靖陵という世界遺産の古墳があったので入場しましたが(1000W)、慶州の古墳公園や瀋陽の北陵でも見かけた円墳が2つあるだけで、それほど見ごたえはありません。もっとも慶州や瀋陽の円墳も世界遺産なのですけどね。
ラマダソウルには16時半ごろチェックインし、部屋に荷物をおいてからラウンジへと行きました。今回はこのホテルを堪能するのが旅の最大の目的です。エグゼクティブフロアなのでもちろん朝食付き。18時からのハッピーアワーにはラウンジでアルコール飲み放題、料理食べ放題のサービスがあり、それ以外の時間にも軽食やソフトドリンクがおいてあり、インターネットやサウナも無料で利用できます。要は4つ星のまあまあ高級なホテルで1泊2食、飲み放題、おやつ、サウナがついて7000円弱なのです。
まずはラウンジでクッキーとフルーツ盛り合わせを食べ、コーヒーを飲んで一服。それから一旦部屋に戻り、ハッピーアワーの始まる10分前に再びラウンジへと向かいました。ビーフシチュー、中華風魚フライ、八宝菜、スープなどのホットミールに、サーモンのマリネ、ターキー、ムール貝、寿司、チーズ盛り合わせ、フルーツなど、ラウンジでの食事にしてはかなり充実していましたが、寿司は最初の30分でなくなり、その後追加はありませんでした。私は赤ワインを2杯もらいました。
その後酔いを醒ましてからサウナに行きましたが、(当然ながら)前日のヨンビンホテルよりも清潔感がありました。
翌19日は朝7時に起きて1階のレストランでビュッフェの朝食を摂りました。ラウンジでも朝食を摂ることができるのですが、私の経験上、一般客も利用するレストランの方が品数が多いのです。
その後8時半にホテルをチェックアウトし、地下鉄(1400W)を乗り継いで金浦国際空港に到着したのは10時過ぎでした。チェックイン後、プライオリティパスでアシアナ航空と大韓航空のビジネスクラスラウンジをハシゴし、12:40のフライトでソウルを発ちました。関空には14時過ぎに到着し、そこから南海特急、近鉄特急を乗り継いで名古屋駅に着いたのは18時過ぎでした。
来年1月は最大の難関インド、2月は釜山、3月は中国東北部のハルビン、4月と5月はソウル、すべてマイルを使った特典航空券で旅行の予定を立てています。旅行難易度はインド>>(越えられない壁)>>中国>>>韓国といったところでしょうか? インドの物売り相手にどう対峙するか考えるだけで緊張しますし、インド人や中国人をビジネスパートナーにするのは個人的には遠慮したいと思っているくらいです。しかしそれでもタージマハールを10年ぶりにもう一度見てみたいのです。願わくば無事に帰ってこられますように。
このブログには14回目のソウル旅行記(http://ryokodo.blog.so-net.ne.jp/2010-08-15)しか掲載していませんが、実は09年6月に15回目のソウル旅行に行きました。ただこの時は完全なネタで、ANAのマイルを使って日帰り海外旅行に出かけるというものでした。当日の朝、パスポートとノートパソコンだけと言う軽装でセントレアに向かい、往復のチェックインをしました。往復と言うより、セントレア発、ソウル経由、セントレア行きの同日乗り継ぎの扱いなのだと思います。プライオリティパスでビジネスクラスラウンジに入って朝食を摂り、その後ソウルのインチョン国際空港へ向けて出発。ソウルでは入国後直ちに出国審査に向かい、それからはプライオリティパスを使ってインチョン国際空港にある5つのラウンジで食べ歩いて夜に帰ってきました。入国審査と税関では係員から奇異の目で見られましたが、「ネタです」と説明したら納得してくれましたw。
まあ、あえて書くほどの旅行ではないと思って割愛していた次第です。
ところで今回はキャセイパシフィック(CX)の15000マイルを使っての旅行ですが、これで片道600マイル以内の目的地までのJAL往復特典航空券がもらえます。私がこのマイルを貯めた時には、名古屋-釜山や名古屋から各地への国内線などそれなりに路線があったのですが、最近はJAL便がめっきり少なくなってしまい、大阪-ソウルか中部-北海道くらいしか使い道がなくなってしまいました。国内線は搭乗の2ヶ月前からしか申し込めず席の確保が難しいため、消去法で大阪-ソウルしか残りません。このマイルが私と妻、子供の口座にそれぞれ残っていたため、今月と来年4月、5月は大阪-ソウル旅行に決まってしまいました。
大阪までは近鉄特急デラックスシート車(チケットショップで片道3600円)を利用し、ソウルでのホテルは1泊目が東大門近くのヨンビンホテル(星なし、素泊まり25000ウォン、以下W)、2泊目がCOEX近くのラマダソウルホテル(4つ星、エグゼクティブフロア、90750W)を、それぞれ楽天から申し込みました。どちらも9月ごろ予約したものですが、今ではとてもこの値段では泊まれません。
ところでつい先月、北朝鮮との間でキナ臭い事件があったばかりですが、その後アメリカと韓国が軍事的圧力をかけるようになり、北朝鮮としてもこの情勢でソウルにミサイルを撃って全面戦争に突入する気はないだろうと踏んでいたので、安心して旅行に出かけられました。北朝鮮や中国相手に、太陽政策だの平和憲法だのときれいごとを言っても無抵抗でやられるだけですからね。あと、韓国も竹島問題などで日本を仮想敵国としていますが、こちらには無防備な日本人が多いですね。深層心理では韓国人は日本人を嫌っていますし、韓国では日本人だとばれたら料理に唾を入れられるなんて都市伝説も聞きます。私は韓国で食事をする際にはできるだけ英語しか話さないようにして、それなりに用心しています。
旅行当日となる17日、朝9時出発の近鉄特急で大阪難波に向かい、南海特急(1390円)に乗り継いで正午過ぎに関空に到着しました。チェックイン後、プライオリティパスを使ってランドサイド(出国審査前)にある大韓航空のビジネスクラスラウンジに入り、そこでパンとトマトジュース、牛乳の昼食。お酒も日本酒、ワインを飲みました。出発の1時間前にエアサイド(出国審査後)に移動し、そちらではゴールドカードのラウンジに入って時間をつぶしました。15:15に関空を発ち、ソウルの金浦国際空港には17時過ぎに到着。1万円を131000Wに両替し、地下鉄に乗りました。なおロッテホテル横にある屋台の両替商では1万円=136000Wでした。ホテル最寄りの東大門歴史文化公園駅までは46分1300Wであり、着いたのは18:20頃でした。駅の近くに平壌冷麺の有名店があったのでそちらで冷麺(9000W)を食べ、ホテルにチェックインしました。今の季節のソウルはヒートテック込み6枚重ね、手袋、ニット帽、ネックウォーマーのフル装備でちょうど良いくらいの寒さですが、冷麺の店はそれなりに混んでいました。2年前の12月、山形まで元祖冷やしラーメンを食べに行ったのを思い出しました。
ヨンビンホテルにはサウナが併設されており、宿泊者は無料利用券がもらえます。館内には薬草の匂いが立ち込めていました。部屋はかなり年季の入った厳しいものでしたが、1泊2000円なので文句は言えません。ただトイレットペーパーをトイレに流すと詰まってしまうため、横のカゴに捨てないといけないのは日本人にはつらいですね。夜8時にサウナが閉館するため、17:20から30分だけ入りました。それから防寒フル装備を着込んで夜の東大門市場へ散策に出かけました。衣類の店がメインですが、私は韓国系ファッションに興味があるわけではないので、雰囲気を見て楽しむだけです。途中の屋台で好物のトッポッキ(餅をウインナーの形に切って赤いソースで煮込んだもの)を見つけましたが、胃袋がいっぱいだったので諦めました。寒空の下、ピリ辛のトッポッキを食べ、魚出汁のおでんスープを飲むのが好きなのです。1時間ほどの散策でしたが、帰ってきたときにはむき出しだった頬がかなり冷たくなっていました。
翌18日、8時半に起床して9時チェックアウト。ホテルで荷物を預かってもらい、地下鉄に乗って光化門へ。駅の近くにある清進屋という店でへジャンクッ(7000W)の朝食を摂りました。これは牛の内臓と血の塊を煮込んだ土色のスープです。苦手な人も多いでしょうが、二日酔いに効く、意外とさっぱりした味です。私はこれで3回目ですが、いつも完食しています。その後、景福宮、国立民族博物館(3000W)に行き、そちらを観光しました。ソウル旅行も16回目ともなると主な観光地は行き尽した感があり、ここも2回目でしたので特に感想はありません。それから近くにある土俗村という店に向かい、サムゲタン(14000W)の昼食を摂りました。これは鳥の腹にもち米、朝鮮人参、栗、ナツメヤシなどを詰めて丸ごと煮込んだスープですが、有名店だけあって満足できる味でした。食後、徒歩で市庁を経由しロッテデパートに行き、その傍にある屋台でトッポッキ(4000W)を食べました。昨晩のリベンジです。白い息を吐きながら一緒に飲んだ魚出汁の熱いおでんスープが胃に染み渡りました。その後、明洞の賑わいを眺めながら明洞駅へと抜け、東大門歴史文化公園駅で荷物をピックアップしてから再度地下鉄に乗り、宣陵駅に向かいました。ここから北に10分ほど歩けばこの日宿泊するラマダソウルホテルです。途中、宣靖陵という世界遺産の古墳があったので入場しましたが(1000W)、慶州の古墳公園や瀋陽の北陵でも見かけた円墳が2つあるだけで、それほど見ごたえはありません。もっとも慶州や瀋陽の円墳も世界遺産なのですけどね。
ラマダソウルには16時半ごろチェックインし、部屋に荷物をおいてからラウンジへと行きました。今回はこのホテルを堪能するのが旅の最大の目的です。エグゼクティブフロアなのでもちろん朝食付き。18時からのハッピーアワーにはラウンジでアルコール飲み放題、料理食べ放題のサービスがあり、それ以外の時間にも軽食やソフトドリンクがおいてあり、インターネットやサウナも無料で利用できます。要は4つ星のまあまあ高級なホテルで1泊2食、飲み放題、おやつ、サウナがついて7000円弱なのです。
まずはラウンジでクッキーとフルーツ盛り合わせを食べ、コーヒーを飲んで一服。それから一旦部屋に戻り、ハッピーアワーの始まる10分前に再びラウンジへと向かいました。ビーフシチュー、中華風魚フライ、八宝菜、スープなどのホットミールに、サーモンのマリネ、ターキー、ムール貝、寿司、チーズ盛り合わせ、フルーツなど、ラウンジでの食事にしてはかなり充実していましたが、寿司は最初の30分でなくなり、その後追加はありませんでした。私は赤ワインを2杯もらいました。
その後酔いを醒ましてからサウナに行きましたが、(当然ながら)前日のヨンビンホテルよりも清潔感がありました。
翌19日は朝7時に起きて1階のレストランでビュッフェの朝食を摂りました。ラウンジでも朝食を摂ることができるのですが、私の経験上、一般客も利用するレストランの方が品数が多いのです。
その後8時半にホテルをチェックアウトし、地下鉄(1400W)を乗り継いで金浦国際空港に到着したのは10時過ぎでした。チェックイン後、プライオリティパスでアシアナ航空と大韓航空のビジネスクラスラウンジをハシゴし、12:40のフライトでソウルを発ちました。関空には14時過ぎに到着し、そこから南海特急、近鉄特急を乗り継いで名古屋駅に着いたのは18時過ぎでした。
来年1月は最大の難関インド、2月は釜山、3月は中国東北部のハルビン、4月と5月はソウル、すべてマイルを使った特典航空券で旅行の予定を立てています。旅行難易度はインド>>(越えられない壁)>>中国>>>韓国といったところでしょうか? インドの物売り相手にどう対峙するか考えるだけで緊張しますし、インド人や中国人をビジネスパートナーにするのは個人的には遠慮したいと思っているくらいです。しかしそれでもタージマハールを10年ぶりにもう一度見てみたいのです。願わくば無事に帰ってこられますように。
北朝鮮の砲撃事件について [雑談]
昨日、北朝鮮による砲撃事件がありました。韓国の怒りはもちろんですが、中国もこの件では別の意味で怒っているのではないかと思います。今日はその観点から話を進めていきます。
中国は(本質を軽んじて)面子を重んじる国です。これまでもオリンピックや万博、国際スポーツ大会の際には沿道に住む旧市街の住民に立ち退きを命じ、張りぼての高層ビルを建てて国の面子作りに腐心しました。トヨタ自動車も中国国内ではカムリのフロントグリルを他国とは違う押し出し感の強いものに変えて販売していますし、日本に来た中国人観光客は面子のために大量の大人買いをしていきます。
そんな中国が北朝鮮に対しこれまで数多くの経済援助を行い、外交面でも擁護してきました。援助物資を載せた鉄道が中国から北朝鮮国内に入っていくと、車両ごと接収されて戻ってこないことも多々あったようですが、中国は我慢強く北朝鮮への援助を続けてきました。もちろんこれは北朝鮮が崩壊して中国側に大量の難民が流れてくることを警戒しての行為ですが、6カ国協議再開に向けてキーマンとしての存在感を示し、面子を保つことも動機の一つでした。しかし今回の1件で中国も北朝鮮を制御できていないことが国際社会に明らかとなり、中国の面子はつぶれてしまいました。
中国人は優しいと弱いの区別がつかない国民性を持っています。強さは正義であり、歴史上も力のある者が政権を転覆して新しい国を作るのが常だったのですから、これは中国人のDNAに刷り込まれたものと言ってもよいでしょう。強い者には(表向きは)逆らわず、弱い者、譲歩する者に対しては容赦しないのが彼らの文化です。仙石官房長官率いる日本政府はその中国に対して柳腰外交を行い、その結果は裏目に出てしまいました。これは中国の国民性を考え、「柳のようなソフト路線」を同義語である「弱い」に置き換えれば理解しやすいと思います。柳腰外交=弱腰外交なのですから。
私はあの中国漁船の動画を最初から全世界に公開すべきだったと思っています。中国毒ギョウザ事件でも分かるように、日本と中国、どちらに非があるのかはっきりしないうちは強気に出てきますが、自国側に不利な証拠が出揃うと何となく事件を風化させてしまうのが中国なのです。私はあの映像が流出してから、(体外的な面子は相変わらず気にするものの)中国の強気一辺倒が少し変わったように感じています。
日本としても弱腰外交を全世界に印象付けた中国漁船事件ですが、中国としても強面国家として世界中に警戒心を抱かせ、お互いに利益を失うだけの結果となりました。中国もしばらくは大人しくして国際社会でのイメージ回復を図りたかったと思いますが、そんな矢先に自らが庇護する北朝鮮が砲撃事件を引き起こしてしまいました。現在、韓国では報復を含む強硬路線へと世論がシフトしつつあるようですし、今日の夕刊を読むと米韓の共同軍事演習(北朝鮮への挑発?)も決まったようです。中国にとっても今回の事件で北朝鮮を擁護する大儀はなく、かといって強硬路線に転じて北朝鮮に崩壊されても困るのが本音ではないでしょうか?
金正日氏の長男・正男氏は「北朝鮮はもうじき崩壊する。私は戻らない」と周りの人に言っていたそうですが、これは賢明な判断だったと思います。今回の事件ではロシアも北朝鮮を(名指しこそしないものの)非難していますし、中国もこれ以上北朝鮮をかばって援助を続けることは難しくなるでしょう。北朝鮮の人民は飢え、軍部が破れかぶれの行動を起こすリスクも出てきました。
かつて各国の最高指導者の演説を分析して、その知能指数をはじき出すという研究をした人がいました。最下位は当時アメリカ大統領だったブッシュJr、そしてトップは金正日将軍でした。ギリギリの火遊びをしながら自分は火傷しないですむ限界を見極め、相手から譲歩を引き出す「手腕」が評価された形ですが、今回の事件は金正日将軍の主導にしては度を過ぎたというか、火傷しないで済む限界を読み誤った感があります。金正雲氏が業績作りのために無茶をやりすぎたか、軍指導部が暴走したか、いずれかの可能性が高そうです。
さて、ここで皆さんに質問です。北朝鮮が今後更に暴走した場合、いち早く平壌に攻め込んで制圧するのは米韓連合か、はたまた中国か、どちらでしょう?
北朝鮮を庇護する中国が北朝鮮に攻め込むなど、一見突拍子もないと思われるでしょう。しかし私が中国の最高指導者だったら、北朝鮮が韓国と併合してアメリカ軍が自国の国境付近に来ることだけは何としても避けたいと思います。それよりはこれまで庇護してきた国の寝首をかく形で最後の最後に攻め込んで制圧し、風通しの良い属国にする方が良いでしょう。これまでの歴史でも朝鮮半島は強国間の緩衝帯としての役割を果たして来たことがありましたし、中国としてはそれを望むでしょう。実利を押さえた上で、難民対策として中朝の国境警備は厳しくし、日米韓に復興のための経済援助だけさせれば、中国にとってのベストな結果ではないでしょうか? その場合、日本や韓国は経済援助の美名の下、良いようにむしりとられるでしょう。中国はそのしたたかさを持った国ですし、北朝鮮が暴走した際にそれを中国がいち早く制圧したとして文句を言える国がこの地球上にあるでしょうか? 一方のアメリカは北朝鮮の軍事拠点をピンポイントで叩く能力はぴか一ですが、白兵戦で攻め込み制圧することはイラクやアフガニスタンで懲りていると思います。
私としては今回の砲撃事件を受け、北朝鮮が中国の属国となる可能性が頭に浮かんでしまった次第です。韓国の泣き寝入りで有耶無耶になる可能性の方が高いとは思いますが・・・。来月はソウル旅行の予定なので、今後も情勢を注視していきたいと思います。
11月30日追記
ウィキリークスによると、中国は緩衝国としての北朝鮮の存在意義を否定しているようですね。これを直ちに真に受けるわけにも行きませんが、北朝鮮が韓国に飲み込まれた場合はぜひ平壌にも行ってみたいものです。
来月のソウル旅行ですが、現状では安全かな?と思っています。国境付近での局地戦はあったとしても、ソウルを攻撃することは平壌への報復攻撃を覚悟することですから、金親子も軍部もそこまでの決意はないだろうと想像しています。万が一破れかぶれの首都攻撃を行うなら、私が北朝鮮の指導者だったらソウルではなく東京を標的にします。その方が報復攻撃は軽く済みそうですから。
中国は(本質を軽んじて)面子を重んじる国です。これまでもオリンピックや万博、国際スポーツ大会の際には沿道に住む旧市街の住民に立ち退きを命じ、張りぼての高層ビルを建てて国の面子作りに腐心しました。トヨタ自動車も中国国内ではカムリのフロントグリルを他国とは違う押し出し感の強いものに変えて販売していますし、日本に来た中国人観光客は面子のために大量の大人買いをしていきます。
そんな中国が北朝鮮に対しこれまで数多くの経済援助を行い、外交面でも擁護してきました。援助物資を載せた鉄道が中国から北朝鮮国内に入っていくと、車両ごと接収されて戻ってこないことも多々あったようですが、中国は我慢強く北朝鮮への援助を続けてきました。もちろんこれは北朝鮮が崩壊して中国側に大量の難民が流れてくることを警戒しての行為ですが、6カ国協議再開に向けてキーマンとしての存在感を示し、面子を保つことも動機の一つでした。しかし今回の1件で中国も北朝鮮を制御できていないことが国際社会に明らかとなり、中国の面子はつぶれてしまいました。
中国人は優しいと弱いの区別がつかない国民性を持っています。強さは正義であり、歴史上も力のある者が政権を転覆して新しい国を作るのが常だったのですから、これは中国人のDNAに刷り込まれたものと言ってもよいでしょう。強い者には(表向きは)逆らわず、弱い者、譲歩する者に対しては容赦しないのが彼らの文化です。仙石官房長官率いる日本政府はその中国に対して柳腰外交を行い、その結果は裏目に出てしまいました。これは中国の国民性を考え、「柳のようなソフト路線」を同義語である「弱い」に置き換えれば理解しやすいと思います。柳腰外交=弱腰外交なのですから。
私はあの中国漁船の動画を最初から全世界に公開すべきだったと思っています。中国毒ギョウザ事件でも分かるように、日本と中国、どちらに非があるのかはっきりしないうちは強気に出てきますが、自国側に不利な証拠が出揃うと何となく事件を風化させてしまうのが中国なのです。私はあの映像が流出してから、(体外的な面子は相変わらず気にするものの)中国の強気一辺倒が少し変わったように感じています。
日本としても弱腰外交を全世界に印象付けた中国漁船事件ですが、中国としても強面国家として世界中に警戒心を抱かせ、お互いに利益を失うだけの結果となりました。中国もしばらくは大人しくして国際社会でのイメージ回復を図りたかったと思いますが、そんな矢先に自らが庇護する北朝鮮が砲撃事件を引き起こしてしまいました。現在、韓国では報復を含む強硬路線へと世論がシフトしつつあるようですし、今日の夕刊を読むと米韓の共同軍事演習(北朝鮮への挑発?)も決まったようです。中国にとっても今回の事件で北朝鮮を擁護する大儀はなく、かといって強硬路線に転じて北朝鮮に崩壊されても困るのが本音ではないでしょうか?
金正日氏の長男・正男氏は「北朝鮮はもうじき崩壊する。私は戻らない」と周りの人に言っていたそうですが、これは賢明な判断だったと思います。今回の事件ではロシアも北朝鮮を(名指しこそしないものの)非難していますし、中国もこれ以上北朝鮮をかばって援助を続けることは難しくなるでしょう。北朝鮮の人民は飢え、軍部が破れかぶれの行動を起こすリスクも出てきました。
かつて各国の最高指導者の演説を分析して、その知能指数をはじき出すという研究をした人がいました。最下位は当時アメリカ大統領だったブッシュJr、そしてトップは金正日将軍でした。ギリギリの火遊びをしながら自分は火傷しないですむ限界を見極め、相手から譲歩を引き出す「手腕」が評価された形ですが、今回の事件は金正日将軍の主導にしては度を過ぎたというか、火傷しないで済む限界を読み誤った感があります。金正雲氏が業績作りのために無茶をやりすぎたか、軍指導部が暴走したか、いずれかの可能性が高そうです。
さて、ここで皆さんに質問です。北朝鮮が今後更に暴走した場合、いち早く平壌に攻め込んで制圧するのは米韓連合か、はたまた中国か、どちらでしょう?
北朝鮮を庇護する中国が北朝鮮に攻め込むなど、一見突拍子もないと思われるでしょう。しかし私が中国の最高指導者だったら、北朝鮮が韓国と併合してアメリカ軍が自国の国境付近に来ることだけは何としても避けたいと思います。それよりはこれまで庇護してきた国の寝首をかく形で最後の最後に攻め込んで制圧し、風通しの良い属国にする方が良いでしょう。これまでの歴史でも朝鮮半島は強国間の緩衝帯としての役割を果たして来たことがありましたし、中国としてはそれを望むでしょう。実利を押さえた上で、難民対策として中朝の国境警備は厳しくし、日米韓に復興のための経済援助だけさせれば、中国にとってのベストな結果ではないでしょうか? その場合、日本や韓国は経済援助の美名の下、良いようにむしりとられるでしょう。中国はそのしたたかさを持った国ですし、北朝鮮が暴走した際にそれを中国がいち早く制圧したとして文句を言える国がこの地球上にあるでしょうか? 一方のアメリカは北朝鮮の軍事拠点をピンポイントで叩く能力はぴか一ですが、白兵戦で攻め込み制圧することはイラクやアフガニスタンで懲りていると思います。
私としては今回の砲撃事件を受け、北朝鮮が中国の属国となる可能性が頭に浮かんでしまった次第です。韓国の泣き寝入りで有耶無耶になる可能性の方が高いとは思いますが・・・。来月はソウル旅行の予定なので、今後も情勢を注視していきたいと思います。
11月30日追記
ウィキリークスによると、中国は緩衝国としての北朝鮮の存在意義を否定しているようですね。これを直ちに真に受けるわけにも行きませんが、北朝鮮が韓国に飲み込まれた場合はぜひ平壌にも行ってみたいものです。
来月のソウル旅行ですが、現状では安全かな?と思っています。国境付近での局地戦はあったとしても、ソウルを攻撃することは平壌への報復攻撃を覚悟することですから、金親子も軍部もそこまでの決意はないだろうと想像しています。万が一破れかぶれの首都攻撃を行うなら、私が北朝鮮の指導者だったらソウルではなく東京を標的にします。その方が報復攻撃は軽く済みそうですから。
グアム旅行記(10年11月) [海外旅行記]
今回、デルタ航空のマイルを使ってグアムに一人で行ってきました。グアムには5月にも家族で訪れたばかりですが、実はその数ヶ月前に今回の航空券を押さえていました。順番としては11月の旅行を予定した後、降って沸いた話で5月にもグアムに行くことになった次第です。
10年前、最初のグアム旅行ではアンダーウォーターワールド、射撃、ターザ、サブマリンを経験し、今年5月のグアム旅行では高級ホテルを泊まり歩きました。マリンスポーツは一人では切ないし、海外のホテルは1室いくらという料金設定のため一人で高級ホテルに泊まるのは勿体ないし、免税店は豪華すぎる内装や無料シャトルバスなどの料金が上乗せされてしまって楽天最安値より高いことが多いし、ゴルフはしないので、他にグアムでしたいこともありません。自分でも今回の旅行計画は失敗したなと思います。
ともあれ、気を取り直して楽天トラベルでホテルを探していたところ、レオパレスリゾートのホテル棟が空港往復送迎つきで1泊70ドル(税11%別途)というプランを出していたため、そちらに泊まることにしました。
そして出発当日の19日。セントレアで早めにチェックインを済ませ、プライオリティパスでスターアライアンスのビジネスクラスラウンジに入ってサンドウィッチ、おにぎりの朝食を摂りました。SDカードに取り込んだ映画をバイオXで見ながら、ワインを飲み、新聞を読んでリラックス。ビジネスクラスラウンジとエコノミーの機内では、前者の方が良いワインがありますから、どうせならここで飲んでおく方が幸せになれます。その後、飛行機は予定通り離陸し、定刻より5分遅れでグアムに到着しました。空港で入国審査を済ませ、セキュリティーエリアから出た右側にレオパレスリゾートのブースがあったので、そこで名前を言って送迎バスに乗り込みました。
レオパレスリゾートは、その名のとおりレオパレス21が作ったホテルですが、DFSなどが立ち並ぶ中心地から外れた郊外の丘の上に位置しています。私の泊まるホテル棟以外にも長期滞在者用のコンドミニアム棟を持ち、ゴルフ場、複数のプール、サイクリング、テニス場、ボーリング場、コンビニ、レストランなどを兼ね備えた一大リゾートです。しかしグアムの辺鄙な山奥にそれほどの需要があるとは思えず、楽天トラベルでも時々投売り状態で格安プランを提供しているのを見かけます。私が泊まったホテル棟は上質なインテリアで41平米の広さがあり、5つ星の高級ホテル相当です。これに空港送迎が着いて1泊77.7ドルなので、ホテル通り沿いの中級ホテル以下の値段です。
ホテルの部屋に荷物を置き、少し一服してから赤いバスと呼ばれる公共バス(5日券20ドル)に乗って、金曜夜に開かれているナイトマーケットに出かけました。ホテルからはグアムプレミアムアウトレット(GPO)まで行き、そこでバスを乗り換える必要があるのですが、途中でバスが故障し、代車の到着を待って15分遅くなったお詫びにとドライバーがナイトマーケットの近くで降ろしてくれました。正に「災い転じて福となす」で、当初の予定より早く到着することができました。
ナイトマーケットは海辺の屋台街と表現すれば良いでしょうか? ローカルフード、スイーツ、土産物の店が立ち並び、その場で食事できるようにたくさんの椅子とテーブルが置かれたコーナーもあります。値段は総じてショッピングセンターよりも安めです。私は7.5ドルのBBQ弁当で夕食を済ませ、その後しばらく辺りを散策していました。19時から地元の小中学生たちによるフラダンスやファイヤーダンスの出し物がありました。子供なので時々失敗することもありますが、まあご愛嬌。ディナーショーに行かなくても無料で見られたので、民族舞踊プチマニアの私は大満足です。翌朝の朝食用にチキンBBQ弁当(6ドル)を買い、GPOでバスを乗り継ぎがてらグアムビールを買い、ホテルに帰ってきました。
ところで余談ですが、私はこのファイヤーダンスをサイパンやスリランカでも見たことがあります。グアムやサイパンでは腰蓑をつけて両端に火のついた一本の棒を振り回し、スリランカでは両手に別の松明を持って振り回す違いがありますが、どうもこの手の踊りは暑い地方の専売特許のようです。
翌20日、ホテルの廊下に備え付けてある電子レンジで昨晩のBBQ弁当を温めて朝食を摂りました。朝からなかなかヘビーです。その後プールに行きましたが、土地のたくさんある郊外の高級ホテルだけあって、私がこれまで訪れた数々の高級ホテルの中でも3本の指に入る広大なものでした。ところどころにヤシの木が生い茂るプールは南国情緒もたっぷりで、ここで10時から1時間ほど泳ぎましたが、陽が昇るにしたがって次第にヤシの葉の木陰も少なくなったため、11時で撤収しました。
その後、赤いバスに乗ってGPOに向かいましたが、このホテルの最大のネックはアクセスが悪いことです。GPO行きのバスが40分に1本しかなく、所要時間も40分かかるため、ちょっとGPOに行って帰るだけでも2時間以上必要となります。1日2回出かけるのが精一杯でしょう。GPOではまずABCストアでココナッツビール(4ドル)を買い、フードコートでBBQを含む好きな副菜を3品選べる弁当(8.25ドル)を頼みました。格安ながらローカルビールとBBQのセットで大満足のはずでしたが、どうもココナッツビール(なぜか黒ビール)は濃厚すぎる上に癖があって、私はあまり受け付けない味でした。そういえば前日に飲んだグアムビールも比較的濃厚な味であり、暑いところではサラッと飲める薄味のビールが多いと思っていた私の経験則を裏切るものでした。
食後、海岸沿いのホテルロードを走りたくてDFSに向かうバスに乗りました。グアム島のホテルは8割がたがこの通りに面したところに立っています。それらを眺めている間にDFSに到着し、店内を散策しましたが、特に買いたいものもなく向かいにあるリーフホテルに向かいました。前回5月のグアム旅行でシェラトンに泊まった際、崖の上の切り立ったところにあるプールの水面と遥か彼方の海面がシームレスになって見えるインフィニティープールに感動しました。この海に注ぎ込む四角いプールはバリ島のアマンキラという超高級リゾートがオリジナルのはずですが、高級リゾートのエッセンスであるインフィニティープールがリーフホテルにもあると聞き、一度見ておきたかったのです。ただ思ったよりも小さくて囲まれ感もあったので、次回ここに泊まりたいとは思いませんでした。
その後、すぐ隣にあるウェスティンホテルへと向かいました。ここはレオパレスリゾートの姉妹ホテルであり、両ホテルを結ぶ無料シャトルバスが1時間に1本の割合で運行されている他、レオパレスリゾートの宿泊客は10ドル支払えばウェスティンのプールで泳ぐこともできます。一応水着を持参で来たのですが、レオパレスリゾートの広大なプールを見た後ではどうも小さく見えてしまいます。ホテル全体の雰囲気は素晴らしかったのですが、10ドル払ってまで泳ぎたいとは思わず、ホテル内を散策した後、15時発のシャトルバスに乗ってレオパレスリゾートに帰ってきました。
レオパレスリゾートの広大なプールで再び泳ぎ、17時半の赤いバスに乗ってGPOへ。夕食もここのフードコートにあるフィリピン料理の店で済ませ(惣菜を3品チョイスで8.25ドル)、翌朝のためにモンゴリアンBBQの弁当(7ドル)を買い、GPO内を少し散策してからホテルに帰りました。
グアムの観光客はそのほとんどが日本人であり、グアム時間は日本より1時間早い(グアムで9時のとき、日本では8時)ため、多くの観光客は遅寝遅起きをします。そのためホテルロード沿いの店は割と遅くまでやっているようですが、地元民の多い郊外のショッピングセンターなどは夜8~9時に閉まるようです。
翌21日。この日は正午までにチェックアウトし、13時半のバスで空港に向かう予定です。この短い時間で片道40分かけてGPOに行っても時間を無駄に費やすだけと考え、ホテルでのんびりすごすことにしました。朝8時半に起床し、昨晩のモンゴリアンBBQ弁当を電子レンジで温めて朝食を済ませました。10時から1時間ほどプールで泳ぎ、正午前にチェックアウト。コンドミニアム棟にあるコンビニで巻き寿司を買って食べ、時間をつぶして13時半のバスに乗りました。
空港ではプライオリティパスを使ってコンチネンタル航空のラウンジに入り、カットフルーツやワインを飲食して時間をつぶし、定刻の19時にセントレアに帰って来ました。
11月末まで行われている、デルタ航空のマイルを3500マイル当たり56ドルで購入できるキャンペーン(http://dn.delta.com/skymiles/purchasemiles/buy/landing?region=JP&lang=ja)も残り期限が少なくなって来ました。先月は3000マイル当たり56ドルだったのですが、いつの間にかパワーアップしていました。セントレア発のグアムやサイパン行きチケットなら大抵2万マイルで引き換えられますし、これと楽天トラベルで予約するホテルを組み合わせるのが、グアムやサイパンに最も安く行く方法です。グアムやサイパン行きに必要な21000マイルを336ドル(3万円以下)で購入でき、アメリカ系航空会社の特典航空券なので燃油サーチャージも免除されるのですから。
(マイルの購入、発券は自己責任でお願いします)
10年前、最初のグアム旅行ではアンダーウォーターワールド、射撃、ターザ、サブマリンを経験し、今年5月のグアム旅行では高級ホテルを泊まり歩きました。マリンスポーツは一人では切ないし、海外のホテルは1室いくらという料金設定のため一人で高級ホテルに泊まるのは勿体ないし、免税店は豪華すぎる内装や無料シャトルバスなどの料金が上乗せされてしまって楽天最安値より高いことが多いし、ゴルフはしないので、他にグアムでしたいこともありません。自分でも今回の旅行計画は失敗したなと思います。
ともあれ、気を取り直して楽天トラベルでホテルを探していたところ、レオパレスリゾートのホテル棟が空港往復送迎つきで1泊70ドル(税11%別途)というプランを出していたため、そちらに泊まることにしました。
そして出発当日の19日。セントレアで早めにチェックインを済ませ、プライオリティパスでスターアライアンスのビジネスクラスラウンジに入ってサンドウィッチ、おにぎりの朝食を摂りました。SDカードに取り込んだ映画をバイオXで見ながら、ワインを飲み、新聞を読んでリラックス。ビジネスクラスラウンジとエコノミーの機内では、前者の方が良いワインがありますから、どうせならここで飲んでおく方が幸せになれます。その後、飛行機は予定通り離陸し、定刻より5分遅れでグアムに到着しました。空港で入国審査を済ませ、セキュリティーエリアから出た右側にレオパレスリゾートのブースがあったので、そこで名前を言って送迎バスに乗り込みました。
レオパレスリゾートは、その名のとおりレオパレス21が作ったホテルですが、DFSなどが立ち並ぶ中心地から外れた郊外の丘の上に位置しています。私の泊まるホテル棟以外にも長期滞在者用のコンドミニアム棟を持ち、ゴルフ場、複数のプール、サイクリング、テニス場、ボーリング場、コンビニ、レストランなどを兼ね備えた一大リゾートです。しかしグアムの辺鄙な山奥にそれほどの需要があるとは思えず、楽天トラベルでも時々投売り状態で格安プランを提供しているのを見かけます。私が泊まったホテル棟は上質なインテリアで41平米の広さがあり、5つ星の高級ホテル相当です。これに空港送迎が着いて1泊77.7ドルなので、ホテル通り沿いの中級ホテル以下の値段です。
ホテルの部屋に荷物を置き、少し一服してから赤いバスと呼ばれる公共バス(5日券20ドル)に乗って、金曜夜に開かれているナイトマーケットに出かけました。ホテルからはグアムプレミアムアウトレット(GPO)まで行き、そこでバスを乗り換える必要があるのですが、途中でバスが故障し、代車の到着を待って15分遅くなったお詫びにとドライバーがナイトマーケットの近くで降ろしてくれました。正に「災い転じて福となす」で、当初の予定より早く到着することができました。
ナイトマーケットは海辺の屋台街と表現すれば良いでしょうか? ローカルフード、スイーツ、土産物の店が立ち並び、その場で食事できるようにたくさんの椅子とテーブルが置かれたコーナーもあります。値段は総じてショッピングセンターよりも安めです。私は7.5ドルのBBQ弁当で夕食を済ませ、その後しばらく辺りを散策していました。19時から地元の小中学生たちによるフラダンスやファイヤーダンスの出し物がありました。子供なので時々失敗することもありますが、まあご愛嬌。ディナーショーに行かなくても無料で見られたので、民族舞踊プチマニアの私は大満足です。翌朝の朝食用にチキンBBQ弁当(6ドル)を買い、GPOでバスを乗り継ぎがてらグアムビールを買い、ホテルに帰ってきました。
ところで余談ですが、私はこのファイヤーダンスをサイパンやスリランカでも見たことがあります。グアムやサイパンでは腰蓑をつけて両端に火のついた一本の棒を振り回し、スリランカでは両手に別の松明を持って振り回す違いがありますが、どうもこの手の踊りは暑い地方の専売特許のようです。
翌20日、ホテルの廊下に備え付けてある電子レンジで昨晩のBBQ弁当を温めて朝食を摂りました。朝からなかなかヘビーです。その後プールに行きましたが、土地のたくさんある郊外の高級ホテルだけあって、私がこれまで訪れた数々の高級ホテルの中でも3本の指に入る広大なものでした。ところどころにヤシの木が生い茂るプールは南国情緒もたっぷりで、ここで10時から1時間ほど泳ぎましたが、陽が昇るにしたがって次第にヤシの葉の木陰も少なくなったため、11時で撤収しました。
その後、赤いバスに乗ってGPOに向かいましたが、このホテルの最大のネックはアクセスが悪いことです。GPO行きのバスが40分に1本しかなく、所要時間も40分かかるため、ちょっとGPOに行って帰るだけでも2時間以上必要となります。1日2回出かけるのが精一杯でしょう。GPOではまずABCストアでココナッツビール(4ドル)を買い、フードコートでBBQを含む好きな副菜を3品選べる弁当(8.25ドル)を頼みました。格安ながらローカルビールとBBQのセットで大満足のはずでしたが、どうもココナッツビール(なぜか黒ビール)は濃厚すぎる上に癖があって、私はあまり受け付けない味でした。そういえば前日に飲んだグアムビールも比較的濃厚な味であり、暑いところではサラッと飲める薄味のビールが多いと思っていた私の経験則を裏切るものでした。
食後、海岸沿いのホテルロードを走りたくてDFSに向かうバスに乗りました。グアム島のホテルは8割がたがこの通りに面したところに立っています。それらを眺めている間にDFSに到着し、店内を散策しましたが、特に買いたいものもなく向かいにあるリーフホテルに向かいました。前回5月のグアム旅行でシェラトンに泊まった際、崖の上の切り立ったところにあるプールの水面と遥か彼方の海面がシームレスになって見えるインフィニティープールに感動しました。この海に注ぎ込む四角いプールはバリ島のアマンキラという超高級リゾートがオリジナルのはずですが、高級リゾートのエッセンスであるインフィニティープールがリーフホテルにもあると聞き、一度見ておきたかったのです。ただ思ったよりも小さくて囲まれ感もあったので、次回ここに泊まりたいとは思いませんでした。
その後、すぐ隣にあるウェスティンホテルへと向かいました。ここはレオパレスリゾートの姉妹ホテルであり、両ホテルを結ぶ無料シャトルバスが1時間に1本の割合で運行されている他、レオパレスリゾートの宿泊客は10ドル支払えばウェスティンのプールで泳ぐこともできます。一応水着を持参で来たのですが、レオパレスリゾートの広大なプールを見た後ではどうも小さく見えてしまいます。ホテル全体の雰囲気は素晴らしかったのですが、10ドル払ってまで泳ぎたいとは思わず、ホテル内を散策した後、15時発のシャトルバスに乗ってレオパレスリゾートに帰ってきました。
レオパレスリゾートの広大なプールで再び泳ぎ、17時半の赤いバスに乗ってGPOへ。夕食もここのフードコートにあるフィリピン料理の店で済ませ(惣菜を3品チョイスで8.25ドル)、翌朝のためにモンゴリアンBBQの弁当(7ドル)を買い、GPO内を少し散策してからホテルに帰りました。
グアムの観光客はそのほとんどが日本人であり、グアム時間は日本より1時間早い(グアムで9時のとき、日本では8時)ため、多くの観光客は遅寝遅起きをします。そのためホテルロード沿いの店は割と遅くまでやっているようですが、地元民の多い郊外のショッピングセンターなどは夜8~9時に閉まるようです。
翌21日。この日は正午までにチェックアウトし、13時半のバスで空港に向かう予定です。この短い時間で片道40分かけてGPOに行っても時間を無駄に費やすだけと考え、ホテルでのんびりすごすことにしました。朝8時半に起床し、昨晩のモンゴリアンBBQ弁当を電子レンジで温めて朝食を済ませました。10時から1時間ほどプールで泳ぎ、正午前にチェックアウト。コンドミニアム棟にあるコンビニで巻き寿司を買って食べ、時間をつぶして13時半のバスに乗りました。
空港ではプライオリティパスを使ってコンチネンタル航空のラウンジに入り、カットフルーツやワインを飲食して時間をつぶし、定刻の19時にセントレアに帰って来ました。
11月末まで行われている、デルタ航空のマイルを3500マイル当たり56ドルで購入できるキャンペーン(http://dn.delta.com/skymiles/purchasemiles/buy/landing?region=JP&lang=ja)も残り期限が少なくなって来ました。先月は3000マイル当たり56ドルだったのですが、いつの間にかパワーアップしていました。セントレア発のグアムやサイパン行きチケットなら大抵2万マイルで引き換えられますし、これと楽天トラベルで予約するホテルを組み合わせるのが、グアムやサイパンに最も安く行く方法です。グアムやサイパン行きに必要な21000マイルを336ドル(3万円以下)で購入でき、アメリカ系航空会社の特典航空券なので燃油サーチャージも免除されるのですから。
(マイルの購入、発券は自己責任でお願いします)
マニラ旅行記(10年10月) [海外旅行記]
前回のモンゴル旅行記で、ANAアメックスゴールドで30万円買い物すれば合計37000マイルもらえるキャンペーンを紹介しましたが、実はそのキャンペーンにはさらに先があります。各種引き落としをANAアメックスゴールドにすると、更に上乗せが期待できます(https://www.americanexpress.com/japan/personal/benefits/campaign/list/Welcome_A_p_.shtml)。私はこちらもちゃっかりと拾っていく予定です。なお私事ですが先日新居が完成し、それにあわせてリビングの調度品などを購入したため、30万円の買い物はほぼ達成できそうです。アジアンモダンをキーワードに内装も家具も統一したのですが、その結果リビングのテーブルは11月末にタイから運ばれてくることになりました。当面はテーブルなしです。
さて今回は3回目のマニラ旅行ですが、3回ともマイルを使った特典航空券を利用しています。今回はデルタ(DL)航空の2万マイルを使ってエコノミークラスマニラ行きの航空券をゲットしました。ノースウエスト航空(NW)が数年前から続けていたニッポン500マイルキャンペーンは現在合併したDLに引き継がれていますので(http://www.delta.com/pdfs/JAPAN500_09form.pdf)、JALやANAの国内線に40回乗ればマニラまで無料で行ける計算になります。11月末までなら3000マイル当たり56ドルで購入できるキャンペーン(http://dn.delta.com/skymiles/purchasemiles/buy/landing?region=JP&lang=ja)をやっているため、これを使えば通常の格安航空券より安く搭乗できます。
今回、ホテルはオクトパストラベル系の間際予約.jpでパールマニラホテル(4つ星朝食付き、3泊で11100円)を申し込みました。
外務省の海外安全情報のページ(http://www.pubanzen.mofa.go.jp/)には、
最近、日本人旅行者が夜間にマニラ国際空港に到着した後、車両でマニラ市内に移動中、突然、銃を所持する犯行グループ(複数の男性の乗った車両)に行く手を塞がれ、旅券、金品を含む貴重品を奪われる事例が相次 いで発生しています。中には、空港に到着したばかりの外国人旅行者の乗った車両が強盗団の襲撃に遭い、運転手が射殺され、旅行者が一時連れ去られる(但し、後に解放された)といった事件も発生しています。
などと物騒なことが書かれているため、送迎は前もって手配することにしました(http://www.world-airport-transfer.com/)。片道18ドルと割高ですが、大手レンタカー会社であるエイビスが空港、ホテル間を運転手付きレンタカーで送迎してくれるため、安心できると思います。
出発当日となる9日。この日は夜8時にセントレアを出て現地時刻の夜11時にマニラに着く予定でしたが、機体トラブルのため1時間以上遅れ、到着したときには深夜0時を回っていました。両替レートは、空港では1万円=4700ペソ(以下P)、ホテルでは4900P、街中の両替商では5100Pほどでした。およそ1P=2円と思ってください。空港内にあるエイビスの窓口に行くとすぐにスタッフが私の名前を呼んでくれたため、安心して乗車することができました。後から不審な車がついてくることもなく、深夜なのに賑わいを見せるマニラの大通りを抜けてホテルに無事到着。チェックインを済ませ、部屋に入ったときには午前1時を回っていました。
翌10日は朝7時半に起床し、ホテルでビュッフェの朝食を摂り、8時半に出発しました。この日は16世紀にスペインが築いた城塞都市イントラムロスを散策する予定です。まずはU.N.アベニュー駅すぐ西にあるホテルから、リサール公園を抜けてイントラムムロスに入り、サンチャゴ要塞(75P)へ。いまでは緑の美しい公園になっていますが、ここには地下牢があります。第2次世界大戦中、日本軍は多くのフィリピン人をこの地下牢に閉じ込め満潮時に水死させたそうです。フィリピンの独立運動を主導した医師で国民的英雄ホセ・リサールがスペインによって処刑されたのもここであり、公園内には処刑場まで歩いたホセの足跡が再現されていました。
その後、マニラ大聖堂と世界遺産サン・オウガスチン教会を見学し、サン・オウガスチン博物館(100P)へ。16世紀ごろの宗教画が展示されていましたが、フィリピンの高温多湿な環境で長年晒されてかなり痛んでいました。中庭では子供たちにお粥をふるまっている一団がいました。私も勧められて食べましたが、ショウガと鶏肉の入った結構美味しいものでした。ここにいた政府のガードナーが私に話しかけていたので少し会話したのですが、サンチャゴ要塞がどんな施設か聞かれ、私が “ I don’t know.” と答えると、第二次大戦中ここに日本人が住んでいたのだと言っていました。多分私に気を使ったのでしょう。彼とはメールアドレスを交換して別れたのですが、その後しばらく睡魔に教われました。個人的な経験で言えば、睡眠薬を飲んだ後のような感じです。フィリピンでは、日本人と親しくなり睡眠薬入りの食事を食べさせて金品を奪う犯罪が多発していますが、世界遺産の教会で子供たちにお粥を振舞う政府職員(身分証も見せてくれました)がそんなことをするとも思えず、未だに謎です。
その後、道中で時間を尋ねてきた男性がそれをきっかけに色々話しかけてきて、近くに自宅があって母親がいるので来ないかと言ってきました。しかしこれ以上(?)睡眠薬を盛られると確実に眠ってしまうので、それは辞退して国立博物館に向かいました。
ここを見学した後、近くにあるマニラホテルへ。ここは100年近い歴史を誇るコロニアル調のホテルですが、そのメインダイニングであるシャンパンルームが私のお勧めです。天井が高く非常にきらびやかな室内でピアノの生演奏を聞きながら、オニオンスープとスパゲッティ、ビール、レバーペーストをつけたパン、食後のチョコレートを食べて892ペソでした。これでも地元の人にとっては高価なため、私の他にもう一組しか客はいませんでした。
食後、北東のキアポ地区に行き、教会とモスクを見てきました。ここのキアポ教会にはブラックナザレと呼ばれる十字架を担いだ黒いキリスト像があります。人々がその手足に触り、祈りをささげていました。その後マニラ・ゴールデンモスクに行きましたが、入り口にいた男性が “Korean?” と聞いてきました。”Japanese.” と答えるとゼスチャーで中に招き入れてくれましたが、“Korean.” と答えていたらどうなっていたのでしょう。バンコク旅行(http://ryokodo.blog.so-net.ne.jp/2010-01-16)中に会ったフィリピン人は韓国人をひどく毛嫌いしているようでしたが…。モスクの中では大勢の人が横たわり昼寝をしていましたが、そこを歩き回っていると一人の男性が近寄ってきて「祈りは?」「イスラム教徒か?」と聞いてきました。”No.”と答えると出て行けという仕草をするので、仕方なくモスクを後にしました。偶像崇拝を否定するイスラム教徒が写真を嫌うのは知っていたのでそれは避けていたのですが、神聖なモスクを異教徒が歩き回ったのが気に障ったのかもしれません。ただ、一般的にはモスク内を異教徒が見学することに対してそれほど排他的ではないのですけどね。入り口にいた男性は帰り際、「ありがとう」と日本語で挨拶してくれました。
そこから最寄りの高架鉄道駅までは庶民的なマーケットが軒を連ねています。スリには十分注意して歩きました。高架鉄道に乗ってホテルに近いU.N.アベニュー駅まで行き、そこから徒歩でロビンソン・コマーシャル・コンプレックスという巨大ショッピングセンターに向かいました。まずはジョリビーと呼ばれるフィリピンで最も有名なファストフード店でアイスティーを飲んで一服。このジョリビーは日本で例えると吉野家、松屋、すき屋、なか卯、マクドナルド、ケンタッキーを足して、ドナルドとカーネルサンダース主演の番組を作ったくらいメジャーな店です。いたるところに店舗があり、マスコットキャラのジョリビー主演の番組まで放送されているのです。このジョリビー、私のブログの顔にもなっているので皆さんも一度は見たことがあると思います。
その後立ち寄った電化製品店ではソニー、ナショナル、シャープ、サムスン、LGと、聞き覚えのないメーカーの液晶テレビ(主に20~40インチ)が数多く展示されていました。日本では「世界の亀山モデル」という宣伝文句が有名ですが、海外では未だかつて ”Kameyama” という表記を見たことがありません。「世界の亀山モデル」のフレーズは日本ローカルかもしれません。
それからスーパーマーケットに行きましたが、ここでドリアンを発見。「地獄の臭いと天国の味」と称される果物の王様は私の大好物ですが、その臭いゆえ自宅に持ち帰ることは妻から禁じられています。タイではホテルへの持ち込みも禁止されているようです。2房で130P程でしたが、思わず衝動買いをしてしまいました。ホテルへの帰路、道端で食べてから部屋に戻りました。睡魔に襲われたので少し休んでから、夕食に出かけました。
パンパシフィックホテルのすぐ北にあるザンボアンガと呼ばれるフィリピン料理店に入り、ココナッツソースでゼラチン質のクニュクニュした何かを煮込んだカレカレと呼ばれるスープと、海鮮たっぷりのピラフ、ビールを頼んで693Pでした。ここでは夜8時半から民族舞踊のショーが行われています。演目は前回来たときと大体同じでしたが、イスラム、スペイン、アメリカ、大日本帝国の影響を受けてきたその複雑な歴史を反映し、かなりバラエティー豊かな内容でした。食後はできるだけ人通りの多い道を選んでホテルまで帰って来ました。
翌11日はホテルで朝食を摂り、朝9時ごろ観光に出かけました。高架鉄道(12P)とタクシー(50P)を乗り継いでココナッツパレスへ。ここはマルコス大統領時代、ローマ法王のマニラ訪問にあわせて建てられた迎賓館で、ココナッツを多用した落ち着きのある内装をしています。新居をコーディネートする参考にしようと思っていたのですが、残念ながら政府の行事のため10月20日まで閉館とのことでした。
その後メトロポリタン美術館(100P)に立ち寄ってから、すぐ横にあるマラテ病院に行きました。ここでは通常の診察は待合室の一角にあるオープンスペースで行われており、触診などが必要な人はカーテンのある部屋に案内されているようでした。病棟も覗きましたが、エアコンもなく、日本ではありえない粗末なベッドの上で経管栄養中の人が寝ていました。
病院見学後、近くにあるハリソンプラザに行き、ファストフードの店で昼食を摂りました。我が家では各国のドラゴンボールのコミックを集めているので本屋に探しに行きましたが、残念ながらドラえもん(60P)しかなく、そちらを購入しました。
この日は前日からの疲労も貯まっていたので早めにホテルに戻り、少し休憩してからホテル内のプールに泳ぎに行きました。夕方6時、地球の歩き方10~11年に載っているカマヤンという伝統的フィリピン料理の店に行きました。ここには日本料理店も入っており、日本料理とフィリピン料理のビュッフェ645Pを頼みました。正統派からカリフォルニアロールまで様々な種類の寿司、天ぷら、ローストターキー、ローストビーフ、子豚の丸焼き、カレカレなど3回くらい通わないと全種類食べきれないほどの料理が並んでいました。この店なら次回、自信を持って知人を案内できそうです。翌朝が早いため、その日は早めにホテルに戻って就寝しました。
最終日となる12日、朝3時45分にホテルを出ると、予約してあったエイビスの送迎車が来ていました。空港まで無事に送り届けてもらい、6時45分発のフライトで日本に帰って来ました。
フィリピンは物価も安く、バンコクに似たカオスな雰囲気がとても印象に残ります。先月のモンゴルはハプニング続きだったこともあり、1回でお腹いっぱいだったのですが、フィリピンにはまた行きたいと思います。
さて今回は3回目のマニラ旅行ですが、3回ともマイルを使った特典航空券を利用しています。今回はデルタ(DL)航空の2万マイルを使ってエコノミークラスマニラ行きの航空券をゲットしました。ノースウエスト航空(NW)が数年前から続けていたニッポン500マイルキャンペーンは現在合併したDLに引き継がれていますので(http://www.delta.com/pdfs/JAPAN500_09form.pdf)、JALやANAの国内線に40回乗ればマニラまで無料で行ける計算になります。11月末までなら3000マイル当たり56ドルで購入できるキャンペーン(http://dn.delta.com/skymiles/purchasemiles/buy/landing?region=JP&lang=ja)をやっているため、これを使えば通常の格安航空券より安く搭乗できます。
今回、ホテルはオクトパストラベル系の間際予約.jpでパールマニラホテル(4つ星朝食付き、3泊で11100円)を申し込みました。
外務省の海外安全情報のページ(http://www.pubanzen.mofa.go.jp/)には、
最近、日本人旅行者が夜間にマニラ国際空港に到着した後、車両でマニラ市内に移動中、突然、銃を所持する犯行グループ(複数の男性の乗った車両)に行く手を塞がれ、旅券、金品を含む貴重品を奪われる事例が相次 いで発生しています。中には、空港に到着したばかりの外国人旅行者の乗った車両が強盗団の襲撃に遭い、運転手が射殺され、旅行者が一時連れ去られる(但し、後に解放された)といった事件も発生しています。
などと物騒なことが書かれているため、送迎は前もって手配することにしました(http://www.world-airport-transfer.com/)。片道18ドルと割高ですが、大手レンタカー会社であるエイビスが空港、ホテル間を運転手付きレンタカーで送迎してくれるため、安心できると思います。
出発当日となる9日。この日は夜8時にセントレアを出て現地時刻の夜11時にマニラに着く予定でしたが、機体トラブルのため1時間以上遅れ、到着したときには深夜0時を回っていました。両替レートは、空港では1万円=4700ペソ(以下P)、ホテルでは4900P、街中の両替商では5100Pほどでした。およそ1P=2円と思ってください。空港内にあるエイビスの窓口に行くとすぐにスタッフが私の名前を呼んでくれたため、安心して乗車することができました。後から不審な車がついてくることもなく、深夜なのに賑わいを見せるマニラの大通りを抜けてホテルに無事到着。チェックインを済ませ、部屋に入ったときには午前1時を回っていました。
翌10日は朝7時半に起床し、ホテルでビュッフェの朝食を摂り、8時半に出発しました。この日は16世紀にスペインが築いた城塞都市イントラムロスを散策する予定です。まずはU.N.アベニュー駅すぐ西にあるホテルから、リサール公園を抜けてイントラムムロスに入り、サンチャゴ要塞(75P)へ。いまでは緑の美しい公園になっていますが、ここには地下牢があります。第2次世界大戦中、日本軍は多くのフィリピン人をこの地下牢に閉じ込め満潮時に水死させたそうです。フィリピンの独立運動を主導した医師で国民的英雄ホセ・リサールがスペインによって処刑されたのもここであり、公園内には処刑場まで歩いたホセの足跡が再現されていました。
その後、マニラ大聖堂と世界遺産サン・オウガスチン教会を見学し、サン・オウガスチン博物館(100P)へ。16世紀ごろの宗教画が展示されていましたが、フィリピンの高温多湿な環境で長年晒されてかなり痛んでいました。中庭では子供たちにお粥をふるまっている一団がいました。私も勧められて食べましたが、ショウガと鶏肉の入った結構美味しいものでした。ここにいた政府のガードナーが私に話しかけていたので少し会話したのですが、サンチャゴ要塞がどんな施設か聞かれ、私が “ I don’t know.” と答えると、第二次大戦中ここに日本人が住んでいたのだと言っていました。多分私に気を使ったのでしょう。彼とはメールアドレスを交換して別れたのですが、その後しばらく睡魔に教われました。個人的な経験で言えば、睡眠薬を飲んだ後のような感じです。フィリピンでは、日本人と親しくなり睡眠薬入りの食事を食べさせて金品を奪う犯罪が多発していますが、世界遺産の教会で子供たちにお粥を振舞う政府職員(身分証も見せてくれました)がそんなことをするとも思えず、未だに謎です。
その後、道中で時間を尋ねてきた男性がそれをきっかけに色々話しかけてきて、近くに自宅があって母親がいるので来ないかと言ってきました。しかしこれ以上(?)睡眠薬を盛られると確実に眠ってしまうので、それは辞退して国立博物館に向かいました。
ここを見学した後、近くにあるマニラホテルへ。ここは100年近い歴史を誇るコロニアル調のホテルですが、そのメインダイニングであるシャンパンルームが私のお勧めです。天井が高く非常にきらびやかな室内でピアノの生演奏を聞きながら、オニオンスープとスパゲッティ、ビール、レバーペーストをつけたパン、食後のチョコレートを食べて892ペソでした。これでも地元の人にとっては高価なため、私の他にもう一組しか客はいませんでした。
食後、北東のキアポ地区に行き、教会とモスクを見てきました。ここのキアポ教会にはブラックナザレと呼ばれる十字架を担いだ黒いキリスト像があります。人々がその手足に触り、祈りをささげていました。その後マニラ・ゴールデンモスクに行きましたが、入り口にいた男性が “Korean?” と聞いてきました。”Japanese.” と答えるとゼスチャーで中に招き入れてくれましたが、“Korean.” と答えていたらどうなっていたのでしょう。バンコク旅行(http://ryokodo.blog.so-net.ne.jp/2010-01-16)中に会ったフィリピン人は韓国人をひどく毛嫌いしているようでしたが…。モスクの中では大勢の人が横たわり昼寝をしていましたが、そこを歩き回っていると一人の男性が近寄ってきて「祈りは?」「イスラム教徒か?」と聞いてきました。”No.”と答えると出て行けという仕草をするので、仕方なくモスクを後にしました。偶像崇拝を否定するイスラム教徒が写真を嫌うのは知っていたのでそれは避けていたのですが、神聖なモスクを異教徒が歩き回ったのが気に障ったのかもしれません。ただ、一般的にはモスク内を異教徒が見学することに対してそれほど排他的ではないのですけどね。入り口にいた男性は帰り際、「ありがとう」と日本語で挨拶してくれました。
そこから最寄りの高架鉄道駅までは庶民的なマーケットが軒を連ねています。スリには十分注意して歩きました。高架鉄道に乗ってホテルに近いU.N.アベニュー駅まで行き、そこから徒歩でロビンソン・コマーシャル・コンプレックスという巨大ショッピングセンターに向かいました。まずはジョリビーと呼ばれるフィリピンで最も有名なファストフード店でアイスティーを飲んで一服。このジョリビーは日本で例えると吉野家、松屋、すき屋、なか卯、マクドナルド、ケンタッキーを足して、ドナルドとカーネルサンダース主演の番組を作ったくらいメジャーな店です。いたるところに店舗があり、マスコットキャラのジョリビー主演の番組まで放送されているのです。このジョリビー、私のブログの顔にもなっているので皆さんも一度は見たことがあると思います。
その後立ち寄った電化製品店ではソニー、ナショナル、シャープ、サムスン、LGと、聞き覚えのないメーカーの液晶テレビ(主に20~40インチ)が数多く展示されていました。日本では「世界の亀山モデル」という宣伝文句が有名ですが、海外では未だかつて ”Kameyama” という表記を見たことがありません。「世界の亀山モデル」のフレーズは日本ローカルかもしれません。
それからスーパーマーケットに行きましたが、ここでドリアンを発見。「地獄の臭いと天国の味」と称される果物の王様は私の大好物ですが、その臭いゆえ自宅に持ち帰ることは妻から禁じられています。タイではホテルへの持ち込みも禁止されているようです。2房で130P程でしたが、思わず衝動買いをしてしまいました。ホテルへの帰路、道端で食べてから部屋に戻りました。睡魔に襲われたので少し休んでから、夕食に出かけました。
パンパシフィックホテルのすぐ北にあるザンボアンガと呼ばれるフィリピン料理店に入り、ココナッツソースでゼラチン質のクニュクニュした何かを煮込んだカレカレと呼ばれるスープと、海鮮たっぷりのピラフ、ビールを頼んで693Pでした。ここでは夜8時半から民族舞踊のショーが行われています。演目は前回来たときと大体同じでしたが、イスラム、スペイン、アメリカ、大日本帝国の影響を受けてきたその複雑な歴史を反映し、かなりバラエティー豊かな内容でした。食後はできるだけ人通りの多い道を選んでホテルまで帰って来ました。
翌11日はホテルで朝食を摂り、朝9時ごろ観光に出かけました。高架鉄道(12P)とタクシー(50P)を乗り継いでココナッツパレスへ。ここはマルコス大統領時代、ローマ法王のマニラ訪問にあわせて建てられた迎賓館で、ココナッツを多用した落ち着きのある内装をしています。新居をコーディネートする参考にしようと思っていたのですが、残念ながら政府の行事のため10月20日まで閉館とのことでした。
その後メトロポリタン美術館(100P)に立ち寄ってから、すぐ横にあるマラテ病院に行きました。ここでは通常の診察は待合室の一角にあるオープンスペースで行われており、触診などが必要な人はカーテンのある部屋に案内されているようでした。病棟も覗きましたが、エアコンもなく、日本ではありえない粗末なベッドの上で経管栄養中の人が寝ていました。
病院見学後、近くにあるハリソンプラザに行き、ファストフードの店で昼食を摂りました。我が家では各国のドラゴンボールのコミックを集めているので本屋に探しに行きましたが、残念ながらドラえもん(60P)しかなく、そちらを購入しました。
この日は前日からの疲労も貯まっていたので早めにホテルに戻り、少し休憩してからホテル内のプールに泳ぎに行きました。夕方6時、地球の歩き方10~11年に載っているカマヤンという伝統的フィリピン料理の店に行きました。ここには日本料理店も入っており、日本料理とフィリピン料理のビュッフェ645Pを頼みました。正統派からカリフォルニアロールまで様々な種類の寿司、天ぷら、ローストターキー、ローストビーフ、子豚の丸焼き、カレカレなど3回くらい通わないと全種類食べきれないほどの料理が並んでいました。この店なら次回、自信を持って知人を案内できそうです。翌朝が早いため、その日は早めにホテルに戻って就寝しました。
最終日となる12日、朝3時45分にホテルを出ると、予約してあったエイビスの送迎車が来ていました。空港まで無事に送り届けてもらい、6時45分発のフライトで日本に帰って来ました。
フィリピンは物価も安く、バンコクに似たカオスな雰囲気がとても印象に残ります。先月のモンゴルはハプニング続きだったこともあり、1回でお腹いっぱいだったのですが、フィリピンにはまた行きたいと思います。
モンゴル旅行記(10年9月) [海外旅行記]
今回、私にとって42カ国目の渡航先となるモンゴルに行ってきました。
日本からはミアットモンゴル、大韓航空、中国国際航空(以下CA)のいずれかでアクセスすることになりますが、マイナーな渡航先だけあって格安航空券でも10万円近い値段になり、それだけ出すならもっと他に行きたいところがあるため、ついつい後回しになっていました。
今回ももちろん私がこんなに高い航空券を買うはずはなく、これまで貯めたANAの22000マイルを使って、CA便北京経由ウランバートル行きの特典航空券と引き替えました。ちなみに今ならANAアメックスゴールドを作って最初の3ヶ月間で30万円買い物すると37000マイルもらえるキャンペーンをやっています(詳しくはANAアメックスでググって下さい)。入会審査があり年会費も32250円かかりますが、大きな買い物の予定もあり、十分元が取れると踏んでさっそく申し込みました。出発前日にカードが届き、今回の旅行にも持って行くことにしました。
今回は4日間の日程で、往路に北京で一泊し、2日目の朝にウランバートルに向かうことになります。帰りは昼前にモンゴルを出て、同日の夜9時にセントレアに到着するので、モンゴルでの滞在は丸2日になります。
北京のホテルは翌朝早くに空港に向かうことを考えて、機場快軌(空港直通快速)三元橋駅の近くにあるイビスホテル(3つ星、楽天で素泊まり288元)を予約しました。ウランバートルではぜひゲル(モンゴル式テント)に宿泊してみたかったのですが、どこもツアー代金が200ドル以上と割高な中、50ドル以下で催行してくれるゲストハウスを見つけたため、そちらに英語でメールして申し込みました。このホンゴル・ゲストハウスでは、バストイレ共用のシングルルームだと朝食付きで10ドルと安価ですが、さすがにバスとトイレは欲しいと思って、30ドルのバストイレ付きルームを申し込みました。
モンゴルといえば歴史上中国を配下に治めたことのある唯一の国であり、かなりの戦闘民族というイメージがありました。私の現在のモバイルマシンは vaio X であり、7月の北欧旅行にも持って行ったのですが、これを盗られたり奪われたりしたらかなり精神的ダメージが大きいだろうと考え、現役引退した工人舎の7インチ、Windows XPマシンを持って行くことにしました。カメラは2年間使ったコンパクトデジカメであり、時価にして数千円程度でしょうが、これがウランバートルで奪われることになります。
出発当日となる17日朝、セントレアでチェックインと出国審査を済ませ、プライオリティパス(楽天プレミアムカードのおまけ)でスターアライアンス・ビジネスクラスラウンジに入りました。ここでサンドウィッチとおにぎりの朝食を済ませ、ワインで酔っぱらい、9時20分出発、北京行きの飛行機に乗りました。
北京の首都国際空港では入国審査が長蛇の列になっており、1時間近くロスしました。手持ちの中国元が残っていたため両替はせず、機場快軌(25元)に乗ってホテルに向かいました。まだ昼過ぎでしたがチェックインさせてもらえ、ホテルの部屋に荷物を置いて出かけることにしました。
今は尖閣諸島での漁船問題で日中がいがみ合っています。天安門広場や故宮のような中国人の愛国心を燃え上がらせそうな場所には近寄らないことにして、地下鉄を乗り継いで、よう和宮という北京最大のチベット仏教寺院に行くことにしました。私は以前からチベットのラサに一度行きたいと思っていますが、標高3200メートルにあるインカ帝国の首都クスコで高山病に懲りたため、標高が4000メートル近いラサには二の足を踏んでいます。そんな私にとって、よう和宮はチベット訪問願望を少しだけ満たしてくれる場所でした。本殿には身長26メートルという巨大な弥勒菩薩の立像があり、憤怒の形相をしているとのことですが、下から見上げても表情はよく分かりませんでした。
その後、再び地下鉄に乗って王府井と呼ばれる繁華街に行きました。ここでショッピングセンターをのぞいたりしながら時間をつぶし、夕方5時前に全聚徳という北京ダックの名店に入りました。今回は私にとって6回目の北京訪問ですが、これまで1回をのぞいて毎回この店に行っているほどのファンなのです。北京ダックは一羽の半分(121元)を頼めば、一人ならそれだけで満腹になるほどのボリュームです。2人で半身を頼み、他に2~3品頼むくらいがバランス的には良いかもしれません。私は昼食が早めの機内食だったこともあり、歩き回って低血糖状態でしたので、半身とダック入りチャーハン(36元)を頼みました。これに10%のサービス料がついて、総額で172元でした。こことホテルの支払いはもちろんANAアメックスカードです。
その後、地下鉄に乗ってホテルへと戻ってきましたが、帰宅ラッシュに巻き込まれ、車内は大変混雑していました。一つ不思議に思ったですが、平日なのに日本と違って皆ポロシャツなどの普段着姿でした。
翌18日、朝6時4分の機場快軌・始発電車に乗って空港へと向かいました。6時20分にターミナル3に着き、チェックインと出国審査を済ませて、プライオリティパスで中国国際空港のファーストクラスラウンジへ。5つ星ホテルの朝食ビュッフェに引けをとらないスクランブルエッグ、ハム、パン、点心、お粥、フルーツ、ジュース、コーヒーの朝食を済ませ、ワインを飲みながら時間をつぶしました。8時30分発のフライトでウランバートルへと向かいましたが、眼下には乾いた砂の大地が広がっていました。
ウランバートルに着き、ゲートを出ると、”Taxi?” と言い寄ってくる人がいます。普段なら相手にしないのですが、バスの車内でナイフを使って荷物を引き裂き貴重品を奪う犯罪が多発していると地球の歩き方に書いてあったため、タクシーに乗る予定だったこともあり、つい “Exchange” と言ってしまいました。到着フロアの上の階にある両替所に案内され、6000円を912000 91200タグ(以下T)に両替したところで、値段交渉が始まりました。ザイサン・トルゴイという郊外にある展望台まで、当初の言い値25000Tを12000Tにまけさせて交渉成立。15000まではすぐに下げたのですが、そこから先はなかなか下げなかったので、まあ合格点でしょう。しかし案内された車には(他の車もそうですが)タクシーとの表記がありません。町中でも見かけなかったため、この国は白タクしかないのかもしれません。途中、ドライバーが携帯電話をかけ始めたため、一抹の不安が。目的地に運転手の仲間が待ち伏せして身ぐるみはがれるかもしれません。もっとも最初からそのつもりなら変に値段交渉で渋ったりはしないでしょうから、考え過ぎかもしれません。また、両替したばかりで私の手元には1000T札がなかったのですが、お釣りがないと言い出す事態を想定し、1ドル札を2枚、すぐ出せるように用意しておきました。目的地には無事到着しましたが、15000Tを差し出すと案の定、お釣りがないと言い出したため、10000T札と2ドルを渡して車を降りました。
ザイサン・トルゴイは小高い丘の上にあり、そこまで階段を上っていきましたが、途中で気圧が低いことに体で気づき、休憩を繰り返しながらゆっくりと上りました。丘の上からは乾いた大地に広がる乾いた町並みを一望できました。
その後丘を降りたものの、駐車場に止まっている車にはタクシーの表記がないため、どの車に乗って良いのか分かりません。あきらめて幹線道路まで歩き、そこから7番バスに乗って市内に向かうことにしました。歩くのはちょっと無理な距離だったのです。すべての貴重品を簡単には奪えないように荷造りし直してバスに乗ると、車掌の女性が運賃精算にやってきましたが、地球の歩き方2009年では200Tとなっていたバス料金が300Tに値上げされていました。他の客にも300Tと書かれた同じ領収書を配っていたため、私がぼられた訳ではありません。バスでは運転手のすぐ後方にある後ろ向きのシートを陣取り、荷物を背中の方に隠して車内にも注意を払いつつ、地図と周りの景色を見比べ、ホテルに最も近い停留所でバスを降りました。時間は13時少し前でした。途中のカフェで6500Tのモンゴル風ヌードルを見つけたので入り、そこでカメラを出して写真を撮りました。食後、カメラを鍵のかかっていないリュックサックのポケットに入れてファスナーを閉め、ゲストハウスに向かいましたが、背後に気配を感じて振り向くと4~5人の男性が私のすぐ後ろを歩いていました。その男性たちをやり過ごしてリュックを見ると、カメラを入れたポケットが開けられてカメラが盗まれていました。難関のタクシーとバスを切り抜け、ゲストハウスまでもう少しというところで気が緩んでしまったと反省しきりです。
ゲストハウスに着くと、オーナーが私の名前を聞いて空港でのピックアップはどうしたのかと聞いてきました。確かに案内にはツアーを申し込んだ客はピックアップサービスが無料とかかれていましたが、申し込み忘れたことに前日気づいたためピックアップサービスはないものだとばかり思っていたのです。その後、メールではしっかり確認してあったはずなのですが、バスシャワーなしの部屋に案内されました。その旨を言うと、バスシャワー付きの場合は近くのホテルを案内することになるとのこと。他のホテルに行くのも面倒だったので、諦めてこちらに宿泊することにしました。なお、翌日のツアーは韓国人3人と一緒とのことです。
部屋に着替えなどの荷物を置いて、貴重品は慎重に荷造りし直し、今後の写真は手持ちの携帯電話で撮ることにして、スリに遭いにくいようズボンの前ポケットを隠す形で上着を着込んでからゲストハウスを出発し、徒歩でダンガン寺というチベット仏教の寺院に向かいました。前日に北京で見たよう和宮と似た意匠であり、本殿には身長25メートルの観音立像が祀られていました。
その後ゲストハウス近くのノミンデパート(旧国営デパート)に行き、1階のスーパーマーケットでビールとミネラルウォーター、おみやげ用のモンゴル風スープの素を買い込み、部屋に置きに戻ってから、スフバートル広場南東にある日本大使館へと向かいました。カメラ窃盗の被害届を出しておきたかったのですが、これまで歩いた途中では警察署が見つからず、地球の歩き方の地図で見つけた日本大使館に行こうと思ったのです。しかし土曜日午後のため門は閉まっており、入り口にいた警備員に日本語と英語で話しかけても通じなかったため、諦めてスフバートル広場へと向かいました。この広場の中央にはモンゴル革命の指導者スフバートルの像があり、その奥にある政府宮殿にはチンギスハンの座像がありました。
広場の近くには自然史博物館と民俗歴史博物館があり、私は閉館時間の早い順に自然史博物館、民俗歴史博物館を見るつもりだったのですが、間違えて民俗歴史博物館に入ってしまいました。ここでは年代順にモンゴルの文化遺産が展示されていました。その後、自然史博物館に向かいましたが、その時には16時半を過ぎていました。地球の歩き方では17時半まで開館となっていますが、入館の締め切りは16時半であり、入れませんでした。
夕食は道中にあったモンゴリアンファストフードの店に入ることにしました。最初モンゴル語のメニューを出されたので困りましたが、”English menu?” と言うと英語のメニューを持ってきてくれました。8500Tでサラダやスープ、メインディッシュ数種類がついたセットメニューを見つけ、こちらを頼みました。最初に味噌煮込みうどんの丼に入ったマトン入りオニオンスープとマグカップに入ったミルクジンジャーのホットドリンクが出てきました。量は十分に一人前あったのですが、品数が書いてあるより少ないと思っていると、鉄板にてんこ盛りのマトンの焼き肉がやってきました。これは食べきれないと思っていると、さらに直径15センチほどでインドのナンを薄くしたようなパンケーキが一枚。極めつけにそのパンケーキでマトンを包んで焼いたものが3枚とマトン入り巨大餃子が3個、サラダを盛りつけた巨大な皿が出てきました。どう考えても3人分はあります。普段は出されたものを残さず食べるようにしているのですが、さすがにこれにはギブアップして半分以上残してしまいました。日本円にして600円弱なので高をくくっていたのですが、モンゴルの物価の安さを思い知りました。
その後ゲストハウスに戻りましたが、部屋にも共同シャワーにもタオルがなく、ノミンデパートに買いに出かけました。本当はシャワールームを見て入る気が失せたのですが、最悪の場合、翌日は韓国人3人とルームシェアでシャワーもトイレもないゲルに泊まることになるかもしれません。ここで入っておかなければと思い直し、入ることにしました。なお最終日は北京首都国際空港で乗り継ぎの間、ファーストクラスラウンジを利用できます。ここにはシャワーもあるため、そちらを利用する予定です。
翌19日、ゲストハウスでパンの切れ端にバターとジャム、紅茶だけの朝食を済ませ、10時集合とのことだったので、それまで少し出かけることにしました。中世チベット仏教の曼荼羅や仏像が展示されているというザナバザル美術館が近くにあったので、9時開館と同時に駆け足で見てからゲストハウスに戻りました。
一緒のツアーの予定だった韓国人たちがキャンセルしたそうで、急遽1人催行となりましたが、割高な一人催行料金は不要で40ドルとのことでした。まだ宿泊代金とツアー料金を払っていなかったのでその旨を言うと、「今晩払ってほしい」とのこと。私は “ One night stay in Terelji” とメールを送っていたので、この日テレルジと呼ばれる山奥に行ってゲルに宿泊し、翌朝空港まで送迎してくれると思っていたのですが、どうやら先方で勝手に日帰りツアーにされていたようです。料金が安いのも合点がいきました。
男性運転手が私を迎えにきて出発しましたが、直後に女性が乗り込み、男性とモンゴル語で話し出しました。どうも私をツアーに連れて行くのを兼ねて、彼女か奥さんとドライブするつもりのようです。2人で話し込んでいる間、私は黙って休憩できたので良しとします。昼過ぎにテレルジにつき、一般人が住むゲルに案内されました。岩山と乾いた草原が広がる景色の中、白い円形のゲルが連なり、あたりには馬か牛の糞がたくさん落ちていました。最初雄大な自然と思った景色も10分すると退屈に思えてきて、ゲルの中も使い込まれたベッド以外に何もなく肌寒いため、自宅が懐かしくなってきました。半日ツアーで結果オーライです。もしあのゲルに一晩泊まっていたら、美しい星空を見ながら「パトラッシュ、疲れたろう。僕もとっても疲れたんだ。なんだかとっても眠いんだ」と言い残していたかもしれません。
ゲルではパスタ、マトン、ジャガイモ、にんじんを煮込んだスープが昼食として出され、その後乗馬場へと案内されました。乗馬は初体験だというと、地元の人が手綱を引いてゆっくりと歩いてくれました。10分くらいで終わり、その後ドライバーが “Hiking?” というので、“Yes, please” と答えたのですが、なぜか車はそのままウランバートルに向かい、ゲストハウスの前で降ろされました。テレルジのゲルステイツアーが1泊2日でなかった代わりに部屋が用意してあるのだろうと思って聞くと、満員だからよそに行ってくれとのこと。次々と期待を裏切る出来事が起こり、この時にはもう諦めの境地になっていたので、料金だけ払ってホンゴルゲストハウスを後にし、近くのホテルにチェックインしました。やはりバストイレは共同で18ドルとのことでしたが、泊まれたら何でもOK、明日無事にモンゴルを起てれば満足という心境でした。
ただ予想外の出来事に振り回され続け、ホテルの部屋に入ると疲労と睡魔が襲ってきたので、少し休んでから夕食に出かけました。地球の歩き方では、ノミンデパートの向かいにあるハーン・ボーズというファミレスに英語メニューがあると書いてあったのですが、店員に聞くとないとのこと。はい、今さら想定の範囲内です。結局ノミンデパート最上階のフードコートで、マトン、サラダ、ご飯が盛られたワンプレートディッシュ(3800T)を頼み、口直しにコーヒー(600T)を飲んで帰ってきました。前日に水とビールを買い込んであったので、この日はそれ以上出歩かず、部屋でおとなしくしていました。
翌20日は帰国日です。多少のトラブルがあっても良いように早めに空港に向かうことにしました。7時50分にホテルでタクシーを頼み、8時半に迎えにきてもらうことにしました。8時20分に降りていくとすでにドライバーが待っていました。ドライバーは英語を話せないためホテルの人に尋ねると、20000Tとのこと。やや高いと思ったのですが、諦めてホテル公定料金を払うことにしました。きっとホテル側の取り分も含まれているのでしょうね。空港についてから料金でドライバーと揉めるのも嫌だったので、20000Tを先に払いました。この場合、着いてから再度料金を払えと言われることもあるので痛し痒しですが、何事もなく空港で降りることができました。
空港で軽く食事した後、残りの現地通貨をドルに両替しました。日本円の場合1000円単位でしか両替してくれませんが、米ドルなら1ドル単位で両替してくれるため、無駄な現地通過がほとんど残りません。その後チェックインと出国審査を済ませ、プライオリティパスでビジネスクラスラウンジに入りました。一般にビールは暑い国ほど薄味になり、寒い国では濃い目になります。この法則どおり濃厚なモンゴルビールとお菓子をつまんで時間をつぶし、北京行き飛行機に搭乗しました。
北京には定刻より少し遅れて到着し、プライオリティパスで行きと同じファーストクラスラウンジに入りました。モンゴルではマトンと炭水化物ばかり食べていたので、ここでトマトジュースとフルーツ盛り合わせを食べてリフレッシュ。更にシャワールームを使用しました。人造大理石貼り(?)のきれいなシャワールームにふかふかのタオル、蛇口をひねれば豊富に出てくるお湯。薄汚れたモンゴルの安ホテルで、凍えながら生ぬるいシャワーを浴びた前日とは雲泥の差です。普段以上に空港ラウンジのありがたさが身に染みました。さすがファーストクラスラウンジ、ありがとうプライオリティパス、ありがとう楽天プレミアムカード。
北京からは順調に名古屋に帰ってきました。
今回のモンゴル旅行で、今更ながら海外旅行の経験地を大量に稼げた気がします。まだまだ10月のマニラ、そして最大の難敵である来年1月のデリーが控えています。これらの強敵を前に、「わが生涯に一片の悔いなし」と言って人生終わることのないよう、気をつけて行きたいと思います。
日本からはミアットモンゴル、大韓航空、中国国際航空(以下CA)のいずれかでアクセスすることになりますが、マイナーな渡航先だけあって格安航空券でも10万円近い値段になり、それだけ出すならもっと他に行きたいところがあるため、ついつい後回しになっていました。
今回ももちろん私がこんなに高い航空券を買うはずはなく、これまで貯めたANAの22000マイルを使って、CA便北京経由ウランバートル行きの特典航空券と引き替えました。ちなみに今ならANAアメックスゴールドを作って最初の3ヶ月間で30万円買い物すると37000マイルもらえるキャンペーンをやっています(詳しくはANAアメックスでググって下さい)。入会審査があり年会費も32250円かかりますが、大きな買い物の予定もあり、十分元が取れると踏んでさっそく申し込みました。出発前日にカードが届き、今回の旅行にも持って行くことにしました。
今回は4日間の日程で、往路に北京で一泊し、2日目の朝にウランバートルに向かうことになります。帰りは昼前にモンゴルを出て、同日の夜9時にセントレアに到着するので、モンゴルでの滞在は丸2日になります。
北京のホテルは翌朝早くに空港に向かうことを考えて、機場快軌(空港直通快速)三元橋駅の近くにあるイビスホテル(3つ星、楽天で素泊まり288元)を予約しました。ウランバートルではぜひゲル(モンゴル式テント)に宿泊してみたかったのですが、どこもツアー代金が200ドル以上と割高な中、50ドル以下で催行してくれるゲストハウスを見つけたため、そちらに英語でメールして申し込みました。このホンゴル・ゲストハウスでは、バストイレ共用のシングルルームだと朝食付きで10ドルと安価ですが、さすがにバスとトイレは欲しいと思って、30ドルのバストイレ付きルームを申し込みました。
モンゴルといえば歴史上中国を配下に治めたことのある唯一の国であり、かなりの戦闘民族というイメージがありました。私の現在のモバイルマシンは vaio X であり、7月の北欧旅行にも持って行ったのですが、これを盗られたり奪われたりしたらかなり精神的ダメージが大きいだろうと考え、現役引退した工人舎の7インチ、Windows XPマシンを持って行くことにしました。カメラは2年間使ったコンパクトデジカメであり、時価にして数千円程度でしょうが、これがウランバートルで奪われることになります。
出発当日となる17日朝、セントレアでチェックインと出国審査を済ませ、プライオリティパス(楽天プレミアムカードのおまけ)でスターアライアンス・ビジネスクラスラウンジに入りました。ここでサンドウィッチとおにぎりの朝食を済ませ、ワインで酔っぱらい、9時20分出発、北京行きの飛行機に乗りました。
北京の首都国際空港では入国審査が長蛇の列になっており、1時間近くロスしました。手持ちの中国元が残っていたため両替はせず、機場快軌(25元)に乗ってホテルに向かいました。まだ昼過ぎでしたがチェックインさせてもらえ、ホテルの部屋に荷物を置いて出かけることにしました。
今は尖閣諸島での漁船問題で日中がいがみ合っています。天安門広場や故宮のような中国人の愛国心を燃え上がらせそうな場所には近寄らないことにして、地下鉄を乗り継いで、よう和宮という北京最大のチベット仏教寺院に行くことにしました。私は以前からチベットのラサに一度行きたいと思っていますが、標高3200メートルにあるインカ帝国の首都クスコで高山病に懲りたため、標高が4000メートル近いラサには二の足を踏んでいます。そんな私にとって、よう和宮はチベット訪問願望を少しだけ満たしてくれる場所でした。本殿には身長26メートルという巨大な弥勒菩薩の立像があり、憤怒の形相をしているとのことですが、下から見上げても表情はよく分かりませんでした。
その後、再び地下鉄に乗って王府井と呼ばれる繁華街に行きました。ここでショッピングセンターをのぞいたりしながら時間をつぶし、夕方5時前に全聚徳という北京ダックの名店に入りました。今回は私にとって6回目の北京訪問ですが、これまで1回をのぞいて毎回この店に行っているほどのファンなのです。北京ダックは一羽の半分(121元)を頼めば、一人ならそれだけで満腹になるほどのボリュームです。2人で半身を頼み、他に2~3品頼むくらいがバランス的には良いかもしれません。私は昼食が早めの機内食だったこともあり、歩き回って低血糖状態でしたので、半身とダック入りチャーハン(36元)を頼みました。これに10%のサービス料がついて、総額で172元でした。こことホテルの支払いはもちろんANAアメックスカードです。
その後、地下鉄に乗ってホテルへと戻ってきましたが、帰宅ラッシュに巻き込まれ、車内は大変混雑していました。一つ不思議に思ったですが、平日なのに日本と違って皆ポロシャツなどの普段着姿でした。
翌18日、朝6時4分の機場快軌・始発電車に乗って空港へと向かいました。6時20分にターミナル3に着き、チェックインと出国審査を済ませて、プライオリティパスで中国国際空港のファーストクラスラウンジへ。5つ星ホテルの朝食ビュッフェに引けをとらないスクランブルエッグ、ハム、パン、点心、お粥、フルーツ、ジュース、コーヒーの朝食を済ませ、ワインを飲みながら時間をつぶしました。8時30分発のフライトでウランバートルへと向かいましたが、眼下には乾いた砂の大地が広がっていました。
ウランバートルに着き、ゲートを出ると、”Taxi?” と言い寄ってくる人がいます。普段なら相手にしないのですが、バスの車内でナイフを使って荷物を引き裂き貴重品を奪う犯罪が多発していると地球の歩き方に書いてあったため、タクシーに乗る予定だったこともあり、つい “Exchange” と言ってしまいました。到着フロアの上の階にある両替所に案内され、6000円を
ザイサン・トルゴイは小高い丘の上にあり、そこまで階段を上っていきましたが、途中で気圧が低いことに体で気づき、休憩を繰り返しながらゆっくりと上りました。丘の上からは乾いた大地に広がる乾いた町並みを一望できました。
その後丘を降りたものの、駐車場に止まっている車にはタクシーの表記がないため、どの車に乗って良いのか分かりません。あきらめて幹線道路まで歩き、そこから7番バスに乗って市内に向かうことにしました。歩くのはちょっと無理な距離だったのです。すべての貴重品を簡単には奪えないように荷造りし直してバスに乗ると、車掌の女性が運賃精算にやってきましたが、地球の歩き方2009年では200Tとなっていたバス料金が300Tに値上げされていました。他の客にも300Tと書かれた同じ領収書を配っていたため、私がぼられた訳ではありません。バスでは運転手のすぐ後方にある後ろ向きのシートを陣取り、荷物を背中の方に隠して車内にも注意を払いつつ、地図と周りの景色を見比べ、ホテルに最も近い停留所でバスを降りました。時間は13時少し前でした。途中のカフェで6500Tのモンゴル風ヌードルを見つけたので入り、そこでカメラを出して写真を撮りました。食後、カメラを鍵のかかっていないリュックサックのポケットに入れてファスナーを閉め、ゲストハウスに向かいましたが、背後に気配を感じて振り向くと4~5人の男性が私のすぐ後ろを歩いていました。その男性たちをやり過ごしてリュックを見ると、カメラを入れたポケットが開けられてカメラが盗まれていました。難関のタクシーとバスを切り抜け、ゲストハウスまでもう少しというところで気が緩んでしまったと反省しきりです。
ゲストハウスに着くと、オーナーが私の名前を聞いて空港でのピックアップはどうしたのかと聞いてきました。確かに案内にはツアーを申し込んだ客はピックアップサービスが無料とかかれていましたが、申し込み忘れたことに前日気づいたためピックアップサービスはないものだとばかり思っていたのです。その後、メールではしっかり確認してあったはずなのですが、バスシャワーなしの部屋に案内されました。その旨を言うと、バスシャワー付きの場合は近くのホテルを案内することになるとのこと。他のホテルに行くのも面倒だったので、諦めてこちらに宿泊することにしました。なお、翌日のツアーは韓国人3人と一緒とのことです。
部屋に着替えなどの荷物を置いて、貴重品は慎重に荷造りし直し、今後の写真は手持ちの携帯電話で撮ることにして、スリに遭いにくいようズボンの前ポケットを隠す形で上着を着込んでからゲストハウスを出発し、徒歩でダンガン寺というチベット仏教の寺院に向かいました。前日に北京で見たよう和宮と似た意匠であり、本殿には身長25メートルの観音立像が祀られていました。
その後ゲストハウス近くのノミンデパート(旧国営デパート)に行き、1階のスーパーマーケットでビールとミネラルウォーター、おみやげ用のモンゴル風スープの素を買い込み、部屋に置きに戻ってから、スフバートル広場南東にある日本大使館へと向かいました。カメラ窃盗の被害届を出しておきたかったのですが、これまで歩いた途中では警察署が見つからず、地球の歩き方の地図で見つけた日本大使館に行こうと思ったのです。しかし土曜日午後のため門は閉まっており、入り口にいた警備員に日本語と英語で話しかけても通じなかったため、諦めてスフバートル広場へと向かいました。この広場の中央にはモンゴル革命の指導者スフバートルの像があり、その奥にある政府宮殿にはチンギスハンの座像がありました。
広場の近くには自然史博物館と民俗歴史博物館があり、私は閉館時間の早い順に自然史博物館、民俗歴史博物館を見るつもりだったのですが、間違えて民俗歴史博物館に入ってしまいました。ここでは年代順にモンゴルの文化遺産が展示されていました。その後、自然史博物館に向かいましたが、その時には16時半を過ぎていました。地球の歩き方では17時半まで開館となっていますが、入館の締め切りは16時半であり、入れませんでした。
夕食は道中にあったモンゴリアンファストフードの店に入ることにしました。最初モンゴル語のメニューを出されたので困りましたが、”English menu?” と言うと英語のメニューを持ってきてくれました。8500Tでサラダやスープ、メインディッシュ数種類がついたセットメニューを見つけ、こちらを頼みました。最初に味噌煮込みうどんの丼に入ったマトン入りオニオンスープとマグカップに入ったミルクジンジャーのホットドリンクが出てきました。量は十分に一人前あったのですが、品数が書いてあるより少ないと思っていると、鉄板にてんこ盛りのマトンの焼き肉がやってきました。これは食べきれないと思っていると、さらに直径15センチほどでインドのナンを薄くしたようなパンケーキが一枚。極めつけにそのパンケーキでマトンを包んで焼いたものが3枚とマトン入り巨大餃子が3個、サラダを盛りつけた巨大な皿が出てきました。どう考えても3人分はあります。普段は出されたものを残さず食べるようにしているのですが、さすがにこれにはギブアップして半分以上残してしまいました。日本円にして600円弱なので高をくくっていたのですが、モンゴルの物価の安さを思い知りました。
その後ゲストハウスに戻りましたが、部屋にも共同シャワーにもタオルがなく、ノミンデパートに買いに出かけました。本当はシャワールームを見て入る気が失せたのですが、最悪の場合、翌日は韓国人3人とルームシェアでシャワーもトイレもないゲルに泊まることになるかもしれません。ここで入っておかなければと思い直し、入ることにしました。なお最終日は北京首都国際空港で乗り継ぎの間、ファーストクラスラウンジを利用できます。ここにはシャワーもあるため、そちらを利用する予定です。
翌19日、ゲストハウスでパンの切れ端にバターとジャム、紅茶だけの朝食を済ませ、10時集合とのことだったので、それまで少し出かけることにしました。中世チベット仏教の曼荼羅や仏像が展示されているというザナバザル美術館が近くにあったので、9時開館と同時に駆け足で見てからゲストハウスに戻りました。
一緒のツアーの予定だった韓国人たちがキャンセルしたそうで、急遽1人催行となりましたが、割高な一人催行料金は不要で40ドルとのことでした。まだ宿泊代金とツアー料金を払っていなかったのでその旨を言うと、「今晩払ってほしい」とのこと。私は “ One night stay in Terelji” とメールを送っていたので、この日テレルジと呼ばれる山奥に行ってゲルに宿泊し、翌朝空港まで送迎してくれると思っていたのですが、どうやら先方で勝手に日帰りツアーにされていたようです。料金が安いのも合点がいきました。
男性運転手が私を迎えにきて出発しましたが、直後に女性が乗り込み、男性とモンゴル語で話し出しました。どうも私をツアーに連れて行くのを兼ねて、彼女か奥さんとドライブするつもりのようです。2人で話し込んでいる間、私は黙って休憩できたので良しとします。昼過ぎにテレルジにつき、一般人が住むゲルに案内されました。岩山と乾いた草原が広がる景色の中、白い円形のゲルが連なり、あたりには馬か牛の糞がたくさん落ちていました。最初雄大な自然と思った景色も10分すると退屈に思えてきて、ゲルの中も使い込まれたベッド以外に何もなく肌寒いため、自宅が懐かしくなってきました。半日ツアーで結果オーライです。もしあのゲルに一晩泊まっていたら、美しい星空を見ながら「パトラッシュ、疲れたろう。僕もとっても疲れたんだ。なんだかとっても眠いんだ」と言い残していたかもしれません。
ゲルではパスタ、マトン、ジャガイモ、にんじんを煮込んだスープが昼食として出され、その後乗馬場へと案内されました。乗馬は初体験だというと、地元の人が手綱を引いてゆっくりと歩いてくれました。10分くらいで終わり、その後ドライバーが “Hiking?” というので、“Yes, please” と答えたのですが、なぜか車はそのままウランバートルに向かい、ゲストハウスの前で降ろされました。テレルジのゲルステイツアーが1泊2日でなかった代わりに部屋が用意してあるのだろうと思って聞くと、満員だからよそに行ってくれとのこと。次々と期待を裏切る出来事が起こり、この時にはもう諦めの境地になっていたので、料金だけ払ってホンゴルゲストハウスを後にし、近くのホテルにチェックインしました。やはりバストイレは共同で18ドルとのことでしたが、泊まれたら何でもOK、明日無事にモンゴルを起てれば満足という心境でした。
ただ予想外の出来事に振り回され続け、ホテルの部屋に入ると疲労と睡魔が襲ってきたので、少し休んでから夕食に出かけました。地球の歩き方では、ノミンデパートの向かいにあるハーン・ボーズというファミレスに英語メニューがあると書いてあったのですが、店員に聞くとないとのこと。はい、今さら想定の範囲内です。結局ノミンデパート最上階のフードコートで、マトン、サラダ、ご飯が盛られたワンプレートディッシュ(3800T)を頼み、口直しにコーヒー(600T)を飲んで帰ってきました。前日に水とビールを買い込んであったので、この日はそれ以上出歩かず、部屋でおとなしくしていました。
翌20日は帰国日です。多少のトラブルがあっても良いように早めに空港に向かうことにしました。7時50分にホテルでタクシーを頼み、8時半に迎えにきてもらうことにしました。8時20分に降りていくとすでにドライバーが待っていました。ドライバーは英語を話せないためホテルの人に尋ねると、20000Tとのこと。やや高いと思ったのですが、諦めてホテル公定料金を払うことにしました。きっとホテル側の取り分も含まれているのでしょうね。空港についてから料金でドライバーと揉めるのも嫌だったので、20000Tを先に払いました。この場合、着いてから再度料金を払えと言われることもあるので痛し痒しですが、何事もなく空港で降りることができました。
空港で軽く食事した後、残りの現地通貨をドルに両替しました。日本円の場合1000円単位でしか両替してくれませんが、米ドルなら1ドル単位で両替してくれるため、無駄な現地通過がほとんど残りません。その後チェックインと出国審査を済ませ、プライオリティパスでビジネスクラスラウンジに入りました。一般にビールは暑い国ほど薄味になり、寒い国では濃い目になります。この法則どおり濃厚なモンゴルビールとお菓子をつまんで時間をつぶし、北京行き飛行機に搭乗しました。
北京には定刻より少し遅れて到着し、プライオリティパスで行きと同じファーストクラスラウンジに入りました。モンゴルではマトンと炭水化物ばかり食べていたので、ここでトマトジュースとフルーツ盛り合わせを食べてリフレッシュ。更にシャワールームを使用しました。人造大理石貼り(?)のきれいなシャワールームにふかふかのタオル、蛇口をひねれば豊富に出てくるお湯。薄汚れたモンゴルの安ホテルで、凍えながら生ぬるいシャワーを浴びた前日とは雲泥の差です。普段以上に空港ラウンジのありがたさが身に染みました。さすがファーストクラスラウンジ、ありがとうプライオリティパス、ありがとう楽天プレミアムカード。
北京からは順調に名古屋に帰ってきました。
今回のモンゴル旅行で、今更ながら海外旅行の経験地を大量に稼げた気がします。まだまだ10月のマニラ、そして最大の難敵である来年1月のデリーが控えています。これらの強敵を前に、「わが生涯に一片の悔いなし」と言って人生終わることのないよう、気をつけて行きたいと思います。
ウェスティンナゴヤキャッスル宿泊記(10年8月) [ホテル宿泊記]
現在、名古屋市内にはエグゼクティブ(コンシェルジュ)ラウンジを有する高級ホテルが4つあります。マリオットアソシア、ヒルトン、東急、そしてウェスティンナゴヤキャッスル(以下ウェスティン)です。ヒルトン(http://ryokodo.blog.so-net.ne.jp/2010-02-14)とマリオットアソシア(http://ryokodo.blog.so-net.ne.jp/2010-04-25)のラウンジは以前利用したことがあり、一方で東急のラウンジは幼児の入場が禁じられているため、幼稚園児の長男を連れての宿泊はできません。そのため、残るウェスティンのエグゼクティブフロアに泊まってみたいと以前から思っていました。このホテルはその名のとおり名古屋城に隣接する、古くからの高級ホテルです。客室は名古屋城側と街側に分かれていますが、もちろん前者の方が見晴らしが良く、値段も高めに設定されています。
今回、じゃらんでエグゼクティブフロア街側ツインの部屋に、夫婦二人、長男は添い寝で、一泊合計19000円で泊まれるプランを見つけたため、29日の夜に宿泊することにしました。なお、今回のプランには名古屋城の入場券がついていました。
チェックインは13時からとのことですが、昼間に別の用事があったため、私たちは15時ごろホテルに到着しました。8階の街側にあるエグゼクティブラウンジでチェックインし、9階街側の客室へと案内されました。クリーム色をベースに木製の家具が配置された落ち着きのある室内で、シャワー・洗面所と別にトイレが用意されていました。そこに荷物を置き、再び先程のラウンジへ。ヒルトンやマリオットと比べると小さめのラウンジで、ドーナツ、パン、チョコレート、各種ソフトドリンク、コーヒー、紅茶が用意されていました。ここのラウンジは7時半~18時しかオープンしてなく、17時半~19時半のハッピーアワー(アルコールとオードブルのサービスタイム)は1階にあるカフェで開催され、その後も21時まで同じ場所でソフトドリンクだけ飲み放題とのことでした。
ラウンジで一服してから、私と長男はホテルの敷地横にあるフィットネスクラブのプールへと行きました。ここにはサウナやトレーニングルームもありますが、12歳未満はプールのみ利用可とのことです。地下2階にあるプールは大きいものの作りが古く、昔のスイミングスクールを思い出させるものでした。
その後、17時半になるのを見計らって1階のカフェに行きました。人数分のオードブル盛り合わせが提供され、ビール、ウイスキー、ワイン、数種類のカクテル、ソフトドリンクが飲み放題でしたが、オードブルの追加はできず、それだけでは物足りなかったため、我が家は味噌カツサンドとフライドポテト(合計2450円)を追加注文しました。味噌カツサンドはコテコテの名古屋味で、やや食傷気味になりました。ドリンクもかなり大きなカフェで3人しかスタッフがいないため、手を上げて持ってきてもらうまで時間がかかります。好きなオードブルやドリンクを自由に取りに行ける、ヒルトンのエグゼクティブフロアやマリオットのコンシェルジュフロアを想像していくと、少しストレスが溜まるかもしれません。
私たちは19時過ぎにホテルを出て、名古屋城の周りをぐるっと散歩することにしました。それからもう一度先程のカフェに立ち寄り、ソフトドリンクを飲んでから部屋へ戻りました。入浴後少し喉が渇きましたが、すでにラウンジは閉まっており、客室にサービスでおいてあるミネラルウォーターを飲んでから寝ました。
翌朝は7時半~10時までエグゼクティブラウンジで朝食を摂ることもできましたが、こちらはコンチネンタル風の軽めのメニューとのことであり、1階にあるレストランのビュッフェへと行きました。そちらで朝食を摂った後、妻と子供は行きたくないの言うので部屋に残し、私一人で名古屋城を見学してきました。小学生の時以来、実に何十年ぶりでしたが、ここは戦後に復元された城であり、エレベーターで最上階まで上れるため、あまり風情は感じませんでした。その後部屋へと戻り、家族3人でエグゼクティブラウンジに行き、1時間ほどくつろいでからチェックアウトしました。仕事は午前中半休で午後から行きましたが、複数の新入院や他院への救急搬送もあって多忙でした。
ウェスティンはさすがに伝統ある高級ホテルであり、ソフトもハードも良いものを持っていますが、エグゼクティブラウンジの営業時間が短いのがネックです。横の客室を1~2室つぶしてラウンジを拡張し、夕方のハッピーアワーを含めて22時くらいまでオープンすれば、エグゼクティブフロアの付加価値がもう少し上がると思うのですが、現状ではコストカットはやむを得ないのでしょうか?
この点とプールの質感が改善されれば、多少価格がアップしてもまた泊まりにいきたいと思います。ちなみに私がこれまで泊まった中で、附帯の屋内プールが最もすばらしかったのはニッコー天津です。大理石で彩られた神秘的で上質な空間でした。
今回、じゃらんでエグゼクティブフロア街側ツインの部屋に、夫婦二人、長男は添い寝で、一泊合計19000円で泊まれるプランを見つけたため、29日の夜に宿泊することにしました。なお、今回のプランには名古屋城の入場券がついていました。
チェックインは13時からとのことですが、昼間に別の用事があったため、私たちは15時ごろホテルに到着しました。8階の街側にあるエグゼクティブラウンジでチェックインし、9階街側の客室へと案内されました。クリーム色をベースに木製の家具が配置された落ち着きのある室内で、シャワー・洗面所と別にトイレが用意されていました。そこに荷物を置き、再び先程のラウンジへ。ヒルトンやマリオットと比べると小さめのラウンジで、ドーナツ、パン、チョコレート、各種ソフトドリンク、コーヒー、紅茶が用意されていました。ここのラウンジは7時半~18時しかオープンしてなく、17時半~19時半のハッピーアワー(アルコールとオードブルのサービスタイム)は1階にあるカフェで開催され、その後も21時まで同じ場所でソフトドリンクだけ飲み放題とのことでした。
ラウンジで一服してから、私と長男はホテルの敷地横にあるフィットネスクラブのプールへと行きました。ここにはサウナやトレーニングルームもありますが、12歳未満はプールのみ利用可とのことです。地下2階にあるプールは大きいものの作りが古く、昔のスイミングスクールを思い出させるものでした。
その後、17時半になるのを見計らって1階のカフェに行きました。人数分のオードブル盛り合わせが提供され、ビール、ウイスキー、ワイン、数種類のカクテル、ソフトドリンクが飲み放題でしたが、オードブルの追加はできず、それだけでは物足りなかったため、我が家は味噌カツサンドとフライドポテト(合計2450円)を追加注文しました。味噌カツサンドはコテコテの名古屋味で、やや食傷気味になりました。ドリンクもかなり大きなカフェで3人しかスタッフがいないため、手を上げて持ってきてもらうまで時間がかかります。好きなオードブルやドリンクを自由に取りに行ける、ヒルトンのエグゼクティブフロアやマリオットのコンシェルジュフロアを想像していくと、少しストレスが溜まるかもしれません。
私たちは19時過ぎにホテルを出て、名古屋城の周りをぐるっと散歩することにしました。それからもう一度先程のカフェに立ち寄り、ソフトドリンクを飲んでから部屋へ戻りました。入浴後少し喉が渇きましたが、すでにラウンジは閉まっており、客室にサービスでおいてあるミネラルウォーターを飲んでから寝ました。
翌朝は7時半~10時までエグゼクティブラウンジで朝食を摂ることもできましたが、こちらはコンチネンタル風の軽めのメニューとのことであり、1階にあるレストランのビュッフェへと行きました。そちらで朝食を摂った後、妻と子供は行きたくないの言うので部屋に残し、私一人で名古屋城を見学してきました。小学生の時以来、実に何十年ぶりでしたが、ここは戦後に復元された城であり、エレベーターで最上階まで上れるため、あまり風情は感じませんでした。その後部屋へと戻り、家族3人でエグゼクティブラウンジに行き、1時間ほどくつろいでからチェックアウトしました。仕事は午前中半休で午後から行きましたが、複数の新入院や他院への救急搬送もあって多忙でした。
ウェスティンはさすがに伝統ある高級ホテルであり、ソフトもハードも良いものを持っていますが、エグゼクティブラウンジの営業時間が短いのがネックです。横の客室を1~2室つぶしてラウンジを拡張し、夕方のハッピーアワーを含めて22時くらいまでオープンすれば、エグゼクティブフロアの付加価値がもう少し上がると思うのですが、現状ではコストカットはやむを得ないのでしょうか?
この点とプールの質感が改善されれば、多少価格がアップしてもまた泊まりにいきたいと思います。ちなみに私がこれまで泊まった中で、附帯の屋内プールが最もすばらしかったのはニッコー天津です。大理石で彩られた神秘的で上質な空間でした。
小沢一郎氏の立候補について [雑談]
今回は、今後の日本の政治・経済に対する私の妄想を書き綴った駄文です。興味のない方はスルーしてください。
本日、小沢一郎氏が民主党の代表戦への出馬意向を明らかにしました。世論調査ではおよそ8割以上の人が、小沢氏が総理になることに反対しており、今回の代表戦では国会議員票の他に一般の党員による投票もあるため、普通に考えれば小沢氏に勝ち目は薄そうです。しかし寝技に長けた政治家なので、それも分かった上で勝てる自信があっての立候補なのでしょう。今後1~2週間の間に管総理のスキャンダルがマスコミに流れるかもしれませんし、諸々の事態も含めて、小沢氏が来月総理になる可能性が6割以上と考えています。
検察審査会による再審査も控えていますが、直前になって審査委員が突然死して、メンバーチェンジなんてことになったら怖いですね。「小沢一郎 不審死」でぐぐると、そのあたりの都市伝説がたくさん出てきます。いずれにせよ小沢氏が総理になってしまえば、法務大臣に命令して検察官の首をすげ替えることもできますし、最終的に何とか乗り切るでしょう。
そして小沢総理が誕生した暁には、今回の代表戦で支持をとりつけた鳩山元総理が幹事長になる可能性があります。政治と金の問題で失脚した総理と幹事長が、数ヵ月後に入れ替わって再登板。あまり笑えませんが・・・。
小沢氏が今回の代表戦に出馬するに当たり、大儀が必要となります。挙党一致と言えば聞こえは良いですが、要は自分がのけ者にされそうだから立候補したというだけの話であり、それでは大儀と呼ぶには弱いですよね。だから昨年の民主党マニフェスト原理主義者として、それを忠実に再現することをもう一つの大儀に掲げるでしょう。消費税アップの封印、子供手当ては26000円支給、高速道路無料化など、国の財政を傾ける政策が目白押しです。小沢氏に歯向かう業界団体への予算を多少削減したところで、これでは国家財政が持ちません。(先の参議院選挙でも、某選挙区が小沢氏による候補擁立方針に反対したところ、交付金支給をされないということがあったそうです)
話は変わりますが、現在日本国民の多くが直接的・間接的に国債を買っています。銀行に預けた預金は本来なら事業者に貸し出されるのですが、先行き不安な日本人は金を使わずに溜め込み、新規事業は縮小し、その結果預金者から預かったお金を貸し出す先が減っています。この銀行内部に余ったお金で国債を購入しているのです。現在は国民の資産が国と地方の借金額を上回っているため、国債が売れ残ることはありませんが、あと3~5年で両者が逆転すると言われています。また日銀が国債の一部を買い取っていますが、日銀による国債買い取り額は日本銀行券(紙幣)の発行額を上回ってはいけないという決まりがあり、これもこのままでは3~5年後に上回ってしまうそうです。つまりあと3~5年で新規に国債を発行してもそれが売れ残り、日本は財政破綻する可能性が高いのです。最近になって中国マネーが日本の短期国債(1年もの)を買うようになりましたが、それもいよいよ財政破綻間近となれば潮を引くように撤収するでしょう。この状況下でマニフェスト原理主義でバラマキ型の小沢一郎内閣が誕生することは、日本の財政破綻が間近に迫ることを意味します。
では財政破綻したら何が起こるのかと言うと、「ネバダ・レポート」でぐぐってみてください。公務員の3割を退職金なしでリストラし、年金の3割カット、銀行預金のペイオフ、預金税30~40%、固定資産税(公示価格の5%)、消費税20%など、阿鼻叫喚の生活負担増が待ち構えています。しかもIMFのバックにはアメリカが控えているのですから、日本の公的医療保険を解体し、アメリカの医療保険会社が参入する可能性もあります。貧乏人は病院にかかれなくなるかもしれません。もっともそのときに民主党政権のままだったら、アメリカではなく中国に泣き付いて国債購入をお願いする可能性もあります。この場合は徐々に中国の属国状態になり、これ以上は想像したくありません。
日本の財政が破綻した場合、円相場は普通に考えれば円安にふれそうです。しかしネバダレポートを見る限り、国民の預金の一部を取り上げるわけですから、日本国内で流通する日本円の総額が減少しそうです。そうなると日本の資産、日本の技術をより少ない日本円で購入できることになり、円高が進むという前代未聞のできごとが起こりえます。通常の財政破綻国家は外国に対して借金まみれになっているのですが、日本は外国に金を貸したまま破綻することになり(日本は中国に次ぐ世界第2位のアメリカ国債保有国ですが、それを売り払うことはアメリカに喧嘩を売ることになります)、日本の国と地方自治体の借金を日本人が肩代わりするだけなので、対外的に日本の信頼度が大きく低下するとも限らず、日本売りをあびせる必然はありません。かつて麻生元総理がリーマンショックで円の独歩高になった際、「自国の通貨高になって破綻した国家はない」と言っていましたが、破綻して通貨高になる第一号になるかもしれません。
こうしたことを踏まえ、各人が資産保護と生活基盤の維持に向けた準備をしておく必要があります。10年以上前に財政破綻してIMF管理下に入った韓国では、経済環境の変化に適応できた富裕層と適応できなかった貧困層の間で貧富の差が拡大し、若者の就職難が慢性的に続いています。ソウル旅行記(http://ryokodo.blog.so-net.ne.jp/2010-08-15)で紹介したデモも、若者が中心でした。
私も政治・経済の素人なりに、ない知恵を絞って対策をとりたいと思います。以上、お粗末さまでした。
本日、小沢一郎氏が民主党の代表戦への出馬意向を明らかにしました。世論調査ではおよそ8割以上の人が、小沢氏が総理になることに反対しており、今回の代表戦では国会議員票の他に一般の党員による投票もあるため、普通に考えれば小沢氏に勝ち目は薄そうです。しかし寝技に長けた政治家なので、それも分かった上で勝てる自信があっての立候補なのでしょう。今後1~2週間の間に管総理のスキャンダルがマスコミに流れるかもしれませんし、諸々の事態も含めて、小沢氏が来月総理になる可能性が6割以上と考えています。
検察審査会による再審査も控えていますが、直前になって審査委員が突然死して、メンバーチェンジなんてことになったら怖いですね。「小沢一郎 不審死」でぐぐると、そのあたりの都市伝説がたくさん出てきます。いずれにせよ小沢氏が総理になってしまえば、法務大臣に命令して検察官の首をすげ替えることもできますし、最終的に何とか乗り切るでしょう。
そして小沢総理が誕生した暁には、今回の代表戦で支持をとりつけた鳩山元総理が幹事長になる可能性があります。政治と金の問題で失脚した総理と幹事長が、数ヵ月後に入れ替わって再登板。あまり笑えませんが・・・。
小沢氏が今回の代表戦に出馬するに当たり、大儀が必要となります。挙党一致と言えば聞こえは良いですが、要は自分がのけ者にされそうだから立候補したというだけの話であり、それでは大儀と呼ぶには弱いですよね。だから昨年の民主党マニフェスト原理主義者として、それを忠実に再現することをもう一つの大儀に掲げるでしょう。消費税アップの封印、子供手当ては26000円支給、高速道路無料化など、国の財政を傾ける政策が目白押しです。小沢氏に歯向かう業界団体への予算を多少削減したところで、これでは国家財政が持ちません。(先の参議院選挙でも、某選挙区が小沢氏による候補擁立方針に反対したところ、交付金支給をされないということがあったそうです)
話は変わりますが、現在日本国民の多くが直接的・間接的に国債を買っています。銀行に預けた預金は本来なら事業者に貸し出されるのですが、先行き不安な日本人は金を使わずに溜め込み、新規事業は縮小し、その結果預金者から預かったお金を貸し出す先が減っています。この銀行内部に余ったお金で国債を購入しているのです。現在は国民の資産が国と地方の借金額を上回っているため、国債が売れ残ることはありませんが、あと3~5年で両者が逆転すると言われています。また日銀が国債の一部を買い取っていますが、日銀による国債買い取り額は日本銀行券(紙幣)の発行額を上回ってはいけないという決まりがあり、これもこのままでは3~5年後に上回ってしまうそうです。つまりあと3~5年で新規に国債を発行してもそれが売れ残り、日本は財政破綻する可能性が高いのです。最近になって中国マネーが日本の短期国債(1年もの)を買うようになりましたが、それもいよいよ財政破綻間近となれば潮を引くように撤収するでしょう。この状況下でマニフェスト原理主義でバラマキ型の小沢一郎内閣が誕生することは、日本の財政破綻が間近に迫ることを意味します。
では財政破綻したら何が起こるのかと言うと、「ネバダ・レポート」でぐぐってみてください。公務員の3割を退職金なしでリストラし、年金の3割カット、銀行預金のペイオフ、預金税30~40%、固定資産税(公示価格の5%)、消費税20%など、阿鼻叫喚の生活負担増が待ち構えています。しかもIMFのバックにはアメリカが控えているのですから、日本の公的医療保険を解体し、アメリカの医療保険会社が参入する可能性もあります。貧乏人は病院にかかれなくなるかもしれません。もっともそのときに民主党政権のままだったら、アメリカではなく中国に泣き付いて国債購入をお願いする可能性もあります。この場合は徐々に中国の属国状態になり、これ以上は想像したくありません。
日本の財政が破綻した場合、円相場は普通に考えれば円安にふれそうです。しかしネバダレポートを見る限り、国民の預金の一部を取り上げるわけですから、日本国内で流通する日本円の総額が減少しそうです。そうなると日本の資産、日本の技術をより少ない日本円で購入できることになり、円高が進むという前代未聞のできごとが起こりえます。通常の財政破綻国家は外国に対して借金まみれになっているのですが、日本は外国に金を貸したまま破綻することになり(日本は中国に次ぐ世界第2位のアメリカ国債保有国ですが、それを売り払うことはアメリカに喧嘩を売ることになります)、日本の国と地方自治体の借金を日本人が肩代わりするだけなので、対外的に日本の信頼度が大きく低下するとも限らず、日本売りをあびせる必然はありません。かつて麻生元総理がリーマンショックで円の独歩高になった際、「自国の通貨高になって破綻した国家はない」と言っていましたが、破綻して通貨高になる第一号になるかもしれません。
こうしたことを踏まえ、各人が資産保護と生活基盤の維持に向けた準備をしておく必要があります。10年以上前に財政破綻してIMF管理下に入った韓国では、経済環境の変化に適応できた富裕層と適応できなかった貧困層の間で貧富の差が拡大し、若者の就職難が慢性的に続いています。ソウル旅行記(http://ryokodo.blog.so-net.ne.jp/2010-08-15)で紹介したデモも、若者が中心でした。
私も政治・経済の素人なりに、ない知恵を絞って対策をとりたいと思います。以上、お粗末さまでした。
香川・徳島旅行記(10年8月) [国内旅行記]
家族で2泊3日の香川・徳島旅行に行ってきました。
今回はドライブ旅行なので、大まかなルートとホテルを決めれば、後は行き当たりばったりで大丈夫ですし、荷物も削ぎ落とすことなく多めに持っていけます。ホテルは20日がオークラホテル丸亀(朝食付き11200円。JAFカード提示で更に5%引き。ホテルオークラとは関係ありません)、21日が東横イン徳島駅媚山口(朝食付き8190円)で、両方とも楽天トラベルで予約しました。
20日、朝食を済ませてから自宅を出発し、朝7時半に東名阪自動車道の名古屋西インターに到着しました。この日は金曜で土日1000円割引が使えないため、まずは1枚目のETCカードで第二名神の草津田上インターまで走り、そこでいったん高速を降りてから2枚目のETCカードに挿しなおし、午前9時前に再び高速に入りました。こうすることで通勤割引を2回使え、少しだけ高速料金を節約できるのです。途中でSAに立ち寄って昼食を摂ったりキビ団子を食べたりしながら、瀬戸大橋を渡り、善通寺ICへ。ここから下道で金比羅山に向かいました。
山麓で車を停め、家族3人(私、妻、6歳長男)で猛暑の中、700段以上の階段を登って金刀比羅宮御本宮まで行きました。麓で1リットル程度の水を用意したのですが、途中で不足気味になり、境内では追加購入もできなかったため、長居をせず熱中症になる前に下山しました。道中のスーパーでペットボトルのお茶とよく冷えたスパークリングワインを買い込み、16時前にオークラホテル丸亀に到着しました。
ホテル1階にあるレストランでディナーバイキングを予約してから客室に入ると、窓の外には真っ青な瀬戸内海が広がり、少し離れたところに瀬戸大橋がそびえ立っていました。その景色を肴に、スパークリングワインを開けて妻と乾杯。850円の決して高くないワインでしたが、景観の良さも相まってかなり幸せな時を過ごせました。17時半になってレストランに行くと、そこには香川の郷土料理など数々の料理が食べ放題で並んでいました。値段は大人2000円、6歳児800円でした。その後、ホテル裏にある海沿いの遊歩道を散策し、サウナ付きの展望風呂に入ってから就寝しました。
翌21日、昨晩と同じレストランで朝食ビュッフェを摂ってからホテルをチェックアウトし、徳島県にある祖谷のかずら橋へと向かいました。ここは平家一族が追っ手から逃れるために、いつでも切り離せるようにと、シラクチカズラと呼ばれる植物で作った橋だそうです。今では安全のため3年に一度架け直しているそうですが、眼下に広がる渓谷を眺めながら、ゆらゆらと揺れる植物で編んだ原始的な橋を渡るというスリリングなアトラクションになっています(片道大人500円。横にコンクリート製の立派な橋もあります)。周辺には美しい自然の景観が広がっているのですが、多くの人はそれを眺める余裕もなく、恐る恐る橋の上を進んでいました。暑さと緊張で嫌な汗をかくのですが、渡りきると不思議な達成感を味わえました。
その後、両岸にせりたつ岩盤を眺めながらクルーズを楽しむ大歩危峡遊覧船(大人1050円)に乗り、高速道路のSAで昼食を摂ってから、徳島市へと向かいました。昼食は粗谷そばにしましたが、そば粉でうどんを作ったような、かなり太目の蕎麦でした。ホテルの立体駐車場で車を預け、そこから徒歩数分のところにある阿波踊り会館へと向かいました。ここでは観光客のために一年中阿波踊りを披露しており、その建物の屋上からロープウェイに乗って眉山の山頂に行くことができます(往復1050円)。山頂の展望台からは瀬戸内海、吉野川、徳島城址、徳島の街並みを一望できました。夜景はかなり美しいと思うのですが、眉山の森が視界手前を遮る点がやや残念かもしれません。世界三大夜景(函館、香港、ナポリ)には今一歩及ばない印象です。
ロープウェイで下山した私たちは、そこから徳島駅へと歩き、駅ビルで徳島ラーメンと徳島バーガーの夕食を食べて帰ってきました。徳島ラーメンは豚骨醤油味のスープで豚のバラ肉を入れるのが定番のようで、私の好きな博多の一欄ラーメンを醤油味にした感じでした。
夕食後、阿波踊り会館で夜8時から行われている阿波踊りを見に行きました(700円。ホテルで前売り券500円)。基本は4拍子のシンプルな踊りなのですが、非常に美しく抑揚のある舞台になっていました。指先にまで神経を使う緻密な動きはタイやカンボジアの民族舞踊に近いものがありますが、それよりも動きが速く、韓国の民族舞踊みたいに統制の取れた集団の動きで美しいシルエットを創り出し、時にはフラメンコのように激しくステップを踏み、中国の人民たちによる観光客目当てのショーほどではないのですが、光を駆使して幻想的な演出をしていました。新ばし連の皆さん、ありがとうございました。
翌22日、ホテルで朝食を済ませた後、鳴門に向かい、朝9時半の開館と同時に大塚国際美術館に入場しました。ここは大塚製薬が75周年記念事業として作った美術館であり、陶板に着色して焼き上げることで世界中の美術品の実物大レプリカを作り、展示しているところです。入場料は3150円と高く、陶板に複製された油絵は明らかに光沢が本物とは異なるのですが、オルセー、ルーブル、プラド、ボストンなど世界中に散らばった古今東西の膨大な名作が一堂に集結しており、かなり見ごたえがあります。入場者数もあまり多くなく、バチカンのシスティーナ礼拝堂、サンタ・マリア・デッレ・グラティエ教会の「最後の晩餐」、ルーブル美術館の「モナリザ」、ムンクの「叫び」、ピカソの「ゲルニカ」、ゴッホの「ひまわり」など、本物であれば大勢の人でひしめくであろう名作をゆっくりと鑑賞できました。昼食は美術館内のレストランで「最後の晩餐」を再現したというメニュー(1800円)を食べました。赤ワイン、古い製法のパン、魚、パサパサになった子羊のあぶり焼き、茶色い皮がついたままのタマネギなどが出て来ました。「最後の晩餐」を再現したという触れこみがなければ、高い値段でまずい料理を出されただけですが、一度だけなら経験しても悪くないと思います。
大塚国際美術館では昼食も含めて5時間過ごし、14時半に鳴門を出発しました。日曜の午後だったので途中から大渋滞に巻き込まれ、そこからは下道で帰って来ました。昼に贅沢をしたので夕食は道中の松屋で済ませ、名古屋の自宅にたどり着いたのは19時半でした。
今回のような長距離ドライブ旅行は久しぶりでしたが、私の愛車(現行のクラウンアスリート)だと飛行機のエコノミークラスに乗っているよりは楽でした。来月からはまた9ヶ月連続で海外旅行に出かけます(すべてマイルを使った特典航空券です)。来月は私にとって42カ国目の訪問国となるモンゴルです。
今回はドライブ旅行なので、大まかなルートとホテルを決めれば、後は行き当たりばったりで大丈夫ですし、荷物も削ぎ落とすことなく多めに持っていけます。ホテルは20日がオークラホテル丸亀(朝食付き11200円。JAFカード提示で更に5%引き。ホテルオークラとは関係ありません)、21日が東横イン徳島駅媚山口(朝食付き8190円)で、両方とも楽天トラベルで予約しました。
20日、朝食を済ませてから自宅を出発し、朝7時半に東名阪自動車道の名古屋西インターに到着しました。この日は金曜で土日1000円割引が使えないため、まずは1枚目のETCカードで第二名神の草津田上インターまで走り、そこでいったん高速を降りてから2枚目のETCカードに挿しなおし、午前9時前に再び高速に入りました。こうすることで通勤割引を2回使え、少しだけ高速料金を節約できるのです。途中でSAに立ち寄って昼食を摂ったりキビ団子を食べたりしながら、瀬戸大橋を渡り、善通寺ICへ。ここから下道で金比羅山に向かいました。
山麓で車を停め、家族3人(私、妻、6歳長男)で猛暑の中、700段以上の階段を登って金刀比羅宮御本宮まで行きました。麓で1リットル程度の水を用意したのですが、途中で不足気味になり、境内では追加購入もできなかったため、長居をせず熱中症になる前に下山しました。道中のスーパーでペットボトルのお茶とよく冷えたスパークリングワインを買い込み、16時前にオークラホテル丸亀に到着しました。
ホテル1階にあるレストランでディナーバイキングを予約してから客室に入ると、窓の外には真っ青な瀬戸内海が広がり、少し離れたところに瀬戸大橋がそびえ立っていました。その景色を肴に、スパークリングワインを開けて妻と乾杯。850円の決して高くないワインでしたが、景観の良さも相まってかなり幸せな時を過ごせました。17時半になってレストランに行くと、そこには香川の郷土料理など数々の料理が食べ放題で並んでいました。値段は大人2000円、6歳児800円でした。その後、ホテル裏にある海沿いの遊歩道を散策し、サウナ付きの展望風呂に入ってから就寝しました。
翌21日、昨晩と同じレストランで朝食ビュッフェを摂ってからホテルをチェックアウトし、徳島県にある祖谷のかずら橋へと向かいました。ここは平家一族が追っ手から逃れるために、いつでも切り離せるようにと、シラクチカズラと呼ばれる植物で作った橋だそうです。今では安全のため3年に一度架け直しているそうですが、眼下に広がる渓谷を眺めながら、ゆらゆらと揺れる植物で編んだ原始的な橋を渡るというスリリングなアトラクションになっています(片道大人500円。横にコンクリート製の立派な橋もあります)。周辺には美しい自然の景観が広がっているのですが、多くの人はそれを眺める余裕もなく、恐る恐る橋の上を進んでいました。暑さと緊張で嫌な汗をかくのですが、渡りきると不思議な達成感を味わえました。
その後、両岸にせりたつ岩盤を眺めながらクルーズを楽しむ大歩危峡遊覧船(大人1050円)に乗り、高速道路のSAで昼食を摂ってから、徳島市へと向かいました。昼食は粗谷そばにしましたが、そば粉でうどんを作ったような、かなり太目の蕎麦でした。ホテルの立体駐車場で車を預け、そこから徒歩数分のところにある阿波踊り会館へと向かいました。ここでは観光客のために一年中阿波踊りを披露しており、その建物の屋上からロープウェイに乗って眉山の山頂に行くことができます(往復1050円)。山頂の展望台からは瀬戸内海、吉野川、徳島城址、徳島の街並みを一望できました。夜景はかなり美しいと思うのですが、眉山の森が視界手前を遮る点がやや残念かもしれません。世界三大夜景(函館、香港、ナポリ)には今一歩及ばない印象です。
ロープウェイで下山した私たちは、そこから徳島駅へと歩き、駅ビルで徳島ラーメンと徳島バーガーの夕食を食べて帰ってきました。徳島ラーメンは豚骨醤油味のスープで豚のバラ肉を入れるのが定番のようで、私の好きな博多の一欄ラーメンを醤油味にした感じでした。
夕食後、阿波踊り会館で夜8時から行われている阿波踊りを見に行きました(700円。ホテルで前売り券500円)。基本は4拍子のシンプルな踊りなのですが、非常に美しく抑揚のある舞台になっていました。指先にまで神経を使う緻密な動きはタイやカンボジアの民族舞踊に近いものがありますが、それよりも動きが速く、韓国の民族舞踊みたいに統制の取れた集団の動きで美しいシルエットを創り出し、時にはフラメンコのように激しくステップを踏み、中国の人民たちによる観光客目当てのショーほどではないのですが、光を駆使して幻想的な演出をしていました。新ばし連の皆さん、ありがとうございました。
翌22日、ホテルで朝食を済ませた後、鳴門に向かい、朝9時半の開館と同時に大塚国際美術館に入場しました。ここは大塚製薬が75周年記念事業として作った美術館であり、陶板に着色して焼き上げることで世界中の美術品の実物大レプリカを作り、展示しているところです。入場料は3150円と高く、陶板に複製された油絵は明らかに光沢が本物とは異なるのですが、オルセー、ルーブル、プラド、ボストンなど世界中に散らばった古今東西の膨大な名作が一堂に集結しており、かなり見ごたえがあります。入場者数もあまり多くなく、バチカンのシスティーナ礼拝堂、サンタ・マリア・デッレ・グラティエ教会の「最後の晩餐」、ルーブル美術館の「モナリザ」、ムンクの「叫び」、ピカソの「ゲルニカ」、ゴッホの「ひまわり」など、本物であれば大勢の人でひしめくであろう名作をゆっくりと鑑賞できました。昼食は美術館内のレストランで「最後の晩餐」を再現したというメニュー(1800円)を食べました。赤ワイン、古い製法のパン、魚、パサパサになった子羊のあぶり焼き、茶色い皮がついたままのタマネギなどが出て来ました。「最後の晩餐」を再現したという触れこみがなければ、高い値段でまずい料理を出されただけですが、一度だけなら経験しても悪くないと思います。
大塚国際美術館では昼食も含めて5時間過ごし、14時半に鳴門を出発しました。日曜の午後だったので途中から大渋滞に巻き込まれ、そこからは下道で帰って来ました。昼に贅沢をしたので夕食は道中の松屋で済ませ、名古屋の自宅にたどり着いたのは19時半でした。
今回のような長距離ドライブ旅行は久しぶりでしたが、私の愛車(現行のクラウンアスリート)だと飛行機のエコノミークラスに乗っているよりは楽でした。来月からはまた9ヶ月連続で海外旅行に出かけます(すべてマイルを使った特典航空券です)。来月は私にとって42カ国目の訪問国となるモンゴルです。
ソウル旅行記(09年2月)再掲 [海外旅行記]
13日にアップした旅行記が、なぜか15日に削除され、別の記事に置き換わっていました。再度同じものをアップしておきます。
だいぶ前のことになりますが、2009年2月のソウル旅行記です。
まずは朝鮮半島の近代史について少々。強国である中国と陸続きであった朝鮮半島は、冊封国として中国の顔色を伺いつつ自国を存在させて来ました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%8E%E6%81%A9%E9%96%80
1895年に日本が日清戦争で勝利し、そのときに結ばれた下関条約第1条によって冊封国から離脱しました。名実ともに独立国になりましたが、その当時の朝鮮半島は貧しかったようです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E9%96%A2%E6%9D%A1%E7%B4%84
http://photo.jijisama.org/EdoSeoulColor.html
http://photo.jijisama.org/OldKorea.html
その後1910年に日本と併合された朝鮮半島は、日本の投資によってインフラ整備をされました。また李氏朝鮮時代には、貧しい人たちに知恵をつけたくない支配者側の意向もあり文盲率が高かったのですが、日本統治下でハングル教育がなされ、識字率がアップしました。
http://photo.jijisama.org/BeforeAfter.html
http://koreaphoto.hp.infoseek.co.jp/hg.html
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1132959811
従軍慰安婦については、現在の日本円にして月給133万円で一般募集していたとの資料もあります。
http://photo.jijisama.org/ianfu.html
中国人SHA EIKOUの著書「日本軍は韓国で何をしたか」では、
http://photo.jijisama.org/IHall.html
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4784503420/japankoreapho-22
「香港占領期間中、多くの朝鮮人が日本の軍服を着ていたが、一般の日本人よりも背が高く、日本の正規軍よりも凶暴だった。この時、民家に乱入して婦女暴行を働いたのは、殆ど日本人の手先となって悪事を働いていた朝鮮人であった。当時、香港住民は日本軍よりも朝鮮人を激しく憎んだ」
と記述されているようです。私がバンコク旅行記(http://ryokodo.blog.so-net.ne.jp/2010-01-16)で紹介したフィリピン人の言葉「第二次世界大戦のころ、日本軍はフィリピンに来て悪いことをたくさんしたが、それは皆コリアンだ。日本人はみんな知らないが、フィリピン人はみんな知っている。現在フィリピンには多くのコリアン留学生がいて、大きな問題だ」とも符合します。
現在もその国民性に変わりはなく、日本とは比較にならない強姦発生件数を誇る国ですので、女性の方は気をつけてください。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/2362/GOUKAN.htm
戦後の韓国は世界でも有数の受験勉強社会となり、四当五落(睡眠時間を4時間以下に削って受験勉強しないと合格しない)とまで言われているそうです。男性には2年間の兵役が課され、その間栄養不足になった彼らが好んで食べたのが部隊鍋(プデチゲ。安い魚肉ソーセージや辛ラーメン、野菜などをキムチ味のスープで煮込んだもの)だそうです。日本でも辛ラーメンを時々見かけますし、それにソーセージ、白菜、キムチの素があれば、結構簡単に部隊鍋に近いものを再現できます。
観光地では、私のお勧めは板門店です(http://www.seoulnavi.com/tour/)。ここは言わずと知れた韓国と北朝鮮の境界線であり、その境界線をまたぐ形でプレハブの建物が建っています。この建物内では国境を越えて相手国内に入ることが許されており、そこから窓の外を見ると北朝鮮兵士がすぐ傍で立っています。韓国側にいるのが国連軍兵士(アメリカと韓国の共同部隊)であり、ツアー客は国連のゲストであるという印をつけて行きますが、ジーンズ着用、飲酒など禁止事項が多いので、あらかじめ確認が必要です。このツアーは外国人にのみ解放され、韓国人自身は板門店に行くことはできないそうです。
余談ですが、北朝鮮の兵士は板門店近くにある韓国側の電光掲示板に表示される天気予報を見て、その精度に驚くそうです。サイパンでは普段沖合いに米軍艦隊が駐留していますが、高性能気象レーダーを備えたその艦隊がグアム基地に戻るためにいなくなると、台風が来るのだと悟って準備をするそうです。
なお私はソウル、水原、慶州、テグの世界遺産はすべて行ったことがありますが、どれも期待していくと少し物足りなさがあります。ロッテワールドも日本の遊園地を見慣れた目にはそれほど楽しく思えないかもしれません。ナンタ(乱打)は、様々な物を打ち鳴らしながらゼスチャーのみで物語が進んでいく少しコミカルな舞台ですが、ソウルに行ったら一度見ておいても損はないでしょう。
さあ、そろそろ今回の旅行記に移ります。
この時はJAL18500マイルを使って、行きは名古屋から成田経由でソウルまでエグゼクティブクラス(いわゆるビジネスクラス)、帰りはソウルから名古屋へ直行便エコノミークラスという航空券に引き換えました。成田にあるJALのサクララウンジが良いと聞き、それを体験するために企画した旅行ですが、ソウル旅行自体は14回目でした。成田でサクララウンジを堪能するために、名古屋から成田へは朝8時半の便で発ち、成田からソウルへは18時半の便で発つことにしました。ホテルは明洞にあるメトロホテルを、ホテルのホームページから直接予約しました。英語のメールを送ったのですが、日本語で予約確認の電話がかかって来ました。
そして出発当日となる2月6日の朝。セントレアのJALエグゼクティブクラスカウンターでチェックインを済ませた私はすぐにサクララウンジへと向かいました。ここで軽めの朝食を摂り、7時半から始まるマッサージサービスを申し込みました。このラウンジでは先客順で10分間だけ、無料マッサージをしてくれるのです。スキルは可もなく不可もなくでした。
成田行きのフライトに乗り、成田でもすぐにサクララウンジに直行しました。ここでは1日3回ビュッフェの内容が入れ替わり、朝はホテルの朝食のようなメニューが並んでいました。それを食べ、ワインを飲み、手持ちのパソコンでインターネットに接続し、ビーフカレーを中心とするランチを食べ、ここでも10分間の無料マッサージを受け、上質なシャワールームを利用し、夕方オープンするバーで「サクラ」と名づけられた日本酒ベースでサクラの塩漬けを浮かべたオリジナルのショートカクテルを飲み、ビーフカレーを中心にランチと少しだけメニューの変わった夕食をつまみ、飛行機に搭乗しました。ファーストクラスとエコノミークラスしかない機材であり、エグゼクティブクラスの私はファーストのシートに座ることができました。後方のエコノミーは2-3-2のシート配列なのですが、ファーストは1-1-1とゆったりしており、電動でフルフラットにもなりました。機内では炊き込みご飯、煮魚などの和食メニューを食べ、なぜか白ワインのシャブリを飲みました。
ソウルの気温はマイナス1度。空港での両替レートは100円1430ウォンでした。インチョン空港の到着フロアには、いつものことですがキムチ臭がそこはかとなく漂っていました。霧深い道を空港から市内に向かうバスの中、運転手はかかってきた携帯電話に出て、時速80キロで走りながらおしゃべりしていました。 バスの値段はその5年前に7000ウォンだったのが9000ウォンになっていました。ソウルの街中の車を見て思うことは、日本車がほとんどないということです。半分以上がヒュンダイで、普通タクシーもトヨタプレミオと似たシルエットのヒュンダイのソナタという車種を多く見かけました。レクサスを2台ほど見かけたのが唯一の日本車でした。私の知る限り、韓国はもっとも日本車の少ない国です。ホテルに向かう途中、ロッテホテル前の地下広場では直径30メートルほどの空間に数十人のホームレスがダンボールハウスで寝ていました。
翌7日朝、ホテルで朝食を摂り、ソウル駅へと向かいました。もはやソウル市内で観光したいところがなかったため、郊外の温泉に行くことにしたのです。地下広場を通りかかると、前日夜にいた数十人のホームレスは皆いなくなっていました。恐らく凍死しないように店が閉まった夜だけ泊まることが許されているのでしょう。その後、ガラス張りのモダンなソウル駅からKTXに乗って大田へ。乗り心地はベルギーで乗ったタリスと総じて同じでした。同じTGVベースだから当然といえば当然ですが。ただ日本並に山の多い韓国でTGVを無理やり走らせるために、トンネルは日本よりかなり広めに作ってある印象でした。きっとそうしないと、トンネル突入時の衝撃波に車体が耐えられないのでしょう。大田駅から地下鉄に乗り換えて儒城ホテルの温泉へ。儒城ホテルは5つ星ですが、駐車場の車は少数のベンツとフォルクスワーゲンを除いてすべて韓国車でした。これが中国だとレクサスとクラウンとドイツ車ばかりなのですけどね。施設内には露天風呂、ヨモギ湯など色々な湯があり、奥では垢すりも行われていました。私は以前ソウルで垢すりに行ったことがありますが、全裸になって同性(男)に全身をゴシゴシこすられても嬉しくなかったので、その時は遠くから眺めるだけにしました。昼食を駅のロッテリアで済ませ、KTXでソウルへ戻り、ソウル駅から明洞まで歩きました。道中、火事で消失した南大門は在りし日の姿をプリントした巨大な壁で覆われていました。南大門市場には相変わらずブランド品に似た粗悪な商品がいっぱいありました。あれは店の奥にもっと精巧な商品がありますよと言うサインなのだそうです。その先にはBANK OF KOREA MUSEUM がありましたが、日本銀行旧小樽支店金融資料館を一回り大きくした感じのところでした。その後、ロッテ免税店へ行きましたが、自分が持っているブランド品は総じて楽天で買ったほうが安かったので、「高いな」と思いつつ外へ出ました。以前、ルイ・ヴィトンのバッグを探したことがありますが、日本のデパートで14万、ソウルの免税店で11.5万円、パリの本店で9万円ほどだったと記憶しています。パリでは間接税の還付も受けらるため、実質8万円弱でした。
ソウル髄一の繁華街である明洞は相変わらず凄い人通りで賑わっており、しばしば日本語を耳にしました。5年前にプラウムスターコーヒー(スターバックスコーヒーとよく似た緑の丸いマークが目印)を発見したホンモノ館はなくなっていました。ホンモノ館でまがい物をみつけ、個人的には結構ツボにはまっていたのですが残念です。
夕食は明洞聖堂の近くにあるイムンソルロンタンという行きつけの店でソルロンタンを食べました。これは牛肉の入った白い薄味のスープです。これにキムチを浸して味付けするとともに、キムチを煮沸消毒して食べるのが自分流です。夕食後、何か変わったネタはないかと街中を歩いていると、明洞を移動しながらプラカードを手に持って何やら叫んでいる人たちの行列が、キタ━━< `∀´>━━!!!!!
その一団は「さあ、リン、チョン、コイ。い~ろ~は~と~」(と聞こえました)と叫びながら、明洞聖堂の前へ移動。若い男女がメインで、一部貧相な中高年男性が混じっているという構成です。つまり一言で言えば、職に就くのが難しそうな人たち。彼らは明洞聖堂の前で座り込み、主導者と思しき人が北朝鮮アナウンサーの口調によく似た絶叫で何やら演説を始めました。時折、みなが「お~~!」と歓声を上げ、私の周りの人たちも一緒に声を出していました。「今、日本語で変なことを口走ったらきっと殺される」と思いました。何のデモかと思って聞いていたら主導者に続いて皆が「イミョンバク、ミニモニだ」(と聞こえました)と叫び始めました。きっと反大統領デモだったのでしょう。一つ笑ったのが、紙コップにロウソクをつきさしたものを持っている人が多い中、ペンライトの先に炎の形をしたキャップをつけてろうそくの代わりにしている人がいたことです。ロウソクデモ用のそんな便利アイテムを発明して、今後もデモを繰り返す気満々ですねw。中国と違い、イミョンバク政権がこのデモを強制排除することはないだろうと思っていましたが、デモ集団が暴徒化しかけたらいち早く逃げるために、退路だけは常に意識していました。
翌8日もホテルで朝食を摂り、チェックアウト後に地下鉄に乗って世界遺産・宗廟と南山韓屋村に行きました。韓国の切符自動販売機は行き先を選んでからお金を入れる方式ですので、先にお金を入れるとそのまま下から出てきてしまい切符を買えません。分からずに困っている日本人を見かけたことがあります。しかしここさえ乗り切れば、路線ごとに色分けされて各駅に番号まで振られた地下鉄を駆使してどこにでも行けます。宗廟は宮廷行事の行われた建物とのことですが、普段は広々として飾り気のないさっぱりした印象です。南山韓屋村は韓国の古い伝統家屋や文化を伝えるテーマパークですが、初めての方なら足を伸ばしても悪くはないでしょう。
その後、ソウル一の格式を誇る新羅ホテルでピアノの生演奏を聴きながらコーヒー飲み(11500ウォン)、ソルロンタンの店で昼食を摂ってから(6000ウォン)空港バスに乗り、仁川空港地下の安食堂でトッポッキを食べて(2000ウォン)帰って来ました(一般に空港は物価が高いのですが、地下には職員向けの安い食堂やコンビニがあったりします)。話は変わりますが、ロッテデパートの電化製品売り場だとサムスンやLGを結構見かけるのですが、空港のロッテ免税店ではソニー、カシオ、東芝など日本ブランドの商品ばかりでした。韓国人向けと海外の旅行客(主に日本人?)向けでは売れるブランドが違うということなのでしょう。しかし日本人なら日本の電化製品は近くの安売り店で買った方が安いのですけどね。ちなみに空港にあるインターネットコーナーのパソコンはソニーとアップルでした。
以前も書きましたが、知人が職場旅行で韓国に行き、「日韓友好」と言って近寄ってきた韓国人の集団と一緒に飲みに行き、そこで恐喝されてカード利用枠含むかなりの被害にあったそうです。私なら見知らぬ韓国人に「日韓友好」なんて言われた時点で、危険アンテナがバリ3になっていたところです。こんな国ではありますが、個人旅行の経験値を稼ぐ上ではそれなりの利用価値がある渡航先です。衛生面、治安面、国民感情などすべての面で軽い緊張感が漂うものの、赤信号で止まったら後ろから射殺されるコロンビアや、時々地下鉄が無差別テロにあい、スキンヘッドのネオナチが金属バットを片手に「ヒャッハー。汚物は消毒だ!」と叫びながら黄色人種狩りをしているモスクワ、そして「100メートル歩く間に強盗にあう確率は150%。絶対に強盗にあい、その後2回目に襲われる確率が50%」と言われるヨハネスルブルクのような絶望感は漂いませんし、何を食べても下痢になり、周りの人から言いがかりのような理由でチップを要求されるインドほどの緊張感も強いられません。ただ、韓国人の日本人に対する複雑な感情を考慮し、「日本人だとばれたら負けかなと思ってる」をキーワードに行動したほうが無難でしょう。
なお北朝鮮に興味のある方は瀋陽旅行記(http://ryokodo.blog.so-net.ne.jp/2010-01-12)も併せてご覧ください。北朝鮮が出資する七宝山ホテルに宿泊し、朝鮮中央放送を見てきました。
だいぶ前のことになりますが、2009年2月のソウル旅行記です。
まずは朝鮮半島の近代史について少々。強国である中国と陸続きであった朝鮮半島は、冊封国として中国の顔色を伺いつつ自国を存在させて来ました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%8E%E6%81%A9%E9%96%80
1895年に日本が日清戦争で勝利し、そのときに結ばれた下関条約第1条によって冊封国から離脱しました。名実ともに独立国になりましたが、その当時の朝鮮半島は貧しかったようです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E9%96%A2%E6%9D%A1%E7%B4%84
http://photo.jijisama.org/EdoSeoulColor.html
http://photo.jijisama.org/OldKorea.html
その後1910年に日本と併合された朝鮮半島は、日本の投資によってインフラ整備をされました。また李氏朝鮮時代には、貧しい人たちに知恵をつけたくない支配者側の意向もあり文盲率が高かったのですが、日本統治下でハングル教育がなされ、識字率がアップしました。
http://photo.jijisama.org/BeforeAfter.html
http://koreaphoto.hp.infoseek.co.jp/hg.html
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1132959811
従軍慰安婦については、現在の日本円にして月給133万円で一般募集していたとの資料もあります。
http://photo.jijisama.org/ianfu.html
中国人SHA EIKOUの著書「日本軍は韓国で何をしたか」では、
http://photo.jijisama.org/IHall.html
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4784503420/japankoreapho-22
「香港占領期間中、多くの朝鮮人が日本の軍服を着ていたが、一般の日本人よりも背が高く、日本の正規軍よりも凶暴だった。この時、民家に乱入して婦女暴行を働いたのは、殆ど日本人の手先となって悪事を働いていた朝鮮人であった。当時、香港住民は日本軍よりも朝鮮人を激しく憎んだ」
と記述されているようです。私がバンコク旅行記(http://ryokodo.blog.so-net.ne.jp/2010-01-16)で紹介したフィリピン人の言葉「第二次世界大戦のころ、日本軍はフィリピンに来て悪いことをたくさんしたが、それは皆コリアンだ。日本人はみんな知らないが、フィリピン人はみんな知っている。現在フィリピンには多くのコリアン留学生がいて、大きな問題だ」とも符合します。
現在もその国民性に変わりはなく、日本とは比較にならない強姦発生件数を誇る国ですので、女性の方は気をつけてください。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/2362/GOUKAN.htm
戦後の韓国は世界でも有数の受験勉強社会となり、四当五落(睡眠時間を4時間以下に削って受験勉強しないと合格しない)とまで言われているそうです。男性には2年間の兵役が課され、その間栄養不足になった彼らが好んで食べたのが部隊鍋(プデチゲ。安い魚肉ソーセージや辛ラーメン、野菜などをキムチ味のスープで煮込んだもの)だそうです。日本でも辛ラーメンを時々見かけますし、それにソーセージ、白菜、キムチの素があれば、結構簡単に部隊鍋に近いものを再現できます。
観光地では、私のお勧めは板門店です(http://www.seoulnavi.com/tour/)。ここは言わずと知れた韓国と北朝鮮の境界線であり、その境界線をまたぐ形でプレハブの建物が建っています。この建物内では国境を越えて相手国内に入ることが許されており、そこから窓の外を見ると北朝鮮兵士がすぐ傍で立っています。韓国側にいるのが国連軍兵士(アメリカと韓国の共同部隊)であり、ツアー客は国連のゲストであるという印をつけて行きますが、ジーンズ着用、飲酒など禁止事項が多いので、あらかじめ確認が必要です。このツアーは外国人にのみ解放され、韓国人自身は板門店に行くことはできないそうです。
余談ですが、北朝鮮の兵士は板門店近くにある韓国側の電光掲示板に表示される天気予報を見て、その精度に驚くそうです。サイパンでは普段沖合いに米軍艦隊が駐留していますが、高性能気象レーダーを備えたその艦隊がグアム基地に戻るためにいなくなると、台風が来るのだと悟って準備をするそうです。
なお私はソウル、水原、慶州、テグの世界遺産はすべて行ったことがありますが、どれも期待していくと少し物足りなさがあります。ロッテワールドも日本の遊園地を見慣れた目にはそれほど楽しく思えないかもしれません。ナンタ(乱打)は、様々な物を打ち鳴らしながらゼスチャーのみで物語が進んでいく少しコミカルな舞台ですが、ソウルに行ったら一度見ておいても損はないでしょう。
さあ、そろそろ今回の旅行記に移ります。
この時はJAL18500マイルを使って、行きは名古屋から成田経由でソウルまでエグゼクティブクラス(いわゆるビジネスクラス)、帰りはソウルから名古屋へ直行便エコノミークラスという航空券に引き換えました。成田にあるJALのサクララウンジが良いと聞き、それを体験するために企画した旅行ですが、ソウル旅行自体は14回目でした。成田でサクララウンジを堪能するために、名古屋から成田へは朝8時半の便で発ち、成田からソウルへは18時半の便で発つことにしました。ホテルは明洞にあるメトロホテルを、ホテルのホームページから直接予約しました。英語のメールを送ったのですが、日本語で予約確認の電話がかかって来ました。
そして出発当日となる2月6日の朝。セントレアのJALエグゼクティブクラスカウンターでチェックインを済ませた私はすぐにサクララウンジへと向かいました。ここで軽めの朝食を摂り、7時半から始まるマッサージサービスを申し込みました。このラウンジでは先客順で10分間だけ、無料マッサージをしてくれるのです。スキルは可もなく不可もなくでした。
成田行きのフライトに乗り、成田でもすぐにサクララウンジに直行しました。ここでは1日3回ビュッフェの内容が入れ替わり、朝はホテルの朝食のようなメニューが並んでいました。それを食べ、ワインを飲み、手持ちのパソコンでインターネットに接続し、ビーフカレーを中心とするランチを食べ、ここでも10分間の無料マッサージを受け、上質なシャワールームを利用し、夕方オープンするバーで「サクラ」と名づけられた日本酒ベースでサクラの塩漬けを浮かべたオリジナルのショートカクテルを飲み、ビーフカレーを中心にランチと少しだけメニューの変わった夕食をつまみ、飛行機に搭乗しました。ファーストクラスとエコノミークラスしかない機材であり、エグゼクティブクラスの私はファーストのシートに座ることができました。後方のエコノミーは2-3-2のシート配列なのですが、ファーストは1-1-1とゆったりしており、電動でフルフラットにもなりました。機内では炊き込みご飯、煮魚などの和食メニューを食べ、なぜか白ワインのシャブリを飲みました。
ソウルの気温はマイナス1度。空港での両替レートは100円1430ウォンでした。インチョン空港の到着フロアには、いつものことですがキムチ臭がそこはかとなく漂っていました。霧深い道を空港から市内に向かうバスの中、運転手はかかってきた携帯電話に出て、時速80キロで走りながらおしゃべりしていました。 バスの値段はその5年前に7000ウォンだったのが9000ウォンになっていました。ソウルの街中の車を見て思うことは、日本車がほとんどないということです。半分以上がヒュンダイで、普通タクシーもトヨタプレミオと似たシルエットのヒュンダイのソナタという車種を多く見かけました。レクサスを2台ほど見かけたのが唯一の日本車でした。私の知る限り、韓国はもっとも日本車の少ない国です。ホテルに向かう途中、ロッテホテル前の地下広場では直径30メートルほどの空間に数十人のホームレスがダンボールハウスで寝ていました。
翌7日朝、ホテルで朝食を摂り、ソウル駅へと向かいました。もはやソウル市内で観光したいところがなかったため、郊外の温泉に行くことにしたのです。地下広場を通りかかると、前日夜にいた数十人のホームレスは皆いなくなっていました。恐らく凍死しないように店が閉まった夜だけ泊まることが許されているのでしょう。その後、ガラス張りのモダンなソウル駅からKTXに乗って大田へ。乗り心地はベルギーで乗ったタリスと総じて同じでした。同じTGVベースだから当然といえば当然ですが。ただ日本並に山の多い韓国でTGVを無理やり走らせるために、トンネルは日本よりかなり広めに作ってある印象でした。きっとそうしないと、トンネル突入時の衝撃波に車体が耐えられないのでしょう。大田駅から地下鉄に乗り換えて儒城ホテルの温泉へ。儒城ホテルは5つ星ですが、駐車場の車は少数のベンツとフォルクスワーゲンを除いてすべて韓国車でした。これが中国だとレクサスとクラウンとドイツ車ばかりなのですけどね。施設内には露天風呂、ヨモギ湯など色々な湯があり、奥では垢すりも行われていました。私は以前ソウルで垢すりに行ったことがありますが、全裸になって同性(男)に全身をゴシゴシこすられても嬉しくなかったので、その時は遠くから眺めるだけにしました。昼食を駅のロッテリアで済ませ、KTXでソウルへ戻り、ソウル駅から明洞まで歩きました。道中、火事で消失した南大門は在りし日の姿をプリントした巨大な壁で覆われていました。南大門市場には相変わらずブランド品に似た粗悪な商品がいっぱいありました。あれは店の奥にもっと精巧な商品がありますよと言うサインなのだそうです。その先にはBANK OF KOREA MUSEUM がありましたが、日本銀行旧小樽支店金融資料館を一回り大きくした感じのところでした。その後、ロッテ免税店へ行きましたが、自分が持っているブランド品は総じて楽天で買ったほうが安かったので、「高いな」と思いつつ外へ出ました。以前、ルイ・ヴィトンのバッグを探したことがありますが、日本のデパートで14万、ソウルの免税店で11.5万円、パリの本店で9万円ほどだったと記憶しています。パリでは間接税の還付も受けらるため、実質8万円弱でした。
ソウル髄一の繁華街である明洞は相変わらず凄い人通りで賑わっており、しばしば日本語を耳にしました。5年前にプラウムスターコーヒー(スターバックスコーヒーとよく似た緑の丸いマークが目印)を発見したホンモノ館はなくなっていました。ホンモノ館でまがい物をみつけ、個人的には結構ツボにはまっていたのですが残念です。
夕食は明洞聖堂の近くにあるイムンソルロンタンという行きつけの店でソルロンタンを食べました。これは牛肉の入った白い薄味のスープです。これにキムチを浸して味付けするとともに、キムチを煮沸消毒して食べるのが自分流です。夕食後、何か変わったネタはないかと街中を歩いていると、明洞を移動しながらプラカードを手に持って何やら叫んでいる人たちの行列が、キタ━━< `∀´>━━!!!!!
その一団は「さあ、リン、チョン、コイ。い~ろ~は~と~」(と聞こえました)と叫びながら、明洞聖堂の前へ移動。若い男女がメインで、一部貧相な中高年男性が混じっているという構成です。つまり一言で言えば、職に就くのが難しそうな人たち。彼らは明洞聖堂の前で座り込み、主導者と思しき人が北朝鮮アナウンサーの口調によく似た絶叫で何やら演説を始めました。時折、みなが「お~~!」と歓声を上げ、私の周りの人たちも一緒に声を出していました。「今、日本語で変なことを口走ったらきっと殺される」と思いました。何のデモかと思って聞いていたら主導者に続いて皆が「イミョンバク、ミニモニだ」(と聞こえました)と叫び始めました。きっと反大統領デモだったのでしょう。一つ笑ったのが、紙コップにロウソクをつきさしたものを持っている人が多い中、ペンライトの先に炎の形をしたキャップをつけてろうそくの代わりにしている人がいたことです。ロウソクデモ用のそんな便利アイテムを発明して、今後もデモを繰り返す気満々ですねw。中国と違い、イミョンバク政権がこのデモを強制排除することはないだろうと思っていましたが、デモ集団が暴徒化しかけたらいち早く逃げるために、退路だけは常に意識していました。
翌8日もホテルで朝食を摂り、チェックアウト後に地下鉄に乗って世界遺産・宗廟と南山韓屋村に行きました。韓国の切符自動販売機は行き先を選んでからお金を入れる方式ですので、先にお金を入れるとそのまま下から出てきてしまい切符を買えません。分からずに困っている日本人を見かけたことがあります。しかしここさえ乗り切れば、路線ごとに色分けされて各駅に番号まで振られた地下鉄を駆使してどこにでも行けます。宗廟は宮廷行事の行われた建物とのことですが、普段は広々として飾り気のないさっぱりした印象です。南山韓屋村は韓国の古い伝統家屋や文化を伝えるテーマパークですが、初めての方なら足を伸ばしても悪くはないでしょう。
その後、ソウル一の格式を誇る新羅ホテルでピアノの生演奏を聴きながらコーヒー飲み(11500ウォン)、ソルロンタンの店で昼食を摂ってから(6000ウォン)空港バスに乗り、仁川空港地下の安食堂でトッポッキを食べて(2000ウォン)帰って来ました(一般に空港は物価が高いのですが、地下には職員向けの安い食堂やコンビニがあったりします)。話は変わりますが、ロッテデパートの電化製品売り場だとサムスンやLGを結構見かけるのですが、空港のロッテ免税店ではソニー、カシオ、東芝など日本ブランドの商品ばかりでした。韓国人向けと海外の旅行客(主に日本人?)向けでは売れるブランドが違うということなのでしょう。しかし日本人なら日本の電化製品は近くの安売り店で買った方が安いのですけどね。ちなみに空港にあるインターネットコーナーのパソコンはソニーとアップルでした。
以前も書きましたが、知人が職場旅行で韓国に行き、「日韓友好」と言って近寄ってきた韓国人の集団と一緒に飲みに行き、そこで恐喝されてカード利用枠含むかなりの被害にあったそうです。私なら見知らぬ韓国人に「日韓友好」なんて言われた時点で、危険アンテナがバリ3になっていたところです。こんな国ではありますが、個人旅行の経験値を稼ぐ上ではそれなりの利用価値がある渡航先です。衛生面、治安面、国民感情などすべての面で軽い緊張感が漂うものの、赤信号で止まったら後ろから射殺されるコロンビアや、時々地下鉄が無差別テロにあい、スキンヘッドのネオナチが金属バットを片手に「ヒャッハー。汚物は消毒だ!」と叫びながら黄色人種狩りをしているモスクワ、そして「100メートル歩く間に強盗にあう確率は150%。絶対に強盗にあい、その後2回目に襲われる確率が50%」と言われるヨハネスルブルクのような絶望感は漂いませんし、何を食べても下痢になり、周りの人から言いがかりのような理由でチップを要求されるインドほどの緊張感も強いられません。ただ、韓国人の日本人に対する複雑な感情を考慮し、「日本人だとばれたら負けかなと思ってる」をキーワードに行動したほうが無難でしょう。
なお北朝鮮に興味のある方は瀋陽旅行記(http://ryokodo.blog.so-net.ne.jp/2010-01-12)も併せてご覧ください。北朝鮮が出資する七宝山ホテルに宿泊し、朝鮮中央放送を見てきました。
2011年夏の家族旅行プラン(スイス周遊) [旅行総論]
今年夏の北欧旅行で貯めたマイルで、家族3人ともユナイテッドの口座に4万マイル貯まりました。そのため当初は来年夏の家族旅行としてファーストクラスでシンガポールに飛ぶことを計画していました。しかしユナイテッドの成田発シンガポール行きファーストクラス・セーバー特典の設定が1便で2席しかないことが分かり、3人揃ってファーストクラスの計画は潰えてしまいました。ビジネスクラスで行く手もあったのですが、妻がスイスに行きたいと言い出したこともあり、来年は家族でスイスに行こうということになりました。この週末に作った(と言っても実質は数時間ですが)旅行プランをせっかくなのでアップしておきます。
(今回の内容は総論と言うより旅行プランです)
今年の北欧旅行で気づいたのですが、タイ航空(TG)の欧州路線ではエコノミーでもシートピッチ(シートの前後幅)が広く、かなりシートを倒せるため、来年もタイ航空を利用することにしました。タイ航空のホームページでは、マイルが貯まるサブクラスQの航空券をオープンジョー(航空券の往路目的地と復路出発地が違うこと)で買うことは困難でしたが、本日ふとしたことから楽天トラベルで容易に購入できそうだということに気づきました。そこで来年はミラノに行き、チューリッヒから帰ってくることにします。来年も現地での滞在日数を増やすため、名古屋ではなく関空発着です。出発は金曜日で8日間の予定です。
1日目 TG623便 関空1145 バンコク1535
2日目 TG940便 バンコク0040 ミラノ0735。着後、ミラノ市内観光。
ドゥオモ、スフィルチェスコ城、ヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガレリア、スカラ座など。「最後の晩餐」のあるサンタマリア・デッレ・グラツィエ教会はやや郊外にあり、予約制とのことなので断念するかも。
IC328 ミラノ1510 ブリーク1724。ブリーク泊。
3日目 IC815 ブリーク0759 ベルン0937。世界遺産ベルンの旧市街観光。ベルン泊。
4日目 957 ベルン0726 インターラーケン・オスト0820。
インターラーケン・オスト0835 クライネ・シャイデック0945。
クライネ・シャイデック1002 ユングフラウヨッホ1053。
標高3454メートルのトップ・オブ・ヨーロッパで自由時間。
ユングフラウヨッホ1300 クライネ・シャイデック1349。
クライネ・シャイデック1432 インターラーケン・オスト1555
IC884 インターラーケン・オスト1659 ベルン1837。ベルン泊。
5日目 IC708 ベルン0747 ジュネーブ0930。国際都市ジュネーブ市内観光。
IC729 ジュネーブ1430 ベルン1613。ホテルで荷物をピックアップ。
IC733 ベルン1717 チューリッヒ1826。チューリッヒ泊。
(山の天候を考慮し、4日目と5日目の行程を入れ替える可能性あり)
6日目 IR509 チューリッヒ0810 ザンクトガレン0916。世界遺産の修道院見学。
IC711 ザンクトガレン1104 ブックス1201。
バスでリヒテンシュタインの首都ファドゥーツへ。市内観光後、バスでサルガンスへ。
IR788 サルガンス1640 チューリッヒ1750。チューリッヒ泊。
7日目 チューリッヒ市内観光。
TG949便 チューリッヒ1330 バンコク0530+1
8日目 TG672便 バンコク1100 関空1830
ミラノからスイス国内のブリークまでは普通に切符を買い、ブリークらかは4日間連続のスイスパスを買います。ただし、ユングフラウ鉄道だけはスイスパス所持者でも半額切符を買う必要がありそうです。
古いトーマスクックの時刻表や今年のフライトスケジュールを参考に即席で作ったため、まだまだ細部を煮詰める必要はあります。
ジュネーブとミラノを諦めて代わりにスイス東部の世界遺産を回るプランも考慮していますが、そうなるとチューリッヒから入ってチューリッヒから出ることになります。オープンジョーだと片道の移動で済むため、より多くのところを見て回れますし、妻と子供はイタリアに行ったことがないため、現行プランも捨てがたいところです。
(今回の内容は総論と言うより旅行プランです)
今年の北欧旅行で気づいたのですが、タイ航空(TG)の欧州路線ではエコノミーでもシートピッチ(シートの前後幅)が広く、かなりシートを倒せるため、来年もタイ航空を利用することにしました。タイ航空のホームページでは、マイルが貯まるサブクラスQの航空券をオープンジョー(航空券の往路目的地と復路出発地が違うこと)で買うことは困難でしたが、本日ふとしたことから楽天トラベルで容易に購入できそうだということに気づきました。そこで来年はミラノに行き、チューリッヒから帰ってくることにします。来年も現地での滞在日数を増やすため、名古屋ではなく関空発着です。出発は金曜日で8日間の予定です。
1日目 TG623便 関空1145 バンコク1535
2日目 TG940便 バンコク0040 ミラノ0735。着後、ミラノ市内観光。
ドゥオモ、スフィルチェスコ城、ヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガレリア、スカラ座など。「最後の晩餐」のあるサンタマリア・デッレ・グラツィエ教会はやや郊外にあり、予約制とのことなので断念するかも。
IC328 ミラノ1510 ブリーク1724。ブリーク泊。
3日目 IC815 ブリーク0759 ベルン0937。世界遺産ベルンの旧市街観光。ベルン泊。
4日目 957 ベルン0726 インターラーケン・オスト0820。
インターラーケン・オスト0835 クライネ・シャイデック0945。
クライネ・シャイデック1002 ユングフラウヨッホ1053。
標高3454メートルのトップ・オブ・ヨーロッパで自由時間。
ユングフラウヨッホ1300 クライネ・シャイデック1349。
クライネ・シャイデック1432 インターラーケン・オスト1555
IC884 インターラーケン・オスト1659 ベルン1837。ベルン泊。
5日目 IC708 ベルン0747 ジュネーブ0930。国際都市ジュネーブ市内観光。
IC729 ジュネーブ1430 ベルン1613。ホテルで荷物をピックアップ。
IC733 ベルン1717 チューリッヒ1826。チューリッヒ泊。
(山の天候を考慮し、4日目と5日目の行程を入れ替える可能性あり)
6日目 IR509 チューリッヒ0810 ザンクトガレン0916。世界遺産の修道院見学。
IC711 ザンクトガレン1104 ブックス1201。
バスでリヒテンシュタインの首都ファドゥーツへ。市内観光後、バスでサルガンスへ。
IR788 サルガンス1640 チューリッヒ1750。チューリッヒ泊。
7日目 チューリッヒ市内観光。
TG949便 チューリッヒ1330 バンコク0530+1
8日目 TG672便 バンコク1100 関空1830
ミラノからスイス国内のブリークまでは普通に切符を買い、ブリークらかは4日間連続のスイスパスを買います。ただし、ユングフラウ鉄道だけはスイスパス所持者でも半額切符を買う必要がありそうです。
古いトーマスクックの時刻表や今年のフライトスケジュールを参考に即席で作ったため、まだまだ細部を煮詰める必要はあります。
ジュネーブとミラノを諦めて代わりにスイス東部の世界遺産を回るプランも考慮していますが、そうなるとチューリッヒから入ってチューリッヒから出ることになります。オープンジョーだと片道の移動で済むため、より多くのところを見て回れますし、妻と子供はイタリアに行ったことがないため、現行プランも捨てがたいところです。
北欧旅行記(10年7月) [海外旅行記]
7月末にバンコクを経由して、ストックホルム、ヘルシンキ、コペンハーゲン周遊家族旅行に出かけました。今回の旅行プランについては予め、夏の家族旅行(http://ryokodo.blog.so-net.ne.jp/2010-03-13)をご覧ください。
タイ航空のホームページで購入した関空発バンコク経由ストックホルム行き航空券は夫婦と6歳児(3人総額、サーチャージ&空港税込み、以下同じ)で368860円、スカンジナビア航空のホームページで購入したストックホルム発ヘルシンキ行き航空券は24360円、ヘルシンキからコペンハーゲンまでは26210円、コペンハーゲンからストックホルムまでは22320円でした。
ホテルはオクトパストラベルでデュシタニ(バンコク)素泊まり2泊を12700円(3人総額、以下同じ)で、ソコスヘルシンキ朝食付き1泊を10800円で、ファーストベスターブロ(コペンハーゲン)朝食付き2泊を24200円で、booking.comでラディソンBLUロイヤルバイキング(ストックホルム)朝食付きを1泊目は1420クローナ、2泊目は1520クローナで予約しました。このうちラディソンBLUロイヤルバンキングは5つ星、他は4つ星ホテルです。
クレジットカードの為替レートは1ユーロ=116円、1スウェーデンクローナ=12.2円、1デンマーククローネ=15.6円でした。1タイバーツは2.8円程度です。
北欧3都市ではそれぞれストックホルムカード、ヘルシンキカード、コペンハーゲンカードを購入することにしました。これらはそれぞれの都市で決められた時間の間、公共交通機関、博物館、ツアーなどほぼすべてが無料または割引になるというものです。これらを買うことにした理由は、十分に元が取れると考えたこと、毎回切符や入場券を買う行列に並ばなくてすむこと、欧州では誤乗したときに検札に見つかると多大な罰金を取られるのですがその心配がないこと、の3つです。ヘルシンキカードは前もってホームページ(http://www.helsinkicard.fi/)で購入しておくと34ユーロが32ユーロになるため、前もって購入し、引き換え券をプリントアウトして持っていくことにしました。
今回は24日夜に自家用車でりんくうタウンに向かい、近隣の民間駐車場に車を預けてから関空に向かいました。バンコクでの着替えを小さなボストンバックに入れて機内に持ち込み、一番大きなスーツケースはストックホルムまで通しで預けました。夜0時過ぎに関空を飛び立ち、バンコクのスワンナプーム国際空港には現地時間の朝4時前に到着しました。入国審査と両替を済ませ、1階のタクシー乗り場でタクシーに乗ってホテルに向かいました。メーター料金241バーツ(以下B)の他に、空港から乗車する際の追加料金50B(タクシー乗り場に明記されています)、高速道路代70Bが必要でした。
デュシタニはタイの王室ともゆかりの深い伝統ある高級ホテルですが、2ヶ月前まですぐ隣のルンピニー公園で赤シャツ派のデモが行われていたためでしょうか? これまでより明らかに安い料金で叩き売り状態になっていました。あの衝突では4000億円の経済的損失が出たとされ、タイの経済力を考えると当面は再びデモを引き起こす体力はないだろうと考え、安全でお得なホテルとの認識で1ヶ月前に他のホテルから乗り換えました。
部屋に着いたときには朝5時過ぎでしたが、翌日は北欧に向かうため時差を考えると遅寝遅起きに体を慣らしておく必要があります。深夜のフライトで疲れがたまっていたこともあり、そこからさらに一眠りして11時に起床しました。昼食はホテルからタクシー(83B)にのってブサラカムというレストランに行きました。ここは私のお気に入りの店のひとつですが、前年9月のバンコク旅行では行き損ねていました。今回はリベンジということで正統派タイ料理のビュッフェ(大人275B、6歳児143B)を食べましたが、雰囲気は以前の場所の方が良かったように思います。
昼食後は再びタクシー(71B)に乗ってスカイトレインのチットロム駅へ。駅近くのマクドナルドで、ワイ(合掌)をするドナルドの写真を撮ってから店内に入り、コーヒー(25B)とソフトクリーム(9B)を頼みました。かつて「タイのマクドナルドのコーヒーは世界一まずい」と言われていましたが、標準レベルになったように思います。そこから徒歩で伊勢丹に向かいましたが、途中ショッピングセンターの一角が先の暴動で焼け落ちており、覆いをした上で復旧の工事が行われていました。
伊勢丹でのショッピング後、スカイトレインに乗って(大人20B)ホテルに戻ってきました。私と長男はホテルのプールに泳ぎに行きました。昼につい食べ過ぎたため、夕食はホテル近くのファストフードで済ませました。夜10時前にホテルから空港に向けてタクシーで出発しましたが、この時は231Bのメータ料金と高速料金のみの支払いで可でした。空港ではトランジット時に入国したため、一人当たり700バーツ、合計2100バーツの空港税を徴収されました。
タイ航空で深夜にバンコクを発ち、26日朝ストックホルムに到着しました。空港ターミナル5の到着ゲート近くにあるインフォメーションセンターでストックホルムカード(大人395クローナ、以下SEK)を2枚購入しました。6歳の長男は無料でした。
空港のバス乗り場(ターミナル5の15番バス乗り場)から583番線Marsta行きのバスに18分乗り、そこから6分の乗り継ぎ時間でStockholm C(中央駅)行きの鉄道に乗り換え36分乗車すれば、ストックホルムカードを使って無料で市内まで行けます。この時刻表についてはhttp://sl.se/ で調べられます(左上の翻訳機能を使いながら、From Arlanda Via Marsta (Sigtuna) To Stockholm C と入力して日時を指定してください)。
中央駅隣にあるホテルで荷物を預けてから地下鉄でBrommaplanに向かい、そこからバスに乗り換えて世界遺産ドロットニングホルム宮殿へ。中央駅からの所要時間は30分です。ここで朝10時の衛兵交代式を見た後、宮殿に入場しました。ここは豪華ですが全体に品のいい内装をしており、窓の外にはフランスのベルサイユ宮殿を模したと思われる庭園が広がっていました。
それからバスと地下鉄を乗り継ぎ、ガムラスタンへ。駅近くのカフェでランチセット(一人85SEK)を食べ、ドイツ教会を見てから王宮に向かうと、そこでは衛兵による鼓笛隊パレードが行われていました。一糸乱れぬ大変美しい動きで、30分ほどに渡ってさまざまな曲を演奏しながら行進していました。
午後1時にパレードが終わると観光客が王宮入り口に殺到したため、私たちは先に大聖堂を見ることにしました。荘厳な聖堂内部には馬に跨った騎士が龍と戦う見事な彫像がありました。それから王宮に入りましたが、こちらも非常に壮麗ながらも上品な内装であり、晩餐会を開く華美な部屋はベルサイユ宮殿にある鏡の間を思い出させるものでした。
この頃にはみな疲労が蓄積していたので、ノーベル博物館に行き、そこのカフェでノーベル賞授与式でも振舞われるというアイス(65SEK)を食べました。赤と白(ラズベリーとバニラ?)のアイスの上に小さな果実と銀紙でコーティングしてメダル様にしたチョコレートが乗っていました。カフェにある椅子の裏には、ノーベル賞受賞者たちのサインが書かれていました。
その後リッダーホルム教会に立ち寄り、ホテルに帰ってきました。ここのホテルの地下には屋内プールがあったため子供と一緒に泳ぎにいきましたが、氷のツララの飾り物が天井からぶら下がる見た目にも寒そうなプールで、実際に水温も低いため長い時間は入っていられませんでした。私にとってはもっとも高緯度の場所で泳いだ記録になったので、良かったのですが。
夕食は近くのコンビニで買ってきたものを部屋で食べて済ませ、妻と子供は疲労でダウンしていたため、私だけ中央駅近くの埠頭から出る50分間のボートツアー(夕方6時半発)に参加しました。ヘッドホンで聞くアナウンスには日本語のチャンネルもあり、ストックホルムの歴史背景なども知ることができました。今回はストックホルムカード(395SEK)1枚で、空港往復、ドロットニングホルム往復、ドロットニングホルム宮殿入場(70SEK)、大聖堂(30SEK)、王宮(100SEK)、ノーベル博物館(60SEK)、リッダーホルム教会(30SEK)、ボートツアー(140SEK)がすべて無料になったため、大変お得だと思いました。おそらく空港とドロットニングホルムの往復だけでも200SEK前後だと思います。
翌日27日は朝5時半前にホテルを発ち、近くのカフェでサンドウィッチやマフィンを買って食べ、5時50分に中央駅を出る電車に乗って前日と逆ルートで1時間かけて空港に向かいました(ホテルでは朝食がついていたのですが、6時30分オープンとのことで断念しました。前もって breakfast boxを頼んでおくべきでした)。9時10分にストックホルムを発ち、11時10分にヘルシンキ着。時差があるので実際のフライト時間は1時間です。これは格安フライトのため、水とコーヒー、紅茶以外の飲食は有料でしたが、預け入れ荷物は無料でした。
空港から20分に1本の頻度で出発し、所要時間30分のフィンエアーバス(大人一人5.9ユーロ、以下E)に乗ってヘルシンキ中央駅に向かいました。そこから徒歩でホテルに向かい、荷物を預けた後、隣のカフェでランチを食べました(3人で25E)。昼食後は通りに面した賑やかなエスプラナーディ公園を散策してからウスペンスキー大聖堂に行きましたが、これは赤レンガ造りでロシア正教の教会とのことです。正面に描かれたキリストと12使途の絵が圧巻でした。その後エスプラナーディ公園そばのインフォメーションでバウチャーをヘルシンキカードと引き換え、その場で午後3時からのオーディオガイドツアーを申し込みました。大人はヘルシンキカード提示で25Eのツアー料金が無料になりますが、カードを持っていない6歳の長男は11ユーロ請求されました。ツアー出発まで少し時間があったので、海に近いマーケット市場でイチゴとラズベリー(合計7E)を買い、道端に座って海を眺めながら3人で食べました。どちらも大変甘く美味でした。
午後3時にエスプラナーディ公園からツアーバスに乗り込み、ヘッドホンで日本語の音声ガイドを選びました。これは1時間半ほどの短い時間でヘルシンキ市内の主な観光地をめぐり、このうちテンペリアウキオ教会とシベリウス公園では5分ほど下車観光できるというものです。岩をくりぬいて作ったテンペリアウキオ教会は音響効果にも優れ、外部の光も程よく差し込む大変美しい場所でした。
ツアーを終えた私たちは午後4時半に元老院広場の近くでバスを降り、その足でヘルシンキ大聖堂を見学しました。元老院広場を見下ろす丘の上に立つ大聖堂は白亜の美しい建物であり、内部はシンプルながら正面の宗教画を中心にさっぱりとまとまっていました。それからヘルシンキ駅前にあるアテネウム美術館に行き、ヘルシンキ人画家たちやゴッホ、ゴーギャンの作品を鑑賞しました(カード提示で7Eの入館料が無料)。
夕食は美術館の裏手にある、ケバブ料理を扱うカフェで2品(16E)を3人でシェアしました。
28日、朝6時半過ぎに起きて7時過ぎに朝食会場へ。スクランブルエッグ、ハム、ニシンの塩焼きな、種類も多く、腹いっぱい食べました。この日は大変良い天気だったので日焼け止めを塗りました。
その後ホテルをチェックアウトしてスーツケースを預け、徒歩でマーケット広場に行きました。この近くから世界遺産スオメンリンナ島へのフェリーが出ているのです(往復3.8Eがカード提示で無料)。朝9時にマーケット広場を出発し、9時15分ごろスオメンリンナ到着。ここは昔の要塞都市であり、防空壕のような洞窟や大砲も残っていますが、自然も多くある大変美しい島です。スオメンリンナ博物館(5E)、エーレンスヴァールド博物館(3E)、騎馬隊博物館(3E)もすべてカード提示で無料になりました。
正午にスオメンリンナを出発するフェリーに乗り、マーケット広場に到着してからそこの屋台でサーモンパエリア(6E)とニシンの塩焼きポテト添え(7E)を注文し、3人でシェアしました。ビール(3E)も2本注文しました。北欧の短い夏の晴れた日、潮風をあびながら屋台のテントで食べるシーフード料理とビールで大変幸せな気分になれました。余談ですが、潮風と開放的な空気はビールを旨くしてくれるのかもしれません。私がこれまで一番旨いと思ったビールは、晴れた夏の日に潮風に吹かれつつ、モンサンミッシェルを見上げながら飲んだビールです。
昼食後はマーケット広場にあるお土産屋でムーミングッズを買い(ムーミンとサンタクロースはフィンランド発祥です)、ホテルで荷物を引き取り、ヘルシンキ中央駅の内部を通って駅西にあるフィンエアーバス乗り場に向かいました。13時半のバスに乗り、14時に空港到着。空港への復路はヘルシンキカードを提示したため、3.8Eになりました。24時間有効のカードを買ったため、往路ではヘルシンキカードの利用を開始せず正規料金を払いました。16時にヘルシンキを発ち、16時40分にコペンハーゲン着。時差があるので実際のフライト時間は1時間40分でした。
空港でコペンハーゲンカード(72時間券大人一人459クローネ、以下DKK)を2枚購入しました。電車で空港からコペンハーゲン中央駅に向かい、駅前のセブンイレブンとカフェで食糧を買い込んだ後、徒歩でホテルに向かい、チェックインしました。夕食は部屋ですませました。
29日、朝6時半からホテルで朝食を摂りました。デンマークは消費税が25%あることもあり、総じて物価は高いのですが、食事は何を食べても美味いと思います。
コペンハーゲンでの観光には2日間割いているため、この日はまず郊外の観光地を廻ることにしました。世界遺産ロスキレ大聖堂、ハムレットの舞台となった世界遺産クロンボー城、そしてとある旅行誌で北欧一美しいと書かれていたフレデリクスボー城の3箇所です。朝8時過ぎにホテルを出発し、8時28分の電車に乗ってロスキレへと向かいました(どの電車に乗ればよいのかは駅中央のインフォメーションで教えてくれます)。デンマークの列車は、シートが上質で乗車率が低いため、快適な車内で美しい車窓の眺めを楽しみながらのんびり過ごすことができます。20分でロスキレにつき、そこからゆっくりと歩いて15分ほどでロスキレ大聖堂に着きました。これぞ世界遺産というべき非常に壮麗な教会で、内部には美しい彫像を施された無数の棺が至る所に安置されていました。
大聖堂を後にした私たちは再びロスキレ駅に戻り、コペンハーゲン駅で乗り換えてヘルシンオア駅へ。コペンハーゲンからヘルシンオアまでは電車で50分ほどでした。
ヘルシンオアの駅舎を出るとすぐに海の向こう側にクロンボー城が見えてきますが、湾を迂回するため徒歩で20分ほどかかります。ここはコペンハーゲンカードが使えないため、大人65DKK、6歳児25DKKのチケットを購入しました。この城の地下部分には貯蔵庫として使われていたと思われる人工の洞窟が連なっており、暗い中を石壁に伝って進んでいると、トルコのカッバドキア近くにあるカイマクルの地下都市を思い出しました。一方の地上階では、白い壁と天井をベースにしたシンプルな空間に数々の素晴らしい美術品が飾られていました。
クロンボー城の見学後は再び徒歩でヘルシンオア駅に向かい、駅前で昼食を済ませた後、ローカル電車に乗って次の目的地であるヒレロズに向かいました。しかしこれは30分に1本しか電車がなく、乗車時間が70分以上あったため、かなりの時間ロスとなりました。当初は30分ほどで到着すると思っていたため、いつまでたっても着かずストレスでしたが、70分という時間を覚悟して乗れば、広大な森林や牧草地を通り抜けていく大変素晴らしい鉄道の旅を楽しめます。
ヒレロズの駅前から701番のバスに乗り(701番バスは駅発着でないため、乗車する方向を間違えないでください)、3つ目の停留所で目の前に美しい城が見えてきたため降車。この城の後ろには湖があり、その向こうには美しく手入れされた庭園があります。この庭園から写真を撮ると、庭園と湖の向こうに佇む城の美しい姿をフレームに納めることができます。内部も非常に壮麗で見ごたえのあるものでした。
そこから再び701番のバスに乗り、ヒレロズの駅に戻ってきました。地球の歩き方では、ヒレロズ駅からコペンハーゲン中央駅まで直行電車で50分と書かれていますが、私のときはなぜかその列車がなかったらしく、701番のバス停とは駅の反対側にあるTogbus乗り場からFarum駅行きのバスに乗るように言われました(こちらの人はみな親切ですし、英語も通じるので大変助かります)。このバスも30分ほどかかり、それから電車に乗りかえて50分ほどでようやくコペンハーゲン中央駅に戻ってきたときは午後6時半を廻っていました。夕食は駅前のセブンイレブンで買い込んで、部屋食で済ませました。
30日はコペンハーゲン市内観光の日ですが、あいにく雨でした。当初徒歩で市内を歩き回るコースを考えていたのですが、急遽予定を変更することにしました。中央駅からNorreport駅まで電車で向かい、そこでローゼンボー離宮を見学しました。ここには王室にゆかりのある数々の美術品が収蔵されており、建物の前では衛兵が雨にぬれながら直立不動で立っていました。その後、中央駅まで電車で戻り、駅の隣にあるチボリ公園に入りました。倉敷のチボリ公園はここをモデルにしたと言われていますが、どの部分を真似たのかよく分からないほど別物でした。それなりにアトラクションはありますが、日本のテーマパークや遊園地を見慣れた目には少し物足りなく思えるかもしれません。昼食はここのカフェで、ヴィーナーシュニッツェルを食べました。
その後、隣にあるニュー・カールスベア美術館に入りました。ここはエジプト、ギリシャ、ローマ、メソポタミアなど古代文明の美術品からマネ、ゴッホ、ゴーギャン、セザンヌなど近代画家の作品まで幅広く収蔵されており、大変見ごたえのあるものでした。美術館の中央には温室があり、南方の植物が生い茂っていました。
その後ホテルに戻って預けてあったスーツケースをひきとり、その足で空港に向かいました。今回はコペンハーゲンカードの提示で、ロスキレ大聖堂(30DKK)、フレデリクスボー城(60DKK)、ローゼンボー離宮(70DDK)、チボリ公園(85DKK)、ニュー・カールスエベア美術館(50DKK)はすべて無料になりましたし、電車やバスで長距離移動したことを考えると(おそらく300DKK以上でしょう)、十分元は取れたと思います。
17時半にコペンハーゲンを発ち、18時40分にストックホルム着。今回は特に観光地に立ち寄る予定がないため、空港のインフォメーションで24時間のトラベルカード(電車、バス乗り放題券。100SEK)を購入しました。これで空港と中央駅の往復をすることができます。空港内のセブンイレブン系のカフェで夕食を済ませ、19時40分にMarsta行きのバスに乗り、ストックホルム中央駅に着いたのは20時40分でした。
31日は朝8時前に起床し、ホテルで朝食を摂りました。ニシンの塩辛のような料理がありましたが、残念ながら(当然ながら?)シュールストレミングはありませんでした。これは世界一臭いと言われるスウェーデン製のニシンの缶詰ですが、そのあまりの破壊力のため飛行機への持込みが禁じられ、「絶対に屋内では開けないで下さい」「化学兵器と間違われないように人気のない場所で開けてください」と注意書きが添えられているそうです。
朝食後、子供がホテルのプールに行きたがったため、少しだけ泳いでから市内観光に出かけました。中央駅から徒歩でセイゲル広場を経由してヒョートリエットへ。ここには青果市場があり、パックに山盛り入ったラズベリーが20SEKと大変安く売られていました。その後、途中のデパートに立ち寄ってからホテルに戻り、チェックアウトして中央駅から空港に向かいました。
14時半にストックホルムを発ち、翌日(8月1日)朝バンコク着。この時は空港税を節約するために空港内で時間をつぶしましたが、北欧の高い物価に慣れた身には、タイでは高いはずの空港価格が安く思えました。11時にバンコクを発ち、18時半に関空着。りんくうタウンの駐車場に預けてあった車で名古屋の自宅に帰って来たときには夜11時前でした。
ここでこれから北欧に行くという方に一言アドバイスです。北欧ではほぼすべての場所でVISAカードが使えます。これ1枚で現地通貨がなくてもまず困らないので、両替はしないか最小限に留めておいた方がお得です。ただしサインではなく4桁の暗証番号を求められるため、それだけは確認しておいてください。
タイ航空のホームページで購入した関空発バンコク経由ストックホルム行き航空券は夫婦と6歳児(3人総額、サーチャージ&空港税込み、以下同じ)で368860円、スカンジナビア航空のホームページで購入したストックホルム発ヘルシンキ行き航空券は24360円、ヘルシンキからコペンハーゲンまでは26210円、コペンハーゲンからストックホルムまでは22320円でした。
ホテルはオクトパストラベルでデュシタニ(バンコク)素泊まり2泊を12700円(3人総額、以下同じ)で、ソコスヘルシンキ朝食付き1泊を10800円で、ファーストベスターブロ(コペンハーゲン)朝食付き2泊を24200円で、booking.comでラディソンBLUロイヤルバイキング(ストックホルム)朝食付きを1泊目は1420クローナ、2泊目は1520クローナで予約しました。このうちラディソンBLUロイヤルバンキングは5つ星、他は4つ星ホテルです。
クレジットカードの為替レートは1ユーロ=116円、1スウェーデンクローナ=12.2円、1デンマーククローネ=15.6円でした。1タイバーツは2.8円程度です。
北欧3都市ではそれぞれストックホルムカード、ヘルシンキカード、コペンハーゲンカードを購入することにしました。これらはそれぞれの都市で決められた時間の間、公共交通機関、博物館、ツアーなどほぼすべてが無料または割引になるというものです。これらを買うことにした理由は、十分に元が取れると考えたこと、毎回切符や入場券を買う行列に並ばなくてすむこと、欧州では誤乗したときに検札に見つかると多大な罰金を取られるのですがその心配がないこと、の3つです。ヘルシンキカードは前もってホームページ(http://www.helsinkicard.fi/)で購入しておくと34ユーロが32ユーロになるため、前もって購入し、引き換え券をプリントアウトして持っていくことにしました。
今回は24日夜に自家用車でりんくうタウンに向かい、近隣の民間駐車場に車を預けてから関空に向かいました。バンコクでの着替えを小さなボストンバックに入れて機内に持ち込み、一番大きなスーツケースはストックホルムまで通しで預けました。夜0時過ぎに関空を飛び立ち、バンコクのスワンナプーム国際空港には現地時間の朝4時前に到着しました。入国審査と両替を済ませ、1階のタクシー乗り場でタクシーに乗ってホテルに向かいました。メーター料金241バーツ(以下B)の他に、空港から乗車する際の追加料金50B(タクシー乗り場に明記されています)、高速道路代70Bが必要でした。
デュシタニはタイの王室ともゆかりの深い伝統ある高級ホテルですが、2ヶ月前まですぐ隣のルンピニー公園で赤シャツ派のデモが行われていたためでしょうか? これまでより明らかに安い料金で叩き売り状態になっていました。あの衝突では4000億円の経済的損失が出たとされ、タイの経済力を考えると当面は再びデモを引き起こす体力はないだろうと考え、安全でお得なホテルとの認識で1ヶ月前に他のホテルから乗り換えました。
部屋に着いたときには朝5時過ぎでしたが、翌日は北欧に向かうため時差を考えると遅寝遅起きに体を慣らしておく必要があります。深夜のフライトで疲れがたまっていたこともあり、そこからさらに一眠りして11時に起床しました。昼食はホテルからタクシー(83B)にのってブサラカムというレストランに行きました。ここは私のお気に入りの店のひとつですが、前年9月のバンコク旅行では行き損ねていました。今回はリベンジということで正統派タイ料理のビュッフェ(大人275B、6歳児143B)を食べましたが、雰囲気は以前の場所の方が良かったように思います。
昼食後は再びタクシー(71B)に乗ってスカイトレインのチットロム駅へ。駅近くのマクドナルドで、ワイ(合掌)をするドナルドの写真を撮ってから店内に入り、コーヒー(25B)とソフトクリーム(9B)を頼みました。かつて「タイのマクドナルドのコーヒーは世界一まずい」と言われていましたが、標準レベルになったように思います。そこから徒歩で伊勢丹に向かいましたが、途中ショッピングセンターの一角が先の暴動で焼け落ちており、覆いをした上で復旧の工事が行われていました。
伊勢丹でのショッピング後、スカイトレインに乗って(大人20B)ホテルに戻ってきました。私と長男はホテルのプールに泳ぎに行きました。昼につい食べ過ぎたため、夕食はホテル近くのファストフードで済ませました。夜10時前にホテルから空港に向けてタクシーで出発しましたが、この時は231Bのメータ料金と高速料金のみの支払いで可でした。空港ではトランジット時に入国したため、一人当たり700バーツ、合計2100バーツの空港税を徴収されました。
タイ航空で深夜にバンコクを発ち、26日朝ストックホルムに到着しました。空港ターミナル5の到着ゲート近くにあるインフォメーションセンターでストックホルムカード(大人395クローナ、以下SEK)を2枚購入しました。6歳の長男は無料でした。
空港のバス乗り場(ターミナル5の15番バス乗り場)から583番線Marsta行きのバスに18分乗り、そこから6分の乗り継ぎ時間でStockholm C(中央駅)行きの鉄道に乗り換え36分乗車すれば、ストックホルムカードを使って無料で市内まで行けます。この時刻表についてはhttp://sl.se/ で調べられます(左上の翻訳機能を使いながら、From Arlanda Via Marsta (Sigtuna) To Stockholm C と入力して日時を指定してください)。
中央駅隣にあるホテルで荷物を預けてから地下鉄でBrommaplanに向かい、そこからバスに乗り換えて世界遺産ドロットニングホルム宮殿へ。中央駅からの所要時間は30分です。ここで朝10時の衛兵交代式を見た後、宮殿に入場しました。ここは豪華ですが全体に品のいい内装をしており、窓の外にはフランスのベルサイユ宮殿を模したと思われる庭園が広がっていました。
それからバスと地下鉄を乗り継ぎ、ガムラスタンへ。駅近くのカフェでランチセット(一人85SEK)を食べ、ドイツ教会を見てから王宮に向かうと、そこでは衛兵による鼓笛隊パレードが行われていました。一糸乱れぬ大変美しい動きで、30分ほどに渡ってさまざまな曲を演奏しながら行進していました。
午後1時にパレードが終わると観光客が王宮入り口に殺到したため、私たちは先に大聖堂を見ることにしました。荘厳な聖堂内部には馬に跨った騎士が龍と戦う見事な彫像がありました。それから王宮に入りましたが、こちらも非常に壮麗ながらも上品な内装であり、晩餐会を開く華美な部屋はベルサイユ宮殿にある鏡の間を思い出させるものでした。
この頃にはみな疲労が蓄積していたので、ノーベル博物館に行き、そこのカフェでノーベル賞授与式でも振舞われるというアイス(65SEK)を食べました。赤と白(ラズベリーとバニラ?)のアイスの上に小さな果実と銀紙でコーティングしてメダル様にしたチョコレートが乗っていました。カフェにある椅子の裏には、ノーベル賞受賞者たちのサインが書かれていました。
その後リッダーホルム教会に立ち寄り、ホテルに帰ってきました。ここのホテルの地下には屋内プールがあったため子供と一緒に泳ぎにいきましたが、氷のツララの飾り物が天井からぶら下がる見た目にも寒そうなプールで、実際に水温も低いため長い時間は入っていられませんでした。私にとってはもっとも高緯度の場所で泳いだ記録になったので、良かったのですが。
夕食は近くのコンビニで買ってきたものを部屋で食べて済ませ、妻と子供は疲労でダウンしていたため、私だけ中央駅近くの埠頭から出る50分間のボートツアー(夕方6時半発)に参加しました。ヘッドホンで聞くアナウンスには日本語のチャンネルもあり、ストックホルムの歴史背景なども知ることができました。今回はストックホルムカード(395SEK)1枚で、空港往復、ドロットニングホルム往復、ドロットニングホルム宮殿入場(70SEK)、大聖堂(30SEK)、王宮(100SEK)、ノーベル博物館(60SEK)、リッダーホルム教会(30SEK)、ボートツアー(140SEK)がすべて無料になったため、大変お得だと思いました。おそらく空港とドロットニングホルムの往復だけでも200SEK前後だと思います。
翌日27日は朝5時半前にホテルを発ち、近くのカフェでサンドウィッチやマフィンを買って食べ、5時50分に中央駅を出る電車に乗って前日と逆ルートで1時間かけて空港に向かいました(ホテルでは朝食がついていたのですが、6時30分オープンとのことで断念しました。前もって breakfast boxを頼んでおくべきでした)。9時10分にストックホルムを発ち、11時10分にヘルシンキ着。時差があるので実際のフライト時間は1時間です。これは格安フライトのため、水とコーヒー、紅茶以外の飲食は有料でしたが、預け入れ荷物は無料でした。
空港から20分に1本の頻度で出発し、所要時間30分のフィンエアーバス(大人一人5.9ユーロ、以下E)に乗ってヘルシンキ中央駅に向かいました。そこから徒歩でホテルに向かい、荷物を預けた後、隣のカフェでランチを食べました(3人で25E)。昼食後は通りに面した賑やかなエスプラナーディ公園を散策してからウスペンスキー大聖堂に行きましたが、これは赤レンガ造りでロシア正教の教会とのことです。正面に描かれたキリストと12使途の絵が圧巻でした。その後エスプラナーディ公園そばのインフォメーションでバウチャーをヘルシンキカードと引き換え、その場で午後3時からのオーディオガイドツアーを申し込みました。大人はヘルシンキカード提示で25Eのツアー料金が無料になりますが、カードを持っていない6歳の長男は11ユーロ請求されました。ツアー出発まで少し時間があったので、海に近いマーケット市場でイチゴとラズベリー(合計7E)を買い、道端に座って海を眺めながら3人で食べました。どちらも大変甘く美味でした。
午後3時にエスプラナーディ公園からツアーバスに乗り込み、ヘッドホンで日本語の音声ガイドを選びました。これは1時間半ほどの短い時間でヘルシンキ市内の主な観光地をめぐり、このうちテンペリアウキオ教会とシベリウス公園では5分ほど下車観光できるというものです。岩をくりぬいて作ったテンペリアウキオ教会は音響効果にも優れ、外部の光も程よく差し込む大変美しい場所でした。
ツアーを終えた私たちは午後4時半に元老院広場の近くでバスを降り、その足でヘルシンキ大聖堂を見学しました。元老院広場を見下ろす丘の上に立つ大聖堂は白亜の美しい建物であり、内部はシンプルながら正面の宗教画を中心にさっぱりとまとまっていました。それからヘルシンキ駅前にあるアテネウム美術館に行き、ヘルシンキ人画家たちやゴッホ、ゴーギャンの作品を鑑賞しました(カード提示で7Eの入館料が無料)。
夕食は美術館の裏手にある、ケバブ料理を扱うカフェで2品(16E)を3人でシェアしました。
28日、朝6時半過ぎに起きて7時過ぎに朝食会場へ。スクランブルエッグ、ハム、ニシンの塩焼きな、種類も多く、腹いっぱい食べました。この日は大変良い天気だったので日焼け止めを塗りました。
その後ホテルをチェックアウトしてスーツケースを預け、徒歩でマーケット広場に行きました。この近くから世界遺産スオメンリンナ島へのフェリーが出ているのです(往復3.8Eがカード提示で無料)。朝9時にマーケット広場を出発し、9時15分ごろスオメンリンナ到着。ここは昔の要塞都市であり、防空壕のような洞窟や大砲も残っていますが、自然も多くある大変美しい島です。スオメンリンナ博物館(5E)、エーレンスヴァールド博物館(3E)、騎馬隊博物館(3E)もすべてカード提示で無料になりました。
正午にスオメンリンナを出発するフェリーに乗り、マーケット広場に到着してからそこの屋台でサーモンパエリア(6E)とニシンの塩焼きポテト添え(7E)を注文し、3人でシェアしました。ビール(3E)も2本注文しました。北欧の短い夏の晴れた日、潮風をあびながら屋台のテントで食べるシーフード料理とビールで大変幸せな気分になれました。余談ですが、潮風と開放的な空気はビールを旨くしてくれるのかもしれません。私がこれまで一番旨いと思ったビールは、晴れた夏の日に潮風に吹かれつつ、モンサンミッシェルを見上げながら飲んだビールです。
昼食後はマーケット広場にあるお土産屋でムーミングッズを買い(ムーミンとサンタクロースはフィンランド発祥です)、ホテルで荷物を引き取り、ヘルシンキ中央駅の内部を通って駅西にあるフィンエアーバス乗り場に向かいました。13時半のバスに乗り、14時に空港到着。空港への復路はヘルシンキカードを提示したため、3.8Eになりました。24時間有効のカードを買ったため、往路ではヘルシンキカードの利用を開始せず正規料金を払いました。16時にヘルシンキを発ち、16時40分にコペンハーゲン着。時差があるので実際のフライト時間は1時間40分でした。
空港でコペンハーゲンカード(72時間券大人一人459クローネ、以下DKK)を2枚購入しました。電車で空港からコペンハーゲン中央駅に向かい、駅前のセブンイレブンとカフェで食糧を買い込んだ後、徒歩でホテルに向かい、チェックインしました。夕食は部屋ですませました。
29日、朝6時半からホテルで朝食を摂りました。デンマークは消費税が25%あることもあり、総じて物価は高いのですが、食事は何を食べても美味いと思います。
コペンハーゲンでの観光には2日間割いているため、この日はまず郊外の観光地を廻ることにしました。世界遺産ロスキレ大聖堂、ハムレットの舞台となった世界遺産クロンボー城、そしてとある旅行誌で北欧一美しいと書かれていたフレデリクスボー城の3箇所です。朝8時過ぎにホテルを出発し、8時28分の電車に乗ってロスキレへと向かいました(どの電車に乗ればよいのかは駅中央のインフォメーションで教えてくれます)。デンマークの列車は、シートが上質で乗車率が低いため、快適な車内で美しい車窓の眺めを楽しみながらのんびり過ごすことができます。20分でロスキレにつき、そこからゆっくりと歩いて15分ほどでロスキレ大聖堂に着きました。これぞ世界遺産というべき非常に壮麗な教会で、内部には美しい彫像を施された無数の棺が至る所に安置されていました。
大聖堂を後にした私たちは再びロスキレ駅に戻り、コペンハーゲン駅で乗り換えてヘルシンオア駅へ。コペンハーゲンからヘルシンオアまでは電車で50分ほどでした。
ヘルシンオアの駅舎を出るとすぐに海の向こう側にクロンボー城が見えてきますが、湾を迂回するため徒歩で20分ほどかかります。ここはコペンハーゲンカードが使えないため、大人65DKK、6歳児25DKKのチケットを購入しました。この城の地下部分には貯蔵庫として使われていたと思われる人工の洞窟が連なっており、暗い中を石壁に伝って進んでいると、トルコのカッバドキア近くにあるカイマクルの地下都市を思い出しました。一方の地上階では、白い壁と天井をベースにしたシンプルな空間に数々の素晴らしい美術品が飾られていました。
クロンボー城の見学後は再び徒歩でヘルシンオア駅に向かい、駅前で昼食を済ませた後、ローカル電車に乗って次の目的地であるヒレロズに向かいました。しかしこれは30分に1本しか電車がなく、乗車時間が70分以上あったため、かなりの時間ロスとなりました。当初は30分ほどで到着すると思っていたため、いつまでたっても着かずストレスでしたが、70分という時間を覚悟して乗れば、広大な森林や牧草地を通り抜けていく大変素晴らしい鉄道の旅を楽しめます。
ヒレロズの駅前から701番のバスに乗り(701番バスは駅発着でないため、乗車する方向を間違えないでください)、3つ目の停留所で目の前に美しい城が見えてきたため降車。この城の後ろには湖があり、その向こうには美しく手入れされた庭園があります。この庭園から写真を撮ると、庭園と湖の向こうに佇む城の美しい姿をフレームに納めることができます。内部も非常に壮麗で見ごたえのあるものでした。
そこから再び701番のバスに乗り、ヒレロズの駅に戻ってきました。地球の歩き方では、ヒレロズ駅からコペンハーゲン中央駅まで直行電車で50分と書かれていますが、私のときはなぜかその列車がなかったらしく、701番のバス停とは駅の反対側にあるTogbus乗り場からFarum駅行きのバスに乗るように言われました(こちらの人はみな親切ですし、英語も通じるので大変助かります)。このバスも30分ほどかかり、それから電車に乗りかえて50分ほどでようやくコペンハーゲン中央駅に戻ってきたときは午後6時半を廻っていました。夕食は駅前のセブンイレブンで買い込んで、部屋食で済ませました。
30日はコペンハーゲン市内観光の日ですが、あいにく雨でした。当初徒歩で市内を歩き回るコースを考えていたのですが、急遽予定を変更することにしました。中央駅からNorreport駅まで電車で向かい、そこでローゼンボー離宮を見学しました。ここには王室にゆかりのある数々の美術品が収蔵されており、建物の前では衛兵が雨にぬれながら直立不動で立っていました。その後、中央駅まで電車で戻り、駅の隣にあるチボリ公園に入りました。倉敷のチボリ公園はここをモデルにしたと言われていますが、どの部分を真似たのかよく分からないほど別物でした。それなりにアトラクションはありますが、日本のテーマパークや遊園地を見慣れた目には少し物足りなく思えるかもしれません。昼食はここのカフェで、ヴィーナーシュニッツェルを食べました。
その後、隣にあるニュー・カールスベア美術館に入りました。ここはエジプト、ギリシャ、ローマ、メソポタミアなど古代文明の美術品からマネ、ゴッホ、ゴーギャン、セザンヌなど近代画家の作品まで幅広く収蔵されており、大変見ごたえのあるものでした。美術館の中央には温室があり、南方の植物が生い茂っていました。
その後ホテルに戻って預けてあったスーツケースをひきとり、その足で空港に向かいました。今回はコペンハーゲンカードの提示で、ロスキレ大聖堂(30DKK)、フレデリクスボー城(60DKK)、ローゼンボー離宮(70DDK)、チボリ公園(85DKK)、ニュー・カールスエベア美術館(50DKK)はすべて無料になりましたし、電車やバスで長距離移動したことを考えると(おそらく300DKK以上でしょう)、十分元は取れたと思います。
17時半にコペンハーゲンを発ち、18時40分にストックホルム着。今回は特に観光地に立ち寄る予定がないため、空港のインフォメーションで24時間のトラベルカード(電車、バス乗り放題券。100SEK)を購入しました。これで空港と中央駅の往復をすることができます。空港内のセブンイレブン系のカフェで夕食を済ませ、19時40分にMarsta行きのバスに乗り、ストックホルム中央駅に着いたのは20時40分でした。
31日は朝8時前に起床し、ホテルで朝食を摂りました。ニシンの塩辛のような料理がありましたが、残念ながら(当然ながら?)シュールストレミングはありませんでした。これは世界一臭いと言われるスウェーデン製のニシンの缶詰ですが、そのあまりの破壊力のため飛行機への持込みが禁じられ、「絶対に屋内では開けないで下さい」「化学兵器と間違われないように人気のない場所で開けてください」と注意書きが添えられているそうです。
朝食後、子供がホテルのプールに行きたがったため、少しだけ泳いでから市内観光に出かけました。中央駅から徒歩でセイゲル広場を経由してヒョートリエットへ。ここには青果市場があり、パックに山盛り入ったラズベリーが20SEKと大変安く売られていました。その後、途中のデパートに立ち寄ってからホテルに戻り、チェックアウトして中央駅から空港に向かいました。
14時半にストックホルムを発ち、翌日(8月1日)朝バンコク着。この時は空港税を節約するために空港内で時間をつぶしましたが、北欧の高い物価に慣れた身には、タイでは高いはずの空港価格が安く思えました。11時にバンコクを発ち、18時半に関空着。りんくうタウンの駐車場に預けてあった車で名古屋の自宅に帰って来たときには夜11時前でした。
ここでこれから北欧に行くという方に一言アドバイスです。北欧ではほぼすべての場所でVISAカードが使えます。これ1枚で現地通貨がなくてもまず困らないので、両替はしないか最小限に留めておいた方がお得です。ただしサインではなく4桁の暗証番号を求められるため、それだけは確認しておいてください。
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